The first witch

バブみ道日丿宮組

第1話

「……」

 ――雨が降っていた。

 それも凄まじいもので、土砂降りというのがたぶんこれは該当するのだろう。目を凝らし、視野を広げようとしても一寸先は闇、もとい雨の水滴しか見えてこない。まるで雨がこの世の全てを真っ白に包み込んで、私ただ一人を置き去りにしてしまったみたいだった。

 そんな中で、

「……」

 私は同じ姿勢で見えない脅威に意識を集中させていた。右手に握りしめた刀をいつでも振れるように腰のあたりで地面と水平になるように構え、左足を前に右足を後ろに置いて重心を保ちながら、ただひたすらにその影が現れるのをただ待ち続けていた。

「ふぅ――」

 一呼吸入れて、耳を済ましてみれば、激しい雨音が当然のように聞こえてくる。それ以外の音は、特に何も聞こえてこない。

「……」

 雨音が壮大し過ぎるせいか、人間の気配も動物の気配すら感じなくなりつつあった。それは集中力以前の問題として、聴力がおかしくなりつつあるからかもしれない。まぁ、そもそもそんな生物の気配なんて元々なかったけれど……それに彼はこれだけの水量を操る魔法――。

「……?」

 彼の記憶が一瞬頭を過ぎった時、匂いもないことに気がついた。いや……ジメジメした湿気の匂いぐらいはある……のか? 聴覚だけでなく、嗅覚させ麻痺させる大型魔法なんて、彼がまだ人間だった頃はできなかったのに、目の前にあるこの魔法は一体なんだというのだろうか。いや、『アレ』になった時点でもう既に彼は彼じゃなくて、アレになっているから、使えるようになったのだろう。目の前にあるのは現実で、彼が人間であったのはただの過去。

「……」

 この世界は一体何を人間に望んでいるの?

 ましてや『あの人』は私たちに何を一体望んでいるんだろう?

「……はぁ」

 わからないことだらけだった。

 そんな世界でもただ一つわかるのは『この魔法をどうやって破るか』かな。こうやって横着を続けても何も状況は変わらない。変えるためには行動あるのみだ――横着してただ雨に打たれていたわけじゃない。頭のなかにはこの魔法を突破する方法がいくつか浮かびつつある。

 一つ無理やり私の魔法を使って、この大型魔法そのものを消し去るか、そしてもう一つ相手を誘い出して本体を殺す。魔法そのものに対処するか、彼そのものを排除するかどちらかの候補しかないのは……あの人の影響かもしれない。仮にあの人の影響だとしても、選ぶのは私だ。それなら、

「……」

 私は隙を自ら作る方を選ぼうと考えた。

 そこから見える未来は、『一気に私が喰い殺される』か、『木っ端微塵に私の肉体が切り裂かれてしまう』かのイメージ映像だった。ひどいイメージが他にもいくつか思い浮かんだけど……それはあくまで隙を狙われ、確実に私がやられる場合の時だけ。

 隙を作るのはあくまでも作る彼に抵抗するためで、私が殺されるためじゃない。

「……」

 彼を、アレを殺す――たったそれだけのことなのに、どうしてこんな状況になっているんだろう……私の甘さ、弱さが私を迷わせたのかな。彼との猛攻の末に到達できた間合いからやっとのことで一太刀をうちこんで、止めの二太刀をする前に生じた一瞬の躊躇いのうちに、こんな状況になってしまった。

「……」

 一撃目は……少なくとも当てたんだ。でも、二撃目はアレを水飛沫として吹き飛ばすとこの辺り一面を覆う雨……水の魔法に世界が包まれた。

「……」

 あれからもうかなりの時間が経った。

 ……彼はひょっとするともうここにはいないかもしれない――これは単なる足止めの大型魔法。もしそうなら、効果抜群で私は何分こうして集中させられているのか、わからない。

「はぁ……」

 こんな風に考えてしまうのが……そもそも弱さなのかもしれない。そうでなければ――、

「……」

 私はこんな魔法の発動なんてさせなかった――彼への攻撃を躊躇しなかった。

 私は……喰い殺されるなんて嫌だ。私は確かめないといけないことがまだあるんだ。あの人に聞かなきゃいけないことがあるんだ……ここで立ち止まるなんてできない!

