第62話 どうして、そんな悲しい顔をするの?◆

 岩の裂け目から奥へ続く洞窟は、とても狭くて、天井もかなり低かった。そのせいで、グレンも途中から飛ぶことを諦め、地面を這うようにして進んでいった。


 そして先へ進むにつれ、何かが腐ったような嫌な臭いが漂ってきた。そのあまりの濃い異臭に、ラビは思わず手で口を塞ぐ。


「酷い臭い……この先で間違いなさそうね。……でも、何だろう? さっきから酷く悪寒がするの。手汗も止まらないし……」

「……それは多分、臭いと一緒に漂ってくる瘴気のせいだよ……ボクら竜たちは、不可解な死に方をすると、肉体に残った魔力と怨念が交じり合って、嫌な瘴気を放つんだ……強い竜であればあるほど、その瘴気は強くなって、僕ら仲間の竜でも瘴気に当たって体が弱ったり、変な病気にかかったりすることもあるんだ……」


 グレンがそう説明する。不可解な死に方――訳もなく、ただ黒炎竜であることだけを理由に殺され、皮を剥がれて捨てられる。これほど不可解で理不尽な死があるだろうか? ラビは湧き上がる怒りにぐっと歯を噛みしめた。


「……あ、ほら、きっとあの先だよ……」


 グレンの指差す先に、洞窟の出口が見えていた。……しかし、そこから漂ってくる強烈な腐乱臭と、目視できるほど濃く立ち込めた瘴気のせいで、もはや近付くことすら躊躇ためらってしまう。ラビも息が詰まり、苦しそうに咳をする。


「えほっ、えほっ……これ以上近付くのは難しいかも………グレンちゃん、まだ進めそう?」

「……うん……ラビちゃんも、無理しないでね……」


 グレンはラビを背中に乗せたまま慎重に歩みを進め、瘴気のこもった壁の向こうへ、ゆっくりと足を踏み入れた。



「うっ‼―――――」


 そこに広がっていたのは、まさに地獄絵図と呼ぶに相応しい光景だった。むせ返るような異臭に支配された空間。


 地面の上に無数に転がっているのは、どれもグレンと同じ黒炎竜の死体、死体、死体、死体……


 しかも、それらの死体は全て、漆黒の鎧であるうろこを剥ぎ取られ、薄ピンク色の肉が剥き出しになっていた。白い肋骨あばらぼねが覗いているものもあり、肋骨の隙間から内臓がはみ出し、こぼれ出てしまっている。辺りには流れ出た赤黒い血が溜まりを作っており、ボコボコと溶岩のように泡立って腐乱臭を放出し続けていた。そして、異臭と共に漂う瘴気は、吸い込んだだけで肺が腐ってしまいそうなほどに濃厚で強烈だった。


「うぐっ! ううぅっ!!」


 ラビは耐えられなくなってグレンの背中から転げ落ちてしまい、倒れた地面の上で、思い切り嘔吐おうとした。立ち込める瘴気のせいか、体の震えが止まらず、目がみて涙が止まらない。


 ――一方で、変わり果てた仲間の姿を見たグレンは、悲しむどころか、まったく動揺することもなく、ゆっくりと死体の山の中央へと歩みを進めてゆく。


「……あっ、この死体、ボクに洞窟の入口を見張っておくよう言い付けた族長だ。……で、こっちの死体は、皮をはがされててよく分からないけれど、多分ボクのママだ。で、こっちはパパ」


 そう言って、グレンは自分の両親や知人の死体を探し当てては、指で指し示してゆく。その様子は、まるで初めて家に来てくれた友達に自分の家族を紹介しているようで、傍から見れば幾分いくぶん微笑ましい光景に見えないでもなかった。


