歪な愛情

 「私は知りたいんです。この私を惹きつける存在が、どんな考えで、どんな人生を送っていて、どんなことが出来るのか。励君のことを、もっと教えてください」


 きっと、夕暮れ時の誰もいない教室でそう言われたなら、誰だって肯定の言葉を出してしまうだろう。そう確信してしまうほどに、蓬莱先輩は魔性だ。その魅力は、見るものをことごとく虜にしてしまう。僕もまた、こんな状況に遭ってもなお、蓬莱先輩から眼を背けることが出来ない。


 「……そんな大層なものはありませんよ。何処にでもいる、何てことない平凡なモブ。それが僕です。凄いのは周りで、僕じゃない」


 「えぇ、知っています。けれど、それは客観的な情報でしかありません。自分が他人からどう見られているのか、それを想像しただけの紛い物です。私が知りたいのは、励君の今までです。あなたの中身を、私は見たいのです」


 「さっきまでの蓬莱先輩とは大違いですね。今の先輩は、凄く人間らしい。僕が信じていた姿そのものです」


 「あら? 励君は私にどんなイメージを持ってたんですか? 教えてくださいよ」


 異常だ。僕のことを平然と突き刺して、痛めつけておきながら普通に会話している。けれど、それでも僕は蓬莱先輩と話すことを止められない。これもまた、彼女の能力によるものなのだろうか。思えば、今日の僕は先輩に都合が良すぎた。


 誰にも相談することなく、蓬莱先輩が無茶苦茶なことを言っても受け入れてしまう。両親の単身赴任も、明日からの連休も、何もかも先輩に味方をする。なるほど、確かに運命に愛されていると言っていい。


 今もまた、蓬莱先輩が僕と話したいと思ったから僕は会話を続けているのかもしれない。何処までが僕の意思で、何処が蓬莱先輩の運命の範疇なのか分からない。だが、そんなことを思案した所で意味は無い。僕はただ、彼女が望むままに思いの丈を綴るだけだ。


 「僕にとって蓬莱先輩は、憧れの人でした。綺麗で、カッコよくて、迷いがない。意気地の無い僕とは大違いで、先輩の言葉に助けられたことも少なくありません」


 「あらあら……お上手ですね。流石女たらしの励君。女性をおだてるのは十八番ですか」


 「軽蔑、しますか? 幼馴染の人生を歪めておいて、後輩をも引きずり込もうとするのは」


 僕は最低だ。白芽の愛情を知っていながら、霞の愛を断ることが出来なかった。どっちも大好きで、二人を泣かせたくなくて、不道徳的な方法を選んでしまった。しかもそれを……仕方のないことだと言っているのだから、尚更だ。


 「どちらでもいいですよ、最後に私が励君を手に入れることが出来るのなら。もし、誰かから許してほしいなら、私が許してあげても良いですよ? そんなことであなたの全てが手に入るなら、私はいくらでもあなたを許しましょう」


 本当に、どうしようもない。これは先輩の運命によるものだ。僕の意思じゃないはずなんだ。なのに……なのに、どうしようもなくその言葉が嬉しい。自分のしていたことが間違いじゃない気がして、もう何も苦しまなくていいような気がして。


 少しでもそんなことを考えてしまった自分を嫌悪する。それではまるで、白芽と霞が重荷のようではないか。彼女たちの愛に、僕が辟易しているようではないか。そんなことは無いはずなのだ、僕は白芽が大好きで、大切で、幸せにしたい存在のはずだ。それは霞も同じだ。だからこそ、あの日僕は霞に血を飲ませたのだ。


 「ほら……私に溺れなさい? あなたの体も、考えも、その心さえも私に委ねなさい。それが運命で、あるべき姿なのですから」


 「……」


 ちらちらと、僕の思考をくすぐるその声。僕の心を連れ去るその微笑み。そして、僕の全てを許して、安寧を与えてくれるその考え。全てを蓬莱先輩による運命のせいにしてしまえば、どんなに楽だろう。これが彼女による誘導なのか、僕の心の変化なのかすら曖昧である。けれど、駄目なのだ。


