(2)
それは、中国ではご祝儀やお年玉のことを指す。祝い事や春節の時に、お金を赤い紙で包んで渡すことから、『紅包』と呼ばれるそうだ。
本来は縁起の良い物ではあるが、落ちているものを拾うとなると、少々意味合いが変わってくる。
曰く――。
とある国の風習で、道に落ちている赤い封筒を拾うと、中にはお金と、死んだ未婚女性の髪の毛や爪が入っている。封筒を仕掛けたのは女性の遺族であり、拾った男性に死者との結婚、いわゆる『冥婚』を迫るという。
だから赤い封筒を拾ってはいけない――
のだが。
「……なんで拾っちゃったの?」
思わず口にした大河の足の甲を、白蓮がすかさず踏む。鋭い一撃に
店の奥、
テーブルには湯気の立つ玄米茶が出されているが、茉衣子は手を付けず、肩を丸めて俯いている。そんな彼女に、白蓮が静かに話しかけた。
「浅川さん」
「っ、は、はい……」
「お茶をどうぞ。温まりますよ」
いつものぞんざいな態度とは真逆の、柔らかな声と綺麗な所作に促され、茉衣子はおずおずと白い茶器を手に取った。一口飲んで、ほうと息を吐く。肩のこわばりが解けた茉衣子の表情は、幾分か和らいでいた。
「……おいしいです」
顔を上げた彼女が言うと、白蓮は微笑む。
「それはよかった」
「……」
目の前で微笑む青年の美貌に、今さらながら気づいたのだろう。茉衣子は目を瞠り、その頬を朱に染めていく。
今日も猫かぶり絶好調な白蓮に、大河は鈴木と呆れたように目線を交わした。
白蓮は初対面の者に対しては愛想が良い。その方が相手の話を引き出しやすく都合がいいからだ。が、普段の態度を知っている大河や鈴木にしてみれば、どうしてもこの『猫かぶり白蓮』が気味悪く見えてしまう。
こほん、と鈴木は軽く咳払いして話を進める。
「ええと、浅川さん。拾った経緯をもう一度お話してもらえますか?」
「あっ……はい」
我に返った茉衣子は、訥々と話し出した。
***
十日ほど前のことだ。
茉衣子は、常夜街の観光ツアーに友人と参加していた。
十二支が刻まれた時計が特徴のレトロモダンな時計台の前で写真を撮ったり、常夜街一の妓楼『百花楼』の美しい妓女達が欄干から手を振る姿に見惚れたり、大きな夜市で屋台巡りをしたり……。
ツアーは案内人と共に行動するのが原則だが、中心部の夜市ではある程度の自由行動が許されていた。
常夜街はいくつかの非公認組織――いわゆるマフィアやギャングと言ったものがそれぞれの縄張りを持っている。中心部を治める『
とはいえ、一人で行動をするのは厳禁で、大通り以外の場所には足を踏み入れないことが絶対条件だった。『規則を守らない場合、何が起こっても一切の責任は負いません』と、観光受付の契約書で約束させられる。
恐ろしい場所ではあるが、ルールを守れば怖くはない。それに、エレベーターに乗ればすぐに地上へ戻れる。
そんな安心感もありつつ、茉衣子は友人と共に夜市を楽しんでいた。
胡椒の効いた豚肉の餡がジューシーな
常夜街は、香港や台湾、上海などの海外を観光している気分を味わえると若者に人気で、茉衣子も参加するのはこれで三度目だ。
何度も来たことで、気の緩みがあったのかもしれない。
『ねえねえ! さっき龍霞のボスが通ったらしいよ!』
『え、嘘⁉ 私も見たかった~。すっごいイケメンなんでしょ?』
友人とおしゃべりに熱中していれば、大通りからわずかに外れて、路地の入口に足を踏み入れかけていた。
いけない、戻らなきゃと、友人と慌てて引き返そうとしたが、道端に赤い封筒が落ちているのが目に留まった。
『ねえ、あれって……もしかしてSNSで噂の――』
***
「幸運の紅包?」
素っ頓狂な声を上げてしまったのは大河だ。
茉衣子は、小さく頷く。
「はい。知りませんか? SNSで少しバズってたんですけど……」
「えす、えぬ……? ばず……」
聞き慣れぬ単語に白蓮が眉を顰めると、鈴木が説明する。
「バズる。短期間で爆発的に話題が広がり、大勢の注目を集めて世間を席巻することの意味で使われる言葉です。主にインターネット上におけるSNS等を通じた拡散について用いられますねぇ。あ、SNSというのはソーシャルネットワークサービスの略で……いや、まあ、とりあえず地上じゃすごい噂になってる、ということですよ」
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