ナイトレーベン

肺穴彦

第1話 The Raven is coming


『どうしても自分に自信が持てない!肝心な時に一歩を踏み出せない!あなたにはこんな経験ってありませんか?ありますよね?どれほど高価・ハイスペックなインプラントで全身をコーディネートしたとしても、中身がそれに見合っていないと意味がありません!』

『図体だけだってバカにされちゃうかも!!』

『そんな貴方に、今日我々がご紹介するのがこちら!その名も”King’s Berry”です!』


ちんけなスタジオの一角で収録されたであろう、この世の終わりみたいなクオリティの映像。

やたらとハイテンションな男女がお送りする、視聴者置いてけぼりの通販番組は、今夜も相変わらず胡散臭い商品を紹介していた。


『わぁ!カラフルでおいしそう!!』

『でしょう!?でも、美味しいだけじゃないんです!コレを食べると、その味ごとに異なる“自分”を手に入れることが出来るんですよ!例えばこのシトラス味、食べると気分は爽快!頭の中は冴えわたり、まるで試合中のアスリートの如き冷静さを手に入れることができるんです!』


見込まれる副作用に関しては保険適用外だが。


『PKの前には欠かせないね!!』

『はい!そして、このコーラ味……情熱的な色に違わず、食べるとロックスター顔負けのエネルギーが身体の底から湧いてきます!』

『気になるあの子もイチコロだ!!』

『他にも、皆が憧れるリーダーや感性豊かな芸術家にだってなれますよ!』

『よりどりみどりで困っちゃうね!!』

『それに、メンタルのサンプリング元は各界の名だたる第一人者ばかり!』


当然ながら、これは商品の効果を保証するものではない。


『すっごーい!!……でも、お高いんでしょう?』

『確かに、原価は安くありません。ですが、皆様へ日頃の感謝といたしまして、今回はこちらのKing’s Berry、3箱セットでこの価格とさせていただきます!』

『ででん!!おわ!コレ本当に値段あってる!?』

『勿論です!決済方法は各種幅広く取り揃えております』

『ナマの臓器も可!!』


生体払いに関しては別途複雑な規約に目を通す必要がある。


『今から30分、回線を拡張してお待ちしております!』

『君もKing’s Berryをキメて、どん底の生活から抜け出そう!!』


ボロボロの折りたたみ椅子に腰かけた店員の男は、死んだような目をしながら型落ちのテレビを呆然と眺めていた。

客のいない深夜のコンビニでは、脱法ポルノと化した低予算バラエティ番組くらいしか楽しみが無い。

そして、いい所でどうでもいい通販番組に邪魔をされて憤り、そんな自分に虚しさを覚え、こうして無気力に椅子にもたれ込む。

これが彼の毎晩のルーティンだった。

どうせ、朝になるまでまともな客が来ることは無い。

ホームレスが雨風をしのぎにやってくるか、意思疎通のとれない酔っ払いが光につられて迷い込むか、遊び場を求めたチンピラの群れが居座るか、ほとんど三択だ。

いずれにしても、彼の数少ない楽しみを妨げるという意味では変わりない。

しかし


カランカラン……


今日店に訪れた者たちは、そのどれにも該当しなかった。


「兄上、ここのコンビニやってるよ」

「ん……」

「カゴいる?」

「ん」


水色のパーカーをワンピースのように纏った、やや小柄な少女。

そして、その兄らしきネイビーブルーの上着の青年。

遅い時間に一帯を出歩くには珍しい顔ぶれだった。


「兄上、マシュマロを入れてもいいでしょうか」

「ん」

「ゼリービーンズもいいでしょうか」

「ん」

「コーンチョコは……」

「食べきれるなら」

「わーい」


この兄妹は遠足にでも行くのだろうか。

次々にお菓子をカゴへと放り込んでいく。


「兄上の飲み物はブラックコーヒー?」

「ん」

「他に買うものってあったっけ」

「いや」

「お会計?」

「ん」


兄妹はあらかた店内を回り終えると、兄の方がレジへとやって来て、台にカゴを置き、リーダーに手首をかざす。

彼が会計を終えると、妹が自分の分のお菓子を受け取りに来た。


「ご馳走様です」

「その分働いてね」


その後2人は店員の男に軽く会釈をして、店を出て行く。

