第3話 パレット

 ハイペリオン家の屋敷は王城から近い丘の上に立っている。名家だというのに、必要最低限の使用人しかいないようだ。ここ数カ月一緒に過ごして気づいたことだ。

「父上が亡くなられて何人か暇を出したからね。私はあまり人が多いのが得意じゃないんだ」

「私もです。それでも、この庭は綺麗ですね……」

 グリモワールの解析の息抜きにとソルが庭へと連れだしてくれた。庭の中央にあるガゼボに備えられたテーブルには使用人が置いて行ったティーセットが並ぶ。手入れの行き届いた庭を見ると、まるで大きな魔法陣のようで圧倒される。

「ここは元々聖王様の離宮でね、それをハイペリオン家が拝領したんだ」

「ご褒美でお屋敷がもらえるんですね」

 その言葉にぷっとソルが噴き出した。子どものように大きく口をあけて笑うと、何度もうなずく。

「ここを気に入ってくれてよかった。ルーディトは自然そのものを愛するから、こんな風に人の手を加えるのは良しとしないと思ってた」

「私は、その……。確かに、そう、ですけれど。でも、この庭は素敵だと思います」

 素直な感想を口にする。すると、きょとんとした表情を浮かべ、ソルはごまかすようにクッキーをほおばりだした。

 そうだ、聞きたいことがあったんだ。

「あの、ソル」

「なに?」

「あなたはルーディトの血を引いているの?」

 ルーディトの血を引いていると子どもの髪や瞳が少し灰色がかって見える。逆にサピエントの血は髪や瞳を鮮やかな色に変える。

「いいや。ハイペリオン家は代々サピエントだよ。だけど、ずっとずっと先祖の事までは分からない。ひょっとしたらどこかでルーディトの血が入っているのかもしれないね」

「そうなんだ」

「そうそう、ステラは研究をがんばってくれているから何か褒美をって聖王様が仰っていたのを忘れていたよ」

「!?」

 ステラがガタっと立ち上がるのも無理もない。褒美なんてあるわけないと思っていたから。

「さすがにお屋敷までとは無いけれど、小さなダイヤとか香水とか言ってくれれば準備してくれるんじゃないかな?」

「え、ええ~~~っ!」

 自分でも考えられないくらい大きな声が出たなぁ、とステラは思った。だってまだまともに解析できてない。以前祖父が言った言葉だけ何とか拾えたくらいだ。

「どれがいいかな。この間東方の学者が持ってきたガラス細工も捨てがたいし」

 ステラが言葉を詰まらせている間ソルは褒美を想像している。宝石や香水、見事な細工のブローチもいらない。今欲しい物は……。

「絵、を……」

「絵?」

「絵を描く道具が欲しいんです。どうしても、絵が描きたくて」

 この屋敷にはある魔法がかけられているのは最初に気づいていた。ここでは魔法は行使できない。魔法陣を描いた途端、端から焦げるように消えていく。

 つまり、ステラがやりたかったことができる。 

「ルーディトでは絵が描けないんです。描いた途端消えてしまって絵が残らないんです」

「それ、どこかで聞いたなぁ。ルーディト地の魔力がそうさせるって」

「でも、ここは魔法が消えてしまうんです。だったら、描けるかなって」

 ずっとずっとやってみたかった。家にある様々な画集。それらをまねるたび消えてしまった。

 描いてみたかった。空と湖と、花と、犬と、猫と鳥。人々の生活や幻想を。

 それは魔法に関係ないからとずっと止められていた。描く自分を想像しながらも、できなかった。

「絵の道具かぁ……。屋敷のどこかにあるだろうから、探しておくよ」

「ありがとう!」

 勢いに任せてソルの顔を覗き込んだ。飛び込んできた赤にソルは驚いたようにのけぞった。ソルの椅子のひじ掛けに半ば飛び乗るような形でステラは喜びを体全体で表していく。

「なにを描こうかな! まずは簡単な羽ペンからかな? 次はそう、花瓶! 花瓶を描くといいって旅の絵師が言っていたわ!」

「ステラ」

「はい?」

「やっと笑ったね。ずっとグリモワールとにらめっこしてたから、そうじゃなくても初めて会った時から難しい顔をしていたから。ちょっと心配してたんだ」

「そ、そうかな?」

 改めて言われても、全然見覚えがない。でも、なんだか気恥しくなって椅子から下りた。

「ステラを散歩に連れ出してよかった。道具は後で部屋に運んでおこう。私はこれから大臣たちと会議があるから失礼するよ」

 残りのクッキーのいくつかを椅子から立ち上がりながら食べ、ソルはガボゼの階段を下りていく。あとに残されたステラはぼぅっとしていた。

「なんだろ、頭がぼぅってする」

 学者肌な人間が多いルーディトの中にいたからか、ソルの様に喜怒哀楽のはっきりした人間は初めて見た。サピエントはみんなそうなのだろうか、とステラは思った。

(離宮だから魔法が使えないって分かってほっとした……)

 古の時代、まだルーディトとサピエントの間に緊張があった時、王の身に万が一が起こることを想定して編み込まれたのだろう。建物全体に及んでいることからとても強い魔力が働いているに違いない。

 でも、そんな魔力をサピエントが使いこなせるなんて聞いたことがない。魔力の出どころはどうなっているんだろう、枯渇することは無いんだろうか。

 無い事はない。たった一つだけ。

(いいや、関係ない関係ない。今はグリモワールに集中しなきゃ)

 考えを止めるように頭を振り、ステラは部屋に戻ってきた。そこにはステラが思い描いていたそれよりもっと立派な道具たちがあった。

「これが赤、これが緑。黄色に紫。これがナイフで、これが木炭!」

 まるで宝石箱を目の前にしたかのようにステラは道具を一つ一つ手に取って眺めた。絵が描ける。ルーディトではできなかった事、ずっとずっと憧れていた事だ。

 チューブからパレットに絵の具を落とす。油と混ぜて使いやすい硬度に変える。そして、真っ白なキャンバスに色をのせる。

「わぁ! 消えない! 私の色が残ってる!」

 グリモワールの事が完全に消えたわけじゃない。でも、目の前で弾むように広がっていく色にステラは沈んでいった。






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