俺たちの世界湯けむり漫遊記

幹竹

序章:始まりの街 トレヴゼロ

001:いつもの朝

 いつもの朝、いつもの目覚め。


 今日も平穏無事な一日が始まる。




「おはよう、ラッシュ早く顔洗ってごはん食べちゃって」

「はい……おはよう、母さん」


 夜明けの一の鐘から三の鐘が鳴る頃にようやく起きた俺は、3階にある自室から降りてきた息子をチラリと見て朝食の下ごしらえに戻った母リリアの挨拶に、寝起きのぼんやりした頭で返す。

 俺のボサボサのままの黒髪は母譲りだ。目の色は父の青。


「……今日は父さんは?」

「ラルグならもう今日の肉仕入れに行ってるよ」


 おっと。

 父ラルグはとっくに動き始めているようだ。

 口数はあまり多くないが、働き者の父は鍛えてがっしりした身体を冒険者を引退しても維持しており、よく動く。


 父と母は元々冒険者として各地を旅をしていたらしいのだが、魔王が倒される前に早々に引退してこの街で宿屋を始めたらしい。

 身体が資本の職業だし、冒険者の引退年齢は結構早い。セカンドライフはなかなか忙しくも充実しているそうだ。たまに昔の仲間も寄ってくれるようになったらしい。


「あー、じゃあ俺は今日は掃除かな……母さん何か急ぎの仕事ある?」

「そうねえ、火の魔石がそろそろ少なくなってきたから補充しときたいかな……空になったやつまとめてあるから、魔法屋に頼んできて」

「はいよー。食べたら行ってくる」


 食卓に置かれたパン籠から黒パンを取り出し、小分けに切ってあったチーズとバター、薄いハムを載せる。

 家族用の鍋の中には野菜スープが入っていたのでこれも有り難くいただく。季節的にそろそろ葉物が育っているので、冬よりも色どりが鮮やかだ。まだ温かいそれを木の器によそって、パンを持ってテーブルに移動した。


 母の料理は、この宿の名物でもある。地元の野菜を使いしっかりした味付けとボリュームを兼ね備えた美味しさだと好評を博している。

 普通に食堂として利用する街の人もいるので、明るいうちは宿泊客でなくとも利用できるようにしたら結構繁盛して、宿泊客が少ない時などの安定した収入源になっているらしい。


 一階の奥にある広めのキッチンには大きなダイニングテーブル。流しに近い方で母は芋の皮剥きをひたすらやっている。俺はその対角線にあたる椅子に座り、黙々と朝食を食べる。

 このハムどこのだろう、塩気が効いてておいしいな。


「そういやクララとラクリスは?」

「2人ともとっくにごはん食べて出かけたよ。ラクリスはいつものとこ、クララはラルグについて野菜類の買い出し」

「あー」


 姿の見えない弟妹の様子を母に聞くと、呆れたような声で返ってきた。すいませんうっかり昨日読んでた本が面白くて寝坊しまして。だってドラゴンの伝承ものだったんだよ。こないだ隣の隣にある港町の本屋で買ってきた一品なのだ。

 我が街はそこそこ内陸部にあるので輸送費がかかるし、なかなか良い品物が入ってこない。港町は定期的に他の市領から船便が入って来ているので、本屋が充実しているのだ。



 うちは3人兄弟で、俺、弟のラクリス、妹のクララの順に生まれた。ぼんやりしてる俺、恋に生きる情熱系の弟、大変にしっかりものの妹という構成である。見事にみんな個性がバラバラな感じに育った。うむ。