再び、室内には深夜番組の音声だけが響き渡った。

しかしながら、今日はとことんイレギュラーなようで、またしてもいい所で番組は突如として中断されてしまう。


「おい、ざけんなよ……」


男はつい声を荒げる。

しかし、画面の中の光景が目に入るや否や、そんな苛立ちは何処かに飛んで行った。

そこに映っていたのは、巨大な火柱を上げて燃え盛る、自分の家だった。


『番組の途中ですが、ここで臨時ニュースをお届けします。午前1時20分頃、フォリニクス・テクニカCEO鳳(おおとり)氏が東町ウォーターフロントの自宅から拉致された模様です。その後、犯行グループと警護チームが数回に渡って交戦。ご覧のように、無関係な一般家屋にも被害が出ています』


黒塗りのセダンがアパートに突っ込み炎上する映像をバックに、アナウンサーは淡々と状況を説明する。


『現在鳳氏や犯行グループについての詳しい情報は入ってきていませんが、既に現場では複数の死者が確認されているとのことです。近隣にお住まいの皆さんは、速やかに周囲の安全を確保し、屋内に留まってください。くれぐれも現場を見に行かないでください』


ショッキングな映像と複数言語の同時放送による容赦のない情報の羅列を前にして、店員の男はただ立ち尽くす事しか出来なかった。





とあるビルの高層階に位置する執務室で、神妙な面持ちを浮かべた恰幅の良い男が鎮座していた。

そんな彼のもとに、突如として呼び出しの電子音が。

机の端末に用意された非接触型コネクタに手首をかざすと、何もない空間にホログラムが浮かび上がった。


『本部長、標的が網にかかりました』

「要点だけ話せ」

『共和国です』

「……そうか」


男はそれだけ言うと、通話を切って椅子から立ち上がる。

そんな彼の背後には、ロングコートの人影が佇んでいた。


「加賀美浜沖14海里にて、共和国のモノと思しき潜水艦の浮上が確認されました」

「こういう時ばかり、仕事の早い奴らだ」

「大使館には既に捜査一課、及び外事一課を派遣してあります。令状も発行済みです」

「それで大人しく応じる奴らではないがな」

「外務省も動き始めたようですが、間に合うとは思えませんね」

「あぁ……」


2人はガラス張りの壁から眼下の風景を眺める。

ビル、広告、自動車、ドローン、ホバークラフト……今は深夜だというのに、七色の光を放つ無数の人工物に照らされて、街は眩しいくらいだった。





深夜の共和国大使館前に、サイレンを振りまく車列が次々に押し寄せる。

そして車が止まるや否や、中からスーツの警官がぞろぞろと現れた。

しかし、1人だけライダースジャケット姿の人影が見える。

彼の名は猪討 雷(ししうち あずま)、捜査一課に身を置く刑事だ。

ただでさえ目立つ格好をしていた彼だが、周囲との違いは服装だけにとどまらず、唯一彼だけがサイバーインプラントの類いを一切身につけていなかった。

そんな“仲間外れ”の背後から、スーツ姿の同僚が話しかける。


「猪討、どうしてお前も来た?」

「仕事だろ」

「その身体でか?バカ言うな、足手纏いなんだよ。これ以上余計な心配事を増やすな」


彼らは小声で話しながら、列に習って大使館の門へと進んで行く。

しかし、門まで数メートルと迫ったところで、敷地内から現れた警備員達が警官隊を妨げた。

そして、少し遅れて初老の男性が建物の中から姿を現す。


『皆さん、どうかされましたか?こんな遅い時間に大勢でいらして』


男性は堂々とした様子で警官たちを出迎えた。

イヤーインプラントの自動翻訳機を通して、警官達の脳に伝わる無機質なイントネーションの日本語と、にこやかな表情とのミスマッチ具合が、異様な雰囲気を演出する。

だが、これに飲まれる訳にはいかない。

挨拶を受けて、スーツの女性が1人前に出ると、電子端末を掲げた。


「捜査一課から来ました、管理官の狛枝(こまえだ)です。貴方方には鳳氏誘拐に関与した疑いがかけられています。よって、只今より強制捜査を実施致します」

『おっしゃっている意味がわかりかねますが……』

「当方は貴方方共和国が鳳氏の身柄、及び新型生物兵器のプロトタイプを不正に管理下に置いている事を示す証拠を所持しています。言うまでもありませんが、令状も出ています」

