1-5『アリジゴクの巣』

「オアシスから出られないってのは、どういう意味だ?」

「どうも何も、そのまんまの意味だよ」


 思わず足を止めたジンに、エイムも同じく足を止めると振り返って言う。

 途端、理解が追いつかず呆然とするジン。対照的にエイムは冷静だ。

 そしてエイムは、ジンが理由を訊くより早く口を開いた。


「説明するから、落ち着いて話せる場所に移動しよう。──お昼にも、丁度いい時間だし」


 そう告げるエイムの手の中で、スマコの時計が正午を示した。



 ※ ※ ※ ※ ※



「ジンがオアシスから出られない理由、それは"出国料金しゅっこくりょうきん"が関係してる」

「ひゅっひょひゅひょーひん?」


 硬いパンに歯を立てながら、ジンはエイムが言った単語を繰り返す。

 場所を変えた二人が訪れたのは、ビル街の交差点に隣接する見晴らしのいい噴水広場。

 その一角いっかくに店を構える、オープンテラスのカフェの一席だった。

 エイムがこの場所にジンを案内した理由は一つ。「いつもいてて安いから」。

 その言葉通り、昼食時であるにも関わらず客はまばらで、落ち着いた話し合いに最適な場所となっていた。


「うん。オアシスを出るためには、出国時に料金を支払う決まりになってる。国民、旅人に関係なく、ね」

「……出国に金が要る国なんて聞いたこと無ェな。それに入国した時は、そんな説明なかったんだが」


 淡々と語るエイムの言葉に、ジンは素直に頷くことができない。

 その理由は、彼が入国前に行った手続きにあった。


 手続きの内容は、とても簡潔なものだった。

 受け付け越しに係員かかりいんから差し出されたタブレットに名前を入力し、入国理由を説明するという、たったそれだけのことである。

 その間、係員はジンにタブレットの入力方法を指示するだけで、説明はおろか会話すら無かったのだ。

 本来、そんな大事な説明は入国前に行うべきではないのかと抗議するジンに、エイムはあっけらかんと言い切った。


「係員の仕事は入国者の審査と登録だけで、説明の義務は無いからね」

「……この国は、アリジゴクの巣か何かか?」

「言い得て妙」


 蚊の鳴くような声で呟くジンに、エイムはもありなんと言わんばかりにグラスの水をすする。

 途端ジンは、がっくりと肩を落としてテーブルのふちに額をつけた。

 もっとも、転んでもただでは起きないのが旅人である。ふと何かをひらめいたように、ジンは顔を上げた。


「質問だ。……料金を踏み倒して無理やり出国しようとした場合、どうなる?」

「生きて出られたら御の字。それでも五体満足は諦めた方がいい。違法出国は通貨偽造に並ぶ大罪だから、それだけ取り締まりも厳重」

「……片腕片脚で、あの砂漠を越えられる気はしねェや」


 旅人のあわい閃きは、あっさり撃沈。

 エイムの言葉に、ジンは体を投げ出すようにイスの背にもたれ掛かった。

 滞在している国でどんな犯罪を犯そうとも、出国してしまえば無かったことに出来るのが旅人の唯一にして最大の特権である。同時に、旅人が忌避きひされる最たる所以ゆえんだ。

