1-7『アイギス』
「……その腕前があるなら、最初から羽を狙えば済んだんじゃねェの?」
ドローンの沈黙を確認したジンは、なんとも微妙そうな表情で振り向くと言った。
視線の先では、エイムが
エイムは視線に気付くと、首を横に振った。
「最初の高度だと、プロペラに命中させるのは角度的に無理があった。それに
「あ゛ー……すまん。そこまで考えてなかった」
「分かってくれたならいい。そんなことより、その人は無事?」
「っと、そうだった。お前さん歩けるか? 赤ん坊に怪我は?」
「……え? あ、あぁ……」
意見を
女は怯えた様子で顔を上げるものの、二人が危機を
エイムが差し出した手を掴み、膝の怪我を
「あ、ありがとうございます……。あなた方がいなければ、この子や私はどうなっていたことか……」
「あぅ、あー。きゃっきゃっ!」
「なァに、気になさんな。……にしてもこの赤ん坊、将来は大物だなこりゃァ」
目尻に涙を
あれだけの騒ぎの渦中にいながら、怯えた様子は少しもない。自身と母親が命の危機に晒されていたことなど、微塵も理解していないのだろう。
はたして、それが良いのか悪いのか。ジンは苦笑して肩を竦めると、頭を掻きながら停止したドローンを見た。
「で、どうするよ? これ」
「
「やめたまえ、Ms.エイム。現場保全が
ドローンの扱いについて
そこに、女の声で待ったが掛かる。
振り返った二人は声の主の姿を確認すると、ジットリと目を細めた。
そこに居たのは──。
「マーリン……」
「お前さん……」
「やぁ二人とも。無事でなによりだ。……なんだい、その目は。言っておくが、私はあの場で退避こそが最善手であると判断したのであって、けっして我が身可愛さに
「別に何も言ってねェだろ。実際、対抗策が無いから逃げるって判断は間違いじゃねェからな。ただ、解決してから駆け付けるまでが随分早いと思っただけだ」
「ああ。適当な物陰で
「……」
いけしゃあしゃあとコイツ……という念の
とはいえ終わったことに文句を言っても仕方ない。ジンは気持ちを切り替え話を進める。
「まァいい。それよりアイギスってのはいつ来るんだ? 事件や事故にすぐ駆け付ける、って触れ込みの筈だが」
「ふむ、これだけ遅れるのは珍しいね。普段なら、すでに到着してる頃合いなのだが」
キョロキョロと周囲を見回すマーリン。しかし彼女の視界に映るのは、すっかり
その
流石に不審に思ったのか、マーリンはスマコの操作を始める。
その時、
「ねぇ、ジン。何か聞こえない?」
「あン? 何かって……なんだ、この音?」
「どうしたんだい?」
エイムの耳が、不意に正体不明の異音を捉えた。直後にジンも気付き、首を傾げる。
マーリンだけは頭に疑問符を浮かべており、ジンは自身が聞こえているがままを説明した。
「ピッピッピッって音が急に聞こえ始めたんだよ。
「仮に再起動したとしても、プロペラは破損しているし機関銃も分離してる。脅威にはならない」
「だよな。……でも、何故だか
飛べず、撃てず、動けないドローンなど恐るるに
人はそれを虫の知らせ、あるいは獣の勘と呼ぶのだろう──その勘は、正しかった。
次の瞬間、事態は急変する。
「うおっ、いきなりどうした?」
「……っ!」
ジン、エイム、マーリンの三人がドローンを注視していた時、突如パキンッという音を立ててドローンの外装にヒビが入った。そこからパズルのピースが
やがてドローンの中から現れたのは、黒い球状の機械だった。
機械の大きさは、およそサッカーボールほど。デジタル表記のパネル盤が埋め込まれており、画面には赤い数字が並んでいる。
現在の表示は『00:08』。数字は一秒
直後、エイムが叫んだ。
「これ、爆弾……っ! ジン、マーリン! 今すぐ全力で──」
「逃げろってんだろ!
「逃げ切るには時間が足りない! 身を隠すことを優先すべきだ!」
途端、蜘蛛の子を散らすように三人はドローンに背を向け走り出す。勿論、母子のことも忘れていない。
エイムは素早く赤子を
しかし、
──流石に無理があるな。どう
たった8秒で行動できる範囲など、所詮は
爆発の
"最低"でも同程度の威力はあると仮定するならば、身軽なエイムはともかくとして、ジン、マーリン、女が助かる見込みはない。
──儂は旅人だ。最優先事項は生き残ること。なら、わざわざ命を懸けてまで女を助ける必要は無いんじゃないか?
この場を生き延びるという点において、その考えは決して間違いではない。
実際ジンが一人で行動するならば、2秒と要することなく適当な
その場合マーリンと女を見捨てることになるが、旅人である彼が他者の命を気に掛ける義理はない。
「……」
背後の爆弾へ振り返る。
表示されている数字は『00:04』。
彼の脳内で、合理的思考が組み立てられていく。
──2秒あれば儂は助かる。倍もあれば、確実に……!
そして、ジンの腹は決まった。
「
「なっ!?