『“令状”ですか……』


狛枝管理官の言葉を受けて、共和国の外交官は目を細める。

そして、困った様な顔をしながら言った。


『しかしながら、その“令状”というのは貴方たちが捜査権を持つ日本国内に限り、効力を発揮するものでしょう。ですが、この門を潜った先は共和国です。日本の法律は通用しない』


外交官の男性は悪びれもなく、自身に向けられた令状を突っぱねた。

自身の無実を訴える訳ではなく、“お前たちの言う事など聞く気は無い”と正面から言い切ったのだ。

しかし、対する管理官も簡単には引き下がらない。


「一般的な事案に対してはそうとも言えるかもしれません。しかし、今回は生物兵器が絡んでいる都合上、国連安保理の最重要決議にも違反している訳です。万が一にも今ここで兵器が作動した場合、日本国の領土にもその被害は及びます。国際法上、私たちにはそれを阻止する権限がある」

『ええ。ですが、貴方自身にその力はありません。国連で正式な手続きを経て、正当な外交ルートを通さない限り、皆さんをこの中にお招きする事は出来ないのです。残念ながら』


外交官の男性は微笑を浮かべながらも、一切引くことのない態度で言い切る。

たった数センチの敷居を跨ぐか否か……そのために、今ここでは両国が真っ正面から衝突していた。





同時刻、フォリニクス・テクニカ本社ビル。

この時刻は警備を含む全ての防犯システムが、AIによって無人で管理されていた。

しかしながら、建物入口には熱光学迷彩を纏った車両が2台ひっそりと横付けされている。

そして、巡回ロボットや監視カメラ等も全く機能していなかった。

そんなビルの一角で、ボディースーツに身を包んだ集団が低い姿勢で固まっている。


「ビル全域の制御を確保した。これで30分までは安泰だ」

「それよりも先に警察が来る。作業は今から15分以内に済ませるぞ。脱出ルートの確保はどうなってる?」

「当然完了済み。地上、地下、空、状況に応じて使い分けは可能」

「よし……各自持ち場に向え。少しでも異変があればすぐに知らせろ」


彼らは2人1組になると散開し、別ルートでビルの中を進んで行く。

そして、リーダー格の男は相方の女と共に、最上階を目指して階段を登って行った。

行動開始から5分が経過した所で、男は仲間に無線を繋げた。


『残り10分、現状を報告しろ』


しかし、通信はノイズが酷く満足に繋がらない。

彼らは傍受される可能性を最小限に抑えるため、専用のチップを用いた極短距離無線を使用していたが、よりによって該当する周波数帯が通りにくい環境だったのだ。

男は改めて残り時間を確認する。

今から目標地点に到着、サーバーにアクセスしデータを盗み、脱出するまでに必要な時間を考えると、あまり悠長な事をしている場合ではない。


「進むぞ」


彼らはアイコンタクトを交わすと、再び前進する。

そして、もう間もなく曲がり角の突き当りに到達するという時


ブゥン……チカチカ……


突如として一帯の電源が入り、周囲に明かりが灯る。

が、それも一瞬。すぐに消えてしまった。

やがて、一度は足を止めた2人も行動を再開する。

しかし、彼らは軽率だった。

今の一瞬で、背後の監視カメラに姿を捉えられていた事に気が付かなかったからだ。

脅威は、突然やってくる。


コッ……カコン!


