四 : 思いと思い(3)-一世一代の大勝負

 不意の急襲に大混乱となっている門徒勢の中を縫うように馬を走らせた孫一と泰三は、前線に程近い場所にある一軒の掘っ建て小屋に辿り着いた。元々は大坂表近在の百姓が作業道具を仕舞う為に建てた粗末な物置小屋だったが、孫一はきたるべきその時に備えて予め人を配して押さえておいたのだ。

「お待ちしておりました」

 見張りの役目に就いていた配下の者・吉兵衛が、孫一の到着を知って近付いてきた。

「状況は」

「織田方の苛烈かれつな攻めに、門徒勢は立て直す間もなく切り崩されています。追っ付け、ここにも織田方の兵が押し寄せてくることでしょう」

 味方の芳しくない状況にも顔色を変えず淡々と述べる吉兵衛に、一つ二つと頷く孫一。こちらにとって良くない展開は、逆に望んでいた展開でもあるからだ。

 この場所は織田方の拠点である若江城から天王寺砦を最短経路で進む途上にあり、信長が天王寺砦に救援へ向かう際に必ず通ると睨んでいた。実際、孫一の読み通り織田勢はこちらの方に向かっているらしい。

 石山本願寺は上町台地に築かれ、北は淀川、東は大和川が流れ、西は大坂湾に面している為、敵が攻める時は南から進軍するしかなかった。後年、石山本願寺の跡地に建てられた大坂城を徳川勢が攻めた大坂の陣でも今回と同様に南から攻めている。

 小屋の中にあった梯子を掛け、屋根に上る孫一。遠くを望めば、織田方の旗幟が土煙を上げて近付いて来るのが見て取れた。

「泰三、吉兵衛。怪しい奴が近寄らないよう見張っておけ」

「へい!」

 孫一が一人上がっただけでも屋根板はギシギシと悲鳴を上げる。引き金を引こうとした瞬間に床が抜けてもらっても困るので、残りの二人は下で控えてもらうことにした。孫一は担いでいた鉄砲を下ろすと手早く支度に入った。早合の包みを破いて弾丸と火薬を筒の中に流し入れ、槊杖で突き固める。人影を捉えられては元も子もないので腹這いになり、その体勢で鉄砲を構えて照準の調整を行う。これでいつでも撃てる準備が整った。

 織田方ののぼりや旗も徐々に形が捉えられるようになり、朧気おぼろげだった色や模様もはっきり分かるようになった。そして、点だった人も視認出来るようになった。

(さぁ、来い。信長。オレがお前の額を撃ち抜いてやる)

 孫一は信長と直接対面した経験があり、顔貌かおかたちも把握している。写真が存在しない戦国の世では肖像画を除けば敵方の人間の正確な外見を知る事が難しく、顔を知っているというのは一つの強みであった。尤も、瓜二つの影武者を立てられたら成す術は無いが……。

 信長は、何処に居る。陣立ては斥候の報告で大まかに掴んでいるが、その所在までは分かっていない。織田方の幟旗きしから探すしかない。

 今見えるのは、織田方の先陣の軍勢。丸の内に三引両の佐久間勢、九曜紋の細川藤孝勢、蔦紋の松永久秀勢……孫一の狙いは総大将信長ただ一人なので家来共に興味は無い。

 しかし……妙に引っかかる事がある。織田方で一番勢いのあるのが、松永勢なのだ。

 佐久間信盛は天王寺に籠もる嫡男信栄を救い出したい、細川藤孝は懇意にしている明智光秀を救い出したい。この両者は必死に戦うだけの理由がある。では、松永久秀はどうか。特段奮闘する理由は無いし、むしろ久秀はこちらとよしみを通じているので消極的でもおかしくないのだが……食わせ者の腹の内はよく分からん。

 少し気になったので、松永勢に目を向ける。雑兵の士気が思いのほかに高いのが意外だった。徴兵された百姓や銭で雇われた無頼の者は家付きの武士と違い戦意に乏しくやる気にさせるのは至難の業だが、指揮する組頭が相当優秀なのか?

