最上賀茂の遁走

義仁雄二

第1話

 久八菜々美六科五郎獅子一二三学園。

 総生徒数は二万を超え、広大な敷地を有しているマンモス校である。寮もあり、全国から刺激に飢えた学生が集まるこのヘンテコな学校は、創立十五年とまだ歴史が浅いが、現一二三理事長は六代目であった。まるで学生のように平均すると三年で理事長が変わり、その度に校名が長くなり、当時の理事長の好き勝手に校舎が増改築されていった。校内のどこかはからなず工事をしている。十七階建ての本校舎はそれが階層によってとても顕著に表れていて、。棘のように宙に飛び出していた教室、角角として先が見えない廊下、階段の代わりのらせん状の滑り台等々。外観は前衛的な、もしくは子供が適当に作った作品のように、そして内観はしっちゃかめっちゃかしている為、学園の全貌を知るものは誰一人としていない。学園側も把握していない生徒もいるのではないかといわれている他、様々な噂が流れている。例えば、今年になってから聞こえ始めた噂でこんなのがある。


『あと一歩のところで全てを台無しにする、神出鬼没の妖怪のような人間がいる』


 神か鬼か妖怪か人かはっきりしいや!


 〇


 八月初旬の夏休み。炎天下なのにもかかわらず、内本校舎から南にある部室等付近で鬼ごっこをしている人達がいた。

「よくも我らがちりめんじゃこ同好会が大事に干していたじゃこを、しらすに戻してくれおってからに!今日食べるつもりやったんやぞ!」

「だから、それやったのは俺じゃないですって!」

「今しらす持ってるやろがい!」

「いや、確かに持ってますけど!」

 訂正。追いかけているちりめんじゃこ同好会の面々は鬼の形相をしているが、正確には鬼ごっこではない。

 しらすの箱を抱え必死に逃げる男子生徒を、捕まえようとしているのだ。

 この男子生徒の名前は最上賀茂。今年になって広がり始めた噂の元になった生徒の一人だ。

 最上一人に対してちりめんじゃこ同好会は九人、数の差は明らか。直ぐにでも捕まるかと思いきや、機敏俊敏、地形もうまく利用する見事な逃げっぷりを彼はみせた。巧みに躱す様子は、明らかに逃げ慣れている。

 しかし最上はまだ一年。人数差に加え敷地内をより把握しているちりめんじゃこ同好会の会長の指示により、いびつな形をしている校舎の行き止まりの場所に追い込まれてしまった。

「包囲された」

「こちとら毎日じゃこを食べて健脚が磨かれとんねん。カルシウムなめんなや」

 息を切らしていた両者は、息を整えた。

「ふぅ、もう逃がさへん。観念して一緒に学園警ら隊の詰め所まで付いてきてもらおうか」

 学園警ら隊とは、ハチマキを巻いた学園の秩序を守るため日夜校内をパトロールしている非公式の学生組織である。風紀委員とは違い、証拠がなくとも独自の偏見と価値観で暴力も辞さない裁きをくだすため生徒には恐れられている集団だ。

「だから、俺はやってないですって!」

「だったらそのしらすはなんなんや!」

「これは、漁業研究会の人からお詫びに貰ったもので――」

「ええい、見苦しい言い訳をしおって。大人しくお縄にブバッ!」

「「「会長!?」」」

 最上ににじり寄る会長の顔に、泥団子がぶつけられた。

「今のうちに逃げるでやんす!」

「誰だ、ぶへっ」

「やめろ、グフっ」

 同好会の会長だけではなく、同好会の面々にも次々に泥団子が投げつけれ、僅かに包囲網が開いた。

 最上は聞きなじみのある、声に従いその隙間を走り抜けた。

「コラ、待たんかい!」

「じゃこもしらすも変わんねえだろがぁぁぁ!」

 とずっと言いたかったことを叫びながら、最上は振り向かずにその場走り去った。



 学園内の敷地には自然が沢山残っている。そのなかでもより緑が鬱蒼と茂った場所で、最上は仰向けに転がっていた。身体は遠慮のない陽射しと追いかけっこで想像以上に疲労していた。

