彼は、本当の自分を知る

 僕は考える、自分がどうしたいかを。決まっている、僕は彼女たちのことを幸せにしたい。じゃあ、その彼女たちって誰のことだ? それも決まりきっている、白芽と霞、それと凛子だ。本当にそうなのか? そうに決まってるだろう。白芽は僕の大切な幼馴染で、霞は大事な後輩、二人の眷属である僕は彼女たちを幸せにする責任がある。


 じゃあ、凛子は? 凛子を幸せにする理由が、何処にある? お前は、連日の洗脳で頭がおかしくなっているだけじゃないのか?


 違う、違うはずだ。僕は、僕のせいで歪んでしまった吸血鬼たちに対する責任を取らなければならない。それは正しいはずだ。間違ってないはずだ。僕は白芽を、霞を、凛子を、幸せにするべきなのだ。


 僕はただ、普通に生活していただけだ。なのに、三人分の人生を背負う必要がどこにある? それは……だって、全ては僕が悪いのだから。独善的な正義を振りかざし、自己中心的な考えで中途半端に誰かを救い、ついぞ僕は正解を選ぶことが出来なかった。そんな僕には、お似合いの末路じゃないか。


 きっと、白芽は今回の一件で僕をこれまで以上に縛るだろう。霞はそれを増長させるに違いない。凛子は二人を殺してでも僕を奪おうとするだろうし、白芽と霞は凛子の存在を認めないはずだ。どう転んでも、僕は三人を守り切れない。二人か、一人かしか選べない。


 では、お前が三人に尽くす必要がどこにある? どうせ全てを取ることが出来ないのなら、全部捨ててしまえばいい。全員を殺せと言うのか? 白芽は僕無しじゃ生きられない、霞は僕がいなければ死を選ぶ。凛子は手に入らないなら僕を殺して奪う、それの何処が幸せなのだ。


 少なくとも、僕は救われる。そうだろ? 違う違う違う! 僕は三人が好きだ。そうだ、そのはずだ。そこに疑問の余地はないはずだ。絶対にそうなんだ。


 お前は自分が救われたいだけだろ? それを、あの吸血鬼たちに求めただけだ。なのに、三人のうち誰も僕を救ってくれなかった。一人は束縛して愛を求めるだけで、ついぞ本音の裏側にたどり着くことは無かった。一人は崇拝して尊ぶだけで、お前の苦しみを理解するどころかむしろ悪化させた。一人はお前の体が目当てなだけで、お前を救ってくれる憧れの人などでは無かった。


 違う……そうじゃない。僕はそんなことを望んでいた訳じゃない。ただ、不当な扱いを受ける吸血鬼に手を差し伸べたかっただけだ。僕はそんな利己的な打算で白芽や霞を助けた訳じゃない。二人が期待に応えてくれなかったからと言って、凛子先輩にシフトした訳でもない。


 いい加減認めろよ。お前は自分を慕う吸血鬼たちを見て、優越感に浸っていただけだ。優しい自分に酔って、ただ欲求を埋めていただけだ。お前も、あの吸血鬼たちも、何も変わらない。いや、お前の方がよほどたちが悪い。


 あれらは非人間である。元々種族が人間では無いのだから当たり前の事実だ。けれど、お前は違う。お前は人間でありながら、非人間なんだ。その違いは分かるか? お前は正しさだとか、責任だとかをご立派に掲げたがるが、元々最初っから間違ってるんだよ。その在り方も、生き方も、考え方も。


