story:2

見慣れない、歩き慣れない廊下を、赤星あかほし美愛みあは同級生と行く。周りには自分たちよりも2つ上の先輩たちが行き交っており、肋骨を締め付けられるような独特な緊張感を覚える。


「ねぇー、その冬田先輩が居るのは3年6組で合っとんよねぇ?」


一緒に来た美愛の友人、朝山あさやま陽菜ひなが確認のために訊いた。さすがに3年生校舎に1人で行くのは気まずかったので、事前に声を掛けてついてきてもらったのである。


美愛がここに来たのは他でもなく、自分を助けてくれた冬田純哉へ礼を言うためだ。しかし、名前と所属クラスは分かっていても、顔までは分からない。


朝のホームルーム後に担任から聞いた限定的な情報をもとに、目的地を目指す美愛と陽菜。やがて2人は、美愛の恩人が居る3年6組の教室の前まで到着した。


「ここよね?」


言いながら、陽菜は美愛とともに教室の出入り口のドア越しに室内を覗き込む。自分より大きく見える先輩たちが目に映り、美愛は畏怖にも似た感覚に駆り立てられた。


果たして、自分の対応にあたってくれた冬田純哉という先輩は何処に居るのだろうか。堂々と探すことも出来ないのでもじもじしながら見回していると、窓際の席に座ってクラスメートと談笑している男子生徒と目が合った。


(あっ………)


美愛は気まずそうに素早く目をそらし、男子生徒もとい冬田純哉ははっとする。


「あの子だ……」


そう呟いた純哉に、糸井が反応を示した。


「えっ? あの子?」


純哉にならって廊下側に視線を向けた糸井は、見慣れない女子生徒が2人居るのを確認する。小柄で茶色掛かった髪色の、白い肌の女子生徒と、黒髪で活発そうな風貌の女子生徒だ。


「どっち?」


「え? あの茶髪で髪が長いほう」


適当に答えて、純哉は顔を前に向けた。次いで、自身が抱く疑問を口にする。


「でも何しに来たんじゃろ?」


「何しにって、冬田さんにお礼言いに来たんじゃないん? だってまだその件でそういう話になってないんでしょ?」


「まぁ、そうだけど?」


純粋で鈍感な発言をする純哉に、糸井はやや早口で指摘した。未だに礼を言われてないことも踏まえ、糸井は純哉を後押しする。


「だったら出てってあげなよ、向こうがわざわざ来てくれたんじゃけぇさ!」


「お、おぅ……?」


糸井に右腕を掴まれ、純哉はふらふらと立ち上がった。のっそりとした足取りで廊下へ向かう純哉を見送りながら、尼川は美愛に対する印象も交えて呟く。


「しかし冬田、えらい可愛い子を救ったんじゃね」


訪ねてきた1年生の女子生徒に歩み寄りながら純哉は考える。第一声は、何と言って声を掛けようかと。一言目も大事だが、表情も重要だろう。


よって純哉は、あまり気負いすることは意識せず、至って自然な調子を装って美愛に話し掛けた。


「あ、もう元気になったんだね」


美愛が振り向く。2人の視線はまた重なった。きょとんとして純哉を凝視する美愛は、脳内で自分の思考と情報を整理する。


自分の顔を知っている3年生といえば、自分が所属している文芸部の先輩ぐらいか。ならば彼が、冬田純哉である可能性が高い。


探るように、美愛は訊いてみる。


「……えっと、冬田純哉さん、ですか?」


「そうだよ? ほら」


左側のポケットから生徒手帳を取り出し、それを見せて証明する純哉。間違いないと、美愛は確信した。美愛は自己紹介も交えて、先日の礼を言う。


「あわわっ、すいません! 私、1年4組の赤星美愛です! 先週の金曜は倒れていたところを助けてくださり、ありがとうございました!」


「お、おぉ、どういたしましてだよ……。赤星さん……」


そこからは互いに口ごもり、微妙な沈黙が続いた。少しの間を置き、美愛は陽菜を残して早々に立ち去ろうとする。


「そっ、それでは……!」


「ぅええ? ちょっと美愛ぁー? 待ってよぉー! あぁー、すいません! 突然お邪魔して失礼しましたぁー!」


色白の顔を赤面させたままスタスタと歩く美愛と、忙しなく謝って連れを追う陽菜。廊下の突き当りにある廊下を降りて3年生校舎を後にする美愛を見送って、純哉は率直な感想を心中で抱く。


(赤星美愛さん、ね……)


可愛らしくて珍しい名前だったというのもあるが、他に印象に残ったことといえば目に生気が宿っていなかったことか。前に会った時は目を閉じていて気付かなかったが、まずそこに注目してしまった。


一方の美愛は、渡り廊下を歩きながら自らの行いを悔やむ。何故あそこから、彼との会話を発展出来なかったのかと。


冬田純哉。自分が勝手に思い描いていた恩人は、想像以上の人物だった。


容姿は飛び抜けて良いわけではないが、大人の落ち着きと本能的に感じた互いのフィーリング。きっと彼と居て近しい関係になれば、居心地が良いことに違いない。


好意か、これが好意というものなのか。美愛は下唇を噛み締めながら、彼への想いを巡らせる。


「もぉ、美愛ー! 照れんでいいけぇ、そのまま何か話せば良かったのにぃー!」


全くもって陽菜の言う通りである。だからこそ、美愛は後悔しているのだ。その後悔を持ち寄って、美愛は陽菜に向き直る。


「……陽菜!」


「んん?」


「ちょっと、相談があるんだけどっ……!」




放課後、3年生校舎の1階に位置する下駄箱にて、美愛は純哉を待つ。彼が降りてくるのは、もうそろそろだろう。


なんだかストーカーみたいなやり方になってしまい、多少罪悪感を覚えるところだが、用事を済ませればさっさと退散するつもりだ。ましてやストーカーかどうかと判断するのは互いの心理的距離に由来する気もしたので、当然引かれれば自分たちはそこまでの縁だっただけである。