「……っ!」

 刀を握る右手に力を込めた。瞬時に身体が紫の光に包まれていくのが見なくても、わかった。

 私の魔法が発動しても、雨景色は依然として存在し続けている。当然だった。私はそんな魔法なんて使っていない。

「……」

 私が使った魔法は、光を纏わせ雨をレインコートのようにはじき返すもの――違うか。透過させる魔法。

「……」

 その証拠のように、雨はもう私には届いていない。雨は私を貫通して、地面へとそのまま落ちている。

『閃光』の魔法の前にはこんな魔法通用しない。

 準備はこれで……整った。

 後は相手の出方次第だけれど、躊躇はもうしない。私の目標はあくまでもあの人で、彼を殺すか、殺さないかじゃない。

 もし彼が人間であっても殺すしかあの人に届かないというなら、私はそれを選ばなきゃいけない。

 そう昔に……決めていたはず……なんだ。

「……」

 下唇を噛んで、意識を集中し直した。

 相手が来るなら、後ろか、前か。それとも横か……?

 条件はこれで全く同じはずだ。奇襲をかけてこなかった彼が悪い。勝機はもう訪れない。有利さはもうどこにもない。彼には私がどこにいるのか掴めないはずだ。それに例えこの魔法があろうとなかろうと、ここは見えても何もない場所。かつての首都圏らしいが、今は瓦礫すら存在しないただの砂地。少なくとも、私と彼が戦う前はそうだった。

 隠れる場所なんてどこにもない。加えるなら今あるのはただ一つ……この鬱陶しい雨だけ――だから向こうも同じ。私と彼が二人でぽつんとチェス盤の上に置かれているだけ。

「っ――」

 右後ろから音が聞こえた。瞬時に反応して、自転しながらの一振りをするが感触が何もなかった。空振り……? 肩越しに右後ろを振り返ると、音はまだ聞こえていた。

「あぁ……」

 それは意外なことに近い場所から聞こえてくるものだった。私の身体からこぼれ落ちた水滴が、足元に落ちて生まれた音、

「……」

 私からこぼれ落ちる雫は、水溜まりを赤く染めあげていた。その色を認識したせいか頬が少しずつじんわりとしてきた。

「……ぁ」

 そして私も何度か攻撃を受けていたことを思い出した。自分の服を見なおしてみれば、泥だらけ、しかもどこを負傷したのかコートを脱がなければわからない。わかるのは頬に傷があるだろうということと、黒のハイソックスは破れてもう一度履き直すことはできなそうなことくらいだ。

「……」

 新品がここまでボロ雑巾みたくなったのは、何度も回避のために転がったからだけど……後でこのせいで怒られるかもしれない。また服をダメにしたって。でも、そうしないと攻撃は避けられないし、反撃も出来ない。

 というか、そもそも戦闘服だっていうのに赤のスカートにはフリルのヒラヒラがたくさんあるし、それに全体的に白いからいけない。戦闘服なんだから、もっと色がつかないものにしてほしいものだ。


『アレら』を漆黒とあらわすのなら、私たちを純白とあらわす。


 確かそうこの服をデザインした人は言っていたんだっけ? 文句を言おうにも、デザインの変更を求めても、いう相手はもうこの世にはいない。だから、この戦闘服が変わるなんてことはないだろう。

 もし仮にあるとしたら、アレらが新しい戦闘服をデザインするぐらいか……。

「……」

 羽織っているコートももう何色だかわからない。茶色なのか、赤茶色なのか……最初の色なんてどこに残しちゃいなかった。確か白に黄色の十字架のようなものが背面にあるものだった覚えがある。一度着てしまえば、鏡でも使わなきゃ見ることもない私たち旧人類の印。アレら――新人類との違いを表す紋章だった。そんなこと考えていたら、