 いじめを受ける幼馴染を助けたかった? 違うだろ、お前は自分を裏切らない存在が欲しかっただけだ。


 孤独な後輩を救いたかった? 違うだろ、お前は自分が優しくて正しい人間だと思いたかっただけだ。


 残酷な方法でしか人を愛せない先輩を愛したかった? 違うだろ、お前はそこまでする自分を代わりに助けて欲しかっただけだ。


 ろくでなしで、ゴミくず。人としての品性を疑う最低のクズ。それがお前の本当の姿だ。お前は全部間違っている。そして、これからも間違え続ける。それがお前の運命だ。


 じゃあ……どうすればいいんだ。仮にそれが真実だとして、全て誤りで無いとして、僕はどうすればいいんだ? 彼女たちを愛しても、誰かが犠牲になるのなら意味がないじゃないか。彼女たちを見捨てても、僕が死ぬのなら意味がないじゃないか。


 ……。なぁ、どうしてそこで黙るんだ。一番それが教えて欲しいことなのに。何か言ってくれよ、頼むから。ずっと間違え続ける僕は、一体どうすればいいんだ。


 僕に問いかける誰かが次の句を紡ぐことは無い。だって、これは僕だからだ。僕自身が、僕を蔑んでいるだけなのだ。だから、僕が知らないことをこいつが教えてくれるはずもない。僕が知っていることしか、こいつは話してくれない。


 そんなこと、ずっと前から自覚している。僕はずっと誰かに愛されたかった。僕はある日から、唐突にその思いをずっと抱えて生きてきたのだ。僕を抱きしめて欲しい、愛を囁いてほしい、ずっとずっと、僕を裏切らないで欲しい。


 胸の奥底で燻り続けるそれを自覚した頃、白芽がやってきた。綺麗で、可愛くて、寂し気な少女。こんな子に愛されたのなら、僕も満たされるかもしれない。そう思った。だから、手を尽くした。


 だが、僕が満たされることは無かった。吸血されている時も、白芽が僕にだけ笑顔を見せるようになっても、まだ足りなかった。


 霞と友達でいたかったのは、自分のことを人でなしだと思いたくなかったからだ。僕はただ対等な関係を築きたいだけなのだと、ギブアンドテイクな良好な関係を築きたいのだと思いたかったからだと、信じたかった。


 霞が僕に好意を寄せていると自覚した時、僕は浅ましくも思ったのだ。もしかしたら、白芽で埋めきれない穴を彼女なら埋めてくれるのではと。だから、僕は彼女の眷属になった。本当に度し難い。


 それでも、それでも僕は満たされない。この胸には依然として、誰かの愛を求め続ける。僕は求め続けた。僕を満足させて、幸福にしてくれる人物を。


 凛子は、それに一番近かった。この何日かの間、僕は彼女の愛に触れた。長年、誰にも分け与えられることなく凝縮され濃縮されたその愛は、数日で僕を陥落させて見せた。凛子のこれは、もしやという感覚を呼び起こさせるのだ。


 でも、まだ足りない。満たされない。僕の心は寂しいままだ。もっともっと、僕を愛して欲しいと嘆くのだ。


 ……あぁ、そうか。今自分で言っていて分かった。僕がしたいのは、僕の望みは三人の幸福だけでは無かったのだ。僕自身が、幸福になることだ。そんな簡単な願望が、抜け落ちていた。


 心の奥底ではそれをずっと願っていたくせに、自分の弱さを認めようとせずにいたから、僕は満たされなかったのだ。僕が僕の幸せを願わない限り、僕が救われることは無い。問題は周りではなく、僕にあったのだ。


 僕は、幸せになりたい。愛し愛され、お互いに幸福になる未来が欲しい。誰も死ぬことなく、皆が、何より自分が笑っていたい。例え間違っていようと、間違え続けようと僕はそれを貫こう。


 そうだ、それでいい。お前は間違っていてもなお、進み続ければいい。その先に地獄が待っていようと、お前は自分の道を自分で選び続けろ。それが、お前に出来る唯一の責任の取り方だ。自分の人生の責任を取って初めて、お前は他人の責任を取ることが出来るんだ。


 僕の中の僕自身が、そう言った。僕は僕自身で肯定を続ける。何とも惨めだ。弱くて、自分で自分を認められないと進めない。それが僕だ。しかし、その工程を経た僕はどんなことも実行する。