万が一向こうが引けば、自分も引く。


様々な思いが複雑に入り混じり、意識が遠のいていく気がする。良い加減、自分の考えをしっかりまとめなければ。


陽菜に助言してもらったように、自分から声を掛けて用件を伝える。先輩のラインを教えてください、と。先程話せなかった分、連絡先を交換してしっかりとコミュニケーションを取り、彼のことを知りたい。




「冬田先輩のライン聞きたいんだけどさ、どういうふうに聞いたらいいと思う?」


目尻を動かさずして苦笑する美愛は、陽菜に対して単刀直入に相談を持ち掛けた。返ってくる答えは自分でも分かっているはずなのに、ついつい聞いてしまう。


もちろん、その返答は美愛にとって予想通りのものだった。


「そんなの、普通に『ライン教えてください』って言えば良いと思うよぉ?」


だが、それだけではあっさりと教えてくれるとは限らない。もしもの場合も考え、陽菜は付け加えた。


「でも、それで何で? って聞き返されたら詰みだよねぇ……」


「そうね……」


「だったらそこは、素直にこれを機に色んなことを教えてもらえたらと思いますー的な感じに言っとくかかな?」


「……なんかちょっと曖昧な感じだね」




結局、陽菜との話は不完全燃焼だったが、基本的な方針は何も変わらない。次は悔いを残さないようにするため、相手のことを考えつつ行動するだけだ。


深呼吸をし、心を落ち着かせる美愛。そして、下校前のホームルームを終えた3年6組の生徒たちが続々と降りてきた。


「っ……!」


美愛の緊張が一気に高まる。同時に、彼女は両手で持っていたスマートフォンを強く握った。


小規模な人混みに目を向けて、純哉を探す。この中に、絶対居るはずなのだ。人数が大体25人ぐらいと限られており、各々まばらに歩いていたので、彼を見付けること自体は容易だった。


(ふ、冬田先輩っ……!)


あとは、声を掛けるだけである。幸い、昼休憩中に一緒に居た彼の連れは居ないし、1人で下駄箱まで向かっていた。その分、相手には近付きやすい。


今しかないと、意を決して美愛は足早に純哉に駆け寄った。


「冬田先輩っ……!」


意外な人物に名前を呼ばれ、純哉は少し驚いて振り返り、足を止めた。


「あ、赤星さん? どうしたの?」


すぐに表情に澄んだ笑顔を浮かべ、何気なく問い掛ける純哉。気のせいか、純哉自身も美愛にまた会えたことを嬉しく思った気がした。


「え、えっとぉ……! お、お疲れ様です……! 今から部活ですか……?」


本題を言う前に、美愛は無難な会話から切り込む。対する純哉は、何かを誤魔化すように苦笑して答える。


「あ、俺ね、帰宅部だからそのまま真っ直ぐ帰るの」


まさかの返事だった。いや、というよりも振りが無難過ぎてハズレくじを引いた気分だ。


「うっ、それは失礼しました……」


徐々に声が縮こまり、声量に比例して俯く美愛。そこから反動をつけたように素早く顔を上げ、彼女は純哉に対して最も伝えたかったことを言う。


「冬田先輩、ライン教えてもらってもいいですか?」


若干勢いをつけてすぐに切り返したのも、気まずさを打ち消すためか。自然と上目遣いになって訊いてきた美愛に、純哉は小首を傾げて聞き返す。


「いいけど、なんで?」


「あー………」


半分以上予想していた展開に、美愛はついつい言葉を止める。とはいえ、ここで話の流れを止めるのも不自然だと分かっていたので、美愛は正直にその旨を伝えた。


「それは……、せっかくお知り合いになれたのもあって、冬田先輩と色々話せたらなーって思いまして……」


(っ………)


素直なアプローチだったが、純哉は悪い気はしなかった。言うなれば、心が軽く持ち上げられたような感覚だ。先刻と何ら変わらず、表情は華やいでいる一方で、目元が笑っていないのが気にはなったが。


「なるほどね。じゃあ、俺がQRコード出そうか」


そう言って、純哉は自分のスマートフォンを操作してQRコードを提示する。美愛もアプリを開いてそれを読み取り、連絡先に純哉のアカウントを追加した。


「ありがとうございます、冬田先輩」


「こちらこそだよ、赤星さん。何かあったらいつでも連絡してきていいからね? 基本的に俺、空いてるから」


「はい……!」


達成感と幸福感を実感し、美愛はまた朗らかに笑う。心臓がぴょんぴょん跳ねているように鼓動し、良い意味で気持ちが落ち着かない。


ここから更に距離を詰められれば、どんなに幸せだろうか。


(生きてるんだ。私はこうして、ちゃんと……)


そこまでいったところで、純哉はスマホの画面に表示されている現在時刻を確認する。時間を見て、はっとした。


「あ、ごめんね、赤星さん。そろそろ出ないとバスに乗り遅れるから、ちょっとここで失礼させてもらっていい?」


「はい、大丈夫ですよ」


「申し訳無いね、本当は俺も色々と話を聞きたいところなんだけど……」


社交辞令か、最後にそれだけを付け加えて足早に立ち去る純哉。美愛はその後ろ姿を、微笑みながら見送った。


(冬田……先輩……)


惜しみなく、自らの双眸に焼き付けるように。

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