 しかし出国そのものが命懸けとなれば、その特権は意味を持たない。

 すなわち今のジンは、夢も希望も無くただ空を眺める、翼をもがれた鳥に等しい状態だった。

 とはいえ、いつまでも項垂うなだれてはいられない。


「……ったく、なら働いて稼ぐしかねェか。エイム、出国料金ってのはいくら必要なんだ? 旅人からも徴収ちょうしゅうするんだ、そう高額ってこともないと思うが」


 ジンはこれまでの旅路の中で、災害に巻き込まれることもあれば、凶悪犯罪のぎぬを着せられ国家ぐるみで命を狙われたこともあった。

 それらの事態に比べれば、国から出られない程度どうということはない。

 なんなら金で解決できる分、その心持ちははるかに軽やかであった。

 エイムが、次の言葉を口にするまでは。


「2000万Bビット

「……………………は?」


 その答えを聴いてから、たっぷり5秒。

 あんぐりと口を開いて固まるジンが発したのは、そんな空気の抜けるような音だった。

 今、彼の脳内では(2000万って、数字に直すといくら?)という訳の分からない思考が渦巻いている。

 固まったジンに同情の視線を向けるエイムは、補足するように続けた。


Bビットは、この国の通貨のことだよ」

「それくらいは分かる。そうじゃなくて数字の方──いや待て、そういうことか」

「?」


 ジンは、2000万という数字から受けた衝撃がどれほどのものかを伝えようとして、ふと言葉を止めた。

 突然黙り込んだジンに、エイムは怪訝けげんそうな目を向ける。

 一方ジンは次の瞬間、「合点がてんがいった」と晴れやかな表情で顔を上げた。


「2000万、数字だけ見りゃとんでもねェがくだ。だが、それはこの国の"物価"が高いからであって、実は収入も相応だったりするんじゃないか? お前さんが『安い』と言ったこの店の料理、例えばわしが持ってるこのパンも、実は1万Bとかだったり──」

「オアシスの一般企業で働く正社員の平均月収が、大体40万B前後だったかな。でも税金で半分は削られるから、手取り全部を出国料金にてたとしても、単純に計算して8年と少し掛かるね。ちなみに今ジンが食べてるパンの値段は50Bだよ」

「……」


 希望にすがろうとするジンに、エイムは容赦なく現実を叩きつけた。

 途端、無言でイスから崩れ落ちるジン。

 しかし彼は、まだ諦めない。


「……多少危なっかしくても、すぐに大金を稼げる仕事って無ェかな?」

「銀行を襲えば時給1億は固いかもね」

「っ……いや、それはダメだろ」

「今、一瞬悩まなかった?」

「ンな訳ないだろ、ハハハ…………はァ」


 とはいえ所詮はイタチの最後っ屁。

 完全に手詰てづまりなジンは、深い溜め息を吐くとイスに座り直して頭を抱えた。

 高飛びという旅人の切り札を封じられ、正攻法で出国するには最低でも8年と少しを要するこの状況。おまけに強行策は命懸け。

 けれど簡単には諦められるはずもなく、あの手この手と策を弄じる。

 そうして思案の末に結論を導き出したジンは、やがて苦々にがにがしく口を開いた。


「……仕方ねェ、出国料金については後回しだ。それより今は、生活の為に仕事を探さねェと」


 出国料金ばかりに気を取られていたジンであったが、そもそも今の彼は全くの一文無しである。

 状況をかんがみるなら、出国どころか生きることすら危ぶまれるのが現状だ。

 ならば優先すべきは手軽に大金を稼ぐ方法を模索もさくするより、手堅い生活基盤を築くことにある。

 そう冷静に分析したジンは、"出国のための仕事探し"から"生活するための仕事探し"へと思考を切り替えた。

 だが、


「無理だよ」

「あ?」


 またもエイムは、ジンに待ったを掛けた。

 出鼻を挫かれ不満げに唇をとがらせるジンに、彼女は続ける。


「今のジンは、この国のどんな仕事にもくことは出来ないよ。正職どころか日雇いすらも、ね」

「……なんで?」


 エイムの口から出た、耳を疑うような発言。

 まだ何かあるのかと、ジンはウンザリしながら眉をしかめる。

 そんな彼の顔を正面から捉えるエイムは、言い辛そうに口を開いた。


「今のジンは"ストーン"だから」

「儂は石っころじゃねェぞ」

「そういう意味じゃなくて」


 ジンの認識違いを訂正ていせいしつつ、エイムは続ける。


「オアシスの国民は、五つの階級カーストで分類されている。上から順に、支配層"ロード"、一等国民"ゴールド"。準一等国民"シルバー"、二等国民"ブロンズ"。そして、人権対象外"ストーン"っていう風に」

