第57話 ラビを失った俺たち(※途中から◆)

 黒炎竜に襲われた俺たちは、間一髪で崩れ落ちる洞窟から脱出することに成功し、嵐に翻弄ほんろうされながらも、奇跡的に目的地であるリドエステ中大陸の港町レードスまで辿り着いた。


 ……しかし、無事に辿り着いたものの、大切な乗組員を一人、失ってしまった。



「――私たちを危機から救い、最後まで勇敢だった新入りに、黙祷もくとう………」


 俺の中では、乗組員全員が下砲列甲板ロワー・ガンデッキに集まり、ラビへ黙祷を捧げていた。


「『新入りの命が、無事天に召されますことを。聖なる神はあなたと共に』……アーレン健闘を

「「「アーレン」」」


 「新訳 聖ハウルヌス言録」を片手に、ニーナがエザフ教(ロシュール王国公認の宗教で、教主である聖エザフ・ハウルヌスという名前からエザフ教と呼ぶらしい)の形式で祈りの言葉を唱えると、すぐに本を閉じ、皆に向かって声を上げた。


「さ、みんな、お祈りが済んだら、さっさと持ち場に戻って。掌帆手しょうはんしゅは破れた帆をマストから下ろして修繕しゅうぜん、大工係は船の修理、それ以外はみんな積荷下ろしを急いで」

「……イェス・マム」


 いつもと違って皆の返事には元気がなく、雰囲気から士気が低下しているのは明らかだった。彼らエルフたちにとっても、ラビの損失は大きな痛手だったのだろう。ラビを失い、彼らの胸には大きな穴がぽっかり空いてしまったのだ。


 かく言う俺も、ラビを失ったときのショックは大きかった。俺があいつを強くすると約束したのに、その約束を果たせないまま、こんな突然の別れを迎えてしまうなんて、信じたくなかった。


 ……というよりも、未だに信じられなかった。ラビが死んでしまったということが。


 現実を受け入れてないと言われてしまえばそれまでなのだが、俺は今も、あいつが実はまだどこかで生きていて、いつかまたヒョッコリ俺の前に現れるんじゃないかと、思えてならなかった。


 ――そして、今回の事件をきっかけに、誰よりも一番態度の変わってしまったヤツがいた。


 そいつは、ラビ追悼の集会を終えて、船尾にある船長室に戻ると、扉を閉めた途端、深いため息を吐いてがくりと肩を落とし、扉に背を持たせかけた。


『お前も、ラビがいなくなって、悲しいのか?』


 俺はため息を吐くニーナに、そう問いかけた。すると彼女は途端に、顔を赤くして声を荒らげる。


「はぁっ⁉︎ べっ、別に悲しくなんてないし! 私たちは血も涙もない海賊なんだよ! 仲間が一人死んだくらいでクヨクヨしてる暇なんてないっつーの!」

『だが、乗組員たちを見た感じだと、皆かなり打ちひしがれていたようだがな。特にニーナ、お前はラビがいなくなってからというもの、ずっと何かを気にしているように見えるが?』

「なっ!……べ、別に何も気にしてなんかないし! 私たち海賊は常に危険と隣り合わせで、誰がいつ死ぬかも分からないし、それくらいみんなも分かってる! だって――」


『”自分の命は自分で守る”――だっけか?』


 ビクッ、とニーナの肩が震えた。


『もし自分の命令で大勢が死んじゃったとしても、それはあいつらの自業自得であって、自分の責任じゃない―― それがお前のスタンスだというなら、何も気負う必要は無いはずだろ』

「そっ、それはそうだけど………」


 そう言葉を続けようとして上手く口に出せず、押し黙ってしまうニーナ。やがて募る感情を押さえられなくなったのか、彼女は顔を赤くして叫んだ。


「あぁもう何なの! オジサン私にそんな意地悪なことばっか言って楽しいワケ? マジで萎えるんだけど。……オジサンこそさぁ、大事なラビっちが死んで子どもみたいに泣き出したいのを必死にこらえてるんじゃないの? あははっ、図星でしょ? 自分の娘みたいに可愛がってたラビっちが死んじゃって、オジサンの舵をあの子が握る日は永遠に来なくなっちゃったワケだ。残念だけど、オジサンはこれからもずっと私のものだからね。ずっとずっと、ず~~~っと!」


