54.理事長はお怒りでした
そうして休みはあっという間に終わり、また新しい週が始まった。
学院に着き、ハヤトを正門で見送ってから私は裏門へ向かう。
少し憂鬱な気持ちで女子教員用更衣室に入ると先客がいらっしゃった。しかもよく見ると知ってる人だった。
「あら? 貴女は……」
「あら、おはよう。アリス」
なんと。
彼女は私と同期生の女子、エリザベス様だ。
とある候爵家の長女で、去年の騒動に巻き込まれた当事者の一人でもある。というのも、彼女の婚約者はマリアの逆ハーレムメンバーの一人、騎士団長の息子だったからだ。
当然、もう婚約は破棄しているんだろうけど――
「どうしてエリザベス様がここに?」
「アリスと一緒。私もここで教師やるの。土の日に新理事長から連絡を貰ってね、それで」
「そうなんですか! ずいぶん急ですね」
「アリスだってそうでしょう。理事長から聞いたわよ。婚約者を追い掛けて学院に潜入中なんですって? よくやるわね、本当に」
エリザベス様は体育会系の頂点の家に嫁ぐ予定だっただけあって、非常に気が強くて竹を割ったような性格をしている。
私にとってアネキ的な存在だ。実際に彼女は私より一つ年上。
十三歳の時に領地が水害に見舞われ、一家全員で対応に当たったために入学を一年遅らせたという経緯がある。同級生でも年上で気が合うので、私にもこうしてざっくばらんに話してくるのだけど……何だか私の周りにいる女子って皆こんな性格だな。
付き合いやすくていいんだけどさ。
「エリザベス様は婚約者がここに通っている訳ではないのですか?」
「ないない。次の婚約なんてそう決まらないわよ。優良物件はとうに契約済みだし。変化球を決めたアリスのとこが特殊なだけ。私は今後、王妃殿下の侍女か修道院かって話だったんだけど、どっちもちょっとなぁーって思っていたところだったの」
「ああ、王妃殿下は……熾烈な方ですからね」
この上なく優雅でありながら、言葉がキツくて手も出るのがこの国の王妃殿下。
私はなぜだかそういう女性の相手が得意なので叩かれた事はないけれど、侍女が折檻を受けている場面は何度も見た事がある。
「そうでしょう? だから新理事長に“教師が足りなくて大変だから、もし良ければ手伝ってほしい”って言われて“やります!”って即答したの」
「そうだったんですか」
確かに、理事長も言っていたけれど今学院が荒れているのは教師陣に高位貴族の関係者が足りないからという面が少なからずあるようだ。
候爵家の彼女なら家格はじゅうぶんだし、しかも気が強い性格。
今の学院に打ってつけの人物と言える。
「ではこれからよろしくお願いしますね、エリザベス先生」
「ええ。よろしくね、エリー先生」
ぱち、とウインクをして見せるエリザベス様。
彼女と並んでお喋りをしながら着替える。
今日は公称の二十歳っぽさを狙ってタイトめなワンピースを家から持って来たんだ。
ぽっちゃりじゃないってハヤトにアピールするためには腰周りをピタッとさせないといけない。そこ結構こだわってるところ。
「――だけど、普通に考えたら私よりエリザベス様のほうがエリー先生ですよね。なんだかややこしい事になりそうですよ」
「まあそれはねー。仕方ないわよ。……っていうかアリス貴女、かなり雰囲気変わったわよね。前もって理事長に聞いてなかったらきっと分からなかったわ」
「ふふ、そうでしょう。私、生まれ変わってたんですよ」
文字通りね!
