1-7『アイギス』

「……その腕前があるなら、最初から羽を狙えば済んだんじゃねェの?」


 ドローンの沈黙を確認したジンは、なんとも微妙そうな表情で振り向くと言った。

 視線の先では、エイムがまし顔でホルスターに拳銃を収納している。

 エイムは視線に気付くと、首を横に振った。


「最初の高度だと、プロペラに命中させるのは角度的に無理があった。それにとせたとしても、イコール機関銃も無力化って訳じゃない。墜落中、無差別に乱射されたら大変なことになってたよ」

「あ゛ー……すまん。そこまで考えてなかった」

「分かってくれたならいい。そんなことより、その人は無事?」

「っと、そうだった。お前さん歩けるか? 赤ん坊に怪我は?」

「……え? あ、あぁ……」


 意見をわしつつ、二人は赤子を抱く女のそばに寄る。

 女は怯えた様子で顔を上げるものの、二人が危機を退しりぞけたことを知ると安堵の表情を浮かべた。

 エイムが差し出した手を掴み、膝の怪我をかばうように座り込む女は、二人に深々と頭を下げる。


「あ、ありがとうございます……。あなた方がいなければ、この子や私はどうなっていたことか……」

「あぅ、あー。きゃっきゃっ!」

「なァに、気になさんな。……にしてもこの赤ん坊、将来は大物だなこりゃァ」


 目尻に涙をたくわえる女の腕の中で、赤子が能天気に笑う。

 あれだけの騒ぎの渦中にいながら、怯えた様子は少しもない。自身と母親が命の危機に晒されていたことなど、微塵も理解していないのだろう。

 はたして、それが良いのか悪いのか。ジンは苦笑して肩を竦めると、頭を掻きながら停止したドローンを見た。


「で、どうするよ? これ」

解体パージ一択」

「やめたまえ、Ms.エイム。現場保全が云々うんぬんと、アイギスからお小言を頂きたくはないだろう?」


 ドローンの扱いについてたずねるジン。エイムは一言だけ返事をすると、銃に弾を込め直した。

 そこに、女の声で待ったが掛かる。

 振り返った二人は声の主の姿を確認すると、ジットリと目を細めた。

 そこに居たのは──。


「マーリン……」

「お前さん……」

「やぁ二人とも。無事でなによりだ。……なんだい、その目は。言っておくが、私はあの場で退避こそが最善手であると判断したのであって、けっして我が身可愛さに遁走とんそうした訳では」

「別に何も言ってねェだろ。実際、対抗策が無いから逃げるって判断は間違いじゃねェからな。ただ、解決してから駆け付けるまでが随分早いと思っただけだ」

「ああ。適当な物陰で見物けんぶつ洒落しゃれこ……キミたちの無事を神に祈っていたからね。いやぁ、他者をおもんぱかる清らかな者の祈りは、ちゃんと届くものだねぇ。あっはっはっは!」

「……」


 いけしゃあしゃあとコイツ……という念のこもったジンの視線は、誤魔化すような口ぶりで笑うマーリンに届かない。傍でエイムも口をへの字に曲げていたが、彼女はそれすらもスルーしていた。

 とはいえ終わったことに文句を言っても仕方ない。ジンは気持ちを切り替え話を進める。


「まァいい。それよりアイギスってのはいつ来るんだ? 事件や事故にすぐ駆け付ける、って触れ込みの筈だが」

「ふむ、これだけ遅れるのは珍しいね。普段なら、すでに到着してる頃合いなのだが」


 キョロキョロと周囲を見回すマーリン。しかし彼女の視界に映るのは、すっかり閑散かんさんとした広場に、煙が収まりかけている交差点、離れた場所からこちらの様子をうかがう野次馬だけ。

