ナ=バーク
北の寒い国だ。
「凄い…話には聞いてましたが、こんなに降るのですね」
レナンは道の途中であるが、特別に馬車から降りさせてもらった。
暖かな毛皮のコートを来て、帽子を被り、サクサクと雪を踏みしめてみる。
「こんなたくさんの雪…初めて見ました」
アドガルムやリンドールも雪は降るがこのように多くはない。
「そうだな、俺達の国では見られない珍しい光景だ」
馬車から降りたエリックもどこまでも景色の白さに目を細める。
しんしんと、いまだに降り続く雪は何もかも覆ってしまいそうだ。
これでも雪は少ない方らしい。
ナ=バークの街道沿いには火の魔法陣が埋め込まれており、馬車の行き来が出来るくらいに雪が溶けている。
道を外れている場所には沢山の雪が積もって、山のようになっていた。
レナンが踏んでいるのは街道沿いの少しだけ積もった雪だ。
「きれい…」
レナンのついた溜め息は、白くなって空気中に消えていく。
何もかも覆いつくす白はとても美しいと思った。
サクサクとエリックも雪を踏み、レナンに近づく。
「見えない場所は危険だ、あまり遠くまで行かないように」
雪の下には何があるかわからない。
急に地面がなくなっててもおかしくないし、危険なものが埋まっていてもわからない。
注意しておくことに越したことはない。
エリックはレナンの手を取り、帽子についた雪を払ってあげた。
街道に戻り、しばし雪が降る様子を眺めていた。
「頬と鼻が赤い。馬車の中に入ろう」
レナンの体が冷えてしまったのではないかと心配になった。
エリックの気遣いを嬉しく思い、レナンはにこやかになる。
「ありがとうございます、エリック様」
エスコートされるまま、二人は馬車に戻ろうとする。
「寒い、寒いです!エリック様ぁ!」
「こ、こ、こ、これくらいで、み、みっともないわよ!」
「静かになさい、二人共。もう行きますよ」
従者達三人は主達を見守っていた。
オスカーとキュアは寒さでガタガタ震え、ニコラは少し鼻を赤くしながらも何食わぬ顔だ。
「ごめんなさい、わたくしが雪を見てみたいと言ったから」
オスカーとキュアの様子にレナンが慌ててしまう。
「いいのですよ、レナン様」
ニコラはレナンに余計な心配を掛けてしまったことを悔やみ、後でオスカーとキュアに説教をしようと決めた。
「これからナ=バークの王城へと行くのですから、くれぐれも油断しないように」
「「はーい」」
エリックにとっては何度目かの、レナンにとっては初めてのナ=バークの王城訪問となる。
レナンの同級生にナ=バークからの留学生がおり、少しだけ話を聞いたことはあるが、ナ=バークでは女王の言うことが絶対だと言っていた。
「とてもお綺麗で頭も良くて、魔力も強い。完璧な女性よ」
女王を語るその同級生の目は、キラキラとしていた。
余程尊敬をしているのだろう。
「ナ=バークは鉄がよく取れるために、武器も魔導具も豊富だ。なるべくなら戦は仕掛けたくない相手だから、穏便な関係を保ちたいものだったが」
レナンの隣に座って寄り添いながら、あらためてナ=バークの話をする。
あれだけ寒いところにいたのに、エリックは平然としていた。
「ナ=バークの女王、ミネルヴァ陛下は恐ろしい人だ。目的の為に手段を問わない。白く動かない表情は人形のようだし、動作も機械のように正確だ。見た目が綺麗な分、とても人とは思えない。まぁレナンの方が綺麗で素敵だがな」
レナンの頬にキスをし、手を取って絡ませる。
手袋をしていても冷えてしまったレナンの指先がエリックによって温められていく。
「わたくしをあまり甘やかさないで下さい、勘違いしてしまいそうですわ…それにしてもナ=バークの女王様については噂で聞いた通りの方なのですね。でもその評価ってとてもエリック様に似てるような」
氷の王太子と言われたエリックに対しての噂話と、酷似していた。
「そう、彼女と俺は似ているらしい。そんな話が出る度に、俺はミネルヴァ陛下に睨まれたがな」
嫌われているのだ、と淡々と言う。