 さぁ、目を覚まそう。凛子先輩の愛に報いるのだ。そして、外で僕を待つ白芽と霞に会いに行くのだ。皆の幸せのために。僕はゆっくりと眼を開けた。


 「おはようございます、励君」


 「おはよう。待っててくれてありがとうね」


 「いえいえ、私とあなたは一心同体。寝る時も起きる時も一緒ですよ」


 手錠を見せながらそう答える凛子。一心同体、か。なら、彼女も僕の考えをきっと理解できるはずである。僕は凛子の愛を理解したい。ならばこそ、凛子も僕の愛を知ってほしいのだ。


 「凛子、話があるんだ。大事な、これからについてね」


 「えぇ、私も似たようなことでお話があります。最初は励君に譲ってあげますよ」


 ゆっくりと僕を見る凛子は、僕の頭を撫でた。もう、ほんの少しの罪悪感もない。霞の時は、あれだこれだと理由をつけて、誤魔化したから迷いがあったのだ。今の僕に、そんな余分なものは必要ない。


 「白芽と霞に会いに行っていいかっ」


 言い終わる前に、僕の首には凛子の両手があった。見ると、先ほどまでの表情とは違い、冷徹で無機質な顔がそこにはあった。僕の言葉が気に入らなかったのだろう、想定内だ。僕は凛子の手を掴んで、少しばかり押し上げる。気道が確保されて、少しだけ喋れるようになった。


 「はなし……きい、てよ」


 「どうやら、まだまだ調教が足りなかったようなので、ね。励君は完全に私の虜になったと思ったのですが、見誤ったようです」


 「いい、や。凛子は間違って、無いよ」


 「はい? じゃあ、どうして私以外の女が出てくるんです? 私だけで十分じゃないですか」


 「凛子だけじゃ、足りないからだよ」


 「……は?」


 凛子が僕を満たしてくれるのなら、これでも良かったかもしれない。けれど、そうはならないのだ。やはり僕には白芽や霞が必要である。もう、二人がいないと永遠に満足できない。それが、僕が二人を愛す理由だ。責任を取る、本当の理由だ。


 「っ! あなた……どうしてそんな眼をしてるの? なんで、そんなに寂しそうなの?」


 「僕が人でなしだからだよ。僕は、愛されたいんだ」


 凛子の顔が困惑で歪む。それもそうだろう、白芽や霞にも見せたことのない、僕の本音の更に裏側。皆を幸せにしたい本当の理由。彼女の知らない、僕の姿なのだから。


 「くふ……ふふっ……あは、アハハ!!! 凄い! 凄いよ励君!」


 「凛子なら分かってくれると、思ってたよ」


 「いいえ、全然分からない。だからこそ、素敵。もっと好きになってしまうよ」


 あぁ、この人もまた、僕と同類だ。先天的な人でなし、自分の欲望のためなら手段を選ばない、どうしようもない人。僕の共犯者に相応しい人物だ。


 「ねぇ、それが本当の励君なの? あなたが隠し続けていたそれを、私は暴くことが出来た?」


 「君の拷問で丸裸にされたよ。嫌な所も、探してたものもね」


 「じゃあ、そんな君は私に何を求めるの?」


 凛子先輩はその顔を愉悦に歪ませて、酷く楽しそうにしていた。それを見ていると僕も、また一つ落ちて行ってしまう。まぁ、元々落ち切っているのだから、これ以上底辺に落ちても何も変わらない。僕は僕としてしか生きられないのだから。


 「眷属、要りますか?」


 霞にかけたものと同じ言葉を、あえて使う。僕は凛子の眷属となり、最低の行為をするのだ。これは、僕と一緒に落ちるところまで落ちてくれるかという確認だ。


 「えぇ、喜んでっ」


 凛子は白芽とは反対側の、僕の首筋に噛みついた。吸われる痛みも、凛子の熱も、何もかもが愛おしい。僕は、三人目の吸血を受け入れたのだった。


------


 私の運命の強制が、こんな素晴らしい選択をもたらしたなんて今でも信じられない。この力はいつだって、私を失望させ続けてきたのだから。それがようやく、私の望みを叶えて見せた。遠山励という少年を、ここまで堕としてくれたのだから。


