client.1‐4
副島は電車に乗って出かけるようで、二人は隣の車両に乗り込み後をつけた。彼女は運転席の真後ろの席に腰掛けている。朝の通勤ラッシュを終えた時間帯で、乗客はまばらで車内は閑散としていた。なるべく自然に彼女の周囲を見回すと、同じ車両の一番後ろの席に夫が座っている。カモフラージュのつもりなのか、スポーツ新聞を広げて顔を隠しながら妻の様子を伺っていた。
「ご主人でなければ通報してますね……」
ホームの売店で買ったあんぱんを咥えながら、あとりはこそこそと呟いた。京介にあまりジロジロ見るな、と注意される。
「何でこのタイミングであんぱん食ってんだ」
「おなか減ったんだからしょうがないじゃないですか。ちなみに栗がひと粒入ってるんです。半分食べますか? 粒あんですけど」
「……いや、結構」
食べ進めているうちに、あとりが声を上げる。
「秋月さん! 見て下さい、栗が二粒入ってました! めっちゃラッキーです!」
あんぱんの中心に、彼女の言う通り大粒の栗が二粒埋まっている。
「……今日の幸運、それで使い果たしたんじゃないか」
「………………」
京介は余計な疲労が増すのを感じた。
そうしているうちに電車は終点に辿り着いた。乗客全員に降車するようアナウンスがされ、乗客達は各々の支度を整えて降車し始める。副島も鞄を肩に掛け直し、ホームに降り立った。夫も少し距離を保ちながら後に続く。
「降りるぞ」
「ふぁい」
あとりは残りのあんぱんをすべて頬張りながら、京介に続いて電車を降りる。探偵はそっと彼女に耳打ちをする。
「……今から俺がすることに、何の反応もするな。声を上げるな。前だけ見て黙って付いて来い」
少女は口いっぱいのあんぱんを
夫は気付かず、妻を慎重に追っている。人波に紛れながら彼女が駅の階段を上っているのを追おうと、階段に足を掛けたその時、ポケットから財布が抜け落ちた。
あとりは思わず目で追うが、五メートルほど後ろを歩いていた女性がすぐに拾い上げ、夫を呼び止めた。
「あの、落としましたよ」
「……! ありがとうございます、助かりました」
夫は振り向き、親切な女性に感謝した。そしてそそくさと前を向いた時には、妻を見失っていた。慌てて改札をくぐるも、彼女の姿はどこにもいない。夫は大きな溜息をついて肩を落とした。
二人は一部始終を改札外の物陰から伺っていた。
「よし、上手く撒けたな」
「びっくりした……スリの現場を目撃したかと思いましたよ」
ほっと息を吐くあとり。夫が改札を出るより早く、副島は駅のロータリーに停車していたバスで移動したようだった。夫は諦めたのか、とぼとぼと折り返し運転の電車に乗り込んでいく。
「これからどうします? 副島さんを追いますか?」
「いや、あくまで夫妻が近付かなければ良いから、夫をつける。夫が素直に仕事に戻り、夕方まで出て来なければ完了だ」
その日、会社に戻った夫が夕方以降も建物から出て来ないことを確認し、二人は事務所に戻ってきた。夜、副島から電話がかかってきたが、今日は夫の気配を感じずに外出できた、明日以降もこの調子でお願いしたいという内容だった。
「つっかれた――――」
「お前は一日あんぱん食って、張り込み中に物陰でうたた寝してただけだろうが」
ソファーにダイブするあとりをなじる京介。そしてそこは俺の寝床だからどけ、と追い払う。
「お前は昨日と同じ屋根裏部屋だ。寝るならそっちに行け」
しぶしぶソファーから降りた。
「あの部屋埃がすごいんですもん」
「文句があるなら、明日俺に付いてこないで部屋の片付けでもしたらどうだ」
「嫌ですー最後まで見届けたいですもん」
あとりは寝るまで少し片付けしてよっと、と屋根裏部屋に慌ただしく駆けていった。もう一度、ぱたぱたと戻ってくる足音がして客間の扉が開き、
「おやすみなさい」
「……ああ」
今度こそ自室に引っ込んでいった。客間に静寂が訪れる。
しんと静まり返った空間で京介は先程の会話のやり取りを
「文句があるなら……出ていけの間違いだったな」
俺も疲れているな、とソファーに横になり、黒い両手で顔を覆った。
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