男性に似ていると言われて喜ぶ女性はあまりいないかもしれない。
「どちらもお綺麗って事でいいのではないでしょうか」
「さぁな。俺にとってはレナンが一番だからわからない。レナンにとってこの顔は綺麗か?」
間近に迫られ、レナンは顔を赤くする。
「綺麗です、とても…」
沸騰しそうな程顔が赤くなる。
化粧もしていないのにきめ細かく白い肌は本当に綺麗なのだ。
レナンから見たエリックは、最初よりも表情が現れているように思えた。
皆が言うほど冷たくもない。
人間味が増え、とても親しみやすくなっていくエリックは以前とは違う魅力が溢れていた。
「良かった、レナンにそう思ってもらえてるなら何よりだ。向こうについても離れないでくれよ」
ナ=バークに向かうのは彼の国の建国パーティに呼ばれたため。
寒いこの地はアルフレッドは苦手としていて、ここ数年はエリックのみの参加となっていたが、とうとうエリックの名前だけの招待状が届くようになっていた。
機嫌を損ねるわけにはいかず、渋々参加しているが、いつか弟達に丸投げしたいと考えていた。
「俺の友人である、シェスタ国の王太子も参加しているし、普通のパーティのはずだ。だが、ハインツの件もある。なるべく人目のあるところで過ごそう」
もしもハインツ達がナ=バーク国の命で動いていたのならば、危ういものがある。
リリュシーヌの探知魔法について、口外しては居ないからこちらが感づいているとは思っていないだろう。
けしてナ=バークにこの力を知られていけない。
大事な切り札だ。
「他国の者がたくさん集まる場であるし、ここでは何もないと思うが…絶対に離れてはいけないからな」
「はい…」
レナンは緊張感をもって挑むように気を引き締めなおす。
「久しぶりだなぁ、元気だったか?」
溌剌とした声は、エリックの友人のグウィエンのものだ。
ややエリックよりも高い背と朗らかな笑顔。
人懐こく、どことなくティタンを彷彿とさせる。
「久しぶりだな、元気そうで何よりだ」
エリックと握手を交わしたグウィエンはレナンに目を移す。
「こちらが噂の婚約者の女性か。会えるのを楽しみにしていたよ。俺はシェスタ国の王太子、グウィエン=ドゥ=マルシェだ」
琥珀色の髪と褐色の肌をした男性は、手慣れた動作でレナンの手を取り、キスをしようとしてエリックに止められる
「殺されたいか?」
「待って待って、ただの挨拶だから」
胸倉を掴まれたグウィエンは、ニコラに助けを求める。
「ちょっ、ニコラ止めて。お前の主怖いんだけど?!」
「僕はエリック様の命しか聞けませんので、すみません」
さらっと見捨てる二コラ。
グウィエンの従者セトは慌てている。
「エリック様、お願い致します。離してくださいぃ!」
しかし従者の言葉なんぞをエリックが聞くはずもない。
「その口を縫い合わせてやろうか?ナンパ野郎が」
ギリギリと込める力を強くする。
「ちょっ、本当に締ってるから!」
ほどこうとグウィエンがエリックの手に縋るが全く離してくれない。
「エリック様、おやめ下さい。グウィエン様が苦しがっていますわ」
レナンが言って、ようやくエリックが手を離した。
「大丈夫か?消毒が必要か?手を洗ってくるか?」
エリックはハンカチを取り出し、レナンの手を優しく拭く。
「未遂ですし、手袋の上ですわ。エリック様、落ち着いて」
エリックが優しくレナンの肩を抱き、グウィエンから距離を取らせる。
「レナンに近づくな、グウィエン。次は斬るぞ」
物騒な事を言うエリックに、グウィエンは信じられないといった目で見る。
「えっ?これ俺の知っているエリック?なんか人違いした?」
グウィエンの知っているエリックではない。
「婚約者出来るだけでこんなに変わる?あの冷静でニヒルな微笑しかしなくて、人形のようなエリックどこいったの?こんなに感情出してたっけ?」
「間違いなく我が主ですよ、グウィエン様…」
言いたいことが充分わかるため、ニコラはそれだけ言った。
「こんなに変わるものか…」
ふむふむと好奇心旺盛にレナンを見る。