 その3人に父母を足した5人で宿屋を回しているのだが、今はわりと暇な時期だったりする。

 冬眠明けの獣などが起き出してくる時期なので、街道が混み始めるのはもう少しあとの季節だ。


 俺は心持ち急いで朝食を食べながら、どういう順番で今日の仕事を進めるかぼんやり考えていた。



◇◇◇




 大きめの街道沿いにあるこの街トレヴゼロは、温泉街として名高く、そこそこの大きさがある。

 いくつかある宿屋はすべて温泉を引いているのが自慢だ。

 泉質は透明で、すこしぬるっとしている。よくあたたまり、美肌、神経痛、冷え性などに効能あり。


 うちの宿屋ももちろん引いているが、源泉は温度が低めなので、火の魔石で少し温めて風呂にそそいでいる。


 これがまた、火の魔石の消費量が結構バカにならない。


 家族の誰かが火魔法の適性があったらよかったんだが、生憎うちで使えるのは父と弟の水魔法のみだ。

 なので、魔石に魔法を込めてくれる店に持っていって補充している。


「行ってきまーす」


 魔石の入ったカゴを抱えてドアから外に出ると、春独特の、少し埃の混じったようなぬるい風が吹きつけた。だいぶあったかくなってきたなあ。


 実家である宿屋は街を東西に走る大通りから一本入ったところにある。

 目的の魔法屋は隣の筋の商店街にあるので、近道の路地を通って、屋台街の裏から魔法屋の筋に入る。

 屋台は朝食用に朝イチから店を開けているところが多いので、もうすでにいい匂いが漂っている、


 今日は俺が寝坊したので、もう魔法屋も開いてる時間になってるはずだ、結果オーライですよ、ええ。


「おはようございまーす、火魔法入れてくださーい」

「おう、おはようラッシュ。そこ置いてくれ」


 魔法屋の主は、シーグルムといってなかなか男前のおじさんだ。俺の幼馴染の父でもある。


 まだ開店直後なので新聞を読みながらくつろいでいたシーグルムおじさんは、読んでいた新聞を畳んで立ち上がり、カウンターに置いた籠の中身を確かめている。


「そろそろ道は決まったかい?」


 魔石の数をお互い確認し、シーグルムおじさんが個数を帳面に書きつける。今回は13個。春になったので少し数が減った。


 この国では冬が明け春が来る頃が新年の始まりで、皆そこで一斉に年を取る。

 俺は今年の春で20歳になった。


「あー、それ、やっぱそろそろ腹を括らないとなあ……」

「おまえにしてはぐずついてんじゃねえか。早いとこ決めて動けよ」

「はぁーい」


 そう、20歳を過ぎた。18歳がこの国の成人年齢であるからにはとっくに成人しており、一人前の大人として働いて我が身を養っていかねばならないのである。


 だが、俺は職を決めかねて実家にてぐだぐだしていた。そりゃあ宿屋の手伝いは毎日しているが、本格的に継ぐかどうかを決めかねている。

 

 というか、やりたいことはかろうじてあるんだが、それを親に言えずにぐだぐだしているのだ。

 成人したら言おう、20歳になったら言おうと引き伸ばした結果がいまだ。


「おじさん、イームルは今日はいる?」

「うん?あいつぁどこ行ったかな……多分裏の川っぺりで楽器の練習でもしてんじゃねえか?」


 まあ、今は置いとこう。気を取り直して、幼馴染の行方を聞くことにした。


 シーグルムおじさんの息子のイームルは、俺と同い年でかつ友人である。

 両親の性質を引き継いだのか魔法適性があったので、順当に魔法使いの修行をしていたが、数年前いきなり「目覚めた!」といって楽器をかきならしまくり、「俺は!!吟遊詩人になる!!!」と宣言し歌と楽器も習い始めた。

 