「み、水……」

 喉も乾ききっていた。

「はい、コレ」

 最上は差し出されたペットボトルの蓋を開け、凄い勢いで飲み干した。

「ぷは~、生き返った」

「北陸の秘境で汲んできた湧水らしいですよ」

「……感謝はしないぞ」

「私のではないので構わないでやんすよ」

 ペットボトルには泥団子研究会の文字が書いてあった。

 最上は聞いたことのない研究会だった。それもそのはず、この学園は公式非公式合わせて六百以上の部活動と同好会があるので、聞いたことのない部があるのは当たり前だった。

「で、何か俺に用事か?喜屋武」

 いつの間にか最上の傍にいて下っ端臭い喋り方をするこの男は、喜屋武満之。噂の原因となった片割れで、噂を広めた人物でもある。最上は今すぐにでも彼と縁を切りたいと思っているのだが、切っても切っても何故か関りをもってしまうため、近々お祓いも考えている。

 喜屋武は最上とクラスは違うが同学年である。肌が若干緑色をしており、彼が水場に居れば、十人中十三人は河童かと思うだろう容姿をしている。増えた三人はこの世のものではない。

 最上は喜屋武と知り合ってから、あるはずないと一蹴していたオカルト的な存在を感じ始めていた。

 入学して数日が経ったある日、敷地内を散歩していると、地面に蹲ってた生徒を見かけ親切心で声をかけたのが二人の出会いだった。ちなみにその時の喜屋武は列をなす蟻を観察しているだけだった。

 最上は彼と出会ってからというもの、タイミングが悪いのか良すぎるのか、不本意ながら結果的に他人の邪魔ばかりしてしまっていた。

 ある男子生徒が告白をしようとしている場面に出くわしては、たまたま落ちていたボタンを親切心から拾い押してみると、その男子生徒が女子の体操服に顔を押し付けている映像がプロジェクターで映し出され破局に導き。貴重な素材を使って造られた惚れ薬が混入した飲み物に、親切心から砂糖を入れたらたまたま惚れ薬が嫌われ薬になり彼女の思惑を台無しにし。ある演説してる男子生徒の服がほつれていたので、親切心から糸を切ったら何故かズボンがずり落ち、その彼はたまたまパンツを履き忘れていたため、下半身露出の変態にしてしまったこともあった。

 そのため被害にあった多くの人に恨まれ、その影響か他の人にもやってもないのに疑われてしまうようになってしまったのである。

 喜屋武に運気を吸われているのかと最上は思っている。

 実際の所あながち間違ってはいない。だいたいが喜屋武の策謀による所であった。

「用事というかお願いごとがあるのでやんすが」

「感謝はいらないって――」

「感謝じゃなくて、借りを返して欲しいだけでやんす。囲まれていると頃を助けてあげましたでやんすよね」

 どうやって断ろうかと思案する最上は、喜屋武にずずいっと不気味な顔色を近づけられ、その目を見るうちに「話だけでも聴こう」と勝手に口から出ていた。


 〇


「実は先輩に届け物を任されているのでやんすが――」

「その先輩とは、あのレイ先輩の事か?」

「そうでやんす」

 この学園では学年によって制服の一部の色が違っている。上の学年から順に青、緑、赤色だ。だがレイ先輩の制服はその三色以外の紫色をしていた。ぼさぼさの蓬髪から覗く片目は血走っており、宙を滑るように静かに移動する人だ。

 最上は一度だけ、喜屋武に紹介され会ったことがある。その時は夜の学校であったため妖の世界にでも紛れ込んだ気持だった。

「そのレイ先輩から、コレを預かってやして……」

 喜屋武はどこから取り出したのか、電子錠付きの頑丈なケースを最上に渡した。

「何だこれ?」

「中身は私も知らないでやんす。……気になるでやんすか?」

「ならないならない。絶対に見ない」

 また近づけられた喜屋武の顔を遠ざけながら最上は言った。

 こういうのは変なことはしないに限る。

「とにかく今日陽が落ちるまでに我が校の『マザー』に届けてくれと頼まれてたのでやんす」

『マザー』とは三年の壽せいかの事だ。

 彼女はその聖母の様な微笑みと深い慈悲、母性溢れる乳を携えた御方だ。彼女は一年の頃から当時の『マザー』からその称号を与えられた傑物である。授業以外は本校舎の九階にある礼拝堂にいるらしい。