曲がり角の向こうから飛んできた金属製のボールが2つ、廊下の壁に当たって向きを変え、2人が構えていた銃に貼り付いた。


「何っ!?」


それが何であるかを理解するよりも先に、彼らの視界は無数の警告表示で埋め尽くされる。

心拍数が急激に上がり、身体が重くなっていく。

直後、黒いテックウェアに身を包んだ影が、曲がり角の先から現れた。


「……っ!?接敵!!」


正体不明の脅威を目の当たりにした2人は、すぐさま引き金を引く。

しかし、弾丸は放たれない。

困惑する彼らの視界には、使用者権限無しの警告文が浮かび上がる。

銃は彼らを主と認めず、トリガーにロックをかけてしまっていた。


「……クソ!それなら!!」


男はボールが張り付いた銃を捨てると、右腕を前に突き出す。

すると、前腕部が2つに割れて、中から折り畳み式のブレードが姿を現した。

そして男は地面を蹴ると、黒い影に向かって一気に切りかかった。

全身のアクチュエータが連動し、生身の人間では到底到達できないスピードを生み出す。

ミリタリースペックのインプラントで全身を固めた男に、これまで勝った者などいなかった。

しかし


「あ……れ?」


振り抜いたブレードの切っ先は、深々と壁に突き刺さっていた。

そして、次の瞬間視界いっぱいに靴底が飛び込んでくる。


「んがっ!?」


黒い影は男の顔面を踏み台にして跳躍すると、空中で身を捻って後続へと迫る。

一方、迎え撃つ女は敵を挟み撃ちにする事を狙ってか、銃身を持ち上げ身を守る構えを取った。

直後


ダダダン!!


唐突に女の銃が発砲した。

無論、引き金は引いていない。

予想だにしていないリコイルで一瞬体勢が崩れた瞬間を、相手は逃さなかった。

空中で繰り出される踵落としが炸裂、そこからダメ押しの第二撃に繋げ容赦なく蹴り飛ばす。

そして、女の手から零れ落ちた銃をキャッチすると、背面から切りかかって来ていた男にノールックで銃口を向ける。


≪使用者権限確認・安全装置解除≫


銃のホロサイトに、そんなメッセージが浮かび上がった。

直後、アンダーレールに取り付けられたテーザーガンが射出され、電極が男の身体に突き刺さる。


「ぐあああああああ!!!」


流される大電流に男は身を震わせ苦しみあえぎ、やがて全身をこわばらせたまま床に倒れ込んだ。

相棒が成すすべなく倒された様子を目の当たりにした女は、素早く身を起こすと両手首を展開し、現れた銃口を黒い影に向ける。


ビシュ!ビシュン!!


電磁力で加速された金属製の細長い棘が、矢継ぎ早に放たれる。

しかし、相手はそれを完全に見切っていたようで、壁や天井を縦横無尽に駆け抜け間合いを詰めると、女の両手首を掴んで壁に叩きつける。

そして、目深に被ったフードから黄金色の瞳が姿を見せたかと思うと、あたかもディスクの記録面のように七色の光を放った。

直後、女の意思に反して腕の装甲が展開され、格納されたレールガンユニットが露出する。

続いて神経系や骨格に繋がるコネクタの類いが勝手に外れていき、なんと相手側のポートに次々に接続されていってしまう。


「なに、これ……どうなって」


困惑する女をよそに、レールガンはテックウェアの前腕部にトンファーのような形でマウントされると、遂に主に牙を剝く。

女は壁に押さえつけられた姿勢のまま両掌にレールガンを食らい、磔になりながら絶叫した。

そして、目に涙を浮かべながらも、歯を食いしばって必死に抜け出そうとする。

しかし、敵は興味を失ったように背中を向けた。

そのまま2人を放置して先に進んでいき、その後を追うように銃に張り付いていたボールが床を転がっていく。


コロコロコロ……カコン!


ボールはまるで意思を持っているかのように、足元まで転がり独りでに跳ね上がる。

黒い影はそれを掴むとベルトにセットし、突き当りの向こうに消えていく。

暗い廊下には敗者だけが残された。





10分後、共和国大使館前。

未だ日本警察との睨み合いが続いていた大使の元に、暗号化された通信が届く。

彼は顔色一つ変えずに、それを網膜上に投影する。

内容は単純、フォリニクス本社から目標としていたデータを奪取したというものだ。

大使は続いて、付属されていたファイルにも目を通す。

それは紛れもなく、彼ら共和国が欲していた生物兵器に関するデータそのものだった。

大使は思わず口元が緩む。


「……?」


それを見た狛枝管理官は、怪訝そうな表情を浮かべた。

相手が今この瞬間にも“何か”をしていることは明白であったが、証拠がなければ切り込むことは出来ない。

歯がゆさを感じながらも、有効な一打を打つことができない警察を内心であざ笑いながら、大使は部下に命令を送った。


『データは受け取った。日本の警察が嗅ぎ付ける前に、現場から撤退しろ』


続いて、彼は自身専用のホバークラフトをチャーターする。

すると、付近を旋回していた一機がゆっくりと高度を下ろし、大使館上空へと進入した。


「あいつ、高飛びする気だ!」


ライダースジャケットの刑事、猪討は眼前を通り過ぎていく物体を見上げて言う。

大使は特権を強引に使って、日本からの出国を図った。

当然ながら外交問題もいい所だが、領海の外では潜水艦が睨みを利かせており、大使館への強行突入やホバークラフトに対するインターセプト(軍用機による飛行ルートへの強制介入)と言った手段を行うには、あまりにもリスクが高すぎる。

