食べ放題
あべせい
食べ放題
「なにィ、こんどは塩辛の食べ放題ってか」
「どうしたんですか。志賀先輩」
「この店は、この前まで、ナマコの食べ放題をやっていたンだ」
「ならず不動産」の出世頭こと部長の志賀丸尾と、部下で大の仲良しの奈良一角が、商店街のとある店の前で立ち止まった。
その店は、「よろず喰い処」と紺地に白く染め抜いた暖簾を掲げている、間口のごく狭い店だ。ただ、間口は狭いが、奥行きは旗竿地のように20メート近くもある。
「食べ放題は夜だけだな。午後6時から、としてある。食べ放題は『お一人さま、3百円』か」
「でも、先輩、『お昼も食べ放題をしています。店内にどうぞ』と書いてありますよ」
「そうだな」
丸尾は何かを考えている。
「先輩、おもしろそうだから、入ってみましょうよ。なんだか、夢を見ているような気分だ」
一角は、丸尾の返事を待たずに、すたすたと店の暖簾を割って中へ。
「おい、まだ仕事の途中だろうがッ。昼間から、夢を見るのがおまえの悪い癖だ。待てって……」
丸尾は仕方なく、一角の後を追って中に入った。時刻は、午後2時過ぎ。
店内は、4人掛けのテーブルが7卓と2人掛けのテーブル席が3卓ある。カウンターはあるが、その前に席はない。
各テーブルの間隔はとても広くとってあり、通路を狭くすれば、倍の数のテーブル席がつくれそうなほどで、店内は解放感がたっぷりだ。
いまは奥のテープルに一組のカップルがいるだけで、閑散としている。
一角はすでに2人掛けのテーブル席に腰掛け、丸尾を手招きしている。
「先輩、これを見てください。お昼の食べ放題は日替わりですよ」
一角が、パウチされたA4サイズのメニューを示す。見ると、この日が「ひじき」、昨日が「煮豆」、その前が「キンピラ」、前の前が「納豆」、と出ている。ただ、明日や明後日の予告は書かれてない。
仕事の都合でお昼を食べそびれていた2人は、まず日替わり定食を注文した。
「先輩、ひじきの食べ放題、いきますか?」
「おまえ、バカか。あんなもの、いくら食べられる、っていうンだ」
「でも、おもしろいじゃないですか」
一角は、ただ面白がっている。
「まァ、先輩は新婚だから、無理しないほうがいいですよね。ハナちゃんに、ぼくが叱られそうだから」
丸尾は、先月、赤塚署交通課のハナちゃんこと鹿野花実と晴れて結婚したばかり。
「ねェ、ちょっと……」
一角は、各テーブルの調味料や割り箸をチェックしている女将らしき女性を呼んだ。
「なんでしょうか?」
「ここに書いてある食べ放題だけれど、条件はあるンですか?」
「条件?」
「だから、1時間以内とか、食べ残しはご法度とか……」
女将は、怪訝な顔をする。
「そういうもの、ございません」
「じゃ、値段が書いてないけど、いくらなンですか?」
「お客さん。お昼の食べ放題は、すべてサービスにさせていただいております。お好きなだけ、召しあがっていただいてけっこうです」
「ヘェー、そうなの……」
一角は目を丸める。
「じゃ、ぼくにひじきの食べ放題、付けてよ」
「かしこまりました」
女将は、カウンターの中にいる板前に、
「ヨッちゃん、定食の一つにひじき、付けて」
と言った。
板前は若い。30代前半といったところだ。頭を豆絞りの手拭いで包んでいる。女将は、30代後半か。
日替わり定食が一角と丸尾の前にきた。
一角は、まだ湯気が立っているご飯をうまそうに頬張る。おかずは、アジの干物に、玉子焼き、大根と油揚げの煮物、あとは豆腐の味噌汁に茄子の浅漬けだ。一角の膳には、小鉢に盛られたひじきの煮物が付いている。
「一角、この茶碗、やけに小さいな……ナゾが解けた」
丸尾は納得したように言う。
飯茶碗が、手のひらにすっぽり収まる大きさしかない。湯呑み茶碗といってもいいくらいだ。
「なにが、ですか? 先輩」
一角は、うまそうに次々とおかずを平らげていく。
「ご飯が足りなくなった。女将!」
一角は、女将に声をかける。
「一角、ここを見てみろ」
丸尾は、食べ放題とは別のメニューを示す。
そこには、「ごはん1杯300円」となっている。
「こんなご飯が3百円、か……」
一角の箸が初めて止まった。
女将がやってきた。
「お代わりでしょうか?」