「そんなの自分で行けばいいだろ」

「ええ、ですが先輩も私も神社仏閣教会のような場所はどうも苦手でして……。だから最上さんにお願いしているでやんす」

 最上は別に届けてもいいと思っているが、自分を血眼で探しているだろうちりめんじゃこ同好会に鉢合せするのではないかと懸念していた。

「心配ご無用でやんす。この学園は広いでやんすし私もナビゲートするでやんすから」

「心を読むな」

「最上さんが分かりやすいだけでやんす」

「分かった行くよ。ただしこれで貸し借りなしだからな」

 心を決めて立ち上がった最上は、しっかりと喜屋武に釘をさした。

「もちろんでやんす」

 と頷いた喜屋武の顔は、物凄く胡散臭い笑顔だった。


 〇


 いったん寮に荷物(しらす)を置いた最上は指示を受ける為通話しっぱなしにしたスマホを入れたアームバンドを腕に巻き、本校舎に向かった。スピーカーモードではなくイヤホンにする手もあったのだが、耳元で喜屋武の声をと想像するだけでも嫌だったので全力で却下した。

 時刻は午後二時少し前。スタミナを温存するために日陰を選びながら、ちりめんじゃこ同好会の目につかないよう物の影に隠れながら移動した。

 最上が住む寮から本校舎までは歩いたら最短距離でも十五分はかかる。図らずも幾つもの恋の芽を摘み、破局に導いたこともある最上は途中にある馬術部の馬房を避けるため遠回りするから三十分だ。馬に蹴られて死ぬことに比べればこのくらいの時間ロスはなんてことなかった。陽が落ちるのが遅い夏だ、タイムリミットまでは十分ある。

 一度馬を観たくて馬房を訪れた時、馬が異様に暴れた。それ以降、最上はジンクスとか言い伝えとか信じるタイプである。

「西口に着いたぞ」

 最上は何事もなく東西南北に一つずつある入口のなかの、西の入口にたどり着いた。上履きがある北口ではなく、西口にしたのは待ち伏せされている可能性を考慮したからだ。

 ちなみに、それなら学生寮で待ち伏せすればいいのではいいのではないかと思われるだろうが、校内の数カ所に絶対不可侵エリアというものが風紀委員発行の学内ルールブックに掲載されており、学生寮と、礼拝堂も不可侵エリアに指定されている。

『上履きに履き替えずに、靴だけ脱いで礼拝堂に向かうでやんす』

 腕に巻いたスマホから喜屋武の指示した。

「何も履いてないと変に思われないか?」

『スリッパ何て履いてたら逃げられないでやんすよ』

 それもそうかと下駄箱を通り抜けようとしたその時であった。

「見つけたぞ!」

 目の前にちりめんじゃこ同好会の一人が立ちふさがった。

 両隣りは下駄箱がある。すぐさま後ろから逃げようとしたが、後ろにも一人立ちふさがっていた。両者とも泥で汚れていた。

「挟まれた!」

「へへへ、四カ所すべての入口に張ってたのが上手くいったな」

「く、無駄な労力を!」

 口には出さなかったが、じゃこぐらいで!と最上は思わずにはいられなかった。

「おい喜屋武、普通にヤバい!ナビゲートはどうしたんだよ!」

『すいやせん。ぬか漬けの様子を確認してやした』

「ふざけとんのか!」

 最上はスマホに怒鳴り声をぶつけた。

『大声はやめてください。耳が痛い出やんす。まぁこれから我が家に伝わる百八が秘技をしやすんで、取り敢えずその場を何とかするでやんす』

「結局俺任せか!」

 最上としてはこの状況をどうにかして欲しかった。

「その電話が繋がってるのは喜屋武というやつだな」

 状況を打開するために、頭を働かせていた最上にちりめんじゃこ同好会の男は言った。

「ッ!?」

 言い当てられた最上は驚愕した。

 喜屋武は神出鬼没な上どうやっているのかは不明だが普段は気配を消して過ごしているため、知っている人は少ないはずなのだ。六月くらいに我慢の限界を超え、文句を言ってやろうと喜屋武のクラスに行ったのだが「喜屋武の奴いるか!」「誰それ?」と何を言ってるんだと訝しんだ眼差しをクラス中から向けられたことがあった。