 最前線で、甲冑姿の武者が馬上から手にしている刀を大きく振り回しながら大声で味方を叱咤しったしている。動きの鈍い雑兵を刀で脅して働かそうとする粗暴な輩は珍しくないが、その武者はそうではないみたいだ。

「鉄砲衆、見事な働きである! さぁ、弓衆! 腕の見せ所ぞ!」

「槍衆共、味方は素晴らしい働きを見せてくれたぞ! 続け続け!」

 武者は大声で働きを褒め、他の者に刺激を与えている。その為か、兵達の表情は明るくやる気に満ち溢れていた。

 見ると、兵の駆け引きが上手い。敵が怯めば果敢に兵を投入し、味方に疲れや敵に反撃の兆しが見えれば惜しむことなくサッと兵を退く。組同士の連携もあの武者が繋ぎ目となり切れ間なく軍が機能していた。

 あの者を仕留めれば、松永勢の勢いに陰りが出るかも知れない。孫一は武者の方に照準を合わせる。

 色白な肌、華奢きゃしゃな体型、薄い髭……遠巻きに見た武者に、孫一は既視きし感を覚えた。はて、どこかで見たことがあるような……。

 じっと眺めている内、武者の顔がはっきりと分かる角度になった。その顔を目の当たりにした瞬間、孫一は雷に打たれたような衝撃を受けた。

「――織田、信長?」

 見間違えか他人の空似か? と手の甲で目をゴシゴシと擦ってから、再び同じ武者に目を凝らす。視線の先にある武者は、確かに織田“上総守”信長その人に間違いなかった。

 織田方の総大将である信長がどうして松永久秀の陣に、しかも最前線で雑兵に混じって指揮を執っているのか……? 疑問は尽きないが、これぞ僥倖ぎょうこう!!

 この時を、この瞬間を待っていたんだ!!

 火縄に火が点じているのを確認し、火蓋を切る。これであとは引き金を引くだけだ。

(……まだだ。まだ、遠い)

 孫一の居る場所から信長までざっと見積もっても二百間(約三六四メートル)はある。せめて百十間(約二〇〇メートル)、いや、万全を期す為に百間(約一八二メートル)まで近付かないと。

 孫一が用いる士筒の有効射程距離は最大百十間、一般的に広く出回っている小筒の二倍の長さだ。当然、距離が遠くなれば命中させる難易度は上がるが、孫一はこれまでも同じような距離での狙撃に何度も成功している。相手の意図しない距離から狙い撃つ事こそ孫一最大の強みだった。言い換えれば孫一の狙撃は奇襲みたいなもので、もしも外してしまえば相手に「この距離でも狙われる」と悟られてしまい、次の狙撃が難しくなる。

 引き金に触れる指が、汗で滲む。一旦引き金から指を外してももで拭う。その間も視線は照星越しに信長から一時も離さない。

 これまで数多の戦場を鉄砲一本で武功を重ねてきた百戦錬磨の男・雑賀孫一も、天下人信長を前にして緊張が隠せなかった。

 信長を仕留められれば、その瞬間から世の流れが変わる。強大な兵力と絶大な権力を持ち、天下統一に最も近い位置に君臨する信長が居なくなれば、信長に虐げられてきた大勢の者達を救う事が出来る。その人々の未来が己の指先一つに委ねられていると思えば、絶対に失敗は許されない。

 しかし……一方で、孫一の脳裏には昔日の信長が見せた屈託のない笑顔がちらつく。日ノ本の将来を心から憂い、未知の脅威からこの国と民を守ろうとする信念が、次から次へと蘇ってくる。

(くっ……)

 雑念が、頭から離れない。目をつむりブンブンと頭を強く振り、脳裏に浮かぶ信長の姿を払う。生死が表裏一体の戦場で私情を挟むのは禁物。基本中の基本がなってないとは、雑賀孫一ともあろう者が何たる様(ざま)か。

