2-3 それはそれとして地獄には行こう

「まぁ、今後も生きてる人間は――いや、人間に限らずだけれども、とにかく生きてるものは食べない、ってことで、それはそれで良いんだけどさ」


 フシキ堂閉店後、伏木さんは杣澤君を連れてウチに来た。手土産だ、と言って持参したのは近所のスーパーのお惣菜やらスルメやら干物などの乾き物だ。杣澤君が段ボールに入ったビールを担いでいるところを見ると、これはもう完全にウチで酒盛りをする気だぞこの人。


 杣澤君はというと、運転手兼荷物持ちのようで、彼は当然のようにノンアルコールである。可哀相に。


 かしゅ、とビールを開け、ごくりと喉を鳴らす。


「ぶふぁっ、仕事の後の一杯はたまらんっ!」


 その顔が本当に至福そうだったので、そこまでの激務をこなしてきたのかと杣澤君に聞いてみたところ、「いえ、社長は今日はこれといって何も」という返答である。だとしたら、よくもまぁそんな顔で飲めたよね。


「地獄観光はしようよ。私、行ってみたいなぁ」

「明水さんは地獄で営業する気満々みたいですよ」


 すかさず多々良が補足する。どうやら伏木さんは恐れ多くも地獄の閻魔大王に「ヘイヘイ、そっちの方にも開かずの何かがあるんじゃないの? ご用命は『鍵のフシキ堂』まで」とやらかす気でいるらしい。どんなに閻魔大王に無礼を働いたところで、地獄で殺されるなんてことはないんだろうけれども、それにしたって目をつけられたら死後やりにくいだろうに。


「まぁ、それは好きにしたら? 僕は向こうでしか食べられないものが食べたい。あとはまぁ、僕以外の悪食には会ってみたいかも」

「ボス、一応確認なんですけど」


 はい、と元気よく多々良が挙手をする。はいどうぞ、多々良さん。


「向こうで婚活なんてしませんよね? 可愛い悪食がいても娶ったりしませんよね?」

「そんなこと言われてもなぁ」

「駄目ですよ、駄目駄目! 地上と地獄の遠距離恋愛なんて絶対に続きませんよぉ! 第一、子どもはどっちで育てるですか!?」

「えぇ? もうそんな子育ての話になるの?」

「仮にですよ、仮に」

「そうだな、せっかくだし、私も秋芳君の結婚観みたいなのも聞いておきたいなぁ。今後のために」

「伏木さんまで。今後って何?」

「それは、気にしなくて良いのよ」


 気にしないでと言われたら、気にしないのが僕だ。伏木さんも少し酔って来たと見えて、口調が柔らかくなってきた。


「そうだなぁ。一応僕は多々良をここまで育てたっていう実績があるからね。もしも奥さんがこっちで育ててくれ、って言うなら、僕としては全然。地獄の方が仕事忙しそうだし」


 と、言うと。


「キエエエエエエエエ!」


 多々良が叫んだ。


「ボスの口から『奥さん』とか! ボク以外の雌を『奥さん』とか、絶対言っちゃ駄目なやつですよぉ! 地雷! これは地雷です!」

「な、いつの間にウチが地雷原に!? ていうか、子育てについて語れって言ったのは多々良だろ!」


 そう突っ込むと、「そうですけどぉ」と不服そうな声を上げる。


「まぁ落ち着きなよ多々良。つまり秋芳君は、普段はこんなにバブちゃんなのに、こと子育てにおいては戦力になる、とわかったわけよ。これは大きいんじゃないかしら?」

「大きい? 何がです?」

「いつか君達が晴れて番になったとして、子育てについては何ら問題がない、ってこと」

「成る程!」


 さすが伏木さんである。あんなに荒れていた多々良が一瞬で落ち着いた。いや待って。番になんてならないよ?


「まぁ、それは置いといてさ。杣澤君、君は留守番ってことで良いよね?」

「えぇっ!? 何でですか! 俺も行ってみたいです! 後学のために!」


 人間が後学のために地獄に行くってことある?


「いや、だってさ。君、僕が食べるとこ見て吐いたでしょ? 地獄ってあんなの比じゃないと思うよ? 暑さ寒さ辺りは対応してくれるみたいだけど、視覚情報はどうにもならないからね」


 赤くて黒くてそこら中ぐちゃぐちゃの亡者だらけだよ? 空気は淀んでるし、何らかの悲鳴しか聞こえないようなところだし、と重ねると、恐らく、僕の食事仕事を思い出したのだろう、ぐぅ、と呻いて口を押さえた。


 お土産買ってくるからさ、と説得を試みるものの、彼は諦めきれないようである。けれども、ここで動いたのが伏木さん雇い主だ。


「いや、お前は店があるでしょ」


 その一言であっさり彼は撃沈した。威針イバリの力が関係あるのかな? とも思ったが、別に伏木さんは鳴いたわけでもないのである。これはもう常日頃の力関係によるものだろう。