 だから今日泥団子をぶつけられただけの学年が違う生徒が知っているはずがないのだ。

「……どうして知ってる」

 今更だが、追い詰めているとはいえちりめんじゃこ同好会の余裕そうな表情が酷く不気味に思えた。

「これを見れば分かるんじゃないか?」

 そう言ってちりめんじゃこ同好会の彼が懐から取り出したのは、真っ赤なホイッスルだった。刺股と鞭がバツ印に合わさったマークが描かれていた。

 そのホイッスルに最上は心当たりはなかったが、喜屋武は違ったようだった。

『なるほど警ら隊の人達と繋がっているでやんすね』

 そのホイッスルは警ら隊メンバーに配られているグリーン、ブラック、レッドの三種類のホイッスルのうちの一つであった。それを持っているという事はつまりは、

「そうだ。会長が警ら隊の隊長と手を組んだため、情報を貰ったのだ」

 驚くべき情報ではあるのだが、それ以上に気になる事が最上にはあった。

「ていうか見えてるのか?」

 喜屋武はここにいない。スマホは通話のみのはずなのだ。

『我が家百八が秘技のひとつで、水瓶にはった霊験あらたかな水に映る最上さん達を見てやすから』

「嘘つけ!」

 嘘だと思いつつも完全に否定できないところが喜屋武の恐ろしいところである。

「は、随分余裕そうだがそれもここまでだ!」

 ちりめんじゃこ同好会の人は手にしていた赤いホイッスルを思いっきり吹いた。

 高い音が校内に響く。

 夏休みなのに校内にいる人はその音を聞き、大捕り物が始まったことを知った。

『最上さん早く逃げないと警ら隊が沢山やってくるでやんす!』

「くそ!」

 最上は天井と間がある下駄箱を素早く登り、隣に移った。

「逃がすか!」

 最上を逃がさないと、ちりめんじゃこ同好会も隣に移ったが、

「いない!?」

 驚愕する彼の横、つまりさっきまで立ち塞いでいた所を最上は走り抜けた。

「騙された!」

 隣に移ると思わせるフェイントだったのだ。

「追うぞ!」

 ちりめんじゃこ同好会はすぐさま最上の背中を追った。



 本校舎の一から四階は久八理事長が設計したといわれている。一、二、三階の中心には馬鹿でかい体育館が配置されている。そして四階は悪ふざけだとしか思えない様子をした階だ。

 四階は迷路のようになっている。

 廊下は頻繁に曲がり、わかれるため、一度見失うと簡単には見つけることは出来ない。現に追ってきていたちりめんじゃこ同好会の二人は最上を見失っていた。

 余りにも複雑な廊下なため、この階を頻繁に使う生徒でも道を覚えている人は少ない。生徒は迷わないように、至る所に貼られている標識を見て歩くのだ。

 しかし昔はともかく今は四階は授業には基本使われておらず、ほぼ部室になっていた。

 最上はそこらじゅうの標識を確認しながら、上え続く階段へ走った。

「あそこは……右か!」

『止まるでやんす』

 眼も前に現れた三又の道を、張られた矢印に従おうとした最上を喜屋武は止めた。

『そっちに上に続く階段はありやせん!』

「クッ、警ら隊の連中、勝手に標識を変えたな。なんて迷惑な!」

『風紀委員と生徒会に、警ら隊の所為だと匿名でリークしておきやす。彼らに捕まっても面倒でやんすし、潰し合わせておきやしょう』

「頼んだ!」

『上の階に続く階段は左の道に入って右側の教室を反対側の扉から抜けて、右に曲がってもう一度右でやんす』

 この階は教室を挟む廊下が別々の道になっているのは当たり前、廊下や教室の見た目が似ているのに、それぞれの教室の向きも違っているから方向感覚が狂わされるのだ。

「ややこしい!」

 教室を抜けたあたりで、喜屋武が再度最上を止めた。

『あ、階段の前を警ら隊の連中が検問所のようにしてるでやんす』

「……一度奴らの前に出て、上手いことつってやり過ごしすしかないか」

『頑張るでやんす』

 スマホから聞こえる喜屋武の声が、最上には普通に腹立たしかった。


 〇

 

 五、六階を設計した菜々美理事長は芸術的というか感性が爆発していた。

 五階には変な形をしたオブジェと、マネキンや人の形をした像が、廊下だけじゃなく教室にまである。

 階段上れたが警ら隊を撒けなかった最上だが、

「よし、とうとう捕まえたぞ最上!」

「それは石膏像だ、馬鹿。ああ、これはマネキンか」

「それは最上だ、アホ!」

 とマネキンをうまく利用し、オブジェを身軽に躱していった。

 彼らは刺股がいろんなところに引っかかり上手く追えなかった。

『流石の逃げ足でやんすね。このまま六階に行ってしまいましょう」

 六階は椅子の階である。

 様々なデザインの椅子が廊下だけじゃなく、壁や天井から生えたりもしていたるのだ。すべての椅子は固定されているため動かすことは出来ない。歩く分には問題ないが、走るとなると危険だ。壁や天井から生えた椅子にぶつかるってしまうし、それらに注意を向けていては下の椅子に脛や小指をぶつけてしまうのだ。

