強欲のライハーゴ
伊乙式(いおしき)
第1章 異世界で、心、重ねて
1-1 奈月との出会い
いつの間にか深い森に迷い混んでしまったようで、どこまで歩いても森を出られない。運の悪いことにとっぷりと夜も更けて、周囲の見通しはかなり悪い。自分がどこにいるのか、どこを進んでいるのかまったく分からなくなっていた。
そもそも地名だって誓道は何も知らない。調べる術もない。ただ止まると不安で押しつぶされそうだから、無闇に歩き回っているだけだ。
ここは自分の知識が通用しない場所――異世界。現在の地理が分かるわけもなく、頼れる人が居るわけもなかった。
――いや、ほんの三日前には頼れる人たちが居た。
自分と同じように異世界に召喚された人たち。同じタイミングで異世界にやってきた人や、何年も前に転移してきた先輩。彼らと過ごした人舎と呼ばれる施設では、ふかふかのベットに暖かい食べ物、なんなら風呂だって備え付けてあった。過ごしていたときは惨めな思いをしていたけれど、今やあの環境がとても恋しい。
だが、もうあの場所には戻れない。自分は捨てられたのだ。
異世界に召還された理由――
「はぁ、はぁ、はぁ……」
足はもう棒のようだ。感覚はとっくになくなっている。せめて森を出たところで一息つきたい。
獣の鳴き声が響いた。誓道はびくりと肩を振るわせて立ち止まる。辺りを見回すが、暗すぎて何がいるのか確認できない。
それでも、何か居る。木々の奥に潜んで、
(確か、先輩達が言ってた……森には魔獣がいるって)
この世界に人間という種属はいない。変わりに居るのは13種族のモンスター達だ。一部の種族はまるで人間とかけ離れた姿をしているが、総じて高度な知性を持ち、自分たちの領土――すなわち国家を維持している。基本的に会話は通じる存在だ。
一方、知性を持たない生物も居る。元の世界で言えば動物のような存在だが、違う点は非常に攻撃的かつ戦闘に長けた肉体を持っていること。それらは魔獣と呼ばれ、人間などひとたまりもないから近づくなと注意されていた。
生唾を飲み込んだ誓道は、走りだす。足がほとんど動かなくなっていてひょこひょこと飛ぶような不格好なものだったが、それでも必死に走った。うかうかしていると魔獣に殺されてしまう。
どうしていつもこうなる――そんな考えが頭の中をずっと支配していた。
これまでの人生、良いことなんて何も無かった。中学高校と祖母の介護で青春時代が潰れ、大学受験も失敗してフリーターになった。就職を試みても要領が悪くてまるで成功しない。バイト先で出会った人にネットワークビジネスを紹介されたときは一発逆転を夢見たものだが、結局借金ばかり増えた。いま思えば自分はカモにされていたに過ぎなかったのだろう。
そして、異世界転移。最初は操縦者としての素質が高いと評価された。とても綺麗なエルフの国に招かれ、将来を有望視されたが――結果はこうだ。素質はあっても操縦センスが無さ過ぎて見捨てられるとは、本当に自分らしい最後だと言える。
(俺、なんでこんなこと考えてるんだろ)
次々と出てくる暗い過去に、自然と涙が滲む。諦めと呆れが胸を締め付ける。
足がもつれた。誓道はぬかるんだ地面に倒れる。起き上がろうとして、もう身体が動かないことに気づく。
(……疲れたなぁ)
獣の鳴き声が近くで聞こえる。ガサガサと物音がして、すぐそこに気配を感じた。それでも心が麻痺していた誓道は、そちらを向くことも億劫で目を閉じる。
(もういいや)
終わりのときを待つ。
しかし、感じたのは、暖かい温もりだった。
「ちょっと!? しっかりしなよ!」
女の声、だろうか。誓道は瞼をゆっくり上げて、ぎこちなく声の方向へ視線を向ける。
「おーい生きてるー? あたしのことわかる? あのとき一緒にバスの中に居たんだけど―! ねぇあんた、ええと名前……そうだチカミチ、だっけ? 最初に選ばれた人でしょ! なんでここにいるのか知らないけど起きて! ここで寝てたら死んじゃうよ!」
ぼんやりとした視界に映るのは、キラキラと輝く金色の髪。大きな瞳は何よりも青く澄んでいる。包まれるような暖かい体温が、冷えた身体にとても心地よい。
こんな深くて暗い場所で出会うはずがないと思えるほど、綺麗な存在だった。
だから誓道は、無意識に呟いていた。
「……天国だぁ」
直後、誓道の意識は闇の中に消えた。
***
これは夢だ――そう自覚しながら見る夢のことを明晰夢と言うらしい。
誓道はぼんやりと、自分が異世界に転移されたときの映像を眺めていた。
