第90話 冷凍保存できる魔道具
あらら本当に歌い始めちゃったよ。歌もうまいんだな。アカペラでもこう心に染みる。恋焦がれる歌だろうか、歌詞は余り頭に入ってこないけど彼の声に聞き惚れてしまう。
こう、安心感を与えてくれるというか何か暖かいものに包まれているかのような。
興が乗ったのかハープの旋律が流れ始め彼の声と合わさる。
おお。春の木漏れ日の下でうたた寝しているかのような心地よさだ。空腹でありいまかいまかと食事を待ち座っているというのにうつらうつらとしてくる。
心もじんわり暖かく今なら何があっても許せそうな、そんな気持ちになってきた。
「お待たせいたしました!」
店員の声でハッと現実世界に戻って来る。
彼女は申し訳なさそうに頭を下げながら、次々に皿を置いていった。
配膳に伴い、ホメロンの歌と旋律も停止する。俺たちと喋っていて突然だったから、彼は彼で自分が何をしていたのか思い出したのだろう。
「失礼いたしました。つい歌い出してしまいました」
「そんなことないよ。これほど癒される歌と音楽は初めてだ」
「歌のみ、ハープのみなら只の音楽と歌なのですが、合わさると違うんです」
「そうかな、ハープのみでも凄く良かったよ」
本心からハープのみでも素晴らしいものだったと思った。なので、素直に彼へ感想を告げたら、彼は大仰な仕草で背を逸らし右手を高々と掲げ胸にやる。
相変わらず仕草がいちいち濃い……。
「お褒めいただきありがとうございます。歌と音楽が合わさるとバードの真髄を見せることができるんですよ」
「へえ。どんなものなの?」
「おっと、せっかくの料理が冷めてしまいます。食べながらでどうぞ」
「俺たちだけ食べてすまない」
「いえいえ。私は先ほど頂いたばかり、お気になさらず」
歌と旋律がセットになると力を発揮する。それがバードだと。
バードかあ、音楽を使って戦闘を行うと聞いたことがある。実際にバードの能力を持った冒険者に会ったことがなくてどんな戦い方をするのか謎なままだ。
それはともかくとして、さっきからいい匂いが漂っていてたまらない。
マリーはソワソワしながら俺と食事に目線が行ったり来たりしている。
「食べよう」
「はい! いただきます!」
「いただきます」
香ばしい匂いがしていたのはエビを半分で割ってチーズと香草を乗せオーブンで焼いた感じの料理だった。
ロブスターかなあ? これがメインディッシュでもう一つ小鍋がある。鍋は蓋がしてあり、熱々になっている。
まずは一口、エビの方を食べてみよう。
ほ、ほおお。こいつは伊勢海老にそっくりな味だ。香草なので洋風の味付けだけど、オリーブオイルもかかっているようでこれはこれでエビと良く合う。
川でロブスターのようなエビが取れちゃうのか。キルハイム近くの川といえば、街から少し北に行ったところに流れている川がある。
あまり大きな川じゃなくて、川幅はせいぜい20メートルくらいだったかな。二度ほど気分転換に釣りへ行ったことがあった。
あの時もしエビを釣る仕掛けを持って行っていれば、ロブスターが獲れたのかもしれない。く、くう。何だか損した気分だ。
小鍋の方はどんなのなのかなー。
「おお」
「スープの方はこのパンをひたして食べるとおいしいです!」
「俺もやってみる」
「はい!」
小鍋の中は貝のスープのようだった。お、おお。
一口食べてアサリだと分かった。アサリの味がする別の種なのだろうけど、アサリぽい味だ。
ニンニクとオリーブオイルにアサリの出汁と唐辛子のような辛みのある香草、あとはタマネギにエシャロット……だと思う。
濃いめの味付けなのでフランスパンを切ったようなパンによく合う。パンはカリカリに焼かれていたが、スープにひたすとちょうど良い硬さになって、それでいてパリパリの香ばしさもある。
うーん、個人的にはロブスターもおいしかったけど、スープが絶品だ。
「アサリも獲れるのかあ。近くの川で」
「いえ、この貝は海からの直送です」
お水のお代わりを持ってきてくれた店員さんが俺の独り言に応えてくれた。
「え、ええ。ここまで運ぶのに結構な日数がかかるんじゃ?」
「凍らせて保冷庫に入れて運んでくるんです。到着したらすぐに凍らせて保管しています」
「冷凍保存できる魔道具があるんですか!?」
「はい、ございますよ」
マ、マジか。冷凍庫があるなんて知らなかったぞ。
アサリにも驚いたけど、冷凍保存して運んで来るとは。俺はこの世界の食に対するパワーを舐めていた。
冒険者をしているとレストランで使うような業務用魔道具のことを知ることなんてまずないもの。民宿をはじめるにあたってその辺りは未調査だった。
保冷庫のことはもちろん知っているし、こちらは宿に泊まると設置してある部屋もあるほど普及している。
冷凍庫はどうなんだろう?
俺の疑問を察してくれたのか店員が言葉を続ける。
「あるにはあるのですが、魔道具屋さんに行かれてもまずございません」
「そうだったんですね。どうりで聞いたことが無かったわけです」
「冷凍の魔道具はとある天才魔道具師様がお作りになられた一品です。これほどの素晴らしい品であるにも関わらず、原価に通常の利益を乗せただけで売ってくださったんです」
「魔道具師様……に一度会ってみたいものですね」
「残念ながら、少し前にどこか別荘? らしきものを建てるとかで街を出ておられます。そのうち戻られると噂ですが」
「そうなのですね。残念です」
もしキルハイムの街に在住なら会いに行きたかったところだ。
俺が突然押しかけて会ってくれるかは別として、アプローチするのは自由だもんな。やってみて損はない。
だけど、この場にいないのなら仕方ない。次にキルハイムの街を訪れた時にこの店に寄って魔道具師が炒るかどうか聞いてみるとするか。
すぐ忘れてしまうので、ちゃんと覚えておかないと。
じっと考え込む俺を見て、マリーが両手を握りしめ「うんうん」と頷いていた。
「わたし、覚えておきます!」と言ってくれているのだろうか。会いに行きたいとか一言も言っていないのだから、俺の勘違いかもしれない。
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