第7話 憐憫、あるいは交渉の始まり
「お前、いままでどこにいたんだよ!」
いつの間に姿を消し、そして今度は前触れなく現れた式神に、朝陽は思わず詰め寄る。すると八雲は、ますます内の読めない笑顔でにっこり笑った。
『どこもなにも、ずっとお傍におりましたよ。主殿の御身をお守りするために』
「はぁ!? 全然、姿見えなかったんだけど?」
『それは単に、姿を隠しておりましたから』
袖で顔の半分を隠し、八雲は意味深に頷く。
なぜ姿を隠していたのか。というか、見習いとはいえ四人も退魔師が揃っていても、誰ひとり気が付かないほど完璧に気配を消せるものなのか。そのように朝陽が呆れる中、八雲は切れ長の目をゆっくりと開いた。
『お試し期間とはいえ、いまのわたくしは貴方様の式神。ゆえにお仲間に姿を見せても良いのではとも思ったのですが……、主殿はあまり語彙力が堪能ではないご様子。わたくし共の
「わざわざ含みのある言い方すんじゃねえ! ……なるほどな。だから一生が来た時も、いきなり姿を消したのか」
溜息を吐いて、朝陽は腰に手を当てて八雲を見上げる。
だが、確かに八雲が言うことも一理ある。語彙力云々を別にしても、朝陽と八雲の関係を説明するのは厄介だ。それに、八雲からはヤバい悪鬼の匂いがプンプンしている。いきなりこんなのが目の前に現れて、皆に「こいつ、俺の式神だから大丈夫だぜ!」と言っても信じてもらえる気がしない。
(やろうと思えば完全に気配を消せるって、ますますこいつのことが怖くなったけどな!)
やっぱり、こいつのことを信用してはならない。改めて固く、朝陽は自分に言い聞かせたのだった。
「んで? 俺に気を使って隠れていた万能の式神様が、わざわざ姿を見せて何の用だよ」
半分皮肉を込めて、朝陽は八雲に問いかける。すると八雲は、小首を傾げて微笑んだ。
『もちろん、式神としての役目を果たすためにございます。主殿はぴよぴよの見習い退魔師であらせられるのに、命知らずにものこのこと愉快な
「はいはい。そーですか」
『おや。話半分に聞いておられますね。残念ながら、こればかりはわたくしも
「へ……?」
適当に聞き流していた朝陽は、『巣』の部分に反応して顔を上げる。一方の八雲は、すでに朝陽ではなく別の方向――先行した同期三人の背中を眺めている。
美しい横顔に浮かぶ微笑みに反して、黒曜石のような眼差しは珍しく少しの笑みも湛えていなかった。
『ときに先輩方の調査は、いつまで行っていたと当主代行殿は仰ってましたでしょうか?』
「法月さんの調査か? えっと。たしか昨夜から今朝にかけて、じゃなかったっけ?」
幽鬼や霊が活発になるのは陽が落ちている間だから、調査期間も自ずと夜が多くなる。そう思って朝陽が答えると、八雲は納得したかのように深く頷いた。
『なるほど、なるほど。――残念。あと一歩、間に合わなかったのですね』
次の瞬間、地面が赤く光る。そして一生たちを覆うように無数の銀糸が地面から飛び出し、彼らを一瞬にしてがんじがらめにした。
「っ、これは!」
「うわあぁ!?」
「なんだ、こりゃ!」
「お前たち!!」
『おっと。主殿はお近づきにならぬよう』
前に飛び出しかけた朝陽を、八雲が制する。ぬっと視界を遮って前に出た八雲に、朝陽はぎょっとした。
「なんで止めるんだよ、みんなを助けなきゃ!」
『土蜘蛛にございますよ』
「あぁ!?」
朝陽の質問には直接答えず、八雲は冷静に告げる。虚をつかれて瞬きする朝陽に、八雲は指差しながら繰り返した。
『ですから、土蜘蛛にございます。この霊溜まり、かの幽鬼にはさぞ都合良き餌場に見えたのでしょうね。この地に集う
ちょうどその時、一生たちを捕らえる無数の銀糸による網が揺れた。そして、まさに狩場に迷い込んだ獲物を喰らいに、牛ほどもあろうほどの巨体に、目の代わりに人の顔が八つ浮かび上がった巨大な蜘蛛が、長屋の影から姿を現した。
おぞましい姿と湧き起こる禍々しい妖気に、朝陽は思わず顔を引き攣らせる。
「なん、だ。あれ……」
『土蜘蛛とは強い怨念を抱いた幽鬼が、
淡々と説明しつつ、八雲はどこか興味深そうに土蜘蛛を眺める。一方で、身動きが取れない状況でとんでもない幽鬼が出現したことで、捕えられた三人も慌てだした。
「ひぃぃぃぃ! 化け物!!!!」
「新吉、騒ぐな! クソ、糸が絡みついて
「いまやってます!」
一生が叫び返すが、一生にも無数の銀糸が絡みついて、うまく術の発動が出来なそうだ。
だがその時、無情にも土蜘蛛の身体が赤黒く光り、銀糸を伝って一生たちを照らす。途端、一生、虎之介、新吉の三人が身を仰け反らして呻いた。
「あぁ!」
「クソ……、力が……!」
「霊気が、吸われていく……!」
「一生! 虎、新吉!!」
糸を通じて、土蜘蛛が三人の霊気を吸い上げているらしい。目に見えて苦しそうな三人に、朝陽は顔色を変えて飛び出そうとする。
「待ってろ! 今、助けてやる!」
『ですから、お待ちくださいませ』
駆け出そうとする朝陽を再び八雲が制する。朝陽の視界から一生たちを隠そうとするかのように前を塞ぐ八雲に、朝陽は焦れて叫んだ。
「だから、なんだよ! 目の前で仲間が幽鬼に喰われかかってるんだぞ!」
『それで。主殿になにが出来るのですか』
ひやりと。どこまでも冷たい瞳で、八雲が答える。
その時になって初めて理解する。こんなでも――全身から禍々しい妖気を漂わせる八雲が、生前はそれなりに腕の立つ退魔師であったろうことを。
怯んでしまいそうになりながら、朝陽は懸命に足を踏ん張って八雲を見上げた。
「なにって……」
『そのひ弱な霊気で何をしましょう。その未熟な技量で何を為しましょう。否。否。否。主殿に守れるものはありません。主殿に救える術はありません。貴方様が飛び出したところで、
「でも、だけど! 助けを呼ぶとかあるだろ!」
『間に合うと思われますか? 土蜘蛛とて阿呆ではありません。この地に集う退魔師の気配には気づいているはず。
ぐっと言葉に詰まる。八雲の言い分は正しい。先輩を呼びに行くのでは間に合わない。といって、合図火を飛ばそうにも、朝陽の力量では時間稼ぎにもならない。そも、糸を自在に操り獲物を捕らえる土蜘蛛相手に、近づくことすら敵わないのではないか。
だけど、すべての道が閉ざされたわけじゃない。
「お前なら、出来るんじゃないか」
それまで浮かべていた哀れみを含んだ笑みを消し、八雲が黙る。
沈黙を肯定と受け取り、朝陽は強い目で八雲を見上げて繰り返した。
「お前なら、
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