「……っ」

 重大なことにやっと気付いた。

 ――雨を今更いくら防いだところで、服から垂れ落ちる水の流れは止めることはできないって。

「……」

 無意味な魔法の使い方だったと落胆しそうになったせいか、少し気分が落ち着いた気がした。より一層落ち着けるように一呼吸して、私は刀を持ち直し、周囲の気配を探った。相手はずっとこちらを認識していたなら、今度はこっちが探る番。

「……?」

 そしてすぐに違和感に気付いた。今ならはっきりわかる。声をいくら潜めようと、こう身体全身に鳥肌を震えせるほどの殺気を出されたら、誰だってわかる。わからない方がおかしい。

 もしかすると――そういう魔法だったのか、これは……なら、もう迷わない。

 今度こそ確実に息の根を止めるだけだ。

 私が最初の一太刀で裂いた上半身への大きな傷穴。私たちと違うありえない再生能力であったとしてもあの深手ではもうどうすることもできないはずだ。じゃぁ、彼は何を考えて今までの時間を浪費していたのか? 奇襲はなかった。そうなると、何かのタイミングを図っている……のか? 少しでも深手を回復する時間かせぎ……なのか――そうであるなら、必ずどのタイミングかで現れるはずだ。

「……」

 右腕の破れたコートから赤く染まった肌がうっすらと見えてきた。大分右腕の感覚がないけれど、これはもしかすると危ないのかな? 右手で握っていた刀をそっと左手で軽く支えると、

「……っ!」

 激痛が全身にすぐに伝わってきた。あと一撃が限界……なのかもしれない。

「あははは、あぅあっ!」

 汚い奇声に面を上げれば、ようやく隠れるのをやめたのか。ゆっくりと、彼がこちらへと歩いてきた。彼のタイミングがやってきたということか。

「隠れんぼはやめることにしたの?」

 アレら――『人ならざるもの』の姿が私の前に、雨を嫌がる素振りも見せずに打たれ続けながら現れた。そもそも、彼の魔法なのだから、拒否感を見せるのはおかしいか。

「君も俺も条件は一緒だとは思わないかい? ひゃはは」

 不気味な笑みを浮かべながら彼はいってきた。

「条件ね――、」

 目を凝らすと、私が負わせたはずの深手はかさぶたのような黒い塊で塞がれようとしていた。でも出血は止められないようで、未だに流れている。制限時間ギリギリのタイミングで彼は現れたと考えるのが妥当なところかとなると……有利さでいえば、彼の方が上。だからこそ姿を現したのだろう。

「人ならざるものと同じだとは到底私には思えない。私は人間よ」

「それは違うな、俺たちが『人間』だ」

 新人類――人ならざるもの。それはこの世界に生まれた新しい人間。私たち人間と違う、人間。

「今まで何人も見てきたけれど、やっぱり私にはあなたたちは人間に見えない」

 目の前の彼が、人ならざるもの。

「でも、現実はこれだ。俺たちが人間なのは覆せない事実さ、ふふふふぃ、君もいずれ俺たちと同じになるのに、俺たちを否定するのか? アヒャヒャ、馬鹿なやつだ」

 そう……人ならざるものは、元は私たち旧人類。私もいずれなる新しい姿。新しい人間なのだった。

「それでも……」

 私は人ならざるものを人間だとは思わない。

「……」

 こんな生物が本当に世界を救う新人類なのか、私にはそうは思えない。でもあの人は言っていた『人ならざるものは、この腐りかけの世界を救うために現れた救世主』だと。

 目の前にいるのは昨日まで友だちだった男だ。

「ユキムラ……」

 ソウイチ・ユキムラ。それが人ならざるものになる前の彼の名前だった。

 水の魔法を得意とし主に障壁魔法を使う、防御に特化した魔法使い。だけど、今は違う。魔法使いでも、人間ですらない。気色悪いただの化け物にしか私には見えない。

「誰だそいつは? 知らないなぁ? 君の見間違いじゃないのか、くくく」

 面影はもうどこにもない。

「アヒャヒャ」

 不気味な顔……今の彼には眼球が存在しない。人間とは違う、人ならざるものとしての特徴がきっちりとその姿に現れていた。背中と両肩から生えた合計四本の触手。白かった肌は、焦げたような茶色へと変わり、獣のような黒い毛が肌を覆っている。耳は童話に出てくるようなエルフの耳のように横に長く、口からは昔図鑑で見たオオカミのような鋭い牙が、指からは刀のような切れ味がある赤く長い爪が見える。人間と思える部分は目視出来る限りでは、数えるくらいしかない。