 その何処どこにも、目当ての姿は見当たらない。

 流石に不審に思ったのか、マーリンはスマコの操作を始める。

 その時、


「ねぇ、ジン。何か聞こえない?」

「あン? 何かって……なんだ、この音?」

「どうしたんだい?」


 エイムの耳が、不意に正体不明の異音を捉えた。直後にジンも気付き、首を傾げる。

 マーリンだけは頭に疑問符を浮かべており、ジンは自身が聞こえているがままを説明した。


「ピッピッピッって音が急に聞こえ始めたんだよ。出所でどころは……ドローンからか? まさか復活なんてことは」

「仮に再起動したとしても、プロペラは破損しているし機関銃も分離してる。脅威にはならない」

「だよな。……でも、何故だか無性むしょうに嫌な予感がするんだよ」


 飛べず、撃てず、動けないドローンなど恐るるにあたいしない。そう頭で理解していながらも、この時ジンは妙な胸騒ぎを覚えていた。

 人はそれを虫の知らせ、あるいは獣の勘と呼ぶのだろう──その勘は、正しかった。

 次の瞬間、事態は急変する。


「うおっ、いきなりどうした?」

「……っ!」


 ジン、エイム、マーリンの三人がドローンを注視していた時、突如パキンッという音を立ててドローンの外装にヒビが入った。そこからパズルのピースががれるように、機体の外装が崩れていく。

 やがてドローンの中から現れたのは、黒い球状の機械だった。


 機械の大きさは、およそサッカーボールほど。デジタル表記のパネル盤が埋め込まれており、画面には赤い数字が並んでいる。

 現在の表示は『00:08』。数字は一秒ごとにカウントを減らしている。

 すなわち、残り8秒でカウントが0ゼロになることを意味していた。

 直後、エイムが叫んだ。


「これ、爆弾……っ! ジン、マーリン! 今すぐ全力で──」

「逃げろってんだろ! 流石さすがに見りゃ分かる!」

「逃げ切るには時間が足りない! 身を隠すことを優先すべきだ!」


 途端、蜘蛛の子を散らすように三人はドローンに背を向け走り出す。勿論、母子のことも忘れていない。

 エイムは素早く赤子をかかえ、ジンとマーリンが女を両脇から支える。

 しかし、


 ──流石に無理があるな。どう見繕みつくろっても時間が足りねェ。


 たった8秒で行動できる範囲など、所詮はたかが知れていた。手負いの女も連れているとなれば尚更なおさらだ。

 爆発の規模きぼは不明。しかし三人の脳裏には、つい先ほど交差点で起きたものが刻名こくめいに浮かぶ。

 "最低"でも同程度の威力はあると仮定するならば、身軽なエイムはともかくとして、ジン、マーリン、女が助かる見込みはない。

 ただし、"ジンひとり"で逃げるのであれば話は別だった。


 ──儂は旅人だ。最優先事項は生き残ること。なら、わざわざ命を懸けてまで女を助ける必要は無いんじゃないか?


 この場を生き延びるという点において、その考えは決して間違いではない。

 実際ジンが一人で行動するならば、2秒と要することなく適当な物陰ものかげに身を隠すことは可能だった。

 その場合マーリンと女を見捨てることになるが、旅人である彼が他者の命を気に掛ける義理はない。


「……」


 背後の爆弾へ振り返る。

 表示されている数字は『00:04』。

 彼の脳内で、合理的思考が組み立てられていく。


 ──2秒あれば儂は助かる。倍もあれば、確実に……!


 そして、ジンの腹は決まった。


わりィ、マーリン。任せた」

「なっ!? Mrミスター.ジン、何を……!」


 ジンは支えていた女をマーリンに預けると、迷うことなく駆け出した。

 爆弾目掛けて・・・・・・、一直線に。


 ──確かに見捨てるのも選択肢の一つだ。だが、それじゃあこの先を・・・・生き残れねェ。


 何故、ひとり遁走するでもなく、最後まで共に逃げるでもなく、立ち向かうことを選んだのか。

 理由は至極単純だった。


 ストーンである彼がブロンズへ昇級するためには、マーリンが持つ情報はどうしても欠かせない。もし彼女が命を落とすことになれば、次にチャンスが訪れるのは何時いつになるのか。

 明日か、一週間後か。一ヶ月後か、一年後か。それまでジンの命が続いている保証は、どこにもない。

 詰まるところ、この時ジンが見ていたのは"現状いま"ではなく"未来さき"。この場をしのぐことは、あくまで"前提"に過ぎないのだ。

 であれば当然、無策な筈もない。


 ──成功すれば全員生存。失敗したら……少なくとも儂とマーリン、女は間違いなくお陀仏だぶつだ。なら、決めるしかねェ……!


