client.2 嘘吐き達はかく語る

client.2‐1

 吊橋での騒動の翌朝、ソファーで寝ていた京介は電話の呼び鈴で目が覚めた。昨夜帰ってきて、そのまま風呂に入り泥のように眠っていたようだ。山歩きで怠い身体を起こし、受話器を取る。

「……はい、古小烏ふるこがらす探偵事務所――」

 電話の相手は副島そえじま静香だった。彼女は昨夜の詫びに始まり、三日間の感謝を口にした。夫妻はあの後、お互いのすれ違いを埋めるように積もる話をしたようで、その声はいくばくか晴れやかだった。

「おはようござ……あらお電話中」

 電話応対している間に、屋根裏部屋からあとりが降りてきた。会話の邪魔にならないよう抜き足差し足でキッチンに立ち、やかんで湯を沸かす。

 数分後受話器を置いた京介に、少女は淹れたての紅茶を差し出した。

「おはようございます!副島さんですか?」

「……ああ」

 マグカップを受け取り、聞いたばかりの話を伝える。あとりも、その朗報を知り喜んだ。

「良かった……副島さん、いっぱいお話できたんですね」

 胸を撫で下ろして心から呟く彼女を、京介は黙って見つめていた。



「え、昨日のストーカーくん、空き巣はやってなかったんですか」

 あとりは客間の掃き掃除をしながら、ソファーにかけた京介に問い返した。彼は昨夜警察に突き出した男から聞いた話をそのまま伝えたのだ。

「……ストーカーではあったのは事実だったが、空き巣に入ってはいないというのは嘘ではなかった」

「ええ……じゃあ他に誰が……」

 何か他に心当たりはないのか、と京介は疑念込みの探りを入れる。空き巣に入られるような要因が彼女にあるのか、それを黙った上でここに転がり込んで来ているのかを疑っているのだ。一ミリでも自分を巻き込もうという考えがあるのであれば、彼女を信用するわけにはいかなかった。

「いや、普通に生きてて空き巣に心当たりなんてないですよ」

 来客用ソファーの脇を箒で掃き、少女はきっぱりと否定した。探偵は手元の紅茶の透き通る赤を眺める。その言葉に嘘は感じなかった。

「……例えば誰かとトラブルになったとか、消費者金融で金を借りてるとか」

「ないですよー毎日健全に生きてますもん」

 あとりは胸を張る。これも嘘ではない。では、ストーカーに追われながら偶然空き巣にも入られたという、ただの災難が重なった少女とでも言うのだろうか。マグカップの縁を黒手袋の指でなぞりながら考え込んだ。

「……何か俺に隠している事は」

 単刀直入に聞く。視線は目の前の彼女を真っ直ぐに射抜いていた。まん丸に開かれたあとりの双眸がまばたく。

「んー……特には」

 ほんの少しだけ、京介の胸の内がさざめいた。怪訝な表情で身を乗り出し、問い返す。

「今嘘吐いただろ」

 彼の言葉に、う、と焦るあとり。やがておずおずと白状したのは、

「ごめんなさい……実はさっきお皿洗ってて一枚割っちゃいました……」

 どうでもいい事実だった。少し疑い過ぎただろうか。京介は閉口し、ソファーの背にもたれる。

 箒の柄を抱えてしおしおと反省する彼女に、探偵は深々と溜息を吐いた。



「何か取り調べみたいだったなあ……」

 取り調べなんてドラマでしか見た事ないけど、と先程の京介の言葉を反芻はんすうしながら、あとりは商店街に買い物に来ていた。あの後京介が黙り込んでしまい、彼女は掃除を終えて手持ち無沙汰になったのだ。

 あとりは春空に浮かぶ羊雲を眺めながら、まだ秋月さんとの距離を感じるなあ、と悶々としていた。せっかく一緒に働くんだから、なるべく仲良くやっていきたい。けれど、彼の心の壁が堅牢すぎてなかなか近づけさせてもらえなかった。

「人見知りなのかな、多分」

 時間かけてやっていくしかないか、とあっさりと結論づけた。深く考える事は、彼女には向いていなかった。

 それよりも今日の夕飯に何を作ろうか、と八百屋に並ぶ野菜を見ながら思考を巡らせる。きっと美味しいご飯を一緒に食べたら打ち解けるよね! という彼女なりの作戦だった。

 特価の春キャベツを手に取ろうとしたその時。

「あ、お姉さん! ちょっと良いですか?」

 背後から男性に声を掛けられた。振り向くと、派手な法被はっぴに身を包む若い男性が立っていた。法被の襟には『いきいき商店街青年部』という白抜きの文字が踊っている。

「は、はい何でしょう?」

「お姉さん、良かったら福引やっていきませんか?」

 大学生くらいの法被男は、商店街の端にちょこんと置いてある会議テーブルを指して笑顔を向けた。テーブルには急ごしらえな文字で『商店街活性化! 福引やってます!』との張り紙がしてある。傍には別の法被を着た男が、抽選機の取っ手を回してスタンバイしていた。

「普段あまり商店街を利用されていない方向けに、ガラガラ抽選会をやってまして!お姉さん、この辺の方ですか?」

「い、いえ、最近来たばかりで」

 来たというか転がり込んだのが正しいが。あとりは男の威勢の良さに少し押されつつも、福引に興味を引かれ八百屋を後にした。

「一名様ご案内いい!」

「いらっしゃいませえ!」

 法被男達に囲まれ、彼女は少々戸惑いながら抽選機の前に立った。

「これ回しても良いんですか?」

 数多あまたのくじ玉が入った八角形の抽選機が、取っ手を揺らす度にジャラジャラと音を立てる。

「それはもう! 今日この日に買い物に来てくれたお姉さんの運試しということで!」

「一等は豪華温泉旅行! まあ外れても箱ティッシュが当たるので!」

 温泉と聞いて、はしばみ色の瞳が輝いた。彼女は迷わず取っ手を握る。

「じゃあ遠慮なく――」

「どうぞどうぞ!」


 その様子を遠目から見ていた魚屋の店主は、隣の八百屋に問いかける。

「なあ、この商店街であんなキャンペーンやってたか……?」

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