「あへっあ、いぐぞっ!」

 彼が声を発すると、触手が動き出した。

「……っ!」

 周囲の地面を鞭打つように乱舞し始めたその行動は、私を近づけさせないためなのか、攻撃のタイミングを見計らっているつもりなのか判断がつけられなかった。

「……防御のつもり?」

 実際刀による攻撃は、触手によって受け止められて、重症になるはずの攻撃を何回も防がれていた。

「くくく、どうだろうなぁ!?」

 届いたのは、一太刀のみ。けれど、あくまでも防がれているだけで、いかに強靭な肉体であろうと、仮にも――新人類と呼ばれる存在。それと仮に人間とするなら、知能がある。だから、こちらを警戒するのも理解できる。そのために、攻撃の隙を与えないつもりなのかもしれない。

「……」

 その証拠に乱舞し続ける触手に傷がいくつかあるのが見えた。何十、何百回と斬り続けた形跡がそこにはあった。攻撃は防御されても少なからず通っていた。その傷が治っていないのは、深手を治すために再生能力を使っているからなのか、触手はまるで糸くずのように見えて、千切れないのが不思議に思えた。

「もっと、もっとだ! あはははは、全て消えてしまえばいいんだ!」

 彼が声高らかに叫び出すと、その身体が急激に波を打ちながら変化し始めた。膨張するように皮が風船のように膨らみ今まで外に出ていた触手が体内に吸収されると、新たな触手が両肩から生まれてきた。

 傷ついた部分を守るための再構築……!?

「これでおしまいだなぁ?」

「……っ!」

 警戒心をより一層強めて、両手で刀を握った。

 彼の声で精神が狂い、おかしくなりそうだった。やっぱり慣れない。私はあの人にはなれない。代わりになれっこない。私には――昔の仲間を殺すのは何度やっても辛い。

「アヒャハ!」

 新たに生まれた触手がこちらへと伸びてくるのが見えた。

「……そっか、おしまいなんだね」

 もう何も考えるのはよそうって、決めた。目の前にいるのは彼じゃない。敵なんだ。何も考えず命を奪えばいい。それが私、私たちの仕事なのだから。そうしなきゃ、私たちが滅んでしまう。

「はぁ!」

 両手に力を込めて、刀を三度見えないものを斬るように素早く振った。

 それも触手ごと本体に当たるように。

「ぬははっ? 気でも狂ったか! アヒャヒャ」

 私の行動を理解できないアレはにやけた。触手を変わらずこちらへとのばそうとしてきた。

「触手が、な、なぜ、う、動かない!?」

 けれど、それはもうこちらへと近づいて来なかった。

「……さようなら」

 あなたに昔の記憶があれば、警戒したはずなのに――。

 私の素振りは閃光とともに旋風となって、狙った場所に回避されることなく当たった。

 触手が肉片となり宙に散々と舞うのを合図として、光が彼の足へ届き、肉を削って斬り刻んでいく。

「ががあががあぅ!?」

 彼が叫び声をあげ斜めに崩れ落ちはじめた。

「……!」

 それを確認すると大きく一歩を踏み込んで、魔法を発動させ光へと私自身を加速させると、仰向けになった彼を踏みつけた。そして右胸に刀を突きつけ、

「……もう、言い残すことはないわね?」

 無駄なこととわかりながらも声をかけた。

「……救……世……」

 彼の言葉に少し戸惑いを感じたが、手を止めず刀をただ落とした。

「……」

 何を言われてもどうしもできなかった。

 でも、どうしてなの……紗枝?

 世界を救うなら、どうして人ならざるものは私たちを襲うの……? 救世主じゃなかったの……?

