client.2‐10

 警察が来るまでまだかなりの時間がかかるとのことで、食事処周辺か各々の部屋から出ないことを条件に三々五々過ごす事になった。……探偵事務所の二人を除いては。

「さあ、何から調べたら良いやら」

 食事処を後にして、部屋に戻って来ていた。彼らは捜査のためという事で、特例的に宿内を自由に歩き回って良いことになったのだ。

 ちら、とあとりは京介に視線を送る。もう助け舟か。憮然とした表情の京介は、目線を合わせずに口を真一文字に結び黙っていた。

「もーう! 秋月さんったらまだ怒ってるんですか? 勝手に引き受けたこと。良いじゃないですか」

 浴衣から私服に着替えたあとりは手帳とボールペンを片手に彼に訴える。

「責任を取れと言っただろ。そもそも俺は口を出したくないんだ」

「けちー」

 じとりと睨む京介の脇腹をボールペンで何度も突いた。

「何でそんなに後ろ向きなんですか?副島さんの件なんてほぼ即答で引き受けてたじゃないですか! 大体、人間嘘発見器の性能を遺憾無く発揮すれば真相なんてすぐに」

 まくし立てる彼女の言葉を、探偵の溜息が遮る。

「信じないだろ、嘘を嘘と指摘したところで」

「信じますよ、私は」

「お前だけ信じても意味が無い」

 あとりは納得がいかなそうに頬を膨らませる。そもそも、目の前の少女が無条件で信じていることの方が異常イレギュラーだ、と彼は頭を掻き毟りたい気持ちでいっぱいだった。

「不可解なことが起こった時、人間は真相を知りたいのと同時に、何故そうなったのか納得したくなる。相手の嘘をひたすら看破し真相を明らかにしたとして、周囲は納得しないだろ」

 少女は首を傾げている。まだ分からないのか、と京介は頭を振る。

「つまり今回の場合、証拠を調べ上げて提示するか嘘吐いている奴から自供させるしかない。だから俺は口を出す気がないと言ったんだ」

「うぉぉん面倒臭い!」

 その面倒臭いことを引き受けたのはお前だろ、と彼は頭が痛くなった。捜査に必要な知識もなし、鑑識などの死因鑑別の技術もなし、使えるのは嘘発見能力のみ。どう考えても分が悪かった。

「秋月さん、私に出来ることはないんでしょうか……」

 しおしおと項垂れるあとり。名乗り出た彼女の行動は嘘偽りのない善意に他ならなかった。しかし今、その決意は折れかけている。

 沈黙が畳の上の二人に漂った。見かねて、京介が口を開く。

「死体の状況確認は出来るだろ。細かい死因は分からないだろうが、刺殺のような明らかな他殺の場合は分かる」

 あとひとつ、と黒手袋が腕を組み、人差し指を立てる。逡巡の後、

「……嘘の鑑別だけならやってやる」

 嫌々、という風に目を細める。その言葉に、あとりはぱっと花が咲いたように表情が明るくなった。

「良いんですか!」

 彼の気まぐれというよりは、安全策だった。あの場で宣言した以上、京介自身ももはや無関係ではいられなくなった。彼女が無闇矢鱈に聞き込みし、曲解し、混乱を生んだ結果、被害を被るのは彼女だけではなく同行者の彼もそうなることは明白だった。

「調べるのも聞くのもお前がやれ。いいか、聞き込みに関して俺は嘘かどうかの判定しかしないからな」

 少女は最後まで聞いていなかった。やる気に満ち溢れた顔で今にも鶯の間を飛び出そうとしている。

 いつ自分はここまでお人好しになったのだろうか。京介はげんなりしながら、敷居を跨いで彼女の背中を追った。

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