第54話 しょっぱい

 ライザの邪魔をしないように、水でも汲んでおくか。

 

「湖の水は飲めないよ」

「煮沸したら大丈夫かなって」

「しょっぱいよ」

「塩水なのか、この湖」

 

 水を汲もうとしたらテレーズから待ったがかかった。

 試しにペロリとしてみたら、塩気がある。

 飲めなくはないけど、この水だと逆に喉が渇きそうだなあ。

 海の水ほど塩分濃度は高くなく、汽水と表現すればいいのだろうか。この辺り、余り詳しくなくてさ。

 煮詰めて塩を取るには濃度が低すぎて無理そうだ、とだけ言っておくとしよう。

 

「エリック。テレーズ。その辺りは危ない」


 網を構えたライザが自分の後ろへ動くよう顎で示す。

 え。この場所でも……と戸惑う俺の腕をテレーズに引っ張られ移動した。

 

「念のためもう少し下がってくれ。よし。それでいい」


 両手で網を掴み、腕を高く掲げるライザ。

 そのまま腰を捻ってグルグルと網を回転させ始めて、驚いた。

 この網、一人で投げ網ができる大きさじゃないぞ。地球の俺の感覚で語るなら、5人~6人の筋骨隆々の男たちが足並み揃えて気合いと共に投げるくらいの大きさだ。

 その上、網にはキラリと光る鋭い刃らしきものまで取り付けられているじゃないか。彼女が「危ない」と言ったのはこれがあったからだな。

 

「戦士ってここまで力持ちなのか……」

「テレーズは前衛の中でもかなり力持ちの方だよー。両手斧でもブンブン振り回すくらいだもん」


 テレーズよ。そのムスッとした顔はライザの顔真似なんだろうか。笑いそうになったじゃないかよ。

 さすがに真剣に網を投げようとしている彼女の前で笑うわけにはいかぬ。


「へ。へえ。そうなんだ。テレーズはそんなことないよな」

「私の腕がそう見えるのかな……?」

「いや。腕だけじゃなく体が華奢だし、俺の半分くらいの筋力なんじゃないかって」

「それは言い過ぎだよお。私だってスカウトだけど、一応弓を使うんだからね。エリックくんの使っている弓より力がいるものを使っているんだぞお」

 

 バンバンと叩かれた腕が結構痛い。

 テレーズはぽわぽわしている人懐っこい人だなあと思っていたけど、怒らせない方が良さそうだ。

 下手したら骨が折れるぞ。

 ライザ?

 ゴリラにはバナナでも与えておけばいいんだ。あ。この世界にバナナってあったっけ。

 もっと注意深く街の商店街を見ておくべきだった。グラシアーノに聞けば一発で分かるけど、ずっと街に行ってないしたまには息抜きにマリーと街へ繰り出すのもいいかもしれない。

 ずっと宿経営ってのもアレだしさ。ほら、会社には慰安旅行ってのがあるだろ? 

 俺がたまのリフレッシュをしたいだけだと言うツッコミは聞かないぞ。

 正直な話、元々冒険者だったわけじゃないか。冒険者は依頼を受けいろんな場所へ行く。

 仕事で色々な場所に行くことができるってのも、俺が冒険者を目指した理由の一つだ。せっかく宿を離れるのだったら、別の街に行ってみようかな。

 カブトムシがいれば、遠くの街でもさほど日数をかけずに到着できる。

 問題はマリーがカブトムシを怖がっていることか。良し、近く彼女をカブトムシに乗せて、慣れてくれるかどうか観察してみよう。

 「嫌ですうう」となるかもしれないけど……その時はその時だ。

 

 ブウウン。

 風を切る物凄い音と共に網が湖面に着水し沈む。

 ゴリラ……じゃなくライザはすぐさま網を引き始めた。


「そのまま引っ張ると湖底を引っ掻かないか?」

「それが目的なんだよ。分かってないな。エリックくんは」

「ほほお。テレーズ先生はお分かりになると?」

「そうだよ。褒めてくれてもいいよ。ふふん」

「無い胸を張られても」

「な、なんだとお。ライザに比べたらすこおし小さいだけ。って何を言わせるの。エリックくんのえっち」

「痛い、痛い。冗談だってば!」

「分かればいいのだ。湖底を引っ掻く理由はすぐに分かるさー」


 結局教えてくれるでもなく、「見てみなよ」と両手を開き湖面に向けるテレーズ。

 しかし、ふにゃっとした彼女の顔が急に引き締まる。

 彼女の反応から遅れ、俺もやっと真剣になった彼女の変化の原因を感知できた。

 その時既に彼女は弓を構え矢を番え、狙いをつけていた。

 気配の主はちょうど俺の真後ろか。ならば。

 

「テレーズ」

「うん」


 体を折りたたむと同時に彼女が矢を放つ。

 後ろから何かの悲鳴が聞こえてくるが、目もくれずに体を起こすと共に腰のナイフを抜き体ごと向きを変える。

 

「イノシシかな」

「ラッキーだったねー。眉間に矢が刺さったみたい」

「テレーズの腕がいいのさ」

「へへーん」


 繁みにドサリと横たわっていたのは小型のイノシシタイプのモンスターだった。

 両耳の後ろから角が生えていることから、イノシシと異なることが分かる。

 このモンスターはボアホーンとそのままの名前で、モンスターとしては最下位に位置していた。

 初心者冒険者だけでなく、村のハンターでも狩ることができるほどで、イノシシより弱いんじゃないかといったところ。

 肉が旨い。イノシシより臭みがなく、豚肉そのものの味である。

 

「いちゃついているところ悪いが、そろそろ手伝ってくれないか?」


 俺たちがはしゃぐ様子を横目で見ながらライザが苦言を呈す。

 

「もう。ライザったら。混じりたかったのー?」

「そんなわけあるか! クエストをこなしに来たのだから、網を引くことが優先だ」

「ちゃんと無防備なライザを護衛してたでしょー」

「そういうことにしておいてやろう。さあ。網を確認するぞ」


 いつもの調子の二人に頬が緩みそうになるのをグッと堪えた。

 俺までテレーズのように微笑んでしまったら、ライザの矛先がこっちにきかねない。

 君子危うきに近寄らず、だよ。

 

 金属の刃に注意しつつ、陸にあがった網を彼女らと共に覗き込む。

 結構な量の土を引きずって来たんだな。ピチピチ跳ねる魚に水草、貝類や、岩の欠片まで色んなものが網の中に入っていた。

 ん。この貝の形はどこかで見たような。

 

「いっぱいとれたね。当たりがあればいいなー」

「エリック。目的は貝だ。この形の貝を分けてもらえるか?」


 俺が目につけた貝を指さすライザであった。

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