第10話 飼い猫になりたい その5


 六畳のワンルームに似つかわしくない、六五インチもあるでっかいテレビは、相変わらず、存在感がある。

 私は、鍋パーティをやろうと押し掛けて以来、一年ぶりに青木君の部屋に入った。前に来た時よりも幾分か、片付いている。

 テレビの横には、何に使っているのか分からない、豪華な装飾のある小ぶりのツボがあった。これはこれで、懐かしい。


「そういえば、何年か前に、脳内転送の法案が可決されて、話題になってましたよね。それなんですかね?」


 冷蔵庫から牛乳を取り出して、マグカップに注ぎながら、青木君が独り言のように呟いた。


「にゃおん」(そうよ)


 青木君がこちらを向いて、少しの間、固まる。猫語を理解しようとでもしたのだろうか。


「……いや、でも……。そうは言っても、脳内転送された猫は、家族に引き取られるっていう話じゃないですか。その辺りの話は、報道されないんで、真偽は知らないですけど」


 青木君は眉間にしわを寄せて、小さなローテーブルの上に、私のスマートフォンと牛乳の入ったマグカップを置いた。

 私は、すかさず前足をテーブルの上に乗せ、マグカップに鼻を寄せて、匂いを嗅ぐ。


「飼い主も決めないで放り出されたなんて、ひどいですよね。だとしたら、制度の欠陥なんじゃないですか」


 確かに、そうかもね……。ただ、あの医師も苦汁の決断をしたんだと思うわ。私は、家族と疎遠で、連絡先も知らなかったんだから。


 私がぺろぺろと牛乳を舐めていると、青木君が胡坐をかいた。

「ところで……本当に、須藤さんなんですよね?」

 青木君は、口を半分開いている。

 胡散臭そうにひそめた眉の下で、猜疑心で溢れる眼をこちらに向けてきた。

 魔術のタネを見抜こうとしているのか、下アゴを突き出して、すりこぎのようにゴリゴリと動かす。


「にゃおん」

「これまで、取材したことも無いですし、実際に人間から脳内転送された猫なんて、初めて見ましたから、ちょっと信じられないんですよね」

 これは魔術でも、エンターテインメントのショーでも無いの。私は、本物よ。信じて。どうしたら、信じてもらえるの……。


「もしキミが、ただの、野良猫だったら、ボク、すごく恥ずかしいことをしていることになるんですけど。勝手に、先輩と思いこんで、野良猫を部屋に入れて、敬語で話しかけて、ただのバカみたいになるんですよね……」


 マルチ商法に引っかかったり、変なツボを買わされたり、青木君は、確かにバカ……。

 きっと、部屋のサイズに合っていない、このバカでかいテレビも、店員に言いくるめられて買わされたんだわ。

 でも……。

 青木君は、確かにバカだけど、今回、私を招き入れた判断はあっているのよ。自分を信じて。


「やっぱり……、信じられないんですけど」


 青木君が、斜に構えて、目を細めた。私のことをただの野良猫じゃないかと、完全に疑っている。

 ジリジリと間を詰めてくるのは、私を捕まえて、外に追い出そうとでも考えているのかもしれない。


「シャアアー」

 私を捕まえようと伸ばしてくる青木君の手を狙って、右前足を振り抜いたが、空を切る。


「な、なんだよ、怖いなぁ、ジャマイカ」


 何よ、ため口!? それに私、ジャマイカなんて名前じゃないしっ!


 怒りに任せて、ローテーブルの上に飛び乗ると、勢い余って、青木君にぶつかりそうになった。

 あぶないと肝を冷やすや否や、妙案を閃いて、そのまま青木君に顔を近づける。


「ちょ、ちょっと、なにを……」


 青木君のおでこに、私のおでこを重ねる。


(青木君、信じて。私は須藤沙羅よ。信じて。お願い)


 幸いにも、青木君は動かなかった。思考が停止したのか、眠っている魚のように、口をぽかんと開けて、視点の定まっていない目をしていた。


(急で申し訳ないんだけど、私をここで飼ってくれない? 住むところがないの)


「えっ? どういうこと? 何、コレ?」


 私のテレパシー能力に驚いた青木君が、のけぞって、頭を避けた。

 私は、そんな青木君に飛び乗り、再び青木君の額におでこをぶつける。


(青木君、猫を飼いたいって言ってたわよね? 入社当初は、ずいぶんと世話してあげたわよね? 私には恩があるわよね?)


「ちょ、ちょっと、待ってください」

(私のお願いを聞いてよ)

「ちょっと待ってくださいって!」


 青木君が、私を持ち上げて、フローリングの床に下ろした。

「な、なんなんすか、コレ? テレパシーか何かっスか?」

 コクリと頷く。

「キミ……あなたは、本当に、須藤さん……なんですか?」

 また、コクリと頷いた。

「い、いや、本当ですか? マ……マジで!?」

 何度も言ってるじゃない。

 私は、ローテーブルに飛び乗り、その勢いのまま天板を蹴って、青木君にダイブした。頭がぶつかった瞬間、ゴチンと鈍い音が鳴る。


(ねえ、青木君、青木君の家で、私を飼って)

「ちょっ、な……」

(お願い。じゃないと、私、また死んじゃうかも)


 青木君が、私の体を両手で支えて止まった。

 そして、ゆっくりと私のおでこから額を離す。


「す、すいません……。まずは、拭かせてもらえますか?」

 私が蹴とばしてしまったらしく、マグカップが倒れて、テーブルの上に牛乳がこぼれていた。

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