狛枝管理官は大使に向かって叫ぶ。


「これはどういう事ですか!?貴方が何の罪も犯していないのであれば、逃げる必要など無いでしょう!?」

『逃げる?成程、お嬢さんの目にはそう映るのですね。ですが、私はあくまで大使ですから、本国から呼ばれれば即座に出向かなくてはならないのです』


大使は少しおどけたように言うと、警官たちに背を向けて建物の方へと歩き出す。

数人の警官達がそれを追うべく駆けだしたが、警護の者たちに妨げられてしまった。


『管理官、こちらは配置に付いています。許可を頂ければ、直ちに狙撃を実行できますが』

「それはダメだ……こちらから仕掛ければ、国際社会は我々の味方をしてくれない。そればかりか、奴らに大義名分を与えることになる……」


狛枝管理官は黒服の男達に押し出されながら、部下の提案を却下した。

最早、今の警察に成せる事は無い。

そんな警官たちを横目に見ながら、大使は玄関の扉を潜ろうとした、その時だった。

彼のもとに、突如として音声通話が繋がる。

発信元は本社ビルに襲撃を行った部下からだった。

大使は足を止め、通話に応じる。


『どうした、このタイミングでの通話は許可していないぞ』

『申し訳ありません。先程の通信に対する返答が届いていませんでしたので』

『何だと?』


大使は暗号通信の履歴を遡ってみたものの、確かにメッセージは送信されていた。


『そんなはずは無い、確かに送っている』

『こちらでは確認出来ていません……この際、口頭でお願い致します』

『フォリニクスのデータは手に入った、お前たちはそこから撤退しろ。私もホバーでここを出る』

『承知いたしました』


大使は改めて、命令を送った。

そして、無線口の部下はそれを聞き取った。

ハッキリと、聞き取った。


『大使殿、これでもう後戻りはできませんよ?』

『……何だと?』

『空をご覧下さい』


大使は言われたままに振り返り、空を見上げる。

そこには集合した大量のドローンが、上空から大使を見下ろした映像を映し出していた。


『フォリニクスのデータは手に入った、お前たちはそこから撤退しろ。私もホバーでここを出る』


ドローンのスピーカーから、大使の声が響き渡る。

当然ながら、この映像は警官たちの目にも入っていた。


「おい、これどうなってんだ?」

「それはまだ分からない……ただ、確かな事が一つある。あの野郎は案の定真っ黒って事だ」

「違いない。管理官!」

「わかっている!課長、この映像はご覧になっていますね?」


映像を受けて、警官サイドは慌ただしく動き始めた。

ここまでハッキリとした証拠があれば、ここまで不干渉を貫いていた友好国も立場を変えるはずだ。

一方で、共和国の大使は叫ぶ。


『こんなモノはでたらめだ!この程度の映像や音声、いくらでもでっち上げられる!』

『そうおっしゃると思っていました。ですので、こちらをどうぞ』


続いて、映し出されたのはフォリニクス本社ビル内のカメラ映像だ。

ボディスーツを纏った人影が転がっている様子が、次々に露わになっていく。


『おわかり頂けたでしょうか?部下の皆様方は作戦に失敗致しました』


実行犯である部下がビル内で無力化されていると言う事、それは即ちこれ以上ない証拠が現場に残されていると言う事に他ならない。

最早、大使に言い逃れできる余地は無かった。


『貴様、何者だ?』


大使は震える声を絞り出す。

対する相手は淡々とした調子で返した。


『さぁ……ですが、直ぐに会えますよ』


そして、通話が切れる。

大使は歯を食いしばり、建物の扉を潜った。





フォリニクス・テクニカ本社ビル、屋上。