「イタッ。指導隊長、刺股を置いていいですか?」

「馬鹿もん!刺股と鞭は我らが魂。たとえ死しても手放すことは許されない!」

 椅子に苦戦する警ら隊を離すが、別の警ら隊がひっきりなしに次々と現れた。

「なんでこんなに警ら隊は全力で追ってくるんだ?」

『それは私達が警ら隊のレッドリストに載ってるからでやんすね。ちりめんじゃこ同好会の人が出しやしたホイッスルが赤でしたから、間違いないでやんす』

 ホイッスルの色ごとに音色も違うらしいかった。

「レッドリストって俺らは絶滅危惧種か?」

『警ら隊に所属している生徒が怒りや恨みのあまりに、流した血の涙で屈辱を与えられた生徒の写真を染めたことに由来するみたいで、どちらかと言うと絶滅させるリストでやんす』

「なんで、俺達がそんなリストに!?」

『最上さんが公衆の面前でパンツを下ろして、下半身露出させ、警ら隊の局長を一週間の停学にしたんじゃないでやんすか』

「あの人か!」

 最上はその時の事を思い出した。

「我らが局長の恨みを、どうして晴らさでおくべきか!」

『あ、警ら隊の精鋭が来ましたよ』

 警ら隊の精鋭は、刺股を持ちながらも凄まじい速さで、椅子を躱し、さらには刺股を投げてくる。

「いや、ほんとごめんなさい!悪気はなかったんです!」

 最上は全力で走り、刺股を躱し、謝りながらなんとか七階にたどり着いた。


 〇


 七、から十一階を設計した六科理事長はとにかく合理的な人だったと言われている。合理的すぎてロボットみたいだと伝わっている。学校にあるハイテクな電子機器や設備はすべてこの階の中に納まっている。ただ情緒とかは美的センスは皆無だったらしく綺麗に整えられた階ではあるものの、闇鍋のように色んなごちゃ混ぜになっている。例えば九階にある礼拝堂の隣は食品加工室があったりする。

 七階は職員室や事務員室等の働く大人の人達がここに集まっていた。七階まで階段で登るのは大変なので一階から七階に続くエスカレーターは後から付けられた。六科理事長はエレベーターも五階から十一回まで増築した。

 もちろんエスカレーターやエレベーターには警ら隊が待ち伏せしているだろうから最上は始めから使わなかった。

 七階についた最上は早歩きで廊下を歩く。すぐ五メートルほど後ろにいる警ら隊も粛々と歩いている。

「あ、てめぇよくも俺の告白を台無しにしてくれやがったな!」

 最上に恨みを持つ生徒が目の前から走って来た。レッドホイッスルの音を聞き、もしかしてとやってきたのだ。

「ははは、簡単に許してやるとは思うなよ!」

 何故、最上や警ら隊の面々が走らないのか。それは簡単で当たり前な理由である。

「グヘ!」

 最上を捕まえようと走って来た生徒は、急に部屋から飛び出してきた太い腕にラリアットされるようにして捕まった。

「廊下は走るな」

 生徒指導の教師が目を光らせているからである。

「こんにちは!」

 最上は立ち止まって、しっかりと挨拶をした。

「こんにちは!」

 警ら隊の面々も同様である。

「ごめんなさい。許してください」

 と捕まった彼が謝るも。

「ゴメンですめば警察はいらんのだ。簡単に許すとは思うなよ」

 生徒指導室に連れてかれた。慈悲はない。彼が生徒指導室から出てくるときは坊主頭になっていることだろう。



とある教室で、暗い笑い声が響いていた。遮光カーテンで暗い部屋は数本のろうそくで照らされているだけだった。ここは黒魔術の灯というサークルが使用している部屋である。その部屋の主である彼女は両手両足が逆になった人形に、注射器で確保してあった血を注入した。そしてその人形を魔方陣が書かれた紙の上に置いた。

「ヒダリーヌ、ミギナリーバ」と手をかざしながら唱えた。

「ハハハハハ!私の恋路を邪魔した奴は苦しめばいいのだ。ははははは!」

 狂ったように、そしてどこか悲しげに彼女は笑っていた。



 最上は八階を走っていた。警ら隊の一部は刺股を持っていることを、先生に注意され時間をとられたため最上とは距離が出来ていた。このままだど礼拝堂まで問題なくたどり着ける。