「……」

 人ならざるものは、刀を突き刺した場所から勢い任せに血を噴き出すと、最初から何もいなかったかのように私へ吐き出すだけ吐き出して消滅した。

 そうして浴びた血も、水の魔法が消えるのと一緒に、どこかへと流れていった。

 ――雨は止んだ。

 それは同時に彼を殺したという事実を私に植えつけてきた。

「…………っ」

 また……一人殺した。

 どうして、こんな時代になってしまったんだろう。

「……紗枝」

 あの人と学校に通っていた記憶が一瞬だけ脳内をかすめたけれど、『あんな日々はもう訪れやしない』と無理やりに意識を切り替えた。それは消滅したはずの彼の殺意とはまた別のものを感じ始めたから。

 その方向に目を向けると、

「……」

「おーい!」

 人ならざるものじゃない普通の男が二人、こちらに向かってくるのが見えた。戦闘が終わったのを確認して、こちらに来たのであろう。

「相変わらず、お前のスピードはすさまじく早いな。光の魔法で後ろに立たれたらどんなやつだって一殺だよな。まぁ、ここまでくるのに時間がかかりすぎって話なんだけどさ」

 男の中で眼鏡をかけてる短髪の男がにやけ車のキーを見せながらそういった。相変わらず私の気持ちなんてお構いなしにいうやつだ。私がこうしなければ、自分たちでは何もできないくせに。

「いいよな、そういう能力があるやつは。俺なんてただ、炎を出すくらいしかできないぜ」

 それに答えるように、親指から火の魔法を発動させたニット帽をかぶったもう一人の男が答えた。

「馬鹿言うなよ、あるだけましだろ。俺なんて何も能力ないぜ?」

 眼鏡の男は、地面に散らばっている血を固体にできる特殊な液体をかけ、それらが固体になるのを確認すると、

「これでよしっと、また一つサンプルが増えた」

 それを透明な袋に入れて笑いかけてきた。

 魔法である程度人ならざるものの残骸は流れてしまったはずだけど、相変わらず研究熱心なことね。人ならざるものの解明、特定なんて出来るわけなんてないのに。

「あんたたち、いい加減にしな。ここは敵陣よ。彼以外にも何かいるかもわからないわ。反応は今のところはないようだけど」

 男たちの身体に隠れていたのか、二人の影から一際小さい少女が現れそう怒声をあげた。金髪で水中メガネにしか見えない特殊なゴーグルをつけた少女だった。ゴーグルでその目は見えないけど、代わりに目の位置で黄色い点が二つ点滅し続けている。

「はいはい、うっせぇーな。お前はどこでもいつでも、ど・ん・なときでも!」

 ニット帽をかぶった男が少女の頭を乱暴に撫でた。

「まぁ、あたしはこういう性格なのよ。あきらめなさいって」

 そうされることに慣れているからか少女が笑う。

「あはは、違いない。ユーリは常に怒ってるよな……。どちらにせよ、萌は少し一人で特攻しすぎじゃないか? 俺たちなんて追いつきやしないし、戦闘入ったら援護すらできない。そんなことじゃ、いつか早死にするぞ!」

 眼鏡の男が急に機嫌悪そうに怒声をあげてきた。

「……それが何?」

「それって……お前っ!」

「まぁまぁそういうなよ、フィレンツェ」

 全くうるさい連中だ。何を言われてもどうでもよかった。私には関係のないことだ。両手に持っていた刀を右手で持とうとした途端、

「……っ」

 痛みが走った。しばらくは、動かさない方がいいのかもしれない。時間が経てば、治ることだから何のこともない。私たちも、人ならざるものと何ら変わらない事実がここにある。どんなに否定しても、アレらと私たちは、姿形は違くても本質的には等しいんだ。