「……なる程、大方理解した。つまり今の儂は、この国で最底辺の立ち位置にいるってことだな。で、最底辺の人間には様々な権利に制限がもうけられている、と。 たとえば公共設備の利用権だとか、医者にてもらえる医療権だとか。その中には"働く権利"も含まれているって訳だ」

「……吃驚びっくり、その通りだよ。理解が早いね」

「旅してりゃ身分制のある国に立ち寄ることも少なくねェからな。とはいえ、自分も対象になるのは初めてだが……」


 目を見開いて驚くエイムに、ジンはヒラヒラと手を振って答える。

 旅人の経験がきたと言えるのだろうが、その表情は明るくない。

 当然だ。これは旅人という傍観者の立場から一転して、国民という当事者になってしまったことへの確認に過ぎないのだから。

 ジンは目を細めて空をあおぎ、恐る恐る口を開く。


「この国の階級は、何を基準に定められているんだ? まさか出生時点、旅人でいうなら入国時点で決まっていて、死ぬまでそのままなんてことは……」

「大丈夫。ちゃんと条件を満たせば、誰でも昇級できる仕組みになってるよ」

「よかった……。ちなみに、その条件は?」

「簡単だよ。納税すればいい」

「……のう、ぜい?」


 納税という言葉に、ジンが固まった。

 一方、エイムの説明はスムーズに進んでいく。


「うん、納税。別の言い方をすれば、月ごとに収入の半分を国に納めることで、階級の更新もしくは昇級ができる制度のことだよ」

「……儂の知ってる納税と随分違う形態だな。もし払わなかったら?」

「国民の義務を果たさない人に、国が与える恩恵を受ける資格があると思う? 国の名簿から戸籍こせき抹消まっしょうされておしまいだよ」

「ひゃあ、おっかねェ」


 軽薄な悲鳴を上げるジンだが、頬は引きり額には冷や汗が流れていた。

 彼の脳裏に、人権対象外の文字がでかでかと浮かび上がる。しかし今のジンが留意すべき問題はそこではない。

 納税することで階級を上げられるというのなら、彼には真っ先に問うべきことがあった。


「ならストーンが納税するための金は、どうやって工面くめんすりゃいいんだ? ある程度は国が面倒見てくれたり、 そうでなくても銀行から借りたりは出来ないのか?」


 税を納めようにも金が無く、働いて稼ごうにもストーンは手に職を持てず、結果、階級の更新に必要な金が用意できない。

 このような負のループがあっては、たくわえを持つはずのない旅人は勿論、様々な事情で税金を払えなくなってしまった国民の挽回ばんかいが実質的に不可能となる。

 旅人はかくとして、はたして国が国民を易々やすやすと切り捨てるような制度を採用するだろうか。

 せめて救済措置きゅうさいそちぐらいはあるだろうと、ジンは楽観的な気持ちで疑問を口にした。

 だが、


「国がストーンの面倒を見てくれる訳ないよ。それに銀行を利用出来るのは、ブロンズ以上から。ストーンが行ってもまみ出されておしまい、自力で稼ぐしかないね」


 その言葉を耳にした途端、ジンの背筋に冷たいものが走った。


「……ちょっと待て。稼ぐには働く必要があって、働くためには階級を上げなきゃいけないんだろ?」

「そうだね」

「階級を上げるには、どうすればいいんだっけ?」

「納税だよ」

「なんだよ、その負の永久機関は。要するにストーンになった時点で詰みってことじゃねェか」


 再度語られたエイムの言葉に、ジンは大きく肩を落とすと頭を抱えた。

 救済措置くらいあるだろう。そう胸に抱いていた希望が、見事に打ち砕かれてしまったからだ。

 思わず口から零れた呟きは、かすかに震えていた。


「参ったな……。こりゃ街中で野垂れ死ぬって状況が、いよいよ現実味を帯びてきやがったぞ」


 流石のジンも、すぐに気持ちを切り替えることが出来ない。

