私と彼の日常生活
第8話 夫婦生活がないということは
* * * * *
実際、この結婚は大正解だったのだろう。
協会支給の二人暮らしには充分すぎる広い屋敷だから別々の部屋で寝ることもできるのに、同じ寝室に大きなベッドを入れて私たちは並んで寝ている。でも性的接触は一切ない、清い関係である。
ルビは約束を守ってくれた。半年一緒に暮らしているが、身体を求められないどころか、不用意な接触もない。互いに寝相がよいので、きっちりベッドの半分を使って寝起きしていた。
「――あの、ルビさん? もう寝てしまいましたか?」
「いや。そろそろ寝るが、どうかしたか?」
ゴソゴソと衣擦れの音がして、ルビが私のいる左側を向いた。
「ふと思ったんですけど、ルビさんは性欲の発散ってどうされているんです?」
「いきなりなんの話だ?」
ルビが目をまんまるくしている。
「あ、いえ。今日もまた言われたじゃないですか、ルビは気持ちがいいだろうって」
「その話か」
彼は興味なさそうに天井を向いた。
「その……私が寝ている間に抜いてるのかな、とか、そういう気持ちになったら外に処理に行かれるのかなって、気になってしまいまして」
「君はどうなんだ? 他人に対して欲情することがなくとも、身体が欲することはあるんじゃないのか?」
「私は……そうですね。結婚する前にちょっと試してみたことがあるんですけど、あまり気持ちよくなれなくて。それっきりですかねえ。仕事で疲れるとすぐ寝てしまいますし、縁がないのかな」
私は笑ってごまかした。聞くだけ聞いておしまいにするにはフェアじゃないと思えたので、正直に質問に答えたのだがルビはどうなんだろう。
「……確かに君はすぐに寝てしまうな」
思案する間があって、ルビは呟く。
「そういう面でも、私はあなたの相手はできそうにないですね」
「俺は別に他所に行くつもりはないし、もしそういう気持ちになってしまったら……できるなら君と気持ちよくなりたいけどな」
「ははは。冗談」
「君がそういう気持ちになったら、俺を呼んでほしい、とは思っているぞ?」
声色が真面目だった。これは本気だ。
「そういう気持ちになるかはわからないですけど、そのときは……考えておきますよ」
「前向きに検討してくれ」
話はこれで終わりとばかりに、ルビは目を閉じてしまった。
――ルビさんって性的な話題を避けてる気はするんだよなあ……。私が嫌がるのを知ってるから、気遣ってくれているのかもしれないけど。
鉱物人形は同じ容姿の別個体が複数存在する。そういう存在を同位体と呼んでいる。
私は仕事の都合上、同位体のルビと接することがある。彼らは概ね普通の青年に近い情動を獲得し、そのように振る舞うわけで、性的な話題に触れることもまあまあある。
ルビは女精霊使いたちが噂するように、性的な行為は慣れている傾向にあり、それは彼らが性的欲求の解消を頻繁に必要とする性質によるものらしい。
つまり、潔癖な傾向があるルビは珍しい。
「ルビさん」
「なんだ。珍しく起きていられるんだな。あまり話しかけるとそういう意味だと解釈して襲うぞ」
「……襲われたいわけではないんですけど、我慢させているのだとしたら、申し訳ないと思って」
「我慢はしていない。いいからもう寝ろ」
それは本音なのだろうか。
今さらそんな心配をするなということでもあるのだろうけれど、夫婦らしいことをしたい気持ちが少なからず彼の中にあることを知った。
触れ合いたい気持ちがあるから彼は手を握ろうとするのだ。
その行為を私は外部向けのパフォーマンスとして儀式的にやっているのだと考えていた。夫婦ごっこをするつもりも恋人ごっこもするつもりも私にはさらさらなかったから意図的に無視してきたけれど、少しは付き合うべきだっただろうか。
「……なんか眠れないんです」
頭の中がぐるぐるしている。
付き合ってもらっているとは思ってきた。お互いにメリットがある契約結婚なのだから。でも、本当にお互い様な関係なのだろうか。
「ルビさん、そっちに行ってもいいですか?」
「……なにされても文句言わないなら