「………グレンちゃんは、両親が死んだのに、どうしてそんな平気な顔していられるの?」


 ラビが驚いた表情でそう尋ねると、「あれ? ……ボク、言わなかったっけ?」とグレンは首を傾げる。


「……ボクら竜族は、たとえ自分の仲間が死んだとしても、悲しみや同情を抱かないようにできているんだ。……他の動物たちだってそうでしょ? 巣から落ちて死んだ子どもを見て、泣いている親鳥を見たことある? ……両親や仲間を失って涙を流すのは、君たち人間やエルフ、それに獣人くらいだよ。ボクは、パパやママの死に顔を見ても、全然悲しいって気持ちが湧かないんだ。本当は涙の一つでも流せてあげられたら良かったんだろうけど……」


 グレンはそう言って、寂しそうに肩を落とす。


 ラビはこのとき、ハッキリと理解した。――そう、彼はドラゴンなのだ。どんなに心が優しくて、弱者に寄り添ってあげることのできる彼でも、元はドラゴンなのだから、自分たちと感情の概念が違っていて当たり前。きっと私だって、地面を這うアリ程度にしか思っていないのだろう。だから、うっかり踏み潰してしまったって悲しまない。誰が死のうと、悲しさなんて感情は生まれない。……例え、それが自分の両親や仲間たちであったとしても。


「………でも……それでも、私は悲しいわ……」


 そう言って、ラビは声を上げて泣き出した。泣いているラビを見下ろしながら、グレンは小さな声でつぶやく。


「……別にボクのことを、血も涙もない化け物だって思ってくれても構わないよ……だって、これがボクたち竜の感情表現なんだから……それにさ、ほら見て……」


 そう言って、彼は死体の山の中央まで歩いてやって来ると、そこにゴロンと寝転がって目を閉じる。


「こうやって自分たちの仲間の死体の中で寝転ぶと、自分も彼らと同じ死体になったような気分になれるんだよ……こうしていると、たとえみんな死んでも、ボクらは死の世界でずっと一つになっていられるような気がするんだ……」


 地獄絵図の中に寝転んだグレンは、まるで夢でも見ているように、気持ち良さげに足を延ばしてくつろいでいた。


 ――しかし、いつまで経ってもラビからの返事はなかった。それどころか、彼女の泣き声も聞こえなくなっていることに気付いて、グレンはふと起き上がり、「……ラビちゃん?」と声を上げる。


 ラビは、黒炎竜の死体が積まれた隅の方に、うつ伏せになって倒れていた。彼女の蒼い髪は力無く地面に散乱し、その顔を起こす気配もない。


 グレンは慌てて死体の山から下りてラビの元に駆け寄り、小さな手で彼女を抱きかかえて持ち上げた。


「……ラビちゃん、大丈夫?」


 そう呼びかけるも、大量の汗で濡れた彼女の顔は真っ青で、まるで悪夢にうなされているように強張っていた。やがてラビは、その蒼い目を薄く開いてグレンの方を見ると、弱々しい声で言う。


「ご、ごめんなさい……私、瘴気にやられちゃったみたい……体に力が入らないの……もう、起き上がる力も出ないわ……」


 自分の手の中でぐったりとしてしまっているラビを見て、グレンは困惑するように辺りをキョロキョロ見回し、落ち着きのない態度で言った。


「……な、何か、ボクにできることはある? た、例えばだけど……そばで最期を看取みとってほしい、とか……」


 グレンの言葉に、ラビは小さく微笑みを浮かべ、答える。


「ふふ……ありがとうグレンちゃん。あなたは本当に優しいのね。………でも、私はまだ死ぬわけにはいかない。……グレンちゃん、一つお願いがあるんだけど――」

「うん、何? ボクにできることなら、何でもやるよ……」

「ここにある黒炎竜の仲間たちの死体を、あなたの炎のブレスで、全て焼き払ってほしいの……ここに死体が残っている限り、地下から瘴気が消えることはないわ。瘴気を生み出す元を絶たないと駄目なの………だから、お願い」


 ラビの懇願こんがんを聞いたグレンは、少し戸惑いの表情を見せながらも、決意するようにコクリと頷いてみせた。


「……う、うん、分かった……ボクなんかにできるか分からないけど……任せて」

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