 出国料金という途方もなく大きな問題がそびえ立っているというのに、その足掛かりとなる仕事にすら就けないというのだから。

 むしろ、この状況を前に何も感じない者がいたとすれば、その人物はとんでもない阿呆あほうに違いない。

 皮肉と受け取っていたエイムの銀行襲撃案も、今では選択肢の一つになりつつあった。

 しかし、その時。


「大丈夫。そうならない為に、ジンをここに連れて来た」

「……え?」


 エイムが唐突に放ったその言葉が、ジンの意識の虚をいた。

 顔を上げて目を丸くするジンに、エイムは告げる。


「命を助けてもらった恩を、ストーンでもける仕事を紹介することで返す。これなら十分、釣り合いが取れていると思う」

「そりゃありがたい提案だが、現実的に考えて一体どうやるってんだよ。……まさかお前さん、実はイイトコの娘さんだったりするのか?」


 夢のような言葉に、ジンは困惑と疑いを隠せない。

 それほどまでに、エイムの提案は彼にとって都合の良すぎる話だったからだ。

 しかしジンは、彼女が高層アパートの"最上階"で一人暮らしをしていることを思い出す。

 お世辞にも高級物件とは呼べないが、かといって未成年の少女が一人で借りられる部屋とも思えない。

 だが、親の助けがあるというのなら話は別だ。


 自立に向けた備えだとか、社会経験を積むためだとか、あるいは彼女が自ら望んだか。

 何にせよ裕福な親からの支援があったとすれば、エイムがあそこで生活していることにも不思議はない。

 もしかすればエイムの口利くちきき一つで、命の恩人である彼に救いの手が差し伸べられる可能性もあるのではないか。


「そんなわけないよ。わたしは、あくまで中継役。実際に紹介するのは──」


 都合のいい憶測もうそうを立てるジンに、エイムは首を横に振った。

 そして何かを言い掛けようとして、ふと広場の噴水近くに視線を向ける。

 すると、そこには──。


「──やぁMsミズ.エイム。待たせたね」


 軽やかな足取りで二人の元に近付いて行く、すその長い紺色こんいろ外套がいとう羽織はおった女の姿があった。

 女の背丈は、ハイヒール込みで成人男性に並ぶほど。四肢はモデルのように細く引き締まっている。

 腰まで伸びる薄青色の長髪はあでやかで、女の美しい顔立ちを一層引き立てていた。

 その美貌に、通りを歩く男性は勿論、同性すら思わず振り返る。

 そんな視線を歯牙しがにも掛けず、二人が座る席の前に立った女は、ジンを見るなり微笑みを浮かべて言った。


「初めまして。キミが旅人のMrミスター.ジンだね?」

「……お前さんは?」

「私は……っと、そう睨まないでくれたまえ。彼女エイムからの紹介だ、危害を加える気はないよ」

「……」


 突然現れた女に、ジンは警戒するように目を細める。腰のさやに、左手を油断なく添えながら。

 一方、女は微笑みを崩すことなく両手を肩をまで挙げ、自身が敵でないことをアピールする。

 その仕草に、無言でエイムを見るジン。

 すぐにエイムが頷いたのを確認して、ジンはようやく鞘から手を離した。


「すまねェな。初対面の相手が一方的に自分のことを知っているなんて状況、旅人なら警戒せずにはいられねェんだ」

「いいや、いきなり名前を呼んだ私にも非はある。すまなかったね。──さて、それでは互いの非礼を詫びたところで自己紹介をさせて貰おう」


 鞘から手を離したジンを見て、女は安心したように肩を竦める。

 そして互いに謝罪の言葉を交わしたところで、女は自身の胸に手をかざし名乗りを上げた。


「私はマーリン。しがない情報屋さ」

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