一角は、にっこりと笑顔で体を寄せてくる女将に、咳払いしてから言った。
「ご飯が欲しいンだけれど、お代わり3百円、って高くない?」
女将は予想した問いなのか、笑顔のまま、
「うちはご飯がウリなンです。新潟の有機栽培米を使っています。安心安全のお米です」
「そう……じゃ、一つだけお代わり」
「ありがとうございます。それから、食べ放題のひじきは、足りなくなりましたら、お申し付けください。すぐにお持ちします」
「そうします」
一角の声に元気がない。女将が立ち去ると、一角は丸尾に顔を近付け、
「ぼくにも、食べ放題のからくりが、ようやく解けました」
「そうだろ。今夜、この店に来てみるか。ミーぼうも誘って」
「ハナちゃんもでしょう、先輩」
「あァ、女房もおまえに会いたがっているからな」
午後8時過ぎ。「よろず喰い処」の店内で。一角と丸尾、一角が片想いしている赤塚署交通課のミーぼうこと桜民都巡査、ミーぼうの仲良しで元赤塚署交通課の白バイ隊員、ハナちゃんこと鹿野花実、いまは志賀花実の4人が、テーブル席で盛りあがっている。
周りの席もほぼ埋まっていて、人気の店であることが窺える。
一角の隣がミーぼう、一角の向かいがハナちゃん、ミーぼうの向かいが丸尾、といった配置で腰掛けている。
4人は生ビールの中ジョッキーで乾杯したあと、注文したサラダ、やきとり、ピザ、貝焼きなどに箸をつけている。そのとき、一角がふと思い出したように言った。
「ミーぼう、イカの塩辛、食べてみるかい? この店の名物らしいよ」
「一角さん、生憎だけど、わたし、塩辛は苦手なの。お一人でどうぞ」
「そォ……」
一角は意気消沈した。
「ハナちゃんは、塩辛は好きだったよね」
すると、花実は、顔の前で手を横に振り、
「ンなわけないでしょッ。あなた、言ってよ」
花実は、夫の丸尾に投げた。
「妊娠中は、辛いもの厳禁だ。一角、そんなことも知らないようじゃ、ミーぼうに嫌われても仕方ないな」
「ごめんなさい。でも、ミーぼうが、塩辛が苦手なのは……そんなわけないよね……」
一角は、隣の民都をジーッと見つめた。
「一角さん、それ以上言ったら、本当にひっぱたくわよ」
民都は、怖い目をして一角を睨み付けた。
「何も言ってないよ。ミーぼう、おれってどうして、こうも口ベタなンだ。おれは、いま夢を見ているのかも。そうだ、夢だ。これは……」
「一角さん、大丈夫? 口は災いのもと、って言うでしょ。あなたは、おしゃべりが過ぎるの」
民都は呆れたように、一角を見る。
「一角、いいから……」
丸尾が口を挟んだ。
「塩辛を注文しろ。おれが食べるから」
「ありがとうございます。先輩」
一角はそこで初めて、食べ放題の「イカの塩辛」を注文した。ところが……、
「すいません。お客さん、イカの塩辛は生憎、切らしております」
「エッ! 切らしている、って。食べ放題じゃ……」
一角はアングリと口を開けて、そばに立っている女将を見た。
女将が申し訳なさそうにしているのならわかる。しかし、彼女は艶然として、愛想笑いを浮かべている。
「女将、どういうわけか教えて欲しいな」
丸尾が尋ねた。
すると、女将は、
「いろいろとご迷惑をおかけします。実は、お昼の食べ放題と違い、夜の食べ放題には、別の意味がございます」
「別の意味?」
「先月の食べ放題は『ナマコ』でした。今月は『イカの塩辛』です。しかし、さきほどからみなさまのお話を陰から伺っておりますと、イカの塩辛は好みのお方は余りいらっしゃらないごようす。特に、妊娠中のお方には、塩辛はお勧めできません。それで、こちらのお客さまには、当店自慢の『出汁巻き玉子』の食べ放題をご用意させていただきたいと考えておりますが。いかがでしょうか?」
「エッ!?」
一角たちは、びっくりして女将を見た。
「出汁巻き玉子、って大好き。女将さん、食べ放題でいいンですか?」
民都は尋ねる。
「もちろん、塩辛でなくて申し訳ありませんが。ただし、お客さまには月一度にさせていただいております」
「それでもうれしいわ。ハナちゃん、おなかの赤ちゃんにも、いいわよね」
「モチ、ミーぼう、たくさんいただきましょう」
一角がささやくように話す。
「女将……」
すると、丸尾が、