「こういう娘が好みか。まぁ清楚だな」
エリックが立ちはだかる。
「見るのも駄目だ、目を抉るぞ」
噛みつくようにエリックに言われ、グウィエンはもうわけが分からなかった。
「えっ、もう、こいつ連れてナンパとか出来なくない?」
ひそひそとニコラは耳打ちされる。
「誤解を招くので、レナン様の前でそれを言ってはいけませんよ。殺されても文句言えませんので」
エリックがナンパを行なっていたわけではなく、ただ立っているだけで令嬢が寄ってきていたのだ。
エリック目当てで寄ってくる令嬢方と話をするのが、グウィエンの楽しみだったのに。
「こんなにベッタリでは無理だなぁ」
婚約者が出来ても以前のエリックならばあまり問題なかったかもしれない。
しかし、レナンの腰に手を回し、明らかに大事にしている素振りを見せられては寄ってくる女性などいないだろう。
「あの、グウィエン様?」
挨拶もしないままでいるので、レナンは困っている。
「すまない、改めての挨拶になるな。気軽にグウィエンと呼んでくれ。長年エリックの友人をしているが、こんなエリックは見たことがなくてな。許してくれ」
グウィエンは胸を張り、手を差し出そうとして、やめた。
エリックの視線がこわい。
「エリック様の婚約者となりました、レナン=スフォリアです。これからよろしくお願い致します」
優雅に礼をする。
「いい子そうでいいな。エリックを任せたよ」
エリックとレナンの出会いについては何から何まで、色んな話を聞いている。
それでもエリックが選んだ女性なのだから経緯についてはわざわざ詳しく聞くつもりはなかった。
「レナン嬢はエリックのどこに惚れたんだ?見た目?」
情報で集まらなかったことだけ、直接聞いてみる。
こればかりは本人達でないとわからないし、グウィエンが一番興味を持ったのはそこだ。
他の令嬢と何が違ったのか。
ど直球で聞いてくるグウィエンにし、レナンは頬を染め、困ってしまう。
「えっと、顔もそうですが、性格もとてもお優しいです。いつも気遣いを頂いて、わたくしの為に恋愛小説まで読んでくれて、とにかく何もかも素敵な人ですわ」
甘酸っぱい空気にグウィエンは胸を抑えて苦しそうにする。
『恋する乙女は素晴らしいな!そう思わないか、セト』
『だからといってエリック様の奥方に手を出そうとしないで下さい。僕本気で怖いんですけど』
思わず母国語で話す二人に、エリックも口を出す。
『セト、そのままそいつを押さえてろよ。本当に手を出したら、首と胴が分かれるからな』
エリックの言葉にグウィエンは物怖じしない。
『わかった、わかった。じゃあエリックが駄目だったら俺のところに来ないって誘ってもいい?』
まるでわかってないなと、エリックが剣を抜きかけた。
そのエリックの手にレナンは自身の手を重ねる。
『すみません、グウィエン様。申し出は丁重にお断りさせてもらいますわ』
『えっ?』
グウィエンは目を丸くした。
「あれ、もしかして、言葉、わかる?」
思わず片言になってしまったグウィエン。
「えぇ。周辺国の言語は多少はわかります。政治的な話などはまだわからない言葉も多いのですけど」
「凄いな…公用語以外も覚えているのか」
大概母国語と公用語以外は勉強するものは少ない。
王妃候補として勉強をしていたならわかるが、婚約者となったのは最近と聞く。
それなのにシェスタの国の言葉まで話せるとは凄い。
「俺の婚約者は優秀だし、美人なんだ。絶対に渡さないからな」
「はいはい、わかりましたよ。どうぞお幸せに」
グウィエンはレナンににこやかな笑顔を向けた。
「こいつの事をよろしく頼むよ。こんなに感情を表すエリックは初めて見たが、こっちの方がからかい甲斐があって面白い。レナン嬢のおかげだな」
お似合いの二人だ、と言ってもらえて嬉しくなった。
エリックの友人に認めてもらえるなんて、自信がつく。
「ありがとうございます、グウィエン様」
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