 筈だった。

「ぐへ」

 最上は急にこけた。

『どうしたでやんすか?礼拝堂まではもう少しでやんすよ!』

 最上は起き上がろうとした。

「何だこれ?」

 けれど上手く体が動かなかった。右手を動かそうとすれば左手が動き、左足を動かそうとすれば右足が動いたのだ。

 最上の様子がおかしいことに喜屋武はすぐに気が付いた。

『それは左右逆転の呪いでやんす』

「なんでしってんだよ」

『そんなことより早くしないと追い付かれるでやんすよ!』

「そんなこと言ったってどうすれば」

『取り敢えず、すぐ横の教室に入って鍵をかけるでやんす!』

 最上は驚異的な適応力で立ち上がってみせた。そして扉が開いている右の教室飛び込んだ。

 ――筈だった。

「がはっ!」

『最上さん!』

 最上の体は右ではなく、左に勢いよく跳び、鈍い音を立てて廊下の壁に激突したのだ。

「確保!」

 痛みに動けずにいる最上は警ら隊に捕らえられ、縄で縛られ目隠しをされると運ばれていった。



 ?階。

 警ら隊の本部に連れてこられた最上は椅子に縛られていた。

「局長は呼んだのか?」

「ああ呼んだが、風紀委員長に今捕まってるらしい」

「何だとなら暫くかかるのか」

「援護しに行ったほうがいいのでは」

 と最上を囲って警ら隊の面々が話していた。

 体の感覚が戻っていた最上だが、しっかりと縛られてい逃げ出すことは出来そうになかった。何とか弁明して許してもらえないかと考えている最上の耳に、鳥肌が立つような囁きが入って来た。

『最上さん最上さん』

 いつの間にか警ら隊の鉢巻きを付けた喜屋武が、最上のすぐ後ろに陣取っていた。

『今からこの場を混乱させやす。縄はほどけるようにしやした、その隙に逃げてください』

「だがここはどこかも分からないから逃げようもない」

『窓から出て外壁をつたっていけるでやんす。ではいくでやんす』

「あ、ちょっと――」

 まだ心の準備が出来てない最上だったが、喜屋武がけむり玉やロケット花火、さらには蛇玉に火をつけた。

 突如発生した煙と破裂音に警ら隊の面々は混乱した。

「何だ何だ!」「火事か」「痛い、何か飛んできたぞ!」「俺今何か踏んだ!」

 その隙に最上はケースを回収し、喜屋武の言う通り一つだけある窓から外に出た。

 そこは学園の敷地内を見下ろせる、ないはずの十一階の屋上だった。

 真四角の七から十一階の上に増築されたのは階層の外壁は五角形の形をしており、ずれた角にあたる部分だった。

「ってことは本部って十一階と十二階の間にあるのか」

 最上は喜屋武の言う通りに、下に降りれる梯子を「落ちたら死ぬな」と思いながら慎重に下りる。その途中で開けられていた窓があった。

「待っていましたよ」

 その部屋の中から『マザー』の壽せいかが最上に声をかけた。

 最上は危うく落ちかけた。


 〇


 何とかケースを『マザー』に届けることに成功した最上は、マザーから貰った変装道具で難なく本校舎から出ることに成功した。

「お疲れ様でやんす」

 いつの間にか喜屋武が最上の隣に立って、ペットボトルを渡してきた。

「……お前もな」

 出されたペットボトルを受け取ると一息に飲み干した。

「はぁ~。うめぇ」

「四国にある、とある霊山から汲んだ水らしいですよ」

 と言って、喜屋武はニヤリと笑った。

「それは旨いはずだ」

 最上は軽く笑いかえす。

 隣に並ぶ彼等にも斜陽がさし、影が伸びる。

 まだ蒸し暑く何もしなくても汗が滲む。それもまた達成感を感じさせ、疲労が心地よく感じた。

 そんな彼等に「ああ!」と何かを発見した声が聞こえた。

 最上と喜屋武が振り向くと、そこには四人の男女が立っていた。

「我ら泥団子研究会が苦労して手に入れた水を盗んだのは君だな!一緒に警ら隊の詰め所まで来てもらおうか!」

「いや、これは」

 最上は渡してきた喜屋武をみようと、視線を隣に向けるがそこには喜屋武は居なかった。

「俺じゃないんだ」

 と泥団子研究会と書かれたペットボトルを握りしめながら最上は逃げ出した。

 

 

 

 

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