 いや、元々素質はあったのだ。そういう願いを彼が抱き続けていたのも事実なのだから。それでも、眠れる彼を目覚めさせてしまったのは私だ。だから、私も一緒に堕ちきってあげないと。


 あの瞳を覗いた時、私は恐怖した。私が満たし尽くしたと思っていたのに、彼の眼の中は空っぽだったから。彼の中身は依然としてガラガラで、溢れるどころか満たすことすら出来ていなかったのだ。それが分かった時の、あのゾクゾクとした感覚。彼に私への忠誠を誓わせようなどと考えていた私の思考は、彼方へ追いやられてしまった。


 彼は、私と同類なのだ。運命の強制によって、すべからく全てが無価値となり満たされない私と。私は全てが手に入る故に、彼は大きすぎる渇望を持って生まれたがために。私を惹きつけていたのはこれだ。体だけでは無く、その心もだった。


 上手く隠されたそれを、私は見誤っていた。彼は自分すらも欺き続け、誰にもその欲望を見せることは無かったそれは、私の理解を越えている。分からない、どうしてそんなにも愛を求めるのか。分からないから、もっと知りたくなる。


 彼をもっと知りたい。彼をもっと満たしてあげたい。彼を愛し尽くしたい。とめどなく溢れるその感情に、私は従うことにした。


 彼の血を味わった後、彼から聞かされたどうしようもない願いを聞いた時の私は、もっと凄かった。何故なら、私の心は嫉妬でも憐れみでも呆れでもなく、ただひたすらに歓喜をもたらしたからだ。この人は、私の予想を超えてきてくれる。私が愛したこの人は、どうしようもない落伍者だ。それがまた、私を一層喜ばせる。


 人でなしの私と彼は、こんな間違った方法でしか満たされないのだ。もう、彼無しでは生きられない。その体の味も、心の味も知ってしまったから。退廃的で不毛な快楽の味だ、彼は私をぐちゃぐちゃに壊してしまう。


 けれど、それがまた良い。私にもっと色んなことを教えてほしい。だって、堕ちるのがこんなにも気持ちが良いことだなんて、知らなかった。誰かを堕とすことしかしてこなかった私にとって、それは屈辱ではなく喜びだったなんて。それを彼は教えてくれた。


 あぁ、これから起こることを想像すると、ゾクゾクが止まらない。彼はどんなことをして、彼女たちはどんな反応をするだろう。楽しみだ。


 私の運命の強制はただ、励君のみに向けられている。だから、どんなことになるかは分からない。もしかしたら、皆死んで終わるかもしれない。それはそれでありだが、出来ればもう少し彼を堪能したいので頑張ってほしい。


 さぁ、見せてくれ。私の知らない世界を、私が愛したあなたの全てを。そして、あなたが選ぶ選択を。私はその全てを肯定し、許そう。私はニヤリと笑って、そこに向かった。彼の目論見の第一段階、その標的がそこにはいた。


 「っ!!! 先輩はどこだ……!!!」


 その眼を紅く輝かせながら、彼女はいた。愛しの彼がいなくなってから、もう10日も経っていたのだ。彼に依存する彼女は、さぞ辛かっただろう。可哀想に。彼の愛を知ってからそんなに放置されるとは、流石の私も同情する。


 「そう怒らないでください。あなたは、励君を救いたいのでしょう?」


 私は私の欲望のため、彼の共犯になったのだ。それ相応の働きはしよう。彼に骨の髄まで愛される妄想をしながら、私は彼の信奉者、橘霞の方をしっかりと見定めるのだった。

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