僕を大好きな幼馴染が、今日も食事に毒を盛る

南川 佐久

第1話 僕を大好きな幼馴染が、今日も食事に毒を盛る

「ねぇ、柊人しゅうと……」


 彼女が、僕の唇を舐める。


 生温くて柔らかい感触が口から五感を支配して、脳みそを白く白く染め上げていく。

 クラスの誰もが羨むような、程よく肉のついた肢体を押し付けて、彼女は僕をベッドに押し倒した。


「柊人……」


 二度、三度。

 角度を変えて、呼吸を整え、もう一度。

 幾度となく合わせられる唇から息を漏らすように、彼女が問いかける。


「今日、佐藤と何話してたの?」


「…………」


 クラスメイトの佐藤翔子さん。

 いつもは「しょうちゃん!」なんてにこにこと抱き着いたりしてるくせに、家だと呼び捨てにするのか?


「二限と三限の間の、休み時間よ。ねぇ、何話してたの?」


 なんだっていいだろ、別に。

 僕はただ、佐藤さんに「放課後委員会があるの忘れてたから掃除を代わってくれないか」って頼まれてただけで……


「 ね ぇ 」


 答えられないままでいると、語気が強まる。


 目の前にいる美少女は、長い睫毛の奥から水晶のような瞳を揺らがせて、さらりと銀糸の髪をこぼした。


「どうして何も言わないの?」


「…………」


「何か言ってよ」


 言えないんだよ。物理的に。


「ねぇ、しゅう――」


 僕は彼女の両肩を掴む。

 華奢な骨格とか細い腕を傷つけないように、そっと引き剥がした。

 ぷは、と小さな息が漏れて、彼女は驚いたように目を見開いた。


 なんで驚いているんだ、そんなの当たり前だろう。


「……キスされてたら、答えられないよ」


 返答に、きょとんと時間が止まった感覚がする。


「ふふ。ふふふ……あはは! そっかぁ……! そうだよねぇ!」


 彼女――愛美まなみは、僕の幼馴染だ。


 両親が海外赴任と単身赴任で留守なのをいいことに、ふたりでこっそり一緒に暮らすレベルに仲のいい幼馴染。

 交際は――しようとかしないとか、そんな話をしなくても当たり前のように、僕らはいつも一緒にいた。


 幼稚園児のときに出会って、小、中、高……

 愛美が身体的に成長して人目を引くようになってからも、僕らの『当たり前』は『当たり前』のままだった。

 本来ならまわりの目を気にして、互いを異性として意識し合い、疎遠になったりするのかもしれない。だが、僕にその感情はあっても愛美にはなかったようで。


 朝は「おはよう」。

 それから一緒に学校へ行って、夕方もしくは夜になったら、「またね」。

 そんな日が365日、五年十年と続いて今に至る。


 だから、どうしてこうなったのかわからない。


 高校一年生になった、今……


 ――僕は、彼女に命を握られている。


「愛美、また髪染めたの? 今度は銀髪?」


「うん。だって、こないだ柊人がにまにましながら読んでた本のヒロインが、こういう髪色で……」


「だからって真似することないじゃない」


 ――『そのままでも、可愛いよ』。


 だから愛美は、愛美のままでよかったのに。


 囁くように髪を撫でると、愛美はぶわわと頬を染めて僕の上から退いた。

 跨っていた身体の上からよじよじとベッドにおりて、件の銀の毛先を弄る。


 「じゃあ、また黒に戻そうかなぁ……」と悩ましげな声を、「髪が傷むからやめな」と制止する。


 ふと目が合うと、愛美はにぱぁ! と笑みを浮かべた。


「柊人、大好き!」


(………………)


 じゃあなんで、僕の弁当にきみしか知らない薬物どくを入れるんだ?

 いつ、なんどき入れられるかわからないソレにどきどきしながら、箸に口をつける僕の気持ち、わかってる?


 こうして一緒に暮らしている以上は、食べる物も弁当も全て愛美が用意してくれる。

 嫌なら一緒に住むのをやめたり、彼女の料理を食べなければいいんじゃないかって?


 そんなの、愛美が可哀そうだろ。


 大人しく言うことを聞いていれば解毒薬だって口移しで与えてくれるし、そのときの味と感触、愛美の幸せそうな顔が忘れられないから、僕はこうしているっていうのに……


「あれ……? そう言えばなんの話して――そうだ、佐藤よ! 佐藤!」


「せめて『さん』をつけなよ」


 それから僕は、ただ「掃除の代わりを頼まれた」と説明するのに、何度も何度も唇を合わせるハメになった。


  ◇


 愛美には、僕以外に親に決められた恋人がいる。


 向こうは愛美のことを大層気に入っていて足繫く家に通いたいみたいだけど、僕がいるからそうはいかない。

 まぁ誰だって、恋人の家に自分以外の男が住んでいたら嫌だよなぁ。


 一応愛美もその辺はわきまえていて、僕の存在はひた隠しにしているらしい。

 思ったよりも常識があってよかったよ。


 それはそれとして、やっぱり親の遺伝子とかって重要なんだと思う。

 だってずっと一緒に育っているのに、僕は平平凡凡で、愛美は才色兼備な完璧超人なんだから。


 可愛くて、優しくて、頭が良くて、セックスも上手い。


 まったく同じ環境で育っているのに、この違いはなんなんだ? ほら、遺伝子だ。


「ねぇ愛美。今日の卵焼きに薬は入ってない……?」


「さぁ~。どうでしょう?」


 ……ロシアンルーレットかな?