 「っ!」


 「強情ですね……」


 僕は蓬莱先輩を睨みつけた。自分の本心かどうかも分からないのに、彼女へ安らぎを求めることはあってはならない。たとえ重荷であろうと僕は彼女たちを見捨てないと、責任を取ると決めたのだ。安易に蓬莱先輩の手を取るべきではない。


 「まぁ、時間はたーっぷりある訳ですし、そう簡単に手に入っては有難みが無いと言うものです。どれだけ欲しいと思っても、それが何の努力もなく手に入れては意味がないのです」


 蓬莱先輩はそう言って、ニコニコしながら何かの用意を始めた。僕にとって、それは恐怖以外の何物でもなかった。


 その日、僕は人生で一番苦しい時間を過ごすことになる。蓬莱先輩の趣味に一日中付き合わされたからだ。先輩は僕をおもちゃのように、いやそれよりももっと下の扱いをした。例えるなら、路肩に転がる石のようだ。どれだけ欠けようと、どれだけ汚れようと構いやしない。先輩は僕を痛ぶるだけ痛ぶって、何時間化して満足した。


 「ぁ……」


 「疲れましたね……今日はこれくらいにして、寝ましょうか。あ、もちろん励君も一緒ですよ?」


 「ぅ……?」


 「あぁもう、そんな可愛い顔しないでっ……まだ虐めたくなっちゃうでしょ? 今日はこれで終わりにするって決めたんだから、早くこっちに来て?」


 不満の声も、暴れる気力もない。散々蓬莱先輩に苛め抜かれた僕は、その記憶の殆どを飛ばしていた。正直、それでよかったと思う。体が、忘れることで僕の精神を守ったのだ。決して後遺症は残さず、痛みや苦しみを与え続ける。蓬莱先輩のそれは、まさに一級品だった。


 拘束が外される。長い時間同じ姿勢のまま蠢いていたから、解放されても自由に動かすことが出来ず、蓬莱先輩の胸に倒れ込んでしまう。それをさぞ愛おしそうに、僕の頭を撫でる彼女は聖母のようだ。僕がそうなる原因を与えてきたのも、蓬莱先輩だと言う事実を除けばの話だが。


 「はーい。一緒におねんねしましょうねー。励君は、上手に出来るかなー? アハハ!」


 僕の右手と、蓬莱先輩の左手が手錠で繋がれる。そんなことをしなくても、僕に逃げる余力などない。逃げたところで、どうせ運命は僕に味方してくれないだろう。恍惚とした先輩に抱きしめられながら、その晩は泥のように眠った。寝ている間くらいは、安らいでいたかったから。


 それから、僕は毎日のように蓬莱先輩の愛を受け続けた。次の日は、水を使ったものだった、息が出来ず、普通に呼吸できるありがたみを思い知った。


 「んむ……ぷはぁ……私の息で生きてるって感じるのはどう? 次はもーっとハードなキス、しちゃおっか」


 肺の中に酸素が無くなって、必死でそれを大気から吸い込もうとするのに、キスをして一番空気を吸い込める場所を閉じるのは辞めて欲しい。先輩の吐く息が僕の中に沈殿していくような気がして、体を作り替えられているみたいだ。


 けれど、睡眠の時間だけは何もしなかった。むしろ、僕を褒めてくるのだ。そこに苦しみも苦痛もなく、ただひたすらに安心だけが広がっている。飴と鞭だと分かっていても、目の前にぶら下げられた甘味に飛びつくほかなかった。


 「よしよし、今日も頑張りましたね。ぎゅってして、沢山撫で撫でしてあげましょーね?」


 「ほ、うらい……せん、ぱい」


 「もう……いつまで名字で呼ぶんですか? 私のことは、凛子で良いですよ?」


 「りん……こ」


 「よくできました。偉いですねー」


 幼児のような扱いだ。普段の僕だったら、赤面必至だろう。だと言うのに、僕の心には歓喜の情が溢れ出ていた。朝昼と責め続けられた僕にとって、それは禁断の果実そのものだ。我慢することなど、したくなかった。


 その次の日、今度は針を使ったものだった。ただ貫くことだけに特化したそれを、色んな所に刺すのだ。痛くて痛くて、あらかじめ施されていた猿ぐつわが無ければ、舌を嚙み切っていたかもしれない。


