【汚れて消えた霊感】
あれは私がまだエネルギッシュな二十代の夏のことである。
当時の私は割りの良いサービス業を生業にしており、人生の中で絶頂期といえるほどにバブリーな生活を送っていた。
常に財布の中には毎日二十万ほどは札束を仕込んでいるのが普通な生活で、人生なんてチョロイチョロイと舐めきった若者でした。
自分で述べるのも何ですが、愚か過ぎました。今となってシミジミと思い出し反省する日々が続いております。
そのような若き日の至らない私は、実家で父と兄との三人暮らしをしていました。
母は私が物心付く前からおりませんでした。
私に母がいない理由については、今回の話と関係ないので触れるのを控えさせてもらいます。
これがまた複雑な理由があるのですよ………お察しください。
それはさておき私の実家は、祖父が戦後に建てた古い一戸建ての木造二階建てです。
二階には十畳の和室が一つあるだけで、当時は兄が一人で二階を占領していました。
私は一階にある四畳半の部屋が自由なスペースとして与えられていました。
その部屋は元倉庫でしたが、家には寝に帰る以外は殆ど外で遊びまわっていた私だったので、それで十分と感じていました。
もっと大きなスペースが欲しくなれば、実家を出てしまえば良いと考えていましたから、まあ不満は出ませんでした。
今宵の物語は、その物置だった四畳半の部屋でのストーリーとなります。
この物語に登場する人間は、私と兄の二人だけです。
他に生きた人間は登場しません。
故に先ずは、私の兄について話させてもらいます。
私の兄は、私よりも二つ年上で、弟の私が言うのもなんですが、結構なハンサムでした。
私は昔から女性にモテないのですが、兄は異なり昔からモテモテタイプです。
背が高く、顔もスマートで、運動神経も優れており、学生時代には女生徒の間で有名な色男でした。
私が中学一年生だった頃、兄は中学三年生で、同じ家に住んでいましたから同じ中学校に通ってました。
その頃の私は、見知らぬ女生徒にラブレターや手作り弁当を手渡されるのですが、それらは決まって兄に渡してくれと頼まれる物ばかりでした。兄は、そのぐらいモテていました。
ですが、そんな兄も社会人になると異変が起きます。
モテなくなった訳ではありません。相変わらずモテます。
ただ、お金にだらしなくなったのです。
サラ金やらなんやらに金を借りては一人で返しきれなくなって、またあちらこちらから金を借りてくる。雪だるま式に借金が増える。
それで、殆どの女性も逃げていく。
最終的には、にっちもさっちも行かなくなると、姿をくらますのです。
兄への取立ては、当然ながら父に回ってきました。
父は我が子可愛さのあまり、兄の借金を肩代わりして支払うのです。
すると暫くして兄がひょっこりと帰ってるのです。
そして兄はまた借金を拵えて、一人で払いきれなくなる。
そして姿をくらます。
そして父が肩代わりする。
これを繰り返すのです。
私が知っているだけで四回は繰り返しています。
十万や二十万ではありません。毎回毎回、四百万、五百万の単位です。
そんな兄に呆れた私は、兄を軽蔑し無視しました。
同じ家に住んでいるのに、三年ほど顔を合わせなかったこともあります。
兄のせいにするのは卑怯な話かもしれませんが、私の人格が程よく腐ったのは、この兄のせいだと考えた時期もあります。
まあ、そんな理由で私は人格を腐らせて、色々なものを失います。
信頼信用からはじまり友人知人など多くを失いました。
代わりに得たものは、けっこうつまらないものでした。
職場での中途半端な役職と、富豪には程遠い中途半端な財力です。
今は考えを改めて、信用や友達が宝石だと実感して、金や地位は道端の石コロだと感じております。
ちょっとオーバーに言いすぎですね……。
まあ、金や地位が悪かったわけでなく、私の掴みかたが悪かったのでしょう。
友のほうが、人生において宝です。失ってから、それらが何よりも大事なものだと気づくのに、私は多くの時間を費やすこととなります。
まあ、この話も今回の事件とは、あまり関係ない話です。
何が言いたいかと申しますと、心が汚れて失ったものが私には、もうひとつあったのです。
それは普通の人々が、あまり持っていないものでした。
わかり易く述べれば、「霊感」ってやつです。
私は小さな頃から人には見えないものが、ちらほらと見えていました。
父が運転する車に乗ってドライブの最中、路上に佇む老人の姿。
小学校の体育館にバケツを持って立つ少年。
民家の窓から外を眺める主婦の顔。
どれもこれも何処にでもあるような光景に思われるでしょうが、それらが私に見えた幽霊なのです。
私が持っている霊感では、不思議とどうでもいいものしか見えないのです。
気味悪い亡霊やら血みどろの落武者とかは見えません。
ある意味、幸いと言えました。
だから私は小さな頃から霊感があって他の人に見えないものが見えていても、幽霊を怖いと認識していなかったのです。
とある本で読んだのですが、霊感ってやつはラジオの周波数と一緒であるといいます。
周波数が合った時だけ、周波数が合う人にだけ霊は見えたり聞こえたりするらしいのです。
そして周波数の違いによって見えるものもかわってくるらしいのです。
有名な霊能力者は、すべての周波数にチャンネルが合う人らしいのです。
その説からすると私は、どうでもいい霊とチャンネルが合うらしい風変わりな霊感の持ち主だったのかもしれません。
私が見る霊の多くが、良いこともしませんが、人に害を与えるようなものではないようでした。大人しいのです。私にも無関心なのです。
もしかしたら、自分が死んでいることにも気づかずに、ただ日々を送っているだけの霊が、私には見えていたのかもしれません。
ですが、時には例外が生じます。
私に関わろうとする幽霊も出てくるのです。
近寄って来て話し掛けてきたり、後ろをついて来たりするのです。
そんな時は、私は決まって幽霊を無視します。下手に相手をすると、かまってくれる人発見、てな感じでついてくるのですよ。
それでも私のチャンネルに引っかかる霊は、無視されると大人しく何処かに去っていきます。
だから私は、霊たちが見えていても見えていないふりをするようになりました。
今でもそれが正しい判断だったと思っております。
そんな感じで月日が流れ、徐々に大人への階段を登り始めた私は、心を段々と腐らせて行き、それに連れて霊感を失っていきました。
心が汚れると霊感も弱まるようです。
ピュアな人に妖精さんが見えるのと一緒なのでしょうかね。
ですが、それでもたまにチャンネルが合ってしまう時があるのです。
悪いものと……。
年に一回あるかないかですが、実に困ったものです。
その日も、私はそうだと思ったのです。年に一回あるかないかの日だと思ったのです。
では、話を最初に戻しましょう。
実家の私の部屋。四畳半の部屋に――。
そこが、そこだけが、話の舞台です。
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