「うん、今のほうが全然いい。だから言ったじゃない、貴女は化粧は薄いほうが良いし、服にゴテゴテした飾りをつけて体型を隠す必要もないって」
そう。彼女は唯一、当時の私にそれを指摘し続けてくれた人だ。
あの時の私には聞く耳がなかったけど、今は本当にその通りだったと思う。
「おっしゃる通りすぎて耳が痛いです」
「ふふ、アリスはパーソナルカラーで言ったらきっと春と夏のミックスよね。多分、春が強めかなぁ」
「パーソナルカラーですか。似合う色味が分かるやつでしたよね。お母様は、そういうのを気にするのは二十代後半になってからでいい、十代のうちは好きな色を好きなだけ使いなさいって言ってました」
「まあでも知っておく分にはいいんじゃない? 春はかっちりしたメイクが似合わないらしいわよ。夏も透明感を出したほうがいいって言うし、どっちにしろアリスとは正反対よね」
正反対か。
確かに、前の私は、私ではない違う人になりたいと思っていた。
化粧が濃かったのもそのためだ。
常に見張られ、否定され、言動を制限されている人は私じゃない。
この厚く塗り固めた仮面の女が笑われているだけだ。本当の私には傷一つ付いていない。
そう思い込む事で心を守っていた。
化粧を濃くした程度で他人になどなれるはずもないのに。
「エリザベス様は……ウインターっぽいですよね。真っ赤な口紅がすごく似合うから」
「あ、わかる? そう。私、ウインター。服も真っ黒とか真っ青とかが合うんだって」
「わかります。そういうハッキリした色がエリザベス様の人柄にも合う感じがしますね」
「それを言ったらアリスも春っぽいわよ。ぽやーっとしてて」
「私ぽやーっとなんてしてません」
エリザベス様は笑って鏡を覗きこみ、唇に紅をつけ直した。
先日の私と同じような白いブラウスに黒いタイトスカート姿のエリザベス様。
やや長身でスラッとしたモデルのようなスタイルに、艶のある黒髪と白い肌。
たった一歳しか違わないのに、すごく大人びて見える。
「よし、できた。……一緒に教員室まで行きましょう、エリー先生。実は私、貴女の新しい婚約者様を見るのが今日一番の楽しみなのよ。王子様より王子様オーラ出してるって凄い噂よ」
「あ、あげませんからね!?」
「いらないわよ。私、マリアみたいになりたくないもの」
アネキは笑って颯爽と歩き出した。
か、カッコいい!
並んで教員室に向かっていると、ちょうど登校してきたエスメ様と遭遇した。
「あら、エリー先生……と、エリザベス先輩ではありませんか! お、おはようございます」
「おはよう」
私の時とはずいぶん違う、改まった態度で礼を取るエスメ様。
その態度に彼女の中での私のポジションが見えてしまう。
きっと禄なもんじゃないな。
「私も教師になったの。よろしくね、エスメラルダ様」
「は、はいっ」
憧れ混じりのキラキラした視線をエリザベス様に向けた後、ふと私を見て“ふっ”と笑った。
笑われたと言ったほうが近い感覚がある。
「ちょっと、なんで今笑ったんですか?」
「え? いや何となく。可愛いなぁって思って。今日のワンピース素敵ですよ。ちょっとエロすぎる気もしますけど」
「色気と言って下さい。大人には色気が必要なんです」
そう言うと、またふっと笑われた。
どうよ、この年下感の無さ。単に私に年上感が無いだけかもしれないけど。
……ん?
ちょっと待って。
私、もしかして精神年齢低いの……?
「じゃあエリーせんせ、本日もご指導よろしくお願いしますね」
「……はい、よろしくお願いします」
唐突に気付いた自分の弱点について考えを巡らせながら教員室へ向かう。
エリザベス様の自己紹介の後にミーティングが始まり、新米の私達二人は今日はそれぞれ先輩教師にくっついて歩く事になった。
今日の私の指導担当はローレンス先生。ハヤトのクラスの担任だ。
この采配、間違いなく忖度してくれている。ありがとうございます、と理事長にお礼を言うと
「いや、別に忖度した訳じゃなくてさ……。お前、これ。もうちょっとまともなモノ書けってアイツに言っとけ」
そう言って、提出済みの一枚の用紙を私の前に突き出してきた。
先日の、休み前にやった模擬戦のレポートだ。
っていうかこれ、ハヤトの書いた反省文じゃん。
理事長は反省文を声に出して読み上げる。
「“僕は間違えて校舎を気体にしてしまいました。ごめんなさい。もうしません。ハヤト・リディル”……って、アホかアイツ。十歳児以下かよ」
あり余る小学生感。
エリザベス様はじめ先生方が吹き出した。