 爆弾の前に立つ。カウントは『00:02』2秒を切っていた。

 ジンは躊躇なく爆弾を掴み、持ち上げる。

 そして──。


「いっけええええええええええ!!!!」


 雄叫おたけびと共に、腰の鞘をバットのように振り抜いた。

 勢いよく真上に打ち上がる爆弾。鞘がミシリと鈍い音を立てるが気にしない。

 そして爆弾の高度が頂点に達した、次の瞬間。

 『00:00』。


 ドガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ン!!!!!


「ッ……!」


 交差点のものを"遥かに凌ぐ"、空を覆うほどの大爆発が巻き起こった。

 轟音ごうおんに空気が激しく震え、付近の建物のガラスにヒビが入る。遠くの野次馬達ですら、吹き付ける熱風に思わず顔を覆うほどだった。

 やがて爆風が収まり──。

 

「……こりゃ、儂だけトンズラこいても助からなかっただろうな」


 足を投げ出して地べたに座り込むジンが、疲れ切った声で呟いた。

 全身に汗がにじんでいるものの、火傷や怪我などの外傷はない。

 エイムにマーリン、女と赤子も同様である。

 即ち──。


「危ない橋だが、どうにか渡り切った。流石さすがキモが冷えたぜ、ったくよォ」


 全員生存。一人の犠牲も出すことなく、広場の騒ぎは無事終息したのだった。

 達成感から、晴れやかな表情で空を眺めるジン。

 そんな彼を、傍に立ったマーリンが呆れ顔で見下ろした。


「……まったく、とんでもない男だねキミは。爆弾を打ち上げるなんて大博打ばくち、よく打てたものだよ」

「ある程度、勝算はあったからな。ただでさえ機関銃なんてモン付けたドローンが、重いモン積んで飛べるわけ無ェだろ? だったら中身ぐらい打ち上げられると思ったんだよ」

「爆弾の重量について言いたいわけじゃないんだが……まあいい。キミの判断が賢明だったことは事実だ。命の恩人へ、素直に礼を述べよう。Mr.ジン」

「爆風は上と横に大きく広がる反面、下への影響は少ない。ジンは知っていたの?」

「ンなわけ無ェよ。他に思い付かなかっただけだ」


 マーリンに続き、エイムも会話に混ざる。

 すると緊張が続いた反動からか、三人の間には自然と弛緩しかんした空気が流れ始めていた。

 とはいえ、それもほんの十数秒ほど。


「……全て片付いた後に、今さらご到着か」


 交差点から響き渡ったサイレンの音が、空気の流れを変える。

 途端、マーリンは表情を曇らせると吐き捨てるように呟いた。


 それから程なく、車両が停車する音とともにせわしない足音が広場に雪崩なだれ込んだ。

 現れたのは、黒いボディスーツにフルフェイスのヘルメットを装着した六人組。

 全員、分厚い胸当てを付け、肩やひじひざなどにプロテクターを装備し、小型の機関銃と透明な盾を構えている。

 リーダー格らしき背の高い筋肉質な一名を除き、メンバーの身長や体型はほぼ均一。見た目から性別や年齢の判別は出来ない。

 六人組は現場を見るなり手で合図を送り合うと、盾を構えて慎重にドローンの残骸を囲った。


「……あれがアイギスか?」

「うん」


 統率とうそつの取れた動きの集団を見て、気付かない人間はいない。

 なかば確信を持って呟くジンに、エイムは頷く。

 その時──。


「やぁやぁアイギス諸君、重役出勤大変ご苦労! いつもは疾風はやての如く駆け付けるというのに、今日は随分とノンビリじゃあないかぁ!」


 不意にアイギス目掛け、挑発めいた口調で声をあげる者がいた。マーリンである。

 水を得た魚のごとく、彼女の唇は止まらない。


「それともアレかい、まさかまさかの職務怠慢というやつかい? いいや、治安維持機構のアイギス様に限ってそんなことは無い筈だ。きっと退きならない事情があったに違いない。責めたりしないから、是非その辺りの言い訳を聞かせて貰えないだろうか?」

