第1章 新世界への船出

第1話 恥の多い生涯を送ってきました。

 ――俺が最後、どうやって死んだのかは、よく覚えている。


 会社帰り、駅のホーム。俺は線路内に転落し、そのままやって来た終電車に跳ね飛ばされた。


 眠くて仕方がなかったんだ。朝早くから始発電車に乗って出勤して、ロクに休み時間も与えられず仕事に没頭する日々。そのまま夜遅くまで残り、精根尽き果てた重い体を引きずって家に帰ると、風呂にも入らず布団にダイブする。そうして一瞬で次の日の朝になり、慌てて家を飛び出し、再び始発電車に飛び込む。――その繰り返し。


 いい加減ウンザリだった。いくら頑張っても昇給・昇進の見込みなし。必死にやることをやっていても、上司からは怒鳴られてばかりで、内心ウザいと思っても、満面の笑みを顔に張り付けたままペコペコ頭を下げるしかなかった。


 そうしているうち、とうとう無理に無理を重ねたツケが回ってしまったらしい。


 ――その日、俺は駅のホームで、突然猛烈な眠気に襲われ、そのまま操り糸を切ったように崩れ落ち、線路内に転落した。もうその時点で意識なんて無かったから、落ちたときも、そして猛スピードで走ってきた終電車に跳ね飛ばされたときも、痛みなんか感じなかった。


 ……今まで、俺は何をしていたのだろう? 死ぬ間際、そんな疑問がふと脳裏を過った。俺は今まで何のために生きていたんだ? 誰のために生きていたんだ? 後輩社員を残業させて自分はさっさと定時上がりする上司のためか? 終電前まで粘る俺を陰で笑っていた先輩社員たちのためか?


 ―――ふざけるな。


 徐々に薄れゆく意識の中で、俺は怒りの咆哮ほうこうを上げる。そして、これまで歩んできた短くも過酷だった人生を、今さらながらに酷く後悔し、同時に呪っていた。


 俺は今まで、こんな鬼畜なやつらのために体を張って、最後には命まで投げ捨てたってのか? とんだ恥さらしだ。これまでずっとクソ真面目にやってきた俺が馬鹿だった。こんなことで命を投げ出すくらいなら、俺は……俺は………


 ――もっと違う形で、誰かの役に立ってみたかった………


 そこでフッと、意識が途切れた。





 ―――ここは、どこだ?


 目覚めると、俺は暗闇の中にいた。目が機能していないのか、意識は覚醒しているというのに、何も見えない。これでは目を閉じているときと何も変わらない。


 あぁ……随分と長い間眠っていたような気がする。ひどく気分が悪い。


 ……というか、俺は死んだんじゃなかったのか?


 そう、確か俺は死んだはずだ。死ぬ前までの経緯は、今でもハッキリと思い出せる。


 まさか俺、死んでなかったのか? 猛スピードで走って来た電車に跳ね飛ばされたんだぞ。俺の体は今頃ぐちゃぐちゃのミンチになってるはずだ。


 だが、この通り意識はある。ならば夢を見ているのか? 頬でもつねってみるか。


 ……って、あれ? 身動きできねぇ。どうなってる? 手足の自由を封じられているというより、まるで手足が付いていないみたいだ。それに、さっきから周りでチャプチャプと水音が聞こえ、ゆりかごの中に居るみたいに体が左右に揺れる。ひょっとして……ここは水の上なのか? 俺は船の上にでも居るのか?


 マジで、ここはどこなんだ? 目が見えないから、自分がどこにいてどういう状態なのかも分からない。


 俺は目線に意識を集中して、今の自分の姿を見てみようと試みた。


 と、そのとき――


【ユニークスキル「神の目」が解放されました】


 どこからか、感情のないロボットのような声がした。


『は? 何? スキルだと?』


 訳が分からない。「神の目」? 一体何のことだ?


 疑問を抱いたそのとき、突如として何も見えなかった視界が一気に開けた。


 まず見えたのは、一面に広がる星空と、キラキラまたたく星の中に浮かんでいる巨大な月。そして、月の光に照らされてきらめく湖面。湖の向こう側には、見渡す限り平原の丘が広がっている。


 そして、丘のさらに奥、黒いシルエットとなって浮かんでいたのは、SFやファンタジーにでも登場しそうな、「空に浮かぶ大陸」だった。……そう、巨大な大陸が丸々、地面から離れて宙に浮いているのである。それも一つだけでなく、いくつも。


 あまりに幻想的な光景を前に、俺は目を奪われてしまった。……そして同時に、その光景は俺にある事実を突き付けていた。


 ――ここは間違いなく、今まで自分の居た世界とは違う。


『つまりは、異世界か……』


 俺はそうつぶやいた。


 ここは一体どこなのか、どうして俺だけ異世界に飛ばされてしまったのか、色々とツッコミたいところは山積みなのだが、とりあえずそれについて考えるのは後回しだ。今重要なのは、自分がどういう状態にあるかということだ。俺は今、どうなっているんだ?


 俺は意識を集中させ、自分の体に目を向けてみた。


 ――そして、絶句する。


 波打つ湖面に浮かび上がる、巨大な影。その影は到底人間と呼べる形ではなく、もはや生き物ですらなかった。


 湖の上にぽつりと浮かんでいたのは、一隻の船――それも、エンジンなど付いていない、三本マストに帆を張る、昔ながらの帆船だった。


『……おいおい、冗談だろ? これが、俺なのか?』


 湖面に映る巨大な船影に目を落とし、俺は思わず苦笑する。


 ――どうやら、俺が船の上に乗っていたのではなく、


『ふふ……あはははっ! 転生したら船でした〜ってか? 笑わせんじゃねぇ!』


 俺は一人、あざけるように変わり果てた自分の姿を笑った。もちろん、船に口なんてあるわけないから、笑い声が外に響くこともなく、俺は静寂の中に一人、ポツリと取り残されたままだった。

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