第5話 その騎士は、月に恋した。
ソルの足元から沸き立つそれは意思のある煤のように見えた。間違いない、魔物だ。この屋敷の結界の効力で形を成せず、ソルに入っている。ステラは腕の魔法陣を起動させ、落下の衝撃を和らげゆっくりと下りてくる。
「ソルから離れて!」
「何を言っているんだい? 彼は私の望みを叶えてくれたんだ」
「望み?」
「彼女を呼び戻せるんだそうだ、神の手から」
「―――っ!?」
「私はどんな手を使っても、彼女にまた会いたいんだ」
「それが……魔物だったってこと?」
「彼女に会わせてくれるなら、望むものなどないからね。そうだろう? ステラだって会いたい人の一人や二人くらいいるだろう?」
ステラは思わず声の無い悲鳴を上げる。不可能だ、どんなに高度な魔法陣を描いても。
「彼女は私の全てだった。それなのになぜ、神などに渡さねばならない?」
ゆっくりと煤をまとった騎士が透明な棺に眠るセレナに近づいた。ガラスを撫でたとたん、ガラスが解けるように消えていく。
(魔物に操られている? いや、自我はあるから洗脳か)
「グリモワールはこのことを予期してステラを寄越したんだろう。だが、もう遅い」
「そんなこと! させ、ないっ!」
くるりと、ソルがステラの方を振り返った。その表情は初めて会った時のように明るかった。そして、その明るさが逆にステラの背を寒くさせた。
ご め ん ね。
そう言ったか、言わなかったか。ステラの目の前が急に閉ざされた。暗闇に引き戻されると思ったその時、強い光にステラは思わず目をそむけた。
「あ、あああああああ!!
悲鳴のような、歓喜のような、咆哮のような声が地下室に響いた。
「ソル!?」
はっとして前を向いたステラの前には蛍火に包まれ、今にも消えそうなくらい透明な光になったセレナがいた。本物じゃない、グリモワールの魔力だ。
「セレナ! 私は、ずっと!」
涙を浮かべながら歩み寄るソルの体が急に止まった。煤だ。煤がソルの体を包み乗っ取ろうとしている。心が壊れた人間は魔物にとって最大の餌だ。力を得た魔物は何をしでかすか分からない。
「ソル!」
そう叫んでいる間にもソルの身体は呑み込まれていく。その光景をステラはただ茫然と見ているだけしかできなかった。
しゃがみこんだステラの足元に杖が転がってきた。そうだ、私は何のためにここにいる? 思い出せ!
「ソル! ごめんなさい!」
ステラは杖で強く床を叩いた。腕に刻んだ魔法陣、杖の文様、そして屋敷の魔法陣全てを起動させる。屋敷全体が巨大なキャンバスのように様々な色に輝きはじめる。そして、その光はやがて結晶となりソルの体を包んだ。
『見つけてくれて、ありがとう』
グリモワールはその言葉を刻むと沈黙した。セレナの気配はいつの間にか消えている、目の前には巨大な結晶。かすかな光でさまざまに色を変えるそれは、聖なる魔力に守られていた。
かくして、月に恋した騎士は七色の水晶の棺で眠る。傍らの空の棺に眠る者を知る者はもういない。
その騎士は、月に恋した。 一色まなる @manaru_hitosiki
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