「……言葉選びがいちいち刺々トゲトゲしいな。こりゃ遅れた以外にも、個人的な私怨しえんがあると見た」

「うん。実際マーリンはアイギスのこと、すごく嫌っているよ。理由は知らないけど」


 マーリンがあおり続けるそばで、他人のフリをしながらコソコソと距離を取るジンとエイム。国家権力に目を付けられたくないのは勿論、同類と思われるのが心外である為だ。

 一方アイギス一行いっこうは、ドローンの残骸を回収するとマーリンの野次やじを無視して車両に撤収していく──ただ一人、リーダーらしき人物を除いて。

 残るその人物は、マーリンに近寄っていくとヘルメットのバイザーを上げた。


「状況は大凡おおよそ把握している。現場に居たのは、この五人で間違いないな?」

「ああ、見ての通りさ……第一声が安否確認じゃないのが残念でならないよ」


 ヘルメットの中身は、眉間みけんしわを寄せるいかつい男の顔面だった。

 人を射殺いころせそうなほどの鋭い眼差しが印象的で、鼻の下とあごには濃い青髭を浮かべている。

 男は、その場に残る面々を軽く見回すと、再びマーリンに言った。


一先ひとまず事情聴取だ。来い」

「ヤレヤレ、せっかちな男は嫌われるよ。っと、その前に──Mr.ジン、これを受け取りたまえ」


 ついて来るようマーリンに告げ、車両に向かう男。マーリンはヤレヤレと首を振りながら後に続く。

 しかし彼女は、ふと何かを思い出したように振り返ると、ジンに向かってある物を投げた。

 咄嗟とっさに手を伸ばすジンは、掴んだソレを見て目を見開く。


「これ……スマコか!?」

「仕事先について、まだ話の途中だっただろう? 途中、爆風で書類が紛失ふんしつしてしまったからね。代わりの情報をソレに入力しておいた。上手く活用してくれたまえ」

「いいのか? 安物ってわけでもないらしいが……それにお前さんが不便するんじゃ」

「問題ないよ。職業柄、予備スペアは複数所持していてね。一つくらい手離したところで不都合はないさ。何より──」


 マーリンは一旦言葉を区切ると、ジンに背を向けて言った。


「"命の恩人"に贈る、心ばかりの礼というやつだよ。返品不要、好きに使いたまえ」

「……なら、ありがたく頂戴ちょうだいさせてもらうぜ」


 言いたいことを伝え切ったのだろう。マーリンはヒラヒラと手を振りながら、アイギスの男の後に続いていく。

 遠退とおのく背中を見送るジンは、スマコを掲げて手を振った。

 その時、


「……」

「……?」


 ジンはふと、アイギスの男と目が合った。

 ジンが不思議そうに首を傾げる一方、男はすぐにジンから目をらすと、マーリンの乗車を確認して車両に乗り込んだ。

 そうしてアイギスは交差点の向こうへと消えて行く。

 やがて広場は、嵐が去った後のような静寂に包まれた。


「……色々あったけど、どうする? ジン。都市まちの案内、再開する?」


 その静寂をエイムが破る。

 どこか草臥くたびれた様子の彼女だが、本来の目的を果たそうとしているのだろう。意思の籠った瞳でジンに判断をあおぐ。

 対してジンは、


「あァ、頼む。……って言いたいトコなんだが」


 大きく頷きかけたところで、言いよどむように首の動きを止めた。

 そして少女の前に、先ほど受け取ったスマコを掲げて言う。

 画面には、細かく並んだ文字列と地図の画像。

 次の目的は明らかだった。


「せっかく手に入れた情報だ、どうせ使うなら早いほうがいい。この地図の場所に案内してくれないか?」


 善は急げと言わんばかりに、ジンははやる口調でそうげた。

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