黒いテックウェアの人物が、大使の部下の1人を捕え、そのうなじに手首のコネクタを繋いでいた。


「ヒナ、あれはちょっとやりすぎだ」

『えー』

「わざわざ出向くことまで言わなくても良かった」

『反省します……で、兄上は』

「ヒナの宣言通り、大使館を強襲する」

『了解!お気をつけあそばせ』

「ん、そっちも」


無線口で“兄上”と呼ばれたテックウェアの青年は、手首のコネクタを外して大使の部下を転がす。

そしてフードを被り直すと、屋上の縁に向かって走り出し、そのまま一気に助走をつけると空中に身を投げた。

ネオンの光が帯となって流れ出し、冷たい風が身体に叩きつけられる。

彼は街の夜空を頭から落ちていく傍ら、視界のHUDに映る数字を目で追っていた。


「60……70……80ノット」


スピードが十分に乗ったタイミングで、彼は指を鷹の爪のように曲げ、両腕を左右に伸ばす。

すると、テックウェアの背中部分が展開し、ウイングスーツへと姿を変えた。

すぐさま頭を引き起こし、網膜に投影されたルートへ進路を重ねる。


「3分で着く」


彼は人々の頭上を猛スピードで駆け抜けていく。

今夜、七色の街には黒い怪鳥が舞い降りていた。


『全ユニットに通達、フォリニクス本社ビル近郊にて“ワタリガラス”出現。現在潮ノ台(しおのだい)北三条を、共和国大使館に向け移動中』


街中の警察無線に連絡が入る。

これを受けて、各地で巡回していたパトカーや警察のドローンは踵を返し、大急ぎで通過が予測される地点に向かった。

また、独自のネットワークを持つ共和国大使も、足止めをさせるべく部下たちを仕向けた。

しかしながら、そういった動向もワタリガラス本人は逐次把握している。

彼は街の監視カメラを通して敵の進行ルートを特定すると、交通管制システムに侵入し、信号や車止めにアクセスする事で強引に通行止めや渋滞を創り出し、地上からの追跡を阻んだ。

しかし、それだけで全ての敵を足止めできる訳は無い。

まず現れたのは、ビルの間を縫って飛んで来た警察のドローン。

そして……


ダダダン!!!


警告も無しに、建物の屋上から銃撃が行われた。

撃ったのは黒いボディスーツ、大使の部下だ。

ワタリガラスは片翼を畳む事によって素早くロールし、銃弾の列をかいくぐる。

しかし、敵は攻撃の手を緩めない。

とうとうワタリガラスは飛行に必要な速度を失い、ビルの屋上に足を付ける。

だが、そこにも敵は待ち構えていた。

再び容赦のない銃撃に襲われた彼は、素早い身のこなしで射線を切った。

そして、クレーンで吊り下げられた工事用のゴンドラへ跳馬のように手をつくと、身を捻って屋上から飛び降りる。


「逃がすか!」


ボディスーツを纏った男が続いて飛び降りると、ガラス張りのビル壁面にテックウェアの影が直立して待ち構えていた。


ビシュッ!!

ダダダン!!


まるで早撃ちの決闘のように、2人は互いの姿が目に入るとすぐさま発砲した。

ワタリガラスは即座に側転し、ボディスーツの男は銃で鉄杭を受ける。

そして男は銃を捨てると、ブレードを展開してワタリガラスへと迫り、第二射が放たれるよりも速く、腕にマウントされたレールガンを切り裂いた。

宙を舞う破片がオレンジ色に輝く。


「終わりだ!」


男は更に一歩踏み込み、二刀目を走らせた。

しかし、刃は空を切る。

両足の吸着を解除したワタリガラスは、重力に引かれて背中から落ちていたからだ。

そんな彼を迎えるように、警察のドローンが飛来すると足元に滑り込む。

ドローンのセンサー部位には金属製のボールが張り付いていた。

獲物を仕留めそこなった男はガラスの壁を走ってドローンを追うが、突如として頭上に迫った影には気がつかなかった。


ドゴッ!!