 魔法使いはどうするんだ、と周囲から心配されると、魔法使いもやるといいだし。

 結局両方とも並行して修行することになり、俺はハラハラしながら見守るしかなかったんだが、今のところ破綻することなくやれているそうだ。

 なんせやっている本人が楽しそうなので、そんなら若いんだし、このままやらせてみれば?という空気になって今日に至る。


「マメだなあ……ありがとう、あとで覗いてみる」

「おう、見かけたらほどほどに切り上げてこっち手伝えって言っといてくれ」

「うん」

「よし、全部入ったぞ。ほら」

「ありがとう、精算はまた月末に〜」

「おう、またなくなったら来いよ」


 うちは魔法屋をよく利用するので月末一括払いなのだ。素晴らしきかな信用商売。


 一応帰りに裏の川の土手を覗いてみたが、イームルらしき人影は見えなかった。どこ行ったんだあいつ。

 俺もそれなりに忙しいので、それ以上探しはせず自宅に戻った。

 宿の仕事しなきゃ問答無用で蹴り出される。うちには働けるのに働かない者をそのまま置いておくほどの余裕はないのだった。




◇◇◇




 勇者たちに魔王が倒されて、早20年。


 魔王の瘴気の影響で活発化していた魔物の出現もだいぶ落ち着いた。

 超大型のものは姿を消し、中型、小型のものの凶暴化もマシになった。


 それこそ高い城壁に囲まれた土地に身を寄せ合うようにしてしか安全に住めなかったが、魔物の出現が減ってくると、まず商人たちが少しずつ外に出始めた。そして商品や人が行き来し始め、ゆっくりと周辺の土地に農地や人の住む集落が増えつつある。

 それに合わせて街道は整備され、人の交流も物の流通も活発になってきた。


 うちはそこそこ大きめの街道沿いの街で宿屋をやっているので、街道が安全に使えるようになったのは本当にありがたい。平和な世の中バンザイである。



 そう、魔王が倒されたことで、魔物や凶暴になった獣たちと戦う術を持たない者たちも旅ができるようになったのだ。

 例えば俺のような平凡な宿屋の息子でも、だ。



 そもそも今俺たちが住んでいるこの大地は、それはそれは大きなドラゴンが倒れてできた土地なのだそうだ。教会で教わる創世神話にはそう書かれていた。


 街の雑貨屋で手に入れた世界地図を広げてみると、確かに身体を丸めたドラゴンにも見えなくない…?みたいな大陸の足の付け根くらいに、このドルガニア国はある。

 大陸はぐるっと海に囲まれているらしいが、俺は海を見たことがない。この街は海に面していないので……。

 そして大陸でも内陸の方にあるので、せいぜいが大きな湖か河川である。塩辛いでかい水溜まりとは聞いているが、実際どんなものなんだろう。川を下っていけばいつかは着くらしいと聞いて行ってみたい場所のひとつになった。

 雪原が広がる大地に、砂だらけの砂漠という場所もあるらしい。


 そして、火山や海、高い山の山頂などには今でもドラゴンが棲んでいるという言い伝えが各所に残されている。

 ドラゴン……!俺の憧れの生き物だ。

 読んでいる本に書かれていたら、思わずその部分を読み返して読み返して読み返すくらいに好きだ。

 どこかで会えるかなあ。いるのかなあ。


 この国は火山があるせいか比較的温暖な気候だが、年中暑い国も寒い国もあると本で読んでワクワクしたものだ。

 だが、俺が小さい頃は魔王が倒されたとはいえ、まだまだ各地にでかい魔獣がウヨウヨしていたらしく、気軽に街の外に出かけられるものではなかった。街道沿いに人が増え始めたのは本当にここ10年くらいの出来事で、父さん母さんは今でも森の近くや街道は警戒しながら移動している。



 さて、幼い頃の俺は、今より多少やる気があったので、実家である宿を継ぐつもりでせっせと勉強してきた。


 快適な宿とは何かを追求するため、主な利用者である冒険者の心も知らなければと、小さな頃から1日〜3日程度の旅をしていた。

 もちろん、慣れるまでは危険な場所には出してもらえなかったし、親同伴でもあったので、慎重に、徐々に活動範囲を広げた形だ。

 今では野宿での火起こしも、食べていい野草や木の実、罠の仕掛け方、快適な寝床を得るための知恵もだいぶついた。


 そうして成長した俺は、1人で野宿しながら物思いにふけって、ひとつ、やりたいことができた。




 俺がやりたいこと。

 勇者が魔王を倒して平和な世の中になったので、旅に出たい。



 そう、世界各地を回って、いろんな温泉に入りたいのだ、俺は。


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