第5話
廃墟の奥へと足を進ませると体育館のように広々としたエリアまで辿り着いた。
「……」
その中央部分まで足を運ぶと、バイオテクノロジー研究室と書かれたプレートが落ちていた。
「……」
その名前があるわりに何もない。
何も残っていない……あぁでもさっきの骨はそういうものだったのかと、
「えっ?」
実験生物について考えた途端――物音がして、
「ユーリ……?」
肩越しに振り向いてみれば、俯いたユーリがそこにはいつの間にか立っていた。いつここに来たのだろうか……? まさか追いかけてきて……? それよりもなぜ足音が聞こえなかったのだろうか?
「珍しいね、ユーリがこうして現場の近くにくるなんて。どうか――」
したのと言おうとした私はいう間もなく、後ろに跳躍を開始していた。
「ユ、ユーリ!?」
それは、ユーリから何か細長いものが飛んできたからだった。私がいた場所に飛んできたのは彼女の髪毛――赤い髪の毛が針のように地面へと突き刺さっていた。
「一体どうしたの……ユーリ? また新しい武器の実験……とか? なら、こんな場所じゃなくて、施設の近くでもよかったんじゃない?」
『だって危ないでしょ?』そう言葉を続けようとした私の目に見えたのは、
「えっ――」
ゴーグルを外しているユーリの顔だった。うつろな目で、血の気のない、まるで人ならざるものとして目覚めたかのような姿だった。
「ユ、ユーリ……?」
金髪は血のような真っ赤な色に変わっていた。いつかこんなに日が来るんじゃないかって思っていた、考えていないわけじゃなかった――幼馴染だって例外はないんだってわかっていたことなのに。
「ねぇ、萌知ってる? どうしてあたしが『あの人』のデータを集めることが出来るのか、どうしてわたしがたくさんの声をだすことがデキルのか」
「……」
私はユーリの問いに答えず、ただ静かに刀を鞘から抜いた。
「――おかしいって、思わなかった……?」
「不思議に思わないことはなかったよ」
不思議に思っても、私は知らなかった。幼馴染なのに一体いつから、ユーリが不思議なゴーグルを付け始めたのか知らない。それを外している時も知らない。素顔をいつから見ていないのかもわからない。
でも、ユーリは組織のメカニックの一人で新装備やらを私や、自分で試していたし、ゴーグルもその一部だと思っていた。人ならざるものの反応がわかるとかなんとかって話も聞いたこともあった。
ユーリは近くにずっといたはずなのに、紗枝以上に何一つ知らなかった。紗枝に意識を集中していたのがダメだったのかもしれない。
「萌は、自分をまた責めてるの? 知っておけば良かった、考えてればよかったって」
「……っ!」
見透かされていた。ずっと、ずっと泳がされていたっていうの……!?
「この数年間本当に楽しかったよ。幼馴染のあたし、幼馴染だったわたし。どれがぼくなんだろうね? わかる? 俺が、オレたちが何なのかを」
声色を次々にかえて、こちらへと歩いてくる。
「や、やめて!」
どうして、死んでいった仲間の声を出すの……?