「一角、ふつうにしゃべっても、ここは隣のテーブルが離れているから、聞こえやしない。そのために、こうなっているンだ。おれもいまようやくわかった」
「そうか。女将、でも、しつこくお聞きしますが、『イカの塩辛』が欲しい、って言われたら、どうするンですか?」
「塩辛のご用意は、勿論ございます。お持ちしましょうか?」
女将は、余裕の表情だ。
「わかった。女将、女将の口から言いにくいだろうから、おれが言う」
丸尾が話す。
「一角、この店はお客を選ぼうとしているンだ。お客が店を選ぶように。見てみろ。いまこの店に来ているお客の大半は、大声を出して騒いだり、一気飲みするようなバカなお客はいない。こういう居酒屋は珍しいと思っていたンだ。これは、女将の店作りの一貫なンだな」
「先輩、ということは、ぼくたちは女将のお眼鏡にかなった、ってことですか?」
「それは、まだわからない。第2、第3のテストが仕掛けられているかも知れない。そうでしょう、女将?」
「さァ、どうでしょうか? では、玉子が焼きあがったようですので。お待ちください」
女将は、カウンターに戻ると、大皿に盛られた4人前の出汁巻き玉子を持って現れ、テーブルに置いた。
「足りなくなりましたら、すぐにお声をお掛けください。では、どうぞ、ごゆっくり」
女将は美しい笑顔をふりまいて立ち去った。
「先輩、この出汁巻き玉子、メニューでは、1人前5百円になっています。夜の食べ放題は一人3百円だから、これだけでもずいぶんお得感があります!」
「そうだな。これは出血サービスだ」
「マルちゃん、お店もお客を選ぶ時代なのね。いいことだと思うけれど、経営的にはたいへんよね」
花実が言った。しかし、たいへんなのは経営だけではない。選ばれなかったお客は、おもしろくないはずだ。
そのとき、カウンターに最も近いテーブルから、大声があがった。
「女将! ちょっと来いやッ!」
男1人に女2人のテーブルからだ。
叫んだのは、細いストライプの入った白いスーツを着ている20代後半の男。髪はリーゼント風に固めていて、足先は鷲のくちばしのように10センチ近くもとがった靴を履いている。2人の女性はいずれもスーツ姿で、30代。
「ご注文でしょうか」
女将がやんわりとした物腰でそのテーブルに近付いた。
丸尾たちのテーブルとは、間に一つテーブルを挟んだ距離だ。丸尾は声を発した男を見て、一角と目配せをした。見知っている顔なのだ。
花実も、丸尾に目で何かを告げた。民都はその花実を見て、何かを感じとる。
「先輩、あの男……」
「一角、カウンターの板前を見ていろ」
一角は、カウンターの中から女将に視線を集中させている30代前半の料理人に目をやった。
彼は怖い形相をして、右手で菜箸を握りしめたまま、左手で前掛けを外している。
リーゼントの男が、にこやかな笑顔を見せる女将に、親指と人差し指を突き出し、
「女将、塩辛に、こんなものが入っていた」
リーゼントが2本の指で摘んで突き出しているのは、人毛のようだ。長さ数センチの髪の毛。
「お客さま、それは何かのお間違いです」
女将は、慌てずに言った。
「間違い、だとッ!」
リーゼントが血相を変える。
「じゃ、この髪の毛はどっから来たというンだ! この長さからみて、間違いなく男の髪の毛だ。ここの板前の頭から、調理の最中に抜け落ちたンだろうがッ」
「そうでしょうか。カッちゃん、ちょっと来て」
女将はカウンターを振り返り、声を掛けた。
まもなく、カッちゃんと呼ばれた料理人が、女将の横に並んで立った。
「この方が、うちの料理を全て取り仕切っている克山克人です。カッちゃん、こちらのお客さんにお見せして」
丸尾たちは何が始まるのか、と興味津々で、口を閉じて見守る。
克人は、頭を包んでいた豆絞りの手拭いをとった。
「アッ」
と、花実。
続いて民都も「アッ」。
丸尾は、リーゼントの反応に注目する。
克人の頭はきれいに剃り上げられたスキンヘッドだ。一角は、民都の反応が気になって仕方がない。克人という料理人は、スキンヘッドでも、甘いマスクがそのつやつやした頭にとても似合っている。
「なン、なンだ。女将、おれがウソをついているというのか!」