「編入試験は満点だったくせに何なのこのバカっぽさ。まず、そうなった経緯と、反省する気持ちをちゃんと伝わるようにだな……いや、せめて三行以内におさめようとするなって言っとけ。ていうか、お前が先にチェックしたんだよな。何でこれをこのまま俺に提出しようと思った?」
「これで良いかと思っちゃいました……」
はぁ、とため息をついて理事長は言った。
「……お前らホント似た者夫婦だな」
「まだ結婚してません」
「してなくても一緒だろ。思考回路が大体同じなんだよお前らは。人生を舐めきっているところとか」
そんな、とんでもない。
あんな素敵な人と頭の中が一緒なんて、あの人に悪いじゃない。
「……頬を染めるな。別に褒めてない」
予鈴が鳴り、ローレンス先生の後について一緒にⅡ–Aクラスの教室に向かった。
「エリー先生は、在学中の成績はどの教科も満遍なく良かったですよね。苦手な教科ってあるんですか?」
「そうですね……。数学は、苦手です」
「おや、そうなのですか。点数だけ見ていたら分かりませんでした。努力、したんですね」
そう言って優しげに微笑むローレンス先生はまだ二十歳。
私とエリザベス様を抜かすと、学院で一番の若手教師である。
ちなみに担当している教科は、護身術。男女どちらも必ず受ける授業だ。
貴族として生きる者にとって、非常に重要度の高い技術。
まず一年生の前半で身を守る考え方(危険な場所に近寄らないなど)の基本から学び始め、それ以降は実技中心になる。
「ローレンス先生は苦手な教科、あるんですか?」
「私ですか? 私は……強いて言うなら女性の心が苦手でしょうか。何を考え、どんな事を感じているのか全く分かりません」
なるほど。
多分、女たらしだな。ローレンス先生は。
勝手に結論付けながらⅡ–Aクラスの扉を開ける。
無表情を心掛けつつ、みんなが着席していく教室を教壇から見下ろした。
――さすが優秀クラス、全員がちゃんと席についている。
感動するポイントが少し違う気がするけど。
ローレンス先生の補助役な私は、休み中の課題を集める作業をする。とは言っても後ろの席から前の席に、順番に課題の用紙を重ねて送ってくるのを一番前の子から受け取るだけの簡単な作業だ。
廊下側から回収を始め、アンナ嬢からも受け取り、最後にハヤトから受け取る。その時さりげなく足で靴のつま先をちょんと突つかれ、ぱっと顔を見ると悪戯が成功したような笑みを見せてきた。
内心悶絶しながら用紙をトントンとまとめ、ローレンス先生に手渡す。
すると俯いて肩をプルプルさせているエスメ様が目に入り、なんだか凄くやりにくいなぁと思いながらホームルームを始めるローレンス先生の斜め後ろについた。
ホームルームが終わったら一時限目の授業の補佐だ。護身術の授業は積み重ねが大事なので、どのクラスもほぼ毎日一回は組み込まれるカリキュラムになる。
例外はシャムバトルの日くらいだ。
「ではエリー先生、一時限目はⅠ–Bクラスの指導に入りますよ。実技は今日が初めてなんですよ。補助、よろしくお願いしますね」
「はい、よろしくお願いします」
そう話しながらⅡ–Aクラスを後にする時、ローレンス先生はさりげなく私の腰に手を添えてきた。
うぉっ……! やっぱり女たらしだ! エスコートし慣れ過ぎている!
とても手慣れた仕草だけど、生憎ここは学院だ。夜会の会場ではない。
私は廊下に出てすぐ距離を取り、先生の斜め後ろをキープしながらこれから授業を行う学院のホールに向かった。
「ローレンス先生」
「はい、なんでしょう」
「あまりからかわないで下さいね。私、これでも一応は夫人という設定なので、誤解を招くような行動は控えたいのです」
つまり、婚約者がいるので不必要に距離を詰めないで下さいと言っているのだけど。
先生は口元に手を当て、おかしそうに笑った。
「いや、そうですよね。申し訳ない。でもからかった訳ではありませんよ。魅力的な女性がいると、つい」
「お上手ですね」
これがからかいで無くて何なのだ。
この甘い言葉に引っ掛かった女性は泣きを見る。間違いない。
「お世辞ではありません。私はね、知りたいのですよ。貴女のような淑女の、心の中を」
これは、学院の廊下で歩きながらする会話なのだろうか。
先生、今まで会った中で一番乙女ゲームのキャラらしいセリフを駆使してくる人だな。
ハヤトは見た目はともかく言葉は普通だし。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます