第1話 旅の途中

 抜けるように澄んだ空にはぽっかりと白い雲が浮かび、太陽が燦々と輝いている。

 その下に広がる広大な大地を、一台のトラクターがのんびりと走っていた。穏やかな風が吹き抜けて、運転手の帽子の羽飾りを揺らす。

 猫を模したトラクターの運転席に座るキュルルは、運転席の前面に設置されたパネルを見やり、続けて後ろを振り返った。

 自動運転のトラクターに引かれて進む四角い荷台には、サーバルとカラカルが乗っている。

 荷台にもたれかかって退屈そうにしていたカラカルと目が合って、彼女が身を乗り出してきた。

「まだなの?」

「もうちょっとだよ」

 カラカルの横から、サーバルが顔を出す。

「今日はイエイヌと会えるといいね」

 キュルルが頷いて、少々不安げに言う。

「また留守じゃなければ良いんだけど……」

 ホテルでのあの騒動後にも会いに行ったのだが、その日はたまたま出かけていたようで会えなかった。仕方がないのでまた今度という事になり、今日会いに来たという訳だ。


 廃墟となっていた施設で目覚め、それ以前の事をほとんど覚えていなかったキュルルは、ジャパリパークで出会ったサーバルとカラカルと一緒に旅をしていた。

 おぼろげに覚えていた『おうち』を探す旅。多くのフレンズと出会い、時にトラブルに見舞われながら、キュルルは自分なりに考え、答えにたどり着いた。

 帰る必要は無くなった。みんながいるこの場所が、ジャパリパークが自分の居場所だから。

 おうち探しの旅を終えたキュルルは『みんなの役に立てることを探したい』という新たな目的で、以前と変わらずサーバルとカラカルと一緒に旅をしている。


 移動の足として使っていたのが、今乗っているトラクターとパークを周遊するジャパリラインだ。

 おうち探しの旅の際、ミナミメーリカエンで線路が寸断されて走行不能になったジャパリライン。サーバルとカラカルと出会ったエリアから乗っていた車両はそこで進行不可になってしまったが、実はパークを周遊するのはあの車両だけではなかったのだ。

 ホテルでの騒動後、キュルルたちはほどなくしてジャパリラインの線路と、サバンナエリアやアヅアエンにあったのと同じ建物を見つけた。

 そこに並んで停まっていたのは二台のジャパリライン。一台はおうち探しの旅で乗っていたのとは逆の方向へ進む車両。そしてもう一台は、キュルルたちがミナミメーリカエンまで乗っていたあの車両で、運転手のラッキービーストとも思わぬ再会を果たした。

 運転手のラッキービーストによれば、ジャパリラインはパークの中心ともいえるエリアを一周するようになっていて、ミナミメーリカエンから車両を後ろ向きに走らせて移動させたらしい。

 寸断されている箇所はあるが、走行可能な線路も車両も残っている。

 まだ行った事のないエリアにも行けると教えられたキュルルたちは、早速ジャパリラインを使って新たな冒険の旅に出た。

 雪と氷に包まれたアイスキャニオン。多くの鳥のフレンズが集まるバードフォレスト。遥か昔の動物の骨などが置かれていた博物館。フレンズたちが様々な知識を求めてやって来る図書館。

 色んな場所でたくさんのフレンズと出会い、また発見があった。

 そうして旅をしているものの、キュルルは自分がみんなの役に立てる事が何なのかを、まだ見つけられていない。


 トラクターが進む先にアーチ型の大きな門と、その左右に伸びる石を積んだような低い壁が見える。門と壁の奥に並んでいる丸形の建物が、イエイヌが住んでいるおうちだ。

「イエイヌさん、元気かな」

 あと少しだとキュルルが微笑む。その後ろの荷台では、サーバルとカラカルがキュルルの声に反応して耳を動かしていた。


 門の手前で停まったトラクターから降りて、入口を通り抜けたキュルルたちは、建物が立ち並ぶ敷地内を迷わず進んで一軒の家の前で足を止めた。

「イエイヌさん、こんにちはー!」

 キュルルがドアを軽く叩きながら声をかける。しかし中から反応はない。

「また出かけてるのかな?」

 怪訝そうに振り返ったキュルルに、サーバルとカラカルが短く答える。

「でも、中から音が聞こえるよ」

「いないわけじゃないみたいね」

 キュルルには分からなかったが、耳が良いサーバルとカラカルには何か聞こえているらしい。二人の耳が小刻みに動いている。

 やがて家の中からの物音がキュルルの耳にも届き、ドアがわずかに開いた。

「……こんにちは。キュルルさん」

 一瞬の時間を置いて、隙間からイエイヌがそろそろと顔を覗かせる。まるで何かを怖がっているような、やって来る誰かを警戒しているようだった。

「あ、うん。こんにちは」

 怪訝に思いつつ挨拶を返すと、イエイヌはほっとしたような表情でドアを開く。妙な様子の彼女にキュルルが声をかけようとした時。

「がうううーー!」

「え!?」

 イエイヌが突然牙をむいて唸り声を上げる。表情を一変させた彼女に驚いて、キュルルが思わず身を引いた次の瞬間、イエイヌはカラカルに飛びかかった。

「ちょっと、何!?」

 避ける間もなく仰向けに転倒し、訳も分からず声を上げるカラカルに掴みかかり、イエイヌは凄まじい剣幕で怒鳴る。

「あの絵を返してください!」

「何? 絵? 」

 全く身に覚えがないカラカルは疑問を口にするが、それはイエイヌの怒りを激しくさせただけだった。

「とぼけないでください! カラカルさんが無理矢理持って行ったじゃないですか!?」

「そんなの知らないわよ! 見た事もないし!」

 キュルルとサーバルは事情が呑み込めず、吠えるイエイヌと困惑するカラカルを呆気に取られて見つめている。

「どうしてあんな事するんですか!? 返して下さい! 返し、て……?」

 涙目で訴えていたイエイヌが鼻をひくつかせ、神妙な表情を浮かべた。急に怒りが静まったのを見て取り、キュルルとサーバルは我に返る。

「カラカルはそんな事しないよ」

 サーバルがカラカルに乗ったままのイエイヌを引き離して、キュルルはカラカルに手を差し出す。

「大丈夫?」

「もー、何なのよ」

 カラカルがキュルルの手を取って立ち上がる。その様子を見ていたイエイヌは、どこか腑に落ちない顔で首を傾げていた。

「カラカルさん、本当にあの絵の事を知らないんですか?」

「だから知らないってば。そもそもあの絵って何よ?」

 疑問をきっぱり否定して、カラカルは口をとがらせる。

 本当に何も知らないと理解したイエイヌは、体から血の気が引くのを感じた。無意識に耳が後ろに垂れて尻尾が下がる。

 そして、すぐさま頭を下げた。

「すみませんでした。誤解とはいえ、私とんでもないことを……」

 いきなり飛びかかられたと思ったら今度は謝られ、カラカルは呆気に取られている。サーバルも少々困惑しているようだった。

「イエイヌさん、一体何があったの?」

 キュルルが訊ねると、イエイヌはそろそろと頭を上げる。

「……ちゃんとお話します。どうぞ中へ」


「少し前にカラカルさんが一人でこのおうちに来たんです。ここに絵があるはずだって」

 全員分のお茶を淹れてから、イエイヌはキュルルたちの向かいの椅子に座って口を開く。

 テーブルを囲んで座るキュルルたちの前にもお茶が入ったカップが置かれている。キュルルとサーバルは礼を言ってお茶を飲むが、カラカルだけは手を付けずにいた。

「他のフレンズと間違えてるんじゃないの?」

「カラカルはぼくたちとずっと一緒にいたよ。一人でどこかにも行ってないし」

 カラカルが勘違いの可能性を指摘する。キュルルはイエイヌが嘘をついているなどとは思っていないが、カラカルが一人でここに来たというのは奇妙な話だった。

 疑問を感じたのはサーバルも同様で、確認するようにイエイヌへ訊ねる。

「それって本当にカラカルだったの?」

 困惑するキュルルたちへ、イエイヌははっきりと答える。

「みなさんが不思議に思うのは分かります。でも確かにカラカルさんだったんです。匂いが違いますが」

「匂い?」

「はい。今のカラカルさんと一人で来た時のカラカルさん、ほとんど同じ匂いなんですけど、ほんの少しだけ違うんです」

 イエイヌがキュルルに少し誇らしげな表情を見せた直後、キュルルの手首にあるレンズ型のラッキービーストが点灯した。

「イヌノ嗅覚ハヒトノ百万倍カラ一億倍トモ言ワレテイルヨ。ソノ嗅覚ヲ活カシテ、ヒトト一緒ニ働イテイタ事モアルンダ」

「そんなに凄いんだ……」

 ラッキービーストの解説を聞き、キュルルは感嘆の声を漏らす。

 イエイヌは知らない声に一瞬驚いてから、お茶を少し飲んでカラカルを見やる。

「カラカルさんからはキュルルさんとサーバルさんの匂いもするんです。……今思うと、一人で来たカラカルさんは匂いの他にも色々違ってました」

 さっき飛びかかったことをまだ気にしているのか、イエイヌはまたもや耳を垂らした。

 何が違っていたんだろう。そう訊こうとしたキュルルより、サーバルが発言する方が一足早かった。

「もしかしたら、同じ種類のフレンズじゃないかな? たまにそういう子が生まれる事があるらしいし」

「そうなの?」

「でも本当に会ったっていうのはイエイヌが初めてよ」

 初めて聞く話に少々驚くキュルルに、カラカルが簡単に説明する。

 パークでは同じ種類のフレンズが生まれる事があり、それはフレンズたちによく知られている。しかし実際に見た、会ったというのは噂ですら聞いた事がない。

 一人で来たというカラカルは同じ種類の別のフレンズで、やっぱり一緒にいるカラカルは犯人じゃない。そう考えたキュルルはイエイヌに質問する。

「イエイヌさん、もう一人のカラカルは匂いの他に何が違ってたの?」

「そういえば……あの時のカラカルさんは声が少し違ってた気がします」

 記憶を探るように眉を寄せていたイエイヌはキュルルに視線を戻すと、何かに気付いて椅子から立ち上がった。

「どうしたの?」

 訝るサーバルの斜め後ろで立ち止まり、彼女とカラカルに挟まれて座るキュルルの足元を指差す。

「キュルルさんのそれ」

「バッグの事?」

 キュルルが床に置いていたバッグを持ち上げて、それを見たイエイヌが頷いた。

「そうです。それと似たようなのがこの辺りにありました」

 右腰に手を当てた後、今度は胸のハーネスのあたりを触る。

「あと、ここにも変なのがありました。小さくて丸いのがぶら下がってたんです」

 イエイヌの話を聞いたキュルルは、バックからスケッチブックではなく一冊のノートを取り出す。これはかばんの家にあったもので、余っているからと彼女からもらったものだ。

 絵を描く時に使っていた鉛筆も取り出し、もう一人のカラカルについての情報を書いていく。サーバルとカラカルは左右からノートを覗き込むが、二人には何が書いてあるのか分からない。

 キュルルが書いているのは、おうち探しの時に描いていた絵ではなく、ヒトが使っていたという文字だった。

 サーバルとカラカルの視線を感じつつもノートに書き留めたキュルルは、手を止めてイエイヌに話しかける。

「持っていかれた絵ってどんな絵だったの?」

 イエイヌは穏やかに微笑んで、尻尾を振りながら答えた。

「とても素敵な絵なんです。キュルルさんや他のヒトと一緒に私がいて、サーバルさんとカラカルさんもいたんですよ」

「私たちも?」

「なんで?」

 サーバルとカラカルは首を傾げるが、イエイヌはキュルルたちが描かれている理由を全く知らなかった。

「……あの絵はずっと前からこのおうちにあったみたいで、他にも文字や絵が書いてあるものがあの中にたくさん入っていたんです」

 そう言って、部屋の奥に置いてあるネコの耳のような三角形の突起が付いた重厚な箱を示す。

「多分ここにいたヒトたちにくれたものだと思うんです。あの絵も誰かが描いてくれたんですよ、きっと」

 絵などが入っていたという箱……金庫を見つめて、キュルルはぼんやりと考える。

 ここに絵がある事は今日初めて知ったし、見たことも無ければ描いた覚えだってない。

 なのに、前からあった絵にどうして自分が描いてあったんだろう? その絵を描いたのは誰なんだろう?

「キュルルちゃん?」

 呼びかけにはっと振り返ると、すぐ隣のサーバルと目が合った。直後にカラカルの声が耳に入る。

「なんか難しい顔してたわよ?」

「あ……うん。なんでもない」

 曖昧な返事で誤魔化し、キュルルはふと気づいた事を呟く。

「もう一人のカラカルは、どうしてここに絵があるのを知ってたのかな?」

「私もそれは変だと思ってたんです。あの絵の事を話したのはキュルルさんたちが初めてですし……」

 キュルルとイエイヌは頭をひねるが、まるで見当もつかない。悩み始めたところでサーバルが声を上げる。

「もう一人のカラカルを探そうよ。イエイヌの絵を返してもらわなきゃ」

「そうね。さっさと見つけないと」

 当然のように応じる声に、イエイヌは驚いて目を見開いた。色の違う両目に映るのは、意気揚々としているカラカル。

「絵を持って行ったのはあたしと同じ姿のフレンズなんでしょ? だったらあたしが捕まえて、絵を取り返してやるんだから!」

 カラカルは高らかに宣言すると、イエイヌが淹れたお茶に初めて口をつけた。

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