ジンは支えていた女をマーリンに預けると、迷うことなく駆け出した。
──確かに見捨てるのも選択肢の一つだ。だが、それじゃあ
何故、ひとり遁走するでもなく、最後まで共に逃げるでもなく、立ち向かうことを選んだのか。
理由は至極単純だった。
ストーンである彼がブロンズへ昇級するためには、マーリンが持つ情報はどうしても欠かせない。もし彼女が命を落とすことになれば、次にチャンスが訪れるのは
明日か、一週間後か。一ヶ月後か、一年後か。それまでジンの命が続いている保証は、どこにもない。
詰まるところ、この時ジンが見ていたのは"
であれば当然、無策な筈もない。
──成功すれば全員生存。失敗したら……少なくとも儂とマーリン、女は間違いなくお
爆弾の前に立つ。カウントは
ジンは躊躇なく爆弾を掴み、持ち上げる。
そして──。
「いっけええええええええええ!!!!」
勢いよく真上に打ち上がる爆弾。鞘がミシリと鈍い音を立てるが気にしない。
そして爆弾の高度が頂点に達した、次の瞬間。
『00:00』。
ドガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ン!!!!!
「ッ……!」
交差点のものを"遥かに凌ぐ"、空を覆うほどの大爆発が巻き起こった。
やがて爆風が収まり──。
「……こりゃ、儂だけトンズラこいても助からなかっただろうな」
足を投げ出して地べたに座り込むジンが、疲れ切った声で呟いた。
全身に汗が
エイムにマーリン、女と赤子も同様である。
即ち──。
「危ない橋だが、どうにか渡り切った。
全員生存。一人の犠牲も出すことなく、広場の騒ぎは無事終息したのだった。
達成感から、晴れやかな表情で空を眺めるジン。
そんな彼を、傍に立ったマーリンが呆れ顔で見下ろした。
「……まったく、とんでもない男だねキミは。爆弾を打ち上げるなんて大
「ある程度、勝算はあったからな。ただでさえ機関銃なんてモン付けたドローンが、重いモン積んで飛べるわけ無ェだろ? だったら中身ぐらい打ち上げられると思ったんだよ」
「爆弾の重量について言いたいわけじゃないんだが……まあいい。キミの判断が賢明だったことは事実だ。命の恩人へ、素直に礼を述べよう。Mr.ジン」
「爆風は上と横に大きく広がる反面、下への影響は少ない。ジンは知っていたの?」
「ンなわけ無ェよ。他に思い付かなかっただけだ」
マーリンに続き、エイムも会話に混ざる。
すると緊張が続いた反動からか、三人の間には自然と
とはいえ、それもほんの十数秒ほど。
「……全て片付いた後に、今さらご到着か」
交差点から響き渡ったサイレンの音が、空気の流れを変える。
途端、マーリンは表情を曇らせると吐き捨てるように呟いた。
それから程なく、車両が停車する音とともに
現れたのは、黒いボディスーツにフルフェイスのヘルメットを装着した六人組。
全員、分厚い胸当てを付け、肩や
リーダー格らしき背の高い筋肉質な一名を除き、メンバーの身長や体型はほぼ均一。見た目から性別や年齢の判別は出来ない。
六人組は現場を見るなり手で合図を送り合うと、盾を構えて慎重にドローンの残骸を囲った。
「……あれがアイギスか?」
「うん」
その時──。
「やぁやぁアイギス諸君、重役出勤大変ご苦労! いつもは
不意にアイギス目掛け、挑発めいた口調で声をあげる者がいた。マーリンである。
水を得た魚のごとく、彼女の唇は止まらない。
「それともアレかい、まさかまさかの職務怠慢というやつかい? いいや、治安維持機構のアイギス様に限ってそんなことは無い筈だ。きっと
「……言葉選びがいちいち
「うん。実際マーリンはアイギスのこと、すごく嫌っているよ。理由は知らないけど」
マーリンが
一方アイギス
残るその人物は、マーリンに近寄っていくとヘルメットのバイザーを上げた。
「状況は
「ああ、見ての通りさ……第一声が安否確認じゃないのが残念でならないよ」
ヘルメットの中身は、
人を
男は、その場に残る面々を軽く見回すと、再びマーリンに言った。
「
「ヤレヤレ、せっかちな男は嫌われるよ。っと、その前に──Mr.ジン、これを受け取りたまえ」
ついて来るようマーリンに告げ、車両に向かう男。マーリンはヤレヤレと首を振りながら後に続く。
しかし彼女は、ふと何かを思い出したように振り返ると、ジンに向かってある物を投げた。
「これ……スマコか!?」
「仕事先について、まだ話の途中だっただろう? 途中、爆風で書類が
「いいのか? 安物ってわけでもないらしいが……それにお前さんが不便するんじゃ」
「問題ないよ。職業柄、
マーリンは一旦言葉を区切ると、ジンに背を向けて言った。
「"命の恩人"に贈る、心ばかりの礼というやつだよ。返品不要、好きに使いたまえ」
「……なら、ありがたく
言いたいことを伝え切ったのだろう。マーリンはヒラヒラと手を振りながら、アイギスの男の後に続いていく。
その時、
「……」
「……?」
ジンはふと、アイギスの男と目が合った。
ジンが不思議そうに首を傾げる一方、男はすぐにジンから目を
そうしてアイギスは交差点の向こうへと消えて行く。
やがて広場は、嵐が去った後のような静寂に包まれた。
「……色々あったけど、どうする? ジン。
その静寂をエイムが破る。
どこか
対してジンは、
「あァ、頼む。……って言いたいトコなんだが」
大きく頷きかけたところで、言い
そして少女の前に、先ほど受け取ったスマコを掲げて言う。
画面には、細かく並んだ文字列と地図の画像。
次の目的は明らかだった。
「せっかく手に入れた情報だ、どうせ使うなら早いほうがいい。この地図の場所に案内してくれないか?」
善は急げと言わんばかりに、ジンは
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