 そこまで言って、ニーナはふと言葉を止めた。ずっと無言でいる俺の心境を察したのか、彼女は少しの間黙り込み、やがて弱々しい声でこう言った。


「………ごめん、ちょっと言い過ぎた」

『別に俺は平気だ。大切な仲間を失って、みんな今は混乱しているんだ。少し頭を冷やした方がいい』

「それな……ちょっと夜風に当たってくるわ」

『ああ、そうするといい。……けど、大丈夫なのか? 外は夜風って言うより、もはや暴風なんだが?』


 俺は今、レードス港の乾ドックに入渠にゅうきょしているのだが、外はまだ嵐が吹き荒れていて、雨風が激しく船体に打ち付けていた。


「大丈夫、こんな嵐なんかそよ風みたいなもんだから。それに、ボトコンで積み荷を運ぶ依頼クエストの達成報告もしないといけないしね」


 そう言ってニーナは部屋を出て行こうとし、ふと足を止める。


「……あ、あのさ、オジサン」

『何だ?』

「オジサンは、本当に平気なの? ラビっちのこと、これまでずっと親代わりになって見てきたんでしょ? 死んでしまって、悲しくないの?」


 俺は自分の気持ちを整理するために、少し考え込む。


 平気かと聞かれれば、もちろんそうじゃない。今はこうやって冷静な風を装ってはいるが、内心ではニーナと同じくらい混乱している。この世界に転生して、親を亡くして一人孤独になってしまったラビを拾い、彼女を一人前にするために、短い間ではあったが、第二の親となって俺なりに精一杯育ててきたつもりだ。おかげで彼女との距離はかなり縮まったし、子を持つ親の気持ちが分かったりなんてしたこともあった。そんな我が子同然の娘を亡くしたとなれば、悲しまない訳にはいかないだろう。


 だから、俺は――


『あいつは死んでなんかない。きっとまだどこかで生きてる。……俺はそう信じるようにしている』

「ふぅん、そっか………そうしなきゃ泣いちゃうんでしょ?」

『なっ……べ、別に泣かねぇし! 俺も立派な大人だし!』

「あははっ、もしそうなら見てみたいなぁ~。オジサンの泣き顔、超ダサそうだし」

『船に顔なんかねぇよ! とっとと行ってこい』


 「はぁ~~い」と軽々しく返事して、ニーナは軽い足取りで船長室を出て行った。



 嵐が吹き荒れる中、船長室を出て船を降り、レードスの大通りをすこし行ったところで、ニーナは足を止め、道を折れて人目のない裏通りへ入った。


 その裏通りは、左右を建物の壁に囲われ、屋根があるおかげで、雨風が吹き込んでくることはなかった。細い通路を少し歩いたところで、彼女は力尽きたようにその場にぺたんと尻もちを付く。


「はぁ………たかが乗組員一人失ったくらいで、なに動揺しちゃってんだろ、私……」


 そう独りちて項垂うなだれるニーナ。そんな彼女の、だらしなくM字に曲がった脚の上に、ポタポタといくつもの水滴が落ちた。


「あれ……ウソ、私、泣いてんの? ………マジで?」


 頬の上を温かいものがつぅと滴ってゆくのを感じて、ニーナはようやく自分が涙していることに気付いた。


「はぁ? ちょ、ヤバっ……これはハズいって………もう、止まんないんだけど……」


 拭っても拭ってもあふれてくる涙に、ニーナはすっかり脱力して肩を落としてしまう。


「いやガチで……こんなとこあの子に見られちゃったら………これじゃ私、船長失格じゃん……」


 狭い裏通りで、ニーナは一人、誰も来ないことを祈りながら、静かに涙を流し続けていた。



 ――が、誰も来ないでほしいと願う時に限って、大抵その誰かは現れるもの。


 突然、ニーナの持つスキル「気配感知」が働き、裏通りの奥に人の気配を感じ取ったニーナは、反射的に立ち上がって、懐に隠していた短剣に手を伸ばした。


「………誰?」


 暗闇の中にニーナの声が響く。


 すると、薄暗い裏通りの奥からスッと人影が現れた。


「―――お前が泣き崩れているところを見るのも、随分と久しぶりだな」


 聞き覚えのある低い声のトーンと、見覚えのあるシルエットに、ニーナは警戒を解くように懐へ伸ばした手を下ろし、肩を落として言う。


「はぁ……こんなみすぼらしくなった私をからかいに来たってワケ? 青髭ブルービアード


 青髭ブルービアード――影の中から姿を現したその男は、燃えるように赤いバーミリアンピーコックの羽で飾った黒い帽子を被り、黒いコートを肩にかけていた。長いコートの裾から覗く脚は一本しかなく、片方の脚には義足用の棒が差し込まれ、地面を突いている。帽子や衣服は所々剣で斬られた跡が縫い合わされていたり、銃弾が抜けて穴が空いていたりとボロボロで、その容姿は、まるで幾度もの戦いを切り抜け、多くの古傷を抱えた熊のように見えた。


 彼が顔を上げると、それまで黒帽子に隠れて見えなかった顔が露わになる。そのあごには青々とした無精髭ぶしょうひげが蓄えられ、髭と同じくらい蒼い瞳が、ニーナを見据えていた。


 青髭ブルービアード――その渾名を聞けば、例え歴戦を制してきた船乗りでさえ尻尾を巻いて逃げ出すと言われている、伝説の海賊。


 彼こそが、ニーナと同じ「八選羅針会」の一員であり、リーダー。ヨハン・Gジョー・ザヴィアスその人であった。


「……ニーナ、話がしたい。そこの酒場で一杯付き合わないか?」

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