リーゼントはバツが悪くなったのか、居直った。連れの2人の女が互いに目で合図しあう。
「いいえ、そういうことを申し上げているのではございません。だれでも、思い違いというものは、あると思います。そういうときのために、この店内には、いくつか防犯カメラを取りつけてございます。必要でしたら、これまでに撮った映像を再生させていただきますが……」
「エッ!」
リーゼントが驚く番だ。
「そんな必要はない」
「課長、わたしたちは先に失礼します」
2人の女は立ちあがり、出入り口へ。
「オイ、待てッ。このあとホテルに行くって、言ってたろうが!」
課長と呼ばれた男は、2人の女の背中に向かってどなった。
「課長! わたしたちはそんな話、承知していません。課長がひとりで妄想しておられただけでしょう」
2人の女の1人が振り向いてそう言い、2人が声を揃えて、
「ごちそうさまーッ!」
と言って、外に消えた。
そのとき、一角がテーブルからサッと離れた。民都がいぶかる。
「なんだ。あのブス。ひとにたかることしか知らないバカOLめ。不動産屋に来る女はロクなのがいないと言うが、本当だ」
リーゼントは、ぶつぶつと愚痴るが、女将と料理人が目の前に立っているため、どうしていいのか、わからなくなる。
「お客さま、板前にはまだまだ仕事がありますので、よろしければ、失礼させていただきますが……」
板前は再び手拭いで頭を包み、元通りの頭に戻っている。
「待てッ。きさまらには、まだ用がある!」
リーゼントは目を吊り上げる。
「カッちゃん、ここはいいから」
「でも、女将さん」
「あなたは持ち場を守って。ここはわたしの仕事だから。ねェ……」
そう言った女将の仕草は、花実も民都もマネがしたくなるほど、イロッぽい。
克人は、リーゼントにいかつい視線を送ってカウンターに戻る。
「オイ、待てッ! イタ、聞こえないのか!」
リーゼントは、しつこく克人に声を掛ける。
「お客さま。ここはわたくしの責任です。料理人には仕事があります。ご用がおありでしたら、わたくしがうかがいます」
女将はそう言って、ジッとリーゼントを見据える。
「じゃ、言ってやる。食べ放題だ。イカの塩辛の食べ放題と言っておきながら、あそこのテーブルには、玉子焼きの食べ放題を出しているじゃないか。そういうのって、おかしくないか。同じお客だぞ」
この男、一つテーブルを挟んだ民都たちのテーブルを、しっかり見ていた。しかし、女将は落ちついたものだ。
「あちらさまは、ご常連です。ご常連と一見(いちげん)さまは、区別させていただいております」
「なにが一見だ。一見だって、立派な客じゃないか!」
一角がスーッと戻ってきた。
「一角さん、どうしたの?」
民都が尋ねるが、一角は、女将の話を聞いていたらしく、
「おれたち、常連なの?」
「わたしとミーぼうは、2度目よ」
と花実。
「ヘーェ。そういうことは、前もって言っといてよ」
一角は恥ずかしそうに頭をかいた。
「一見さまも、大切なお客さまです。ですから、大切にさせていただいております」
「だったら、どうして差別をするンだ!」
リーゼントががなりたてている。
「差別ではございません。区別です」
「差別でも区別でも、おんなじじゃねえか」
「違います。ご常連は、これまでにお店に多大な貢献をしていただいております。わたくしどもの利益を還元する意味で、別の食べ放題を提供させていただいております」
「そんな勝手は許されねェ!」
リーゼントの目がさらに吊り上がった。
「ミーぼう、用意はいい」
花実の声に、民都は中腰になった。
「いいわよ。ハナちゃん!」
丸尾は妻の表情を見て、右手で作った拳にハンカチを巻き付けた。
リーゼントは、テーブルの縁に手を掛けた。
持ち上げようとしているが、テーブルはビクともしない。
「この卓は床にボルトで固定して、動かないようにしてあります」
「なにィ、このアマァ!」
リーゼントはテーブルの上に両腕を投げだし、左右に薙ぎ払った。このため、ビールジョッキーをはじめ、鉢や小皿が床に落ち、大きな音を立てた。
「器物損壊の現行犯! 逮捕ッ、します!」
民都がそう叫ぶと同時に、リーゼントに突進して床に押し倒すと、その利き腕をねじ上げた。