「信長は敵……信長は仕留めるべき対象……オレの仕事は顕如上人から依頼された事……」

 原理原則を、口の中で呟く孫一。無心になって唱え続けていると、孫一の脳裏に浮かんでいた信長の面影が徐々に薄れていく。

 その間に、松永勢の槍衆が腰の引けた門徒勢を大きく突き崩した。戦場に響いていた念仏の声も途切れ途切れに聞こえるだけだ。信長率いる松永勢は総攻撃の機会を今か今かと窺っていた。

 総攻めとなれば、信長も将兵に交じって門徒勢に切り込むことだろう。眼前の敵に意識が集中して周囲への警戒が疎かになる。その時が狙撃する絶好の機会だ。

 勝負は一瞬一拍の世界だ。突撃の号令が、勝負の合図となる。

 馬上の信長が、味方の戦況を注視している。刻一刻と移り変わる戦の潮目を見極めようとしていた。孫一もまた信長の一挙手一投足に全神経を研ぎ澄ませて注目する。

 そして――辛うじて踏み留まっていた門徒勢だったが、松永勢の激しい攻めに押され、前線で戦っている一部の兵の間で逃走を図ろうとする動きが出始めた。一人が背中を見せて逃げ出すと、周りの者も不安に駆られて歩みが鈍くなる。そうした心理が陣全体に広がり、門徒勢の攻めが緩んだ。

 信長はその僅かな変化を見逃さなかった。

「突撃―!!」

 その華奢な体からは想像できないくらいの大音声だいおんじょうで叫ぶと、突撃の命令を待っていた将兵が地響きを鳴らして一斉に動き始めた。敵が及び腰になれば勢いに乗じて一気呵成に攻め懸かる絶好機である。松永勢は上から下まで目の色を変えて門徒勢に襲い掛かった。

 信長も血気盛んに駆けていく将兵達の姿を確かめてから、馬の横腹を蹴って駆け出した。

(――来た!!)

 孫一はカラカラに乾いた唇を舌で舐めると、臨戦態勢に入った。味方の門徒勢は既に総崩れの様相を呈しており、持ち堪えるのは極めて厳しいように思われた。しかし……それこそ孫一が待ち望んでいた状況だった。勢いに乗る者はどうしても気が大きくなる。信長もこの時を好機と捉え、門徒勢を少しでも追い散らそうと考えるに違いない。その間隙を突いて、仕留める!

 百七十間(約三〇九メートル)、百五十間……信長を乗せて駆け出した馬はグングンと加速し、孫一との距離をどんどん縮めてくる。孫一は引き金に触れる右手の人差し指を動かして、緊張で固くなった筋肉を解す。

 いつもと同じように、気持ちを落ち着かせる為にゆっくりと息を吸い、細く長く吐く。儀式のような習慣は誰が相手でも変わらない。

 信長が百三十間(約二三六メートル)に迫ろうとしていた。孫一は引き金に指を掛け、両目に意識を集中させる。

 百二十間(約二一八メートル)、百十五間(約二〇九メートル)……馬上にある信長の表情もはっきりと見えるようになってきた。

 狙いは、額の中央。心の臓は鎧の厚み次第では撃ち漏らす恐れがある。確実に仕留めるなら肌を晒した急所一択だ。

 いよいよ百十間を切り、百五間(約一九一メートル)まで来た。遂に、機は熟した。人差し指に力を籠める。

(終わりだ!!)

 残り僅かの距離、孫一が引き金を絞ろうとした、その時だった。

 馬上の信長が、こちらに顔を向けて鋭い眼光で睨んできた! その力強い双眸そうぼうは間違いなく孫一の顔をはっきりと捉えていた!

(――っ!!)

