三 : 孤立無援(3)-防衛戦、開始

 同日、天王寺砦。

 砦を囲むように、大勢の本願寺方の兵で埋め尽くされていた。

 辰の正刻(午前八時)、本願寺勢の本陣から攻撃開始を知らせる押し太鼓が勇ましく鳴らされた。

「帰命無量寿如来――」

 口々に『正信偈』を唱えながら砦へ向けて粛々と進んでいく門徒勢の兵。ときの声を挙げながら猛然と攻め寄せてくる武家相手の戦と勝手が違い、守る兵達も緊張の色が濃い。

 ジリジリと距離を詰めてくる門徒勢。対して、砦を守る織田方はまだ矢弾で応じる気配は無い。

(まだだ。ギリギリまで引き付けるのだ……)

 采配をグッと握り締め、応戦の機会を窺う光秀。早ければ矢弾を無駄に消費する上に敵の出足を挫けず、反対に遅ければ敵に懐まで入り込まれる恐れがある。また、一人の兵が恐怖や重圧に呑まれて命令を待たず暴発してしまえば、他の組の者も命令が出たと勘違いしてこちらの意図と関係なく戦端が開かれてしまう。上役の指示が出るまでこらえる忍耐力や統率力は兵がどれだけ鍛錬を重ねてきたで差が出る。明智家は織田家中で最も統率が執れていると評判だし、佐久間家も尾張時代から厳しい戦いを幾度も経験している為か落ち着いている。

 念仏の声が段々と近付いてくるのがヒシヒシと肌で感じられる。徐々に敵勢の足音や槍が擦れる音も聞こえるようになってきた。

(――今だ!!)

 光秀が手にした采配をバッと振り上げる。それを合図に塀沿いに並んでいた鉄砲が一斉に火を噴いた。直後、門徒勢の最前列を歩んでいた兵がバタバタと倒れ込む。

 撃ち終えた鉄砲衆と入れ替わりで弓衆が矢を放つ。鉛弾を浴びて出足が鈍った門徒勢の頭上に無数の矢が雨となり降り注ぐ。竹束や矢盾を持ってない門徒勢の兵は何とか難から逃れようとする者が続出して、足並みが大きく乱れた。あれだけ統一して聞こえていた念仏の声も様々な声にかき消されて聞こえにくくなっている。

 そうこうしている間に再装填が完了した鉄砲衆が浮足立つ門徒勢に発射、入れ替わりで再び弓衆が矢を放つ……という流れを繰り返す。

「弥平次!」

 門徒勢を相手に出足を挫いて優位に戦えていると判断した光秀は弥平次を呼んだ。

「お呼びで」

「百騎ばかり連れて門徒勢に切り込め。くれぐれも深追いはするなよ」

「承知!!」

 光秀の命を受けた弥平次が直ちに下がっていった。砦に籠もってばかりではいつか数で優る相手にいつか押し込まれてしまう。機を見て攻めることで敵に打撃を与え、援軍が来るまで時間を稼ぐ算段だ。

「誰か、あるか!」

「これに」

 光秀の呼び掛けに応じた近習がすかさず現れる。

「鉄砲を二……いや三ちょう持ってついて参れ。火縄、弾薬も忘れるな」

「畏まりました!」

 指示を出した光秀はその足で櫓に向かい、躊躇なく梯子を上っていく。

 櫓の上に着いた光秀は後ろに控える近習から鉄砲を受け取ると、慣れた手つきで弾薬を詰める。後ろで同じように近習も支度するが、光秀の方が明らかに早かった。

 下の方から喊声かんせいが上がる。弥平次率いる勇士百騎あまりが砦から打って出て、混乱の渦中にある門徒勢に突撃していった。数で劣る織田方は扉を固く閉ざして守りに徹するとばかり思っていた様子で、予想外の反撃に逃げ惑うばかりだ。

 光秀は狼狽する門徒勢の中でまだ戦意を保っている者を見つけると、素早く狙いを定めて引き金を引く。光秀が撃った弾丸は狙いの者の肩を貫いた。

「次!!」

 撃ち終えた鉄砲を後ろに控える近習に渡すと、入れ違いで新しい鉄砲が渡される。先程と同じように門徒勢で組頭と思われる者を見つけると発射、これも命中した。門徒勢は砦から放たれる銃弾と矢、陣内を縦横無尽に暴れ回る弥平次の一団、光秀が放つ狙い澄ました銃撃に大混乱となった。

 光秀は武将ながら織田家中では滝川一益と並んで鉄砲の名手として知られ、朝倉家に仕官した際も鉄砲の腕を買われたことが決め手になったとする逸話がある程だ。明智・滝川の両家は大将が鉄砲の使い手だった為か、鉄砲衆の整備に力を入れていた。

 明らかに形勢が悪いと判断したのか、遠くから退き鐘が鳴らされた。その音を耳にした門徒勢は我先にとばかりに波が引くように後方へ退がっていった。

 門徒勢が退却していく様を見届けた光秀は櫓から下りて、無事に生還した弥平次達を出迎えた。

「よくやった、弥平次」

 弥平次の肩を叩きながら労いの言葉を掛ける光秀。しかし、弥平次は何か考えている顔をしていた。

「……如何した?」

「殿、ちとおかしくありませんか?」

 弥平次は合点がいかない様子で続ける。

「何だか、敵の攻めが手ぬるいと言いますか……本願寺には雑賀衆が加担していると聞いていたのですが、いざ蓋を開けてみると鉄砲を撃ちかけてくる事はありませんでしたし、少し形勢が悪くなっただけであっさり兵を退くのも変だと思いませんか?」

「ふむ……」

 弥平次の指摘に光秀も思い当たる節があるらしく、腕を組んで考え込む。

 本願寺方は昨日の戦いで大将塙直政を討ち取る大勝を収め、勢いがある。天王寺砦には織田方の大物・明智光秀が居て、しかも籠もる兵は三千程度と、本願寺方が数で圧倒している。多少の犠牲を出しても一気呵成かせいに攻め落とす事も十分に可能だ。もし仮に自分が直政と同じように討たれるような事となれば、『大事な家臣を二人も立て続けに見殺しにした』と世間は捉えて信長の評判は地に堕ちることだろう。この釣果は極めて大きい。

(敵方が一枚岩ではない、または本気で攻めて来ない何か理由があるのか……?)

 敵の狙いを探ろうとする光秀の元に、近習が駆け足で近付いてきた。

「申し上げます。門徒勢、陣形を整え直して再び攻める兆しが見られます」

 一度退いていた門徒勢だったが、早くも攻撃を再開しようと動き出しているらしい。

「相分かった。我等も応戦出来るよう、矢弾の補充を急がせよ」

(考えるのは後だ。今は目の前の敵に集中せねば)

 光秀は命じると共に、味方の状況を確かめるべく動き出した。戦いはまだ始まったばかりだ。

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