「じゃ、じゃあその代わり、帰って来たら有休ください、社長! そして秋様、俺とデートしてくださいぃ」


 えぐえぐと目に一杯涙をためて縋りつく圧に負け、僕も伏木さんも、つい「良いよ」と返事してしまう。多々良がまた怒り狂うかと思ったが、多少は彼に同情する部分もあったらしく、「近場で日帰りなら良いでしょう」と渋々了承してくれた。僕の行動はすべて彼女の許可がいるらしい。何でだよ。



 とにもかくにも、である。

 僕と多々良と伏木さんの地獄行きが決まった。

 予約はチケットを持っている僕らの方でしなくてはならないのだが、当然僕が出来るわけもない。


「ふっふー、こんな時のためのスマホなんですよぉ!」


 酒盛り(飲んだのは伏木さんだけだったけど)のその翌日、多々良が「こういうのはちゃっちゃと済ませた方が良いです!」と声を上げ、いつの間にやら契約を済ませて来たらしく、白と黒のしましまカバーをつけたスマートフォンを得意気に構える。


 ここ数日、妖怪専用の携帯ショップ『Yoh!-MOBILE』の店員さんに相談していたようで、夢喰い獏ほどの知名度がある妖怪ならば、まず間違いなく審査は下りるはずだとの言葉通り、無事に契約の運びとなったらしい。支払いは口座がないので引き落としではなく現金、あるいは振込で行うのだそうだ。これを機に口座の開設もしてしまおうかとも思ったらしいが、あまり長いこと家をあけると僕がお腹を空かせて泣くんじゃないかと心配だったのだとか。泣かないよ。


「お部屋は三人まとめてで良いですよね」

「良いんじゃない?」

「そんじゃこのファミリータイプのお部屋にするです。明水あけみさんは喫煙者ですからね、炎妖怪、煙妖怪OKのお部屋にするです。うっかり寝タバコしても燃えないです!」

「伏木さんのタバコは加熱式だから燃えないんじゃない? ていうか、そもそもタバコをやめさせようよ。身体に悪いんじゃないの?」

「ボクもそう思うですけど、でも明水さん、半妖なわけだし別に大丈夫じゃないです? それにほら、ボスだって煙もくもく食べるじゃないですか」

「食べるけど、あれ全然お腹膨れないんだもん。ただの味のついた空気だよ」


 あれなら霞の方がまだましかな、ってレベルだ。どっちもお腹には溜まらないけど、霞の方が何となく身体に良いものを摂取している感がある。


「ツアーはどうしましょうかね。明水さんは別行動したいみたいなので、案内獄卒ガイドさんは二組分予約しときましょうか」


 ガイドなしでは地獄は歩けませんからねぇ、と言いながら、画面をすいすいなぞる。


「ツアーとかあるんだ」

「ありますよ。アクティビティなんかも色々あるみたいです。名所を巡るか、グルメか、お買い物か。何せたったの二泊ですから、目的を明確にしないと何もかも中途半端になるですよ」

「それなら僕はグルメ一択なんだけど」

「ですよねぇ」

「でももし多々良が色々見て回りたいって言うなら別に」

「んがっ! どうして別行動しようとするですか、ボスはぁ!」


 ボクはボスと一緒に観光がしたいんです! と買ったばかりのスマホを強く握りしめる。やめなさい多々良。何かミシミシ聞こえるから。


「別行動しようなんて一言も言ってないだろ。そうじゃなくて、僕は別にちょいちょい買い食いでも出来れば良いから、お前に合わせるよ、って言おうと思っ――ぐわぁ!」

「ボスぅ~!」


 お優しいボス、ラブです! キュンですぅ! と言いながら、がばっと飛び掛かられた。獏の姿ではないので重くはないけど、不意を突かれたせいでバランスを崩し、後ろにばたりと倒れる。ごちん、と頭を打って、視界に火花が散った。


「多々良、痛いよ」

「はわ! 申し訳ないです!」

「そう思うなら、どいて」

「えぇ~、せっかくですし、もう少しこのままが良いです」

「何でだよ」

「何でだよじゃないですよ! ちょっとくらいボクにドキドキしてくれたって良いじゃないですかぁ! 見てくださいボス! ボク、すっごい短いスカート履いてるですよ! 有言実行です! 悩殺、悩殺!」


 ほら! ほら! と僕に乗っかったまま、何やらスカートの裾をばふばふさせているけれども、この位置からは何にも見えない。見えたところで、という話でもあるけど。


「何が『ほら』なのかピンとこないんだけど」

「むぎぃぃぃ! 悪食の性欲どうなってるんですか! ボスの発情期はいつなんですかぁ! 過ぎたんですか?! これからですかぁ?!」

「いつなんだろうね。ちょっと僕わかんない」

 

 あ、地獄の悪食にそれも聞いてみようか、と提案すると「ボス、それはセクハラです!」と怒られた。


 それじゃきっと僕一生わからないと思うよ。

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