「イテッ、テテテテ、テテッ……おまえは何だ。お巡りか」
「現行犯は警察官でなくても逮捕できる、って聞いたことがあるでしょ。でも、わたしは赤塚署の現役巡査よ」
民都が言うと、花実はリーゼントの前に立ちはだかり、
「わたしは赤塚署の元警部補、鹿野花実。文句あるのなら、ミーぼうが署で聴くわ」
突然、リーゼントが吠えた。
「ルセエー! 手を離せ! おれは、この店の建物を管理している不動産屋だ。女将はおれの顔を知らないだろうが、おれが一声掛ければ、ここから追い出すことだってできるンだゾ」
女将が、眉をひそめ、思案顔になった。
一角が丸尾にささやく。
「丸尾先輩、こいつ、『よろず不動産』の跡取り息子というのは本当ですが、課長は肩書きだけだそうです。会長している父親がとっくに見放して、重要な仕事はさせていない、って。先に帰った連れの女性から聞きました」
「この業界の面汚しだな。女将、心配することないです。この男はバカですが、この男のオヤジはまともですから、私が明日にでも話してみます」
「ありがとう存じます」
「ミーぼう、どうする。この男、これから署に連行する? だったら、パト呼ばないと……」
花実が、リーゼントの腕を押さえている民都にそう言った。
「待てッ、待ってくれ」
リーゼントが叫ぶ。
「おれはこの店に初めて来たンだ。知らなかったンだ」
「何を知らなかったの?」
民都が尋ねる。
「こんな美人の女将がいるなンて。だから、つい、口が滑った……」
「わざと料理にケチをつけて、女将の気を引こうとしたのか。バカなやつだ」
と、一角。
「そうじゃない。女将が板前といい仲だということが、一目でわかった」
「まァ……」
女将の顔がサーッと赤くなった。
「女将、こんなことを言わせておいていいンですか」
丸尾が口を添える。
「この秋、カレと一緒になります」
女将は恥じらうように話す。
「おめでとうございます」
花実たち4人が声を揃えた。
民都はリーゼントの腕を離し、立ちあがった。
「おとなしくしていない、すぐに確保するわ」
「かわいい顔をしているくせに、すごい力だな。痛くて仕方ない」
解放されたリーゼントはようやく立ちあがり、スーツについたほこりを払っている。
「ミーぼう、どうする。このひと」
「ハナちゃんが決めて。この程度で、署員を動かすのも気の毒な気もするけど……」
「そうね。じゃ、放免するか。ただし、料理の代金と、壊した容器の代金を払うのが条件よね」
「わかった。払う。女将、これで勘弁してくれ」
リーゼントは2万円札を差し出した。
「いま、お釣りを……」
「いい。釣りは、ご祝儀だ」
リーゼントがすっきりした顔で言った。
「あんた、ヤキモチをやいていたのに、どういう風の吹きまわしだ?」
リーゼントは民都を見て、
「腕をねじあげられているとき、ふと思った。おれは、こっちの巡査のほうが、好みだ、って」
「なに! ミーぼうはおれのマドンナだ。ミーぼう、こんなやつ、一晩放り込んだほうがいいよ」
「そうね。そうするか」
民都が再び、リーゼントの腕をとろうとする。
「待ってください。冗談です。ジョークです」
「この野郎! 言っていいジョークと、絶対許せないジョークがあるンだ。ミーぼうは、ぼくが、ぼくが……大切にしているマドンナなンだ。それをおまえは、気安く……」
「一角さん、ミーぼうはだれのものでもないわ。勝手にマドンナなンて、呼ぶのは失礼でしょ」
花実が言う。
「ハナちゃん、そうだけど……」
「一角、ハナちゃんはおれの妻だ。これからは花実さんと呼んで欲しいな」
「先輩まで。ぼくはどうしたら、いいンですか……」
「一角さん。あなたは夢を見過ぎているの。しっかり、両目を開いて、ね」
民都は、一角の頬を両手で左右から挟んで言った。
「ミーぼう、ぼくはいまも夢を見ているの?」
「そのようね。醒めない夢だけど、ねェ……」
そう言った民都の笑顔は、イロッぽくて、女将に優るとも劣らない。
「ミーぼう、夢でもいいよ」
と言って、一角は唇を突き出す。
「バカッ!」
民都の平手打ちが飛んだ。
(了)
食べ放題 あべせい @abesei
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