 予想外の行動に激しく動揺しながらも懸命に引き金を絞る。

 轟音を発して放たれた弾丸は――信長の左脛を掠めた後、後方の地面に小さな土煙が上がった。

 寸前まで信長の額を確かに捉えていた筈なのに、外してしまった。

 理由は簡単明瞭めいりょうだ。咄嗟とっさの出来事で気が動転して、銃身を支える左手がブレた。その僅かなブレが致命的となった。

 信長が神懸かった動きで避けたのではない。平静を保てなかった己の未熟さが招いた結果だ。天下にその名を轟かせる雑賀孫一が敵と目が合っただけで取り乱すとは、情けない。

「クソっ!!」

 忌々しく舌打ちを一つ鳴らした孫一は、急いで槊杖で筒内を掃除して早合の包みを歯で破いて弾薬を流し込む。信長に勘付かれたかも知れないが、一縷の望みに託して再度の狙撃を試みる。

 これまで数え切れない狙撃の機会があったが、対象人物と目が合うなんて経験生まれて初めてだ。一般的な小筒の有効射程距離は精々五十五間が限度。そのおよそ倍の距離から狙われるなんて誰が想像するか。しかも、影を潜めていたオレを的確に射貫くなんて、有り得ない!!

 目にも留まらぬ速さで再装填を済ませると、再び信長の額に照準を定める。当の本人は銃弾が掠めたにも関わらず涼しい顔をしているのが腹立たしい。

 次こそ外すものか。並々ならぬ闘志をたぎらせて引き金を引こうとしたその時、屋根の下が俄かに騒がしくなった。

「頭領!! 一大事です!!」

「うるせぇ!! 後にしろ!!」

 視線は信長を見据えたまま、わずわしそうに一蹴する孫一。一刻も惜しい状況で邪魔をされて本気で苛立っていた。

 だが、声を掛けた吉兵衛も孫一が殺気立っていると分かっても怯まず続けた。

「たった今、雑賀の陣から火急の報せが入りました!! 我等の陣に難を逃れようとする門徒勢が大勢殺到しています!! 追い払おうにも人数が人数なので抑えきれません!! このままでは同士討ちが避けられず、共倒れになる事確実です!! 至急、陣へお戻りを!!」

 悲鳴にも似た報告に、孫一も思わず反応した。

 門徒勢と雑賀衆は持ちつ持たれつの間柄だ。雑賀衆が圧倒的火力で薙ぎ倒した後に次の弾を撃てるようになるまでの間、門徒勢が身を挺して敵から守る。互いの信頼関係が成立しているからこそ、石山本願寺は織田家に対抗出来たのだ。その信頼関係が崩れ、門徒勢の混乱が雑賀衆に影響を及ぼそうとしていた。

 今回の作戦を実行するに当たり、孫一は信頼に足る者に後事を託した。多少の突発的な事態にも対処出来るだけの能力があるので、滅多なことで孫一に助けを求めて来ないのを孫一も知っていた。孫一が一世一代の大勝負に臨んでいる事も熟知していた筈だ。それでも、手に負えないと思ったから知らせてきたのだろう。

 孫一は日ノ本でも指折りの鉄砲撃ちであると同時に、雑賀衆五千を率いる一軍の将でもある。一つの身体で二つの顔を併せ持つが、取るべき行動は全く異なる。

 畿内をほぼ掌握し、地方へ勢力を拡大しつつある織田家の当主・織田信長。戦場に赴く際も自らの身の安全が担保されないと出て来ない信長が、手を伸ばせば届く距離に居る。信長を敵と見る者にとって千載一遇の絶好機、次が巡ってくるとは限らない。仕留めるなら今を措いて他にない。

 一方で、孫一の肩には雑賀衆五千の兵とその家族の生活が懸かっている。同郷の士を一人でも多く故郷へ帰すのが孫一の使命だ。将兵は孫一に命を預けており、その期待と責任に全力で応える義務がある。

 仲間の命に目を瞑って偉業に挑むか、天下人を撃つという歴史に名を刻む偉業を諦めて仲間の命を救うか。究極の二択を迫られた孫一の心は大きく揺れ動いていた。しかも、決断は一刻を争う。判断が遅れれば、どちらも失ってしまう。

「――――!!」

 声にならない声を上げ、歯を食い縛り苦悶の表情を浮かべる孫一。それでも信長の動きから目を離さず、照準もずっと追いかけている。

 どちらも簡単に譲れない。どちらも大事。だから――!