 食べてみてのお楽しみ?


 洒落にならない。


 僕は出された朝食の、アジの開きの隣に佇む卵焼きを一息に口に放り込んだ。どうせ最終的には食べるんだ、悩んでたってしょうがない。


 それでもどきどきとしながら、豆腐の味噌汁でソレを押し流す。


 愛美はそれをにこにこと、お茶椀を手にしたまま向かいで見守る。


 数秒の後、今日はセーフだと理解した。


 一個食べて舌が痺れなければ大丈夫。

 卵焼きを作る過程で、端にだけ薬を乗せるなんてできないからな。


 ちなみにアウトだと、舌の痺れを感じてから数秒で激しい眩暈に襲われ、平衡感覚を失ってまともに立っていられなくなる。

 頭痛と腹痛、そのときどきによって痛みが伴ったり伴わなかったりするが――おそらく神経毒だ。


 愛美は僕を殺すなんてヘマしないと心から信頼はしているけれど。一応、症状から推測されるであろう原因は調べたよ。自分の身体のことだからね。


 でも今日はセーフ。

 僕は意気揚々と、残りの朝食を平らげる。


「うん。今日も美味しい。愛美は将来、いいお嫁さんになるね」


「………………」


 愛美の顔色は浮かばない。


 僕はただ、当たり前の事実を当たり前のように言っただけなのに。

 どうしてそんな、死刑宣告を受けたみたいな顔をしているんだ?


 愛美は、十八歳――高校を卒業したら、決められた婚約者と結婚をするんだ。

 無論、それは僕じゃない。


「愛美も食べなよ、冷めちゃうよ」


「うん……」


 ああ。わかってる。わかっているよ。

 これはどうしようもない上の人間に決められたことで、富も権力も武力も持たない僕らは、ただ従うしかないんだ。

 でも、愛美は愛美なりに逆らおうとしているらしい。


(………………)


 だからなのか? 僕にこんな薬を盛るのは。


  ◇


「おはよう、竜宮院さん!」

「はよー! まなみん!」


 教室に入るなり、二人の女子生徒が僕らを出迎えてくれた。

 入り口付近の席でいつも仲良くたむろしている田中さんと佐藤さん。


 佐藤さんは誰にでも親しげに話しかけてくる、いわゆる陽キャというやつで。誰にでも許可なくあだ名で呼びかけたり、掃除の代理を頼んだりする甘え上手だ。


 おかげで僕も先日はひどい誤解を受けたけど、毎朝こうしてふたりが『クラスの挨拶番長』をしてくれるから、僕も愛美もクラスの皆も気持ちよく登校することができている……と、思う。


 今日も今日とて一緒に登校している僕らを特に気にすることもなく、ふたりは気さくに声をかけてくる。


 愛美は校内でも随一の美少女で、高嶺の花だと噂されてはいるけれど、女子に対しては比較的明るく振る舞っているから、「美里もしょうちゃんも、おはよう」と目元を細めて可憐な笑みを浮かべた。


 その様子に、周囲の男子は思わず頬を染めたり喉を鳴らしたり。そうしてすぐに隣の僕に視線を向けて、大きなため息を吐くのだ。


(別に、僕と愛美は恋人同士じゃないんだけどな……)


 入学当時は「なぁ、業徳寺って竜宮院と付き合ってんの?」とよく聞かれた。


 僕はそのたびに「愛美とはただの幼馴染だよ」と訂正したけれど。秋になった今では誰もそんなこと聞いてこない。

 どうやら、毎日登下校を一緒にしているだけで「完璧にデキている」と勘違いされているらしい。


 別に僕らは、幼馴染だから一緒にいるのが当たり前っていうか、傍にいないとなんとなく落ち着かないから行動を共にしているだけであって。せっかく一緒に住んでいるのだから、「学校も一緒に行こうよ」というのはごく自然な流れだと思うんだけど……それでどうして付き合っていることになるんだ?


 ……なんて。さすがに無理があるか。


 でも、僕のスタンスはだ。


 愛美は自分に婚約者がいることを学校内では隠しているから、僕らが「付き合っていないただの幼馴染なだけ」というのを知っているのは僕だけということになる。


  ◇


 その日の放課後、愛美は帰宅するや否や、まるで愛妻かと思うようなエプロンを身に纏ってキッチンに立っていた。


 ねぇ、ファシキュリンって知っている?

 アフリカに生息するマンバやガラガラヘビが保有する毒。


 もう自分で何度も試したから、これくらいの量なら目眩と吐き気で済むことくらいわかってる。


 危ないじゃないかって? 死んだらどうするんだって?


 別に。そのときはそのときで構わないわ。

自分で試すときにそういった危険は顧みない。

 だって、これは柊人に飲ませるものだから、万一があって死なれちゃ困るもの。

 そうならないように、必ず自分で試してる。


 間違ってもこの手で彼を殺すことがないように。でも、自分のことなら割とどうでもいいの。だって、好きでもない、柊人以外の男と結ばれるくらいなら死んだ方がマシだもの。


 最初はね、そう思って毒を飲んだの。自殺のつもりだった。婚約者が決まったって告げられて。

 気分はまるでジュリエットだった。


 でも、すぐに思い直したわ。

 逃れられない運命があるのなら、この手でぶち壊してしまえばいいじゃないって。


 ……だから私は、毒を盛る。

 今日もたくさんの、溺れるような愛情を込めて。


 だって。彼が私なしでは生きられない身体になれば、たとえ婚約者でなくとも、ずーっと傍にいてくれるよね?


 ねぇ? 柊人?

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