この地獄に劫火をくれてやる
ぼく
地獄のはじまり
第1話 一階エントランスは私共が占拠いたしました
2022年 12月25日(日)9:58 渋谷区 JBS放送センター
「何だよ邪魔すんな、通せよ」
右手に構えたGoProのカメラの液晶に警備員の渋面が映し出される。
「困ります。撮影は控えてください」
「はあ? 寝言ぬかしてんじゃねえ。一階のエントランスは一般人も立入自由なんだろ」
達哉は奥のマスコットキャラの着ぐるみと記念撮影しているファミリーを指さした。世間はクリスマスムードに浮かれている。
そんな空気に似つかわしくない剣幕で迫る警備員。堂々と対峙する達哉。
この警備員の横柄な対応も後でYouTubeに投稿するつもりだ。
「とりあえず社長連れて来いよ。いるのは分かってんだぞ」
JBSの
「俺はな、JBSに訴訟チラつかされてんだ。名誉棄損でな。こっちも弁護士立てて準備万端だ。チマチマ脅しかけて来るから、こうして俺から出向いてやってんだ。顔出すのが
なあ喜代田社長! と達哉の大声が吹き抜けのエントランスに反響する。
警備員は「やめなさいっ」と身体を押してくる。達哉は口元を綻ばせ笑みを振り撒いた。
「皆さん、どうして僕がJBSに訴えられそうになってるのか知ってますかー。このテレビ局の不正を、真実を指摘したからなんです!」
「ちょっ、黙りなさい!」
「パワハラ、モラハラ、セクハラが横行し、番組なんてヤラセや偏向報道ばっかり! 公共の電波を使って、皆さんを騙してるんですよJBSは!」
はっはっはー、と高笑いを上げる達哉。警備員は迷惑そうにGoProのレンズに手をかざす。
「知ってますよ喜代田社長! 歌番組にタレント出してもらいたがった事務所に、アナタ新人アイドル当てがってもらったんでしょ。いわゆる枕営業ってやつですよね! どうでしたか十代の子のカラダは!」
警備員は「いい加減にしなさい!」と達哉のコートの袖を掴む。
「聞いてください皆さん! テレビのようなオールドメディアはね、金とセックスで成り立ってるんですよ! そういう事実を週刊誌に売り込んだら、圧力で潰されてしまったんです! 言論の自由を叫ぶテレビ局に、僕の言論は封殺されてしまったんです!」
達哉はエントランスにいる職員や見学客に向かって声を張った。
フロアの特設スタジオでニュース番組を生収録しているスタッフから嫌な顔をされる。
皆が達哉を注目する。これが狙いだ。
いや、違う。誰も達哉の事を見ていない。
人々の視線は達哉の肩を越え、はるか後方に投げられている。皆、目を見開いて。
そっと達哉も振り返る。
「……え」
大型バスだ。それが全速力で突っ込んできた。
「おい、逃げろ!」
達哉は警備員を突き飛ばし、エントランスへ強引に飛び込んだ。コンマの差で大型バスが正面玄関に激突する。
玄関のガラス壁が弾け飛び、重く巨大な金属がぶつかり擦れ合う耳障りな轟音。見学に来ていた子供たちの金切り声。
「オッサン、大丈夫か」
達哉の隣に警備員が転んでいた。
尻もちをついたらしく「いててて」と腰を擦っている。床に散らばったガラスの破片。バスは頭を突っ込んだ状態で止まっている。
次の瞬間、バスのドアが開く。達哉は目を疑った。
「はっ……JK?」
紺のブレザー、チェック柄のスカート、艶の輝く
十人、いや二十人以上の少女たちがガラスの破片を踏み砕きバスから降りてきた。
ブレザーの左胸には、十字架に両手を広げたマーク。どこの校章か見覚えはないが、ミッション系スクールだろうか。ただ、彼女らの姿は異形だった。
ガスマスクで顔を覆っている。
彼女らのフィルターから漏れる息遣いが鼓膜に触れた。そして彼女らは全員、
少女たちは規律正しく整列する。先頭の少女が左手を上げると、前列の少女たちが膝をついて小銃を構えた。
人々は「え、ドッキリ?」「クリスマス企画?」と困惑の声を漏らす。
左手を上げた少女がベルトから何かのピンを外した。小型のスプレー缶らしき物が握られている。少女は缶を掬い上げるように放った。
缶が床に落ちた瞬間、白煙が噴出する。人々は悲鳴を上げ、ある者は逃げ出し、ある者はその場に身を屈めた。
「
達哉もその場に蹲った。
眼球がビリビリして涙と鼻水が止まらない。喉も焼け付くように痛い。傍らの警備員も激しく咳き込み、手探りで立ち上がろうとしている。
達哉の視界は遮られた。辺りから人々の咳き込み、怒鳴り声、悲鳴が充満する。
「ちきしょう、何が起こってやがんだよ!」
その刹那、耳を
ダダダ、ダダダダダ――。
戦争映画の世界に迷い込んだかのようだ。白煙の奥に飛び散る火花。達哉は転げるように床へ伏せていた。
