死がふたりを別つまで〜見習い退魔師と最恐幽鬼の呪術奇譚
枢 呂紅
第1話 災厄、あるいは運命の出会い
「やばい、やばい! なんだよ、アレ……!」
呼吸が荒く、胸が痛い。だが足を止めるわけにはいかない。見習い退魔師の印である若草色の狩衣を翻し、
事の始まりは数刻前。所属する退魔師機関――百徳院の詰所に飛び込んだ依頼を片付けるべく、賑わう昼下がりの下町に足を運んだのがスタートだ。
依頼は田舎から出てきて半年の朝陽でも対処可能な簡単なもので、すぐに解決した。お礼に店先でみたらし団子と熱い茶をいただき、「また何か困ったら声を掛けろよ!」と帰り路に足を向けたまではよかった。
そう、そこまでは。
(なんであんなデカい幽鬼が、日暮れ前に出てくるんだよ!)
ずざっと草履で砂利の上を滑り、脇道に飛び込む。そんなことをしても後ろの奴には無意味だとわかってはいるけれども、焦る気持ちが足を動かす。
だが、果たしてアレから逃げきれるだろうか。
懸命に砂利を蹴りながら、朝陽は背後をチラリと見た。
『……ウマソウ……クウ……クイダイイイイ!』
「ひいぃぃ!!」
反射的に呪符を投げつける。けれども見習いペーペーの朝陽が、大した念も込めず慌てて投げつけた呪符に効力があるわけがない。
黒い靄を放つ巨大なソレは、ぶんと頭部で呪符を払い退け、虫のように四つん這いに朝陽を追いかけ続けた。
――幽鬼。それは死んだ人間の怨念や未練、もしくは生霊としての強い思念が形となったもの。地上を彷徨う霊のほとんどは無害なものだが、時折強い未練を抱くものが、呪いに変質して幽鬼となる。
朝陽は幽鬼が好む「美味しそうな霊力」を備えているらしい。幼い頃からたびたび、魂を喰らわんとする幽鬼に追いかけまわされてきた。
普段、日が落ちてから出歩く際には、師匠手作りの幽鬼除けを身に着けている。けれども今日は幽鬼とは無縁な依頼だったし、日暮れ前に寮に戻れる算段だったので部屋に置いてきた。
それが、まさかこんな夕暮れ時にバチバチの悪鬼に襲われることになるなんて。
「んな簡単に喰われてたまるか!!」
今度はちゃんと念を込めてから、四方に呪符を投げる。すると呪符同士を繋ぐように紫電が走り、幽鬼が怯んだ。
これはただの時間稼ぎ。稼げたのは一瞬でも、いまはそれが有難い。その隙に、朝陽は生まれ持っての身軽さを活かして細道を駆け抜け、詰所の裏にある神社の境内に飛び込んだ。
――この神社がいつからあるのかは知らない。神社といっても祀られている神はなく、宮司もいない。なぜか百徳院が管理をしており、代々の退魔師が境内を掃除するなどして、ギリギリの体裁を保っている。正式には八雲神社というらしいが、通称はもっぱら「オンボロ神社」だ。
血に濡れたような曼珠沙華が揺れる石畳の小道を、朝陽はわき目も振らずに走る。
社の裏には小さな祠があり、そのさらに奥には詰所の裏門に繋がる抜け道がある。詰所に飛び込めば、結界が幽鬼を弾いてくれるはずだ。
(とにかく、早く詰所に逃げ込まねえと!)
遠くに幽鬼のおぞましい唸り声を聞きながら、今にも崩れそうな社の裏に飛び込む。――直後、足首に
「うわ、ちょ、うわあああっ!?」
ブチブチ!っと何かを引き裂くような感触があった。それが何か確かめる間もなく、朝陽はもんどりうって転げて、苔むす祠に頭から突っ込んだ。
「い、っててて……。なんだぁ……?」
頭をさすりながら朝陽は体を起こす。
不思議に思いながら足元を覗き込んだ朝陽は、地面に座り込んだまま固まった。
「――――なんだ、これ。結界の呪符……?」
それは見たことのないほど、強力な霊気のこもった呪符だった。かなり古いもので黄ばんでいるが、込められた力は少しも衰えていない。そんなものが同様に強力な霊気の込められた縄に、幾つも張られていた――らしい。
らしい、というのは、足に絡みついたのはそれらの縄やら呪符やらで、転んだときに勢いよく引きちぎってしまい、残骸と化していたからだ。
問題は、これほどにまで強力な結界をもって、何を閉じ込めていたかで。
『おや。おやおや』
ズズズッと、薄く開いた祠の扉から嫌な気配が膨らみ出る。
振り返らなくてもわかる。この圧迫感。骨の髄まで凍えるような、重く、どす黒い霊力。
コレは、朝陽に追いついた四つん這いの幽鬼より、よっぽど
血の気を引かせて、朝陽は背後を振り返る。
その目が捕えたのは、闇よりも暗く、夕立前の空気のように肌に絡みつく、地の底にまで堕落させ引き摺り込むような濃厚で芳醇な妖気。
『これは、これは。随分と愛らしい
紅い曼殊沙華が揺れる中、脳が痺れるようなぞくりと色気に満ちた声音を響かせて、ヤバい何かはゆらりと笑った。
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