 直後、孫一は鉄砲を空に向けると、そのまま引き金を引いた。ズドンという爆発音と共に筒口から硝煙が立ち上る。

「えぇーい、クソったれ!!」

 天を仰いで悔しそうに絶叫すると、感情が抑えきれない孫一は怒りに任せて右のこぶしで屋根を思い切り殴った。その衝撃に耐えられず屋根板に穴が開く。

 孫一は梯子を使わずそのまま屋根から飛び降りると、決断を待っていた泰三達に力強く宣言した。

「引き揚げるぞ!!」

 言うなり自分の馬に素早く跨る孫一。泰三達も慌ただしく自分の馬に乗り込む。

「先頭は泰三、立ち塞ぐ者があれば容赦なく倒せ!」

「へい!」

 重要な役割を任せられ、顔が強張る泰三。

「他の者も脇目を振らず、ただ雑賀の陣に戻ることを第一に駆けよ!」

「あの……頭領は?」

 吉兵衛が恐る恐る訊ねると、孫一は不敵な笑みを浮かべながら答えた。

「オレは最後尾で追い縋ってくる敵を牽制する」

「そんな……頭領には何としても生きて戻ってもらわなければなりません! 殿しんがりは我等が努めます!」

 殿しんがりは自軍の最後尾で敵の追撃に耐えながら味方を少しでも遠くまで逃がすよう時間を稼ぐ役割だ。敵は飢えた手柄欲しさに獣の如く逃げる相手を追いかけてくる為、途中で命を落とすことも珍しくない危険で難しい仕事だった。

 代わろうと進言してきた吉兵衛に「馬鹿野郎」とたしなめる孫一。

「敵は嵩に懸かって攻めてくるのだ。一番肝が据わっている奴に任せるのが定石だろ。それに……」

 そこで一旦言葉を区切ると、居並ぶ面々の顔を見渡してはっきりと言った。

「――このオレが、簡単に討たれると思うか?」

 孫一の問いに、答えられる者は一人も居なかった。

 この中で一番強く、一番修羅場を潜り抜けてきた人物は間違いなく孫一だ。一人でも多く生きて帰るとなれば、孫一が最後尾を務めるのが最善だ。

 それでも不安そうな表情を浮かべる吉兵衛に、孫一は穏やかな笑みを浮かべて言った。

「心配するな。織田勢とはまだ距離が離れている。それに、奴等が追いかけているのは目の前を逃げる門徒勢で、オレ達じゃねぇ。今から逃げれば相手に気付かれず陣へ戻れるさ」

 孫一の説得力ある言葉に納得したのか、皆の表情が少しだけ和らいだ。

「さぁ、行くぞ!」

 孫一の呼び掛けを合図に、泰三を先頭に順番に出立していく。全員が出たのを確かめてから孫一も間を置かず駆け出す。

 皆が前を向いて走っていく中、孫一は一人苦悶の表情を浮かべていた。

(果たして、オレが選んだ手は正しかったのか……)

 信長を倒して苦しんでいる多くの者を救うか、手の届く範囲で窮地に立たされている同郷の者を救うか。両方を天秤に掛けたところで、正解がどちらかなんて分かる筈がない。どちらも正しく、どちらも痛みを伴う。結局、オレは成功する可能性が高いと思われる方を選択した。その判断の正誤はずっとずっと先、どういう影響が及ぶか、今の段階では皆目見当がつかない。いずれにしても、一発で仕留められなかった事は今後一生オレの中に残ることだろう。

(……っと、終わった事を一々悔やんでいても仕方がねぇ。今やれる事をやるだけだ)

 ふと振り返ってみるが、こちらの後を追いかけてくる者は居ない。孫一の目論見通り、織田勢は眼前の敵に夢中でこちらの動きに反応を示さなかった。血で血を洗う撤退戦にならないと分かり、少しだけホッとした。

 一度決めた以上、腹は括(くく)らねばなるまい。一人でも多く、雑賀の地へ生きて帰れるよう善処する。それが今のオレの使命だ。

 馬上で体を揺られ、点じたままの火縄が燃える匂いを嗅ぎながら、ただ一目散に雑賀の陣を目指す孫一だった。

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