結膜が腫れて視界が狭まり、音でしか情報が入らない。ガラスの弾け散る音、断続的な破裂音、子供たちの悲鳴、そして迫り来る大勢の靴音。
隣で警備員が膝をついた。達哉は警備員の制服を引っ張る。
「オッサン、伏せてろ!」
警備員は無言のまま仰向けに反り返った。その姿を見た達哉は絶句する。
「ああ……ああぁぁっ!」
顔の右半分が吹き飛ばされて欠け、赤黒い中身をぶちまけている。警備員の両手足は電流が走っているかのように小刻みに痙攣していた。
死んでいる。
周囲から「お願い、やめて!」「助けて!」など悲痛な叫びが溢れた。
割れたガラス窓から外気が吹き込み、凝っていた白煙を流し消してゆく。けたたましい破裂音の連発は止んだが鼓膜は震えたままだ。露わになる視界を前に、達哉は戦慄した。
床に散乱しているのはガラスの破片と薬莢。
それを踏みしめるガスマスクの少女たち。
血まみれで横たわる無数の人々。
親子連れやカップルが壁際にへたり込んで震えている。
四方の玄関を、自動小銃を装備したガスマスクの少女達が封鎖していた。表の通りからは野次馬達が目を見開いて中を覗き込んでいる。
一人の少女が銃口を下げ、ガスマスクを脱いだ。
「皆様、お騒がせして申し訳ございませんでした」
少女は眼鏡を掛け、深々と頭を下げた。吹き抜けのエントランスに澄んだ声が響き渡る。
清楚な黒髪に、知的なフレームレスの眼鏡。
耳には
「先程の煙はクロロベンジリデンマロノニトリル−−CSガスと申しまして、警察が暴徒鎮圧に使う催涙ガスです。数分で目鼻の痛みは消え、後遺症も残しません。加水分解しやすいのでアルカリ性石鹸で顔を洗うと直ちに無毒化できます」
眼鏡の少女が「では、洗顔の方は奥の化粧室をご利用ください」と促すが、誰も動き出そうとしない。少女は血溜まりに立って人々を見回す。教養のある眼差しだ。
「あと。この中で、重傷の方はいらっしゃいませんか」
眼鏡の少女の呼び掛けに、血溜まりの中で人影が動いた。
「……た、助け、て」
アナウンサーが血溜まりを這いつくばっている。
エントランス特設スタジオでニュースを収録していた男だ。両手足や腹部に負傷し、穴の開いた水袋のように血を溢している。
「まあ、ごめんなさい。痛かったでしょう」
眼鏡の少女は口元で両手を合わせ、胸を痛めるような顔をした。
アナウンサーは縋るように手を伸ばす。腹が破れ、チューブのような臓器がこぼれ出していた。
「大変。すぐに助けてあげましょう」
少女は左太ももから銃剣を抜き、刃を横にしてアナウンサーの脇腹から胸を刺した。
素早く引き抜くと血が噴き出す。
少女の白い頬に鮮血が飛び散った。人々は引き攣った悲鳴を上げるが、少女が視線を配ると喉を絞るように声を堪えた。
アナウンサーの男は電源が切れたように動かなくなった。少女は眼鏡に付いた血を拭きながら問い掛ける。
「他に、重傷者の方はいらっしゃいませんか」
誰もが首を横に振る。
肩口を撃たれている者も痩せ我慢して耐えていた。
眼鏡の少女が手を挙げて合図すると、他の少女たちもガスマスクを脱いで人々の様子を確認してゆく。
彼女らは倒れた人々から生存者を探し、眉間にハンドガンを突き付けてトリガーを引く。パンと頭が弾ける。銃声が鳴る度に人々は短い悲鳴を上げた。
即死させている。
少女達は的確に急所を撃ち抜いていた。眼鏡の少女にしても、肋骨の間から心臓を刺してアナウンサーの男を即死させていた。
それに得物は改造エアガンの類いではない。本物の銃だ。
「あなた、お怪我はございませんか」
頭上から透明な声が降ってくる。
眼鏡の少女だ。達哉は息を飲んで凍った。
「お見受けした所、動けないようですけれど」
眼鏡の奥の瞳が優しく笑んでいる。逆手に持った銃剣は赤黒い血でぬめっていた。
「い、いや。俺は、大丈夫……」
ああ良かった、と少女は立ち去る。清潔な石鹸のような香りが残った。
達哉は目だけで辺りを確認する。
出入り口を封鎖する武装した少女たち。壁際の一箇所に集められた生存者たち。すると眼鏡の少女が澄んだ声で宣言する。
「ここ一階エントランスは、私共が占拠いたしました。皆様には協力者として同席していただきます。さしずめ皆様は人質という事でございますね。何卒よろしくお願いします」
眼鏡の少女はインカムに何かを呟いた。
「こちらA班。一階エントランスを制圧完了。生存、十九名。浄化、八名。B班・C班の報告まで待機いたします」
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