「てなわけで、君らは異世界に召喚されたわけや。理由はさっき言った通り、巨大ロボットのパイロットになって各国の代理戦争に参加してもらう」
誓道が立っているのは赤い絨毯が敷かれた広々とした空間だった。大理石で出来たような意匠の凝った柱に支えられ、壁はすべて白磁に調色されている。明るい部屋だが窓はなく、天井の光源のみで照らされているのだが、シャンデリアなどはなく不思議な光の玉がふよふよと浮いているだけだった。
目の前には階段がある。その中断にはオカッパ刈りの男が立ち、登りきった先の玉座に老人が座っていた。誓道たちは階段の前で集まっている。
たち――つまり、ここに居るのは誓道だけではない。ネットワークビジネスで一緒に仕事をしている斎藤剛と安藤、藤木の三人。更に様々な年代の男女、そしてバスの運転手が立ち尽くしている。
ここに居るのは、つい先ほどまでバスに乗っていた運転手と乗客だ。なのに今はバスの中ではなく、部屋の中に突っ立っていた。
「なに言ってんだ、あんた」
斎藤剛が訝しげに聞く。彼はいつも余裕のある態度を崩さないネットワークビジネスやり手の男なのだが、さすがに今は困惑の色が強く出ていた。
「なに言うてんのかって? さっき説明した通りやで、あんちゃん」
声の主である細目で黒髪の男は、身なりこそ変わっているものの普通の人間だ。言葉も多分関西弁で、変なところはないように思える。
異様なのは彼の周り――部屋の中に配置された甲冑姿の騎士達だ。平然と長槍を手にして立っている。そして玉座に座っている老人も、見た目こそ人間のようだが、はっきりと造形のレベルが違う。彫りの深さ、髪質、目鼻立ち、真紅の瞳。それらは芸術家が作った彫刻みたいな完成度の高さだった。異様に長い耳さからしても、普通の人間と違うとわかる。
(異世界……俺達がロボットのパイロットになる?)
青年が説明したのは、こうだ。
異世界に召喚されたのは、
決闘祭は国同士の代理戦争であり、勝者の数や順位によって国の権限が強化され様々な恩恵が受けられる仕組みになっている。
大会にはこの世界の種族が参加してはいけない。あくまで違う世界から人間を召喚して戦わせることが必須条件であり、勝ち続けられるほどの強い決闘士を育成できることがすなわち国力を示すとされている。決闘祭はこの世界の物事を解決する手段であり、十二の種族はその決まりに従って今回も召喚の儀式を行った。そして今いる誓道たちこそがその召喚者である。ちなみに召喚時の力で、会話は互いに翻訳された状態で聞こえるという。
ほとんど理解できたとは言えない。ロボットの操縦なんてまるで現実味がない。
ただ一つハッキリしているのは、この場にいる人達で戦わなければいけない、ということだ。
「わ、私達はどうなるんですか? 元の場所に帰れるんですか?」
振り絞るような声で聞いたのは、乗客の中のOL風の女性だ。
青年は顔色一つ変えず答えた。
「そら無理やで。一方通行なんや。諦めることやな」
「そんな……!」
場が騒然となる。細い目の青年は、つまらなさそうに小指で耳をほじっていた。
「君らはもう元の生活には戻れへん。せやから、この世界でどう生きていくかを考えたほうがええで。強い決闘士になってその国で重宝されれば、まぁまぁ優遇される。良い暮らししとる人間もおる。そっちに希望を見出すとええんちゃう」
バスの乗客たちは互いに顔を見合わせている。その中で誓道は、良い暮らしをしている人間もいる、という言葉に眉をひそめた。訳知り顔の本人も明らかに日本人だし、この世界には先人がいるのだろうか。
「さっき、巨大ロボットに乗れって言ってたよな? 俺達みたいな素人にそんな仕事できるのかよ。プロ呼べよ。てかなんでそんなことこっちが押し付けられなきゃいけねぇんだ」
斎藤が苛立ち混じりに問う。
そのとき、玉座に座る老人の眉が、ほんの少しだけ動いた。
まるでそれを合図にしたように、騎士達がガチャリと動いて長槍を構える。斎藤含め全員がビクリと硬直する。
「まーまー」青年だけは飄々とした態度を崩さなかった。
「物事には順序っちゅうもんがある。説明したるで大人しくしとき」
彼がひらひらと手を振ると、騎士たちが構えを解く。
玉座の老人はまた無感情に戻っているが、その目はまるで虫でも見つめるかのように底冷えしていた。目を合わせればそれだけで心を狂わせられそうな気がして、誓道は咄嗟に老人から目を背ける。
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