第二十五話 チーム丹波

「やれやれ、やっぱりこの年になると腰がつらいわ」


 最後の蹄鉄ていてつを打ちつけると、酒井さかいさんは腰をたたきながら体を起こした。


「まゆみ、古い蹄鉄ていてつにはちゃんと、お馬さん達の名札つけときや」

「ちゃんとつけたから心配せんといて」

「左右前後もやで?」

「はいはい、ちゃんとやってますー」


 針金のついた荷札に、名前と前後左右どの足かわかるようにペンで書いて、古い蹄鉄ていてつに巻きつけていく。


「これがうちの、カルテみたいなものなんですよ」

「靴屋さんで一点物を作るみたいですね」

「あー、そんな感じかも」


 同じ馬でも、歳をとったり怪我や病気をすると、少しずつひづめの形も変わってくるらしい。


「丹波君の足はどうですか? なにか気になるところ、ありました?」


 もちろん一番気になるのは自分の相棒だ。


「お爺ちゃん、丹波君はどうやったかって、馬越まごしさんが気にしてはるよ?」

「申し分なく健康やね。まだ若いし、アスファルトみたいな硬い道を歩いてへんからね。そういうのが積み重なって、足を悪くするお馬さんもおるから、外に出るようになったら注意深く見ていかんと」

「……やそうです」


 引退したのも怪我が原因ではなかったし、足を悪くしている可能性は低かった。それでも、ベテラン蹄鉄ていてつ職人さんに太鼓判をおしてもらって安心する。


「ありがとうございます。それを聞いて安心しました」

「毎日乗ってはるんや。もし何か動きに違和感を感じたら、すぐ連絡をください。蹄鉄ていてつの調整は、すぐにさせてもらいますさかいな」

「はい!」


 作業が終わるころ合いを見計らっていたのか、隊長と先輩がやってきた。隊長はお茶のペットボトルを何本か持っている。そして先輩は、なにかおいしそうな匂いをさせていた。


「お疲れさまです。差し入れです」


 先輩が差し出した紙袋。あの形はもしかして?


「あ、鯛焼きや。もしかして、ここの近くにあるあの鯛焼き屋さんですか?」

「当たりです。焼き立なので熱々ですよ」

「ありがとうございます。お爺ちゃん、鯛焼きやて!」


 まゆみさんがうれしそうに、片づけをしている酒井さんに声をかけた。


「その前に道具をやな」

「熱々なのにもったいないやん?」

「はあ、しゃーない子やな。成瀬なるせさん、牧野まきのさん、おおきに。ごちそうになります」


 酒井さんがこっちにやってくる。ちょっとしたおやつタイムだ。そして先輩はもう一つ、白い紙袋を私の前に差し出した。


「で、これが馬越さんの分」

「ごちでーす!」


 中をのぞくと二匹はいっている。


「先輩、2匹いますよ?」

餡子あんことカスタード。どっちが好きかわからないから、どっちも買ってきた」

「どっちかなんて選べません……」

「じゃあどっちも食べたら良いよ」

「わーい!」


 もちろん、隊長が持っていたお茶のペットボトルも1本もらった。


「馬たちの足の状態はどうでしたか?」


 鯛焼きとお茶を手に、隊長が話を続ける。


「みんな、足に関しては問題ない思いますわ。青葉あおば音羽おとわも先導役は問題なしでしょう。心配なら、終わってからまた見させてもらいますわ」

「頼みます。特に音羽は、初めてのアスファルト道路の長距離移動なので」

「ほな、葵祭あおいまつりの次の日にでも。まゆみー」

「んんっんんー!」


 鯛焼きをくわえスマホと睨めっこをしながら、まゆみさんが返事をした。たぶん「わかってるー」と言ったのだと思う。


「それと、愛宕あたご三国みくにはそろそろ、三本足で立つのがきつくなってきてるみたいやね。足をすぐにおろしたがるようになってきた。まだ元気やけど、そのうち補助が必要になるかもしれんねえ」

「まあ、そうなりますかね。比叡ひえいの時もそうでしたし」


 聞き慣れない言葉に、先輩の服のすそをひっぱる。


「補助ってなんですか? まさか皆でかつぐとか?」

「普通は、重い牛さんの装蹄そうていの時に使うんですけどね、バランスを崩しても宙吊りになるように、体にベルトで吊るす補助道具があるんですよ」


 まゆみさんが身振り手振りをまじえて教えてくれた。


「そんな便利な道具が」

比叡ひえいも最後の半年はお世話になったな」


 先輩がうなづく。


「それって普通なんですか? そういう道具をお馬さんに使うのって」

「万が一に備えての、酒井さんからの独自提案なんだ」

「なるほど」

「年をとると足腰が弱くなるのは人も馬も同じやからね。こけてお互いに怪我したら、大変でっしゃろ?」


 特に馬にとって足の骨折は、生死に関わってくる致命的な怪我だ。ベテラン職人さんならではの心遣いに感心する。


「ところで成瀬さん」

「なんでしょう」

「一番若いあの馬っ子のことなんやけど、年齢的に、わしよりまゆみが長くお世話することになるかもしれんし、次からは実習も兼ねて、一緒に見させてもらおうと思うんやけど、どうやろう」