 「あはぁ……励君の血、場所によって味が違いますね。こっちはどんな味がするんでしょうか?」


 「むぅううー--!!!」


 「うふっ……少量だからこそ、楽しめるものもありますよね。あなたの体は不思議なことに、傷の治りが早いみたいですし、さらに苛烈な責めをしても大丈夫かもですね」


 悪魔だ。吸血鬼とはこんなに残忍で、こんなにも人の道から外れた落伍者だったのか。凛子のことを軽蔑する。そう思っても、願っても、夜になるとその考えは水泡に帰するのだ。夜の凛子は、僕を虐めて楽しむ彼女とは別人のようだ。だから、そこに縋ってしまう。


 「励君はおっぱいが好きなんですね? だったら、これで目一杯抱きしめてあげますよ。それほど大きくありませんが、人並み以上にはあると思うので励君も楽しんでくださいね」


 「凛子……」


 「ちゃんと約束守れて偉いです。ご褒美のよしよしですよー」


 反応することを放棄しようとする心を、でろでろに溶かす凛子。浅ましくも、僕は甘やかされるたびにどうしようもない願いを想うのだ。普段の凛子は紛い物で、本物の彼女はこちらではないかと。もしくは、彼女も心に傷を負った吸血鬼の一人で、白芽や霞とはまた違った愛し方しか出来ないのではないかと。


 自分でバラバラに砕いた心を、夜には丹念に繋ぎ合わせる。そうしてまた次の日には、前日よりももっと激しく心を粉砕する。また夜にくっつけて、その次の日にすり潰して、同じく丁寧に成形する。


 僕の心を粘土か何かのように、叩きつけてはちぎって、繋ぎ合わせては元に戻して。そうやって自分の好みの形を作ろうとしているようだ。


 その次も、次も、次も、次も次も次も次も次も。何度も壊されては、何度も再生される。もう、今が何日かも、どれくらいの間時間が経ったのかも分からない。分かりたくも無かった。ただ、この状況に慣れ始める自分がいた。


 「凛子、もう手錠は要らないよ」


 「うふ……どうしたんですか? そんなこと言っても、外してなんかあげませんよぉ?」


 「お願いだよ。凛子の趣味には付き合うから、今は君に触れてたいんだ」


 「っ! じ、じゃあ、片っぽだけ外してあげます」


 人前に出せないような顔をしながら、僕の拘束を緩める凛子。その嬉しそうな顔を見れて、本当に嬉しい。凛子の喜びが、僕の喜びに代わってきているのが分かる。何日も凛子と一緒に過ごした時間が、苦しみではなく幸せに置き換わっていく。僕はもう、壊れてしまったのかもしれない。


 「はい、どうぞ。お好きなようにしてもらって構いませんよ」


 「ありがとう。それと、凛子の手を握ってもいい?」


 「良いですよー。甘えたがりの励君は、私の手が無いと不安で死んじゃうんですもんねー」


 凛子の手と手を絡める。当然のように、指先と指先をパズルのように合わせた恋人つなぎだ。こうすることで、凛子と繋がっているように感じる。それがまた、僕の心を篭絡していく。


 「もう、拘束は要らないですね。今日から拘束は辞めにしましょうか」


 「本当? 嬉しいな、ずっと凛子とこうしていられるなんて」


 「励君ったら、女の子を口説くのが趣味なんですか? それはまた、難儀な性格ですねぇ」


 「そんなつもりは無いよ。僕は自分の本心に従ってるだけだ」


 そう、本心だ。運命がどうのこうのというのは辞めだ。僕は、凛子のことが好きになってしまった。もちろん、今でも白芽や霞も好きだ。その思いは変わることは無い。しかし、連日の洗脳にも近い飴と鞭で僕の心はすっかりと氷解してしまった。


 不義である。許されない事である。極悪非道の女の敵だ。それでも、そうなってしまったのだから仕方ない。もうとっくに、僕は人でなしになっていた。その身も、心すらも。


 「じゃあ、今日はお話しましょ? 今の励君となら、前よりも楽しめそうだよ」


 「それは光栄だな。僕も、頑張って凛子を楽しませるよ」


 その日は、ただ会話をした。しょうもない雑談から、心理テストのような内容まで。僕の思想、理想、妄想に至るまでを全て話した。俗世から離れているせいか、すんなりと本心が流れ出る。凛子がまた、聞き上手なのもそれに拍車をかけていた。


