凡才作家と帯刀青年〜悪霊を添えて〜

笹倉亮

第1話 自業自得と厄介事


 その日は連日の豪雨が少し収まった日であった。 

 夜、すっかり人がいなくなった村で、数人の警官が誰かを探している。


「そっちにいたか」

「いや、居ない。流石に死んだんじゃないか、この有様だしな」


 雪は溶け、色とりどりの草花になったとしても夜はまだ寒い。

 長く探すのは体力が削れると判断した彼等は雨が止むまで待つことにした。


 折り重なった屍の中、1本の指が動いたとも気づかずに。











 1990年4月 某所


昼下がりの喫茶店はそれなりに席が埋まっているものだ。

皆、昼ドラの話だとか、大学の課題の話だとか、彼氏の話だとか、誰に聞かれるかも知れない話に花を咲かせている。

特に、僕――久崎の横には仕切りの花壇があるのだが、その向こうに座る2人の女子大生の話なんかは、よく聞こえた。


「ねぇ知ってる?あの、ヨネがバイトしてるコンビニ越えたところにあるトンネルの幽霊の話!テレビでもやってたやつ!」

「あ~知ってる!私の彼氏の友達も行ったらしいんだけど、車であそこを通ったら長い髪の女がトンネルの端に立ってたんでしょ?」

「そうそれ!怖すぎじゃない?」

昼間からきゃあきゃあと甲高い悲鳴を上げて、迷惑極まりない。ほらみろ、鳥肌が立ってきた。

僕は小声で目の前に座る担当編集の内村に愚痴をこぼす。

「聞きましたか、今の話。女が立ってるって、普通に人かもしれないじゃないですか」

「まぁ、そうかも知れませんが。人でも怖いと思いますよ」

内村はこの手の話に全く興味がないのか、さらっとした感想が返ってきた。

「それより久崎先生、原稿は持ってきたんですよね?」

 彼は重たい一重を鋭く光らせながら僕に問い詰める。

「あぁ、えぇ、持ってきましたよ」 

 少しボロくなった手提げバッグからスムーズに原稿の入った封筒をとりだし、なるべく愛想よく渡す。

 内村は眉毛を上げ、珍しいと言わんばかりの表情だった。


「……ん、先生、これ白紙じゃないですか!!」


 内村の怒号を背に、僕は喫茶店を飛び出した。

 流石に無銭飲食はまずいので1000円置いてきた、多分足りるだろう。


 とはいえだ、いま思い出したのだが内村は学生時代陸上部であった。万年文化部だった僕はとても分が悪い。

 直線で逃げるのは諦め、路地に入ることにした。

 土地勘は僕のほうがあるし、内村は元陸上部とは思えないほど肥えているので巻ける可能性が高い。


 屋外換気扇を飛び越え、複雑に配置されたパイプを躱し、フェンスを登り、どんどん先へ進む。

 まるで洋画の逃亡劇さながらの動きをしているので、眼鏡が飛んでいきそうになる。

 眼鏡を気にしながら逃げていたので追いつかれるのではと振り向いたら、内村は換気扇を飛び越えたあたりでコケていた。

 このまま逃げ切れそうだ。排気口からラーメンの香りがしたので醤油ラーメン食べたいなと呑気に考えていたら道が開けた。

 左手に曲がったところに道路の上にかかった大橋がある。

 あそこを超えれば追ってこないだろう。


 しかしそこには珍しく人だかりができていた。

 スムーズに通れそうにないが、かえって内村をうまく巻けるだろう。


 自身の「勝ち」を確信しながら人混みに突っ込む。

 揉まれている中、周りにいる人が色々言っていた。警察がどうとか、不審者がどうとか。

 不審者は嫌だが僕も追われてる身なので、同族の好で見逃してくれないだろうかと思っていたら人混みを抜けた。


 そこにいたのは5名の警官の攻撃を躱し続ける一人の男だった。グレーのパーカーに黒いズボン、黒いショートブーツといった普通の格好だが、どこを歩いてきたのか、随分ボロボロだった。

 傷んで鎖骨まで伸びた髪を結びもしていない。あれでよく周りが見えるものだ。

 竹刀袋を背負っているので、中身を使えば良いものを避け続けるだけなのは少々気になった。


 いやしかし、思いの外激しい戦闘だ。橋の横幅いっぱいをフィールドとしている。

 橋から降りることも考えたが下は大通りで、降りるためには回り込まなければいけないので時間的に厳しい。どうしたものかと考えていると後ろからドンっと押された。その拍子に酷使した眼鏡が、きれいに弧を描きながら戦闘の最中へ飛んでいった。

 眼鏡なんて拾いに行きたくはないが、いやしかし、僕は所謂瓶底眼鏡と言うやつなのだ。

 しかも、戦闘に気を取られていたが僕は逃走中である。逃げ切ってなんやかんや原稿を完成させしれっと渡すまでは眼鏡は必須だ。


 眼鏡がないせいで余計に怖いが、人間にはやるしかないときがある。

 僕は意を決して戦闘の最中へ飛び込んだ。

「おい、やめろお前!何してるんだ!」

 隣りにいた野次馬の一人が僕を止めるが、かまっている場合ではない。

 その声に警官が気づいたようだ。こっちへ向かってきた。丁度いい、僕もうっかり殴られたりするのはごめんなので、この親切な男に眼鏡を拾ってもらうついでに橋の向こうまで通して頂こう。

 ああ、すみません、眼鏡が飛んで行ってしまって……


 頭の中で台詞を整理していた時、目の前の警官が視界から消えた。


「……は?」


 何事かと、処理落ちしそうな頭を必死に動かし、視界と聴覚から集めた情報を収集する。

 どうやら渦中の不審者が別の警官を投げ、僕に眼鏡を渡す予定だった警官にぶつかった結果、仲良く視界から消えたようだ。とんだ馬鹿力である。


 その拍子で、警官の足元にあった眼鏡がまた飛んでいった。しかも今度は不審者の足元付近だ。ほぼ見えてないのに何故解ったのか、それはバキッと嫌な音が鳴ったからである。


 僕自身、何回も踏んで割ったことがあり、聞き慣れているので間違いない。受け入れられないが、そう都合よく他の眼鏡が落ちてるとは思えなかった。

 まぁしかし、眼鏡亡き今、ここに留まる理由もない。視界に映るすべてがボヤけているのは気になるがさっさと橋を渡ろう。


「待ってください、先生!!」

 決意したところで、内村の声が喧騒に紛れて聞こえた。

 ここに随分長居してしまったようだ。内村が人混みを抜ける前に橋を渡らねばならない。

 立ち上がり、勢いよく走り出す。巻き込まれないよう、左側に寄って走った。


 途端、体に強い衝撃が走る。身体が反動で右側を向く。 

 衝撃の正体はあの不審者だった。


 後方に傾く身体、聞こえる悲鳴。

 見上げた空が思いの外青いなと感じながら、僕は真っ逆さまに橋の下へ落ちた。











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