短編
千
とっくに10代を過ぎたわたしより
わたしの家は比較的裕福だった。誕生日にはプレゼントが3つもらえるくらい裕福だった。人形の家が欲しいと言えば、人形と家具が付いてきた。鏡が欲しいと言えば、ドライヤーと櫛が付いてきた。成績は真ん中より少し上くらいで、運動は苦手だった。体育の授業でバスケットをやる時なんかは、パスをもらっても一歩も動けなかった。パスをもらった後のことはもう思い出せない。人は辛すぎる出来事を記憶から削除していくのだろう。中学3年の時の記憶は残っている。きっと耐えられるから覚えているのだろう。なぜ今、そのことを思い出すのかわからない。あと何ヶ月か我慢すれば、あの人達と違った場所に行ける。そう思いながらただ耐えていた。その状況に甘んじていたのかどうかはわからない。自力で抜け出す術を知らなかったように思える。今、同じ状況に陥ったなら抜け出せる自信はあるが、10代前半のわたしにはその力はなかった。高校に進学する時期まで我慢しよう。そう思っていたのだろうと思うが、今となってはわからない。勉強は頑張ったとは言えないが受験生と呼べるくらいには勉強した。そして地元の学校に進学した。あの子達とは別の高校に進学した。
高校では馴染みのない顔と馴染みのある顔、中学の時のわたしを知る人とそれを知らない人達もいる。親しくしてくれていた人もいて、穏やかに高校生活を送った。体育祭や文化祭、特に目立つことはないけれど楽しかった。将来どうしたいのかなんて見い出せていなかったが勉強は頑張った。
今ならもう少し考えて、目標をもってやれたのだろう。困難と思える事柄ももっとうまく切り抜けただろうと思う。それは今だからわかること。その当時の経験値と精神力ではそれが精一杯だったのだろう。その当時を思えば少し切なくなるが、なんとも言えない感覚に陥るが、精一杯やれることをやったんだろう。もっと根気強くやればよかった。もっと誠意を持って人と接すればよかった。逃げなきゃよかった。言えば良かった。言わなきゃ良かった。闘えば良かった。もっと頑張れば良かった。そう思うことはたくさんある。それは後悔とも違う。10代は自分のことしか見ていなかったのかもしれない。内向的だったと言えばそれらしく聞こえるが、もっともっともっと人にやさしくできれば、それはきっと良い方向に向かっていただろう。闘うのとは違う。自分の為だけど、それとも少し違う。大局も見ろと言う人もいるが、そんなもの正解も不正解も誰も知りえないことだから、まず自分の幸せを考えて。ちょっと言っている事が矛盾しているかもしれないが、そのことを伝えたい。とっくに10代を過ぎたわたしから、今その時期を生きる人達に。
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