「忘れないように言霊にするんだよ。それがボクの魔法だよ? 知ってるでしょ? だからこそ、情報屋が一体誰なのかわからない。まぁ、知らない人間なんてあの組織にはいないかな。みんなあたしの魔法も情報収集能力を理解してる。知らないことがあるとしたら、情報屋があたしという固定概念がある萌、あなたぐらいかな」
「っ――」
突風がどこからか私を襲ってきた。私の知らないユーリの魔法だった。私が知るユーリは言語魔法のはず、風の魔法なんて聞いたことがない! 光を纏うと突風を遮断させた。
「内通者がいたって、思いつかなかったのかい? どうして都合よく、こうも簡単に情報が入ってくるんだと思う?」
「そ、それは……」
「あとね……まだ人間が生きているって本当に思っていたりするの?」
「えっ――」
どういう意味なの? 意味がわからない。
「そっか。その顔はやっぱりまだ信じてたんだね。驚きだよ。まぁ、あたしとしては……ここ数年間本当に楽しい思い出だったよ。萌も十分楽しかったでしょ? もう十分だよね?」
ゆっくりとユーリが近づいてくる。
「――ねぇ、もし人間がもう萌しか残ってないって言ったら、どうする?」
「そ、れは……」
戦う意味がもうないってことで、人間の……敗北を意味するはずじゃ――、
「もしかして人間の敗北とか思ったりしちゃうのかな?」
「えっ――」
耳元でユーリの声がしたと思ったら、急に左腕が軽くなった。そして激痛が、
「い、いやぁああああああああ」
身体全身を襲ってきて、コートごと抉られた私の腕が私の目の前に落ちてきた。
「大丈夫だよ、萌。あなたはもうすぐ人ならざるものになる。そしたら、あたしたちの仲間だよ。みんな、待っていたんだよ? これはね、みんな待ってた痛みの代償……かな? 仲間なのに、どうして殺すのかって、組織の人間は文句を言い続けてたけどね――」
ユーリの声が遠くに聞こえ始めた時、私はもう痛みで立っていられなくなっていた。片膝をついて、ただユーリを睨みつけることしかできなかった。
「――少しは仲間の痛さ、辛さがわかったかな?」
ユーリの髪の毛が触手のように重力を無視して、逆立っていた。攻撃が見えなかった……?
「っ……わ、私は違う。あんたたちみたいな化け物じゃない!」
仮に人間が一人になっても、最初の魔法使いを殺せば、きっとウィルスは駆逐される。昔読んだ本にはそんなことが描かれていた! だから、私は紗枝を見つけて殺さなきゃいけない!
「ふーん。まだ諦めないんだ」
「あ、たり前でしょ。左腕がなくなったって、この右手にある刀で、全員殺せばいいだけのこと。まずは、ユーリ、そして地下施設のあいつらを殺す!」
「生き生きしてていいことだね。でも、そうかなぁ? 萌に否定できるのかなぁ。あたしたちと違うって、証明できるのかなぁ」
当たり前じゃないと応えようとする前に、
「――じゃぁ、その左腕は何なの?」
嬉しそうな顔でユーリが私を見ていた。
「えっ……?」
言っている意味が正直わからなかった。左腕はユーリに切り裂かれて、目の前に転がっている。痛みも……、
「えっ……? あ、あれ……い、たくない」
あんなにも激痛が走っていたのに、何も左腕から感じない――むしろ、いつもと同じ感覚がする。恐る恐る自分の左腕を見れば、
「う、嘘……?」
左腕があった。なぜか、そこには私の左腕が存在していた。魔法で作った腕でもなくて、触手のような腕でもなくて、私の左腕――見慣れた腕があった。
「うーん。やっぱり、あたしぐらいの力じゃ、削ることすら無理かぁ。ユキムラも馬鹿だよね。もうちょっとあたしたちの援護を待っていれば、死ななかったのに。まぁ、おかげで萌のデータが手に入ったんだから、どっこいどっこいかもしれないね」
ユーリの言葉は頭に入ってこなかった。それよりも自分の身体が信じられなかった。ここにある左腕は引きちぎられたコートからきちんと見える。今までと同じように握ったり、開いたりしても、何も違和感がなかった。でも、私の前には血を流し続けている私の肩から抉られた左腕がある。
――意味がわからかなかった。
「そりゃ、紗枝お姉ちゃんも苦労するわけだよね――」
「紗枝を……知っているの!?」
刀を強く握り締めると、立ち上がった。
「紗枝はどこっ!」
「あちゃぁ……そういえば紗枝お姉ちゃんは、萌にとって禁句みたいなもんだったね。ついうっかりしてたよ。でもさ――、」
また、風の音が聞こえてきた。
「見つけてどうするつもり?」
また風の魔法!? なら、音がしない方向に飛んで、
「はぁ!」
私の魔法で吹き飛ばすだけ!
