距離感

ふとレナンは自分の婚約者を思い出す

(今頃、どうしてるかしら)


ハインツとは婚約破棄となったのか、それとも自分を信じて留まってくれてるだろうか。


貴族たるもの、沈みかける船に根拠もなくしがみつくとは思わないが、レナン個人は淡い期待を持っている。




初めての婚約者はやはり特別だ。




「レナン嬢、大丈夫でしょうか?」

エリックの心配そうな声に、ハッとする。


思わず思考の海に入りかけていた。


「だ、大丈夫です。ちょっと前作を思い出していまして…でもどうしてこちらを?」


エリックは少し照れくさそうだ。


「前にプレゼントした時にとても嬉しそうだったので、私も拝読しました。感情の機微など表現が多彩で、とても興味深かったです。もし他にもオススメの本などが、あれば教えてもらえますか?」


まさか王太子様が恋愛小説を読むなんて。


「わたくしで良ければ是非!ですが、エリック様のお気に召すかどうか…」


レナンが面白いと思っても、エリックが面白いと思うかはわからない。


自分の好みを晒すような気もして、恥ずかしい思いもある。



「君のオススメなら読んでみたいな。ちなみに私はこういうのが面白かったよ」


持ってきた本の1つを取り、手渡す。


「こちらは劇にもなっているものですね。婚約者と自分を助けてくれた騎士の間で揺れ動く恋…どうなるかハラハラです」


まだ連載中なのだが、人気があり舞台化までしたのだ。

最後の行く末がどうなるのだろうかと、皆で予想しあっている。


「好きなだけでは貴族の結婚は出来ないけれど、皆の恋心が報われることを、切に願ってしまうよ」




恋というものは感情による。

実際の貴族の場合、昨今は政略結婚も減っているが、それでもゼロにはならない。


「身分差というものを乗り越えるのは相当だね。価値観、教養、文化…違いすぎると衝突やすれ違いになってしまう。それは妥協ではなく、安寧を求めるため、ある程度は致し方ないところもありますが。私も出来れば政略ではなく、自分の納得のいく伴侶が欲しいと考えています」


王太子であるエリックの伴侶であれば元々の条件も厳し過ぎると思うが、そこに恋もプラスとなると、更に難しいだろう。


「エリック様の幸せをわたくしも応援しております。お優しいエリック様ですもの、きっと見つかりますわ」


「ありがとう」

ちょっとだけ、寂しそうな笑顔だ。


「では、参考までにお聞きしたいのだけど、ハインツ殿とはどういった経緯で婚約を?恋愛小説を熟読している君のお眼鏡に叶ったのだから、きっかけを知りたいと思ってね」

「そうですね…」




始まりは社交界デビューだった。




入場の時にレナンは階段を踏み外してしまった。


淑女たるもの、そんな失敗をしてしまうなんてと、恥ずかしさと痛みで顔もあげられなかった。


それを助けてくれたのがハインツだった。


「顔は見れなかったし、少ししかお話出来なかったのですが、去り行く金の髪が印象的で。後日彼から話しかけて貰えたのです。階段を踏み外したのを、随分心配されていたようで」


エリックは無言で聞いている。


「助けられた時はお名前も聞けず、顔も見れず、とんだご無礼をしたのに優しくて…なので父に頼み、婚約を、となりましたわ」


顔が真っ赤になるのを感じ、両手で顔を覆う。

階段から落ちたなど、王子であるエリックには信じられない話だろう。


だから助けてくれたハインツも、きっと相当勇気があったと思う。


あの時の針の筵のような雰囲気が忘れられない。


「そうか、うむ、良い話が聞けた…ありがとう」


エリックの目が昏く沈み、しばし思案するように俯いた。


どうかしたかとレナンが思っていると、

「君がもしこの国でパーティに参加する際は、特別にヒールの低い靴を送ろう。階段から落ちて怪我したら可哀想だ」

「まぁ!」

ムッとしてしまい、思ったよりも大きな声が出る。


「もう落ちません、あれからだいぶ気をつけていますわ」

羞恥とからかわれた事で、拗ねたように横を向く。

「どうだろうか、君はだいぶ慌て者のようだからね。婚約についても然り」


「えっ?」

慌て者はともかく、婚約についてとは?


「いや、女性側から打診するのは勇気が要っただろうから。君くらいなら、余裕で待つくらいの気概を持つべきだと思うよ。こんなに綺麗なら、引く手数多だったろうにね」

褒めてくれてるのだろうか。


「綺麗なんて言われた事はありませんわ。背の高い、鈍臭い女だとしか」


レナンは女性にしては背が高い、ヒールを履けば尚更高くなってしまう。


人によっては、男性でも並ぶと越してしまっていた。


男性としては面白くないし、女性からも背が高すぎるとヒソヒソされ、それ故自信をなくし猫背がちになった。


「そう言って頂けるのは、エリック様とハインツ様くらいですね」


ピクリとエリックの眉が動く。


「婚約者が自身の相手を褒めるのは当然だが、私からの褒め言葉も素直に受け取ってほしい。君は綺麗だ、自信を持ってくれ」


身を乗り出し、正面から見つめられて熱く語られる。


顔を真っ赤にし、俯いてしまう。


首や耳も熱を持ち、そこも赤いのだろうとますます恥ずかしくなってしまう。


「そのような、いえありがとうございます。エリック様はわたくしのような者にそんな言葉まで…本当にお優しいですね」




焦るとしどろもどろになったり、涙が出そうになったりと、緊張すると声が出なくなる時がある。


だが、エリックはゆっくりと耳を傾けて聞いてくれている。




エリックが面倒だとさえ言えば、休憩時間を別に過ごすことも出来るはずだ。


レナンの話をこうやって聞いてくれるなんて、それだけでもありがたい。


「わたくし、このような会話が実は苦手なのです。仕事の話とかなら良いのですが、日常の、普通の話とかだと、何を話せば良いのかわからなくなってしまって」

自分に自信がないため、打ち解けるまでに時間はかかる。


そして本が好きで、本を読んでいたら人と関わる時間が減ってしまった。


流行に乗れず、会話に乗れなかったときは辛かった。


「学校の同級生とはどのような話をされてたのですか?」



「本好きな友達がおりましたので、本の話を。領地には薬草などもあったので、ミューズと共に薬草学の本なども読んでいましたわ。あとは他の国の言語に訳された、恋愛小説を少々」

「恋愛小説なら年頃の女性なら読むものでしょうけど、何故他国の言語のものを?」

「言葉の勉強の為ですわ。恋愛ものならば調べるのも楽しかったです。言い回しも独特で、諺も国ごとに違って興味深かったですわ」


好きな事を勉強するのは楽しいし捗る。

教材も好きなものなら尚更だ。


「君は勉強熱心で凄いよ、私も見習わなくてはいけないね」


エリックが優しく笑うと、レナンは心臓が跳ね上がるような感覚に襲われた。


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