「お爺ちゃん、それほんま?!」


 酒井さんの言葉に、まゆみさんが飛び上がった。だが酒井さんは顔をしかめている。


「さっきからお爺ちゃんお爺ちゃんゆーてるけどな、仕事中は師匠と呼ばんかい」

「なあ、ほんまなん?! 私、丹波君の足のお世話、させてもらえるん?!」

「やれやれ、まったく。わしはそう考えてるけどな。ただしや、お前はまだ試験を受ける前やし、試験で合格するまでは、実際の作業はわしがする。そこは絶対や。あとは、ここの隊長さんと騎手さんが認めてくれたらの話やで?」


 まゆみさんは、隊長と先輩と私を順番に見つめた。


「丹波君がそこまで、忍耐強いお馬さんやとええんやけどな」

「まあそこは、馬越がそばでなだめれば問題ないでしょう」


 隊長がうなづく。隊長が賛成なら、私と先輩が反対する理由はない。


「ほな次回からは、まゆみにも作業に参加させるので、よろしゅうたのみます」

「よろしくお願いします!」


 まゆみさんが深々と頭をさげた。


「チーム丹波、いよいよ新人ばかりのチームになったな。牧野、手綱たづなはしっかりとな」

「なんとなく肩身がせまくなった気がするのは、なんでなんでしょうねー」

「男二人に女二人、問題ないだろ」

「その男同士の友情が微妙なんですけどねえ」


 隊長の言葉に、先輩が困ったように笑った。


「酒井さーん」


 そこへ井上いのうえさんがやってきた。私達と同じペットボトルを持っていると言うことは、ここにいない人たちにも、おやつの鯛焼きはふるまわれているらしい。


「ああ、こんにちは、井上さん」

「あれから腰の具合はどうですか? こうやって見ていると、もう痛まないみたいですけど」

「あの薬のおかげで、ずいぶんと楽になりましたわ。やっぱ薬は、あれでないと」


 酒井さんの言葉に、井上さんが笑った。


「あのお薬を渡したのは、あくまでも応急処置的なことですよ。ちゃんと整形外科で診てもらって、人間用のお薬を処方してもらってください」

「せやけど、あれのおかげでもう痛ないしなあ」


 酒井さんはそう言って、自分の腰をたたく。


「ダメですよ。薬は一時しのぎでしかないんです。ちゃんと診てもらって、悪いところがあったら治療してもらわなくちゃ。酒井さんだって、もうそんなに若くもないんだし」

「わかりましたわかりました。ほな、次の休みの時にでも、行きつけの医者に予約いれますわ」

「そうそう。悪いところがなければ、それに越したことはないんですからね」


 井上さんがニッコリとほほ笑んだ。


「お爺ちゃん、井上さんにだけは素直やんね。もう若くないとか私やお母ちゃんが言うたら、めっちゃ怒るくせに」

「やかましいわ。それとやな、さっきも言うたが仕事中はやな」


 酒井さんとまゆみさんが言い合いを始める横で、井上さんがこっちを見る。


「あら、馬越さんだけ二尾も食べてるの? あっちでは一人1尾厳守だったのに」

餡子あんことカスタード、どっちにするか選べなかったので、どっちももらっちゃいました。あ、これ、もしかして先輩が食べるつもりでした?」

「いや。どっちも馬越さんに買ったやつだから問題ないよ」

「ふーん、牧野君、後輩には甘いのねえ……」


 井上さんが変な顔をして先輩を見た。


「しかたないでしょ、どっちが好みかわからなかったんですから。万が一、餡子あんこが嫌いとかカスタードがダメとかだったら困るし」

「ふ――ん……フラグかしら……?」


 ものすごく胡散臭うさんくさげな顔で、謎発言をする井上さん。


「ところで井上さんが酒井さんに渡したお薬って、やっぱりアレですか?」

「もちろん。だって私、獣医だから」

「もちろんなんだ……」


 本当にお馬さんの薬を渡したんだ……と戦慄せんりつ


「効くと言っても、痛みに対する対処療法ってだけで、根本的な治療じゃないからね。ちゃんと人間のお医者さんに診てもらうのが一番なのよ?」

「ですよねー」


 まゆみさんが大げさにうなづきながら、酒井さんの顔を見つめている。


「私が一人前になるまでは、お爺ちゃんには頑張ってもらわなあかんし、ちゃんとお医者さんには行ってやー?」

「わかってるゆーてるやろ」


 酒井さんが本当にお医者さんに行くかどうかはともかく、チーム丹波に新しい装蹄師そうていしの卵さんが加わることになった。

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