「二回目はさすがに当たらないかぁ。しかし、凄いね。やっぱり、紗枝お姉ちゃんの言う通りかもしれないね?」
「一体何のことよ! それに紗枝がどこにいるのか知っているなら、教えなさいよ!」
刀を両手で握りしめて、光の魔法を身体に集中させた。言う気がないなら、総司令か医者に吐かせればいい。眼鏡の男でも、マフラーの男でもいい。誰でもいい。紗枝について誰かが知っているなら、子供でも容赦はしない!
「うーん、さすがにそれはあたしでも防ぎきれる自信はないかな」
「なら、そうなる前に教えてよ」
ユーリはもういない。倒すしかないんだ。
「やだよ――」
また耳元に直接声が聞こえてきた。
「な、何っ!?」
意識が削がれた影響で、光の魔法が弱まると、
「さて、これでどうなるかな?」
後ろから声が聞こえた。
「ユーリィ!!!」
「おぉ、怖い怖い。でも、一体そんな状況でどうするの? 振るものも、振られるものもあっちだよ」
ユーリが指差す方向には腕が『三つ』あった。私が握っていたはずの刀もそこにはなぜかあった。理解が追いつきそうになかった。それでも、痛みがないのが幸い。
「腕がなくても! ユーリ程度……足だけで!」
これなら足を魔法で包み込んで、首を蹴り落とせばいい。
「腕……? よく見てみなよ、自分の腕がどうなってるかをさ」
「腕なら、そこに……えっ?」
私は自分のなくなっているはずの腕を、なぜかなくなっているはずの左手で自然に指さしていた。
「凄い回復速度だよね。さすが、あの人の妹なだけはあるよ」
「……」
切り取られたはずなのに、傷口は両肩ともにない。変わっているのは、コートが両肩部分から破れていることだけ。
「世界を救う……その仮定があたしたち。そして世界を救うのは誰だろうね?」
「……知らない。そんなの私は知らない」
光を纏うと、瞬時に三つの腕がある場所から刀だけを抜き取った。その側には、赤い細い髪の毛がいくつも刺さっていた。腕は確かに全部私の腕だった。
「……」
左腕が二つ、右腕が一つ。合計、五つの腕がこの部屋にはある。頭がおかしくなりそうだった。
「準備は終わったことだし、あたしもそろそろお暇をもらいたいなぁって思うんだよね。大体萌は何でも突っ走るから、後処理が面倒臭かったんだよね。始末書書くのだって、楽じゃないんだよ? わかる?」
「……」
刀を水平にして、光を強く自分に纏わせると加速した。
「そうか、やっぱり、間に合わなそう――」
近づくにつれて、ユーリの顔がはっきりと見えてきた。安心しているような甘い笑顔だった。なぜそんな顔を死ぬ間際にするかは、もう考えずに私はただ突っ込んだ。
「っ――」
肉を断つ刀の感触がした。
「……はぁ、はぁうっ」
振り返らずとも、わかる。止めどなく流れる人の血の隆起する音が後ろから聞こえてくる。両断したんだ……、
「な、に、これ……!?」
それに混じって、なぜか自分の心臓の鼓動が耳元で波紋を打つように聞こえてきた。
「っう……」
すごく嫌な聞こえ方だった。
爆撃機でかつて人ならざるものの集落を攻撃した時以上の爆音が私の耳元で鳴り続けている。それは警告音のような激しいリズム、そして突如として目の前がぐらりと歪んで、私はそのまま地面へと倒れた。
「……はぁ、はぁ」
視界が徐々に薄くなっていく。血を流しすぎちゃったせいなのかな。
それとも……ユーリの言った通り――このまま私は人ならざるものになってしまうのか。ぼやけた視界の中で、
「っ……き、りっ!?」
薄い霧のようなものが見えた。
「……はぁ、はぁ」
以前一度だけ同じものを見たことがある――そうあれは確かあの時だ。紗枝がいなくなった時、こんな風に霧が外の世界を包み込んでいた。そして目の前が白から黒ずんで真っ暗にノイズのようなのが走ったんだ。
「………………っぁ」
あの時と同じタイミングで、ノイズ混じりの視界が消えた。
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