 同時に、凛子のことも知ることが出来た。好きな食べ物は僕、嫌いな食べ物はミニトマト、趣味は拷問で……何度聞いても狂っているとしか思えない考えも、今なら受け入れられた。常識外れの愛情も、今ならば理解できた。彼女は、不器用なだけなのだ。


 「うふふっ……励君と話すのは楽しいね。じゃ、続きはベッドの上でしよっか」


 「手錠は要る? あれはあれで、僕は結構好きなんだけど」


 「私のこと変態って言ったくせに、励君はそれ以上の変態じゃない」


 クスクスと笑う凛子は、僕の手と自分の手を手錠で繋いだ。物理的に分つことが出来ず、全てにおいて彼女と通じ合えているようなこの感覚は、僕をひたすらに安堵させる。欲を言えばこの場に白芽と霞もいれば文句なしなのだが、凛子にそれを要望できるはずはない。それはもっと、これからのことだ。


 いつものように体を絡める僕たちは、狭いベッドの上で愛を囁き続けるのだった。もう、僕は完全に手遅れだ。


-------


 「ふひひ……可愛い寝顔でこんなに甘えてきて、すっかり私に溺れちゃったね」


 目の前の励君の顔を眺める。どれだけ見ていても飽きない、それどころかもっと見たくなる彼の顔は、すっかり緩んでいて安心しきっている。私の目論見は完全に達成されたとみていいだろう。


 彼に私を心酔させ、私無しでは生きられなくする。盲目的で、私だけしか頼れなくする。そうすれば私の眷属たべものは完成される。食べることも出来て、愛でてもいいだなんて最高だ。つい、私もその気になってしまうと言うものである。


 「とは言っても、それは私も同じかぁ」


 私もまた、励君に溺れてしまった。絆されて、惚けさせられて、彼無しの人生を楽しめなくなりそうだ。彼と過ごす日々は、実に満ち足りた毎日だった。私の欲求を満たしてくれて、私を受け入れてくれて、私を愛してくれる。そんな人は初めてだった。


 私の初めてを、またしても彼は奪っていった。でも、全然嫌じゃない。むしろもっと奪って欲しい。私から初めてを全部奪って、略奪して、蹂躙して欲しい。全ての経験を彼の奪った初めてで埋めたい。彼の愛情に浸っていたい。


 毎日毎日増え続ける愛情、抑えが効かない。運命の強制があって、これほどまでに嬉しいことは無かった。この忌々しい能力を、こんなにも有難がる日が来るだなんて思ってなかった。私の人生から意義を、価値を奪い去ったこんなものを、持っていて良かっただなんて。


 励君を力いっぱい抱きしめる。愛しい彼、愛らしい彼、私に尽くす彼、私を楽しませる彼、美味しい彼。その全てが好きだ。この食欲をそそる匂いも、私を高揚させる汗も、その内側で私に食べられたいと願うその血液たちも。全部私の物だ。


 「ぜーったいに逃がさない。私をこんな風にした責任、取ってもらうからね?」


 耳元でそう囁いた瞬間、彼の片腕が私を抱いた。私の言葉に応えるかのようなその仕草に、胸が疼く。好きで好きでたまらない。食欲的な意味ではなく、恋愛的な意味での愛。私が手に入れることなど無いと思っていた、甘美なる代物。


 この甘さを知ってしまった日には、私は彼を愛す以外の道を選べないだろう。どうしたって、そうなる以外の結末が想像できない。私の眼には、もう彼しか映らないのだ。


 励君が好きだ、愛している。この世の誰よりも、あの蠅のように私の励君に集る吸血鬼どもなんかよりもずっと。好きで好きでたまらない。彼になら殺されてもいい。


 私は自分の匂いと励君の匂いをミックスさせて、私たちだけの香りを作り続けた。彼を堕として、私だけのものにするのだ。そのための仕上げを、明日行う。それをもって、彼は私だけの眷属たべものになるのだ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る