「……」

「萌……?」

 陰湿そうな顔でも私がしていたのか、少女が心配そうな声をかけてきた。

「……ん」

 だから、何でもないように左手で刀を軽く振ると、少女……ユーリから手渡された鞘へと戻した。

「おい、聞いているのか!」

 眼鏡の男が肩を掴もうとする気配がした。だから――、

「別に……いつ死んでもいいじゃない。私は紗枝を探してるだけよ! それをあなたたちがどうこうする権利なんてどこにもないのよ!」

 答え代わりに魔法を使った。『人ならざるもの』へと、進化するために旧人類に与えられた力を。

「なに!? 消えた!?」

 ――遅い。眼鏡の男が掴む前には、既に私は彼の背後へと回りこんでいた。鞘に入ったままの刀をその背中に押し付けた。

「お、おい!?」

 緊張感が篭った声が彼から漏れた。

「……」

 このまま殺してしまえばどうだろうか? いずれは敵になるんだ。旧人類を全員殺して一体何の問題があるんだ。

「萌、相変わらずあなたの閃光はこのゴーグルを持ってしても、解析できないわね」

「そういうなよ、お前が死んだら俺たち悲しいぜ」

 慌てもしないユーリと、ニット帽の男が交互に言葉を続けた。

 そのおかげか、私は少し冷静さを取り戻し、鞘を彼の背から離した。

「それはどうだか……どうせ、敵の施設に潜入しづらくなるってのが主な理由でしょ? それにあなたたちからすれば、私は敵にまわしたくない相手だものね。早々に死んでもらった方がいいって思っているんでしょ?」

「それは……」

 私の言葉にニット帽の男は眉根を寄せた。返事できないよね。わかっている。ずるい言い方だ。私にも十分わかっている。みんなお互いを利用して生きている。仲間なんてそれだけの意味しか持たないってことは嫌ってくらいわかっている。

 だってそう思わなきゃ今は仲間でも、人ならざるものになったら最後殺さなきゃいけない。それに――、

「紗枝に会っても、私がいなきゃ太刀打ちできないものね? 均衡を保つことすらできやしない。だから、あなたたちは私の戦いに踏み込んでこない。紗枝と私が戦い始めたら、いえ、私の魔法の力に巻き込まれて死にたくないから……違う?」

「確かにあいつの力は……」

 眼鏡の男がこちらに振り返ると、不服そうな顔を浮かべていた。

 私と――私以上の魔法の力を持った『紗枝』が仮に『人ならずもの』になっているなら、私以外に対処できる人間は施設には一人としていない。

 人ならずものは私たち素の魔法の力が強ければ強いだけ、それだけ強い『人ならずもの』として生まれ変わる。だから、それを防ぐには進化をさせなければいい――人間として殺さなきゃいけない。だから、私を殺さなければいずれ、私が仲間を滅ぼすことになる。でも、彼らには紗枝の存在がある限り、私を束縛できない。光には光しか、対抗できない。それはここにいる誰よりも私が一番知っている。

 重い空気の中、ゆっくりと、

「だけど、今はあたしたち同じ組織の仲間でしょ?」

 ユーリが私に近づいて少し心配そうな声色を出しながら、こちらを見上げてきた。

「ユーリ……そうね、でもいつ『敵』となるか誰にもわからない。それが明日か、今すぐなのかはわからない。ユーリが今すぐに人ならざるものになるかもしれない。そしたら――」

 鞘に入ったまま刀をユーリへ向ける。

「でも、今は仲間じゃない。今はたったそれだけでいいじゃない。それじゃ、だめなの? 何が不服なの? それに結城紗枝は『今はいない』じゃない。そうでしょ? ここにいるのはあたしたち、組織の仲間だけよ。そんな緊張感を持つ必要はないよ」

 ユーリが笑いかけてくる。その笑顔には目元がゴーグルではっきり見えないけど、声色と頬の動きから一点の曇りさえないように感じた。

「……今は今。でも――」

 今日、死ぬのは自分かもしれないし、明日死ぬのかもしれない。

 昨日、死んだのも友だち。

 今日、殺したのも友だち。

 明日、殺すのはきっと友だち。

 じゃぁ、明後日は誰? いつ自分がその『友だち』になってもおかしくない。

「……ふん」

 刀をゆっくり下ろしながら、ユーリたちが乗ってきたはずの車がある方角へと私は一人歩き始めた。その後を笑い声とともにユーリたちが続いてきた。

 今は――ユーリがいうように良いのかもしれない。

 ……でもいつかはきっと訪れる。先延ばしなんて出来やしないんだ。

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