遠隔操作された工事用のゴンドラが無慈悲にも直撃。

男は壁から引きはがされ、そのまま地面に叩きつけられた。

ボディスーツのお陰で即死は免れたが、最早満足に身体を動かすことは叶わない。


「ワタリガラスめ……」


パトカーのサイレンが近づいて来ているのを感じながら、彼は1人毒づく事しかできなかった。

こうして妨害を適当にあしらったワタリガラスは、新しい“足”を手に入れ大使館へと向かう。

一方、満足な足止めが出来なかった事を部下から聞かされた大使は、怒りを露にしながらホバークラフトに乗り込んだ。


『ワタリガラスだと?冗談ではない!何故そんな得体も知れない犯罪者に、私が屈しなくてはならないのだ』


ホバークラフトは完全自動操縦であり、大使しか動かすことの出来ない専用機だ。

当然乗り込んだのも彼一人である。

しかし、その背後には既に、うなじに電極を差し込まれ、フルフェイスのヘルメットを被らされた状態で転がされた人影があった。


『鳳殿、貴方には大変申し訳ないが、私と来ていただく事になります。無論、“荷物”も一緒です』


大使はそう告げると、ホバークラフトを離陸させる。

目的地は領海の外で待機中の潜水艦だ。

この先、警察やワタリガラスがどんな嫌がらせをしてこようが、この武装した専用機であれば恐るるに足らない。

そして、他国との関係悪化にしても、積荷と鳳氏の身柄を天秤にかければお釣りが来る。

大使は自身の勝ち逃げを確信し、眼下で慌てふためく警官達を鼻で笑った。

その時だった、高速で接近する物体をレーダーが捉え警報を鳴らした。

モニタに拡大された映像が映し出される。

それは、まるでドローンをサーフボードのように扱い、こちらに迫ってくるテックウェアの姿だった。


『迂闊だな……この機には自衛用の武装が装備されている!』


大使はタッチパネルを操作しミサイルランチャーを起動する。

そして、向かってくる影にロックオンし、躊躇なく発射した。

放たれたミサイルは一瞬の間を置いて急速に加速し標的に到達、黒い煙をまき散らす。

その様子をモニタで目にした大使は思わず笑ってしまった。

あれだけ口では大層な事を言っておいて、なんてあっけないものなのだと……。

しかし


ガコッ!


何かが機体に衝突したかのような音がした直後、急激に強い揺れが発生。

モニタの表示もあっという間に狂っていき、各部の制御が乗っ取られていくのが見て取れた。


『まさか……』


大使は窓から自機の外壁を見る。

そこにはやはりと言うべきか、金属製のボールが張り付いていた。

追い込まれた大使は緊急用の手動レバーをつかって扉を開ける。

そしてピストルを持ち出すと、頭上で月をバックに翼を広げた影に向かって銃口を向けた。


『貴様!!』


引き金が引かれ、銃弾が放たれる。

しかし、相手の方が一歩速かった。

ホバークラフトは急激にロールすると、扉を真上に向けた。

当然ながら大使は転倒し狙いは外れ、流れ弾で天井のランプが割れる。

そして、翼を畳んだ黒い影が一気に落ちて来ると、開いた扉を潜って大使に垂直ドロップキックを決める。

あまりの激痛と衝撃に、大使は汚い呻き声を漏らした。

ワタリガラスは右手首のコネクタを展開すると、満足に動けない大使のうなじに突き立てる。

そして、睨んでくる目を睨み返し、瞳孔を七色に光らせた。


『許さんぞ……貴様、許さん……』


怨み言を言う大使の意識が徐々に遠ざかっていく。

そして完全に昏睡したことを見届けると、その近くで転がる鳳氏のヘルメットを脱がせ、電極を外す。

十数秒ほど経つと、彼は意識を取り戻した。


「これは、何がどうなったんだ……ここはどこなんだ……」


ワタリガラスはそんな鳳氏に構わず、大使に電極とヘルメットを装着。

そして、ホバークラフトの行き先を警察本部に変更すると、開いた扉の縁に手をかけ飛び降りようとする。

しかし、それを鳳氏が呼び止めた。


「待ってくれ!君は、何者なんだ……?」


ワタリガラスはこれに対して沈黙を貫く。

そして、軽く反動をつけると勢い良く飛び降りた。

外壁から外れたボールをキャッチし翼を開くと、旋回してホバークラフトから離れる。


「ヒナ、作戦終了だ。家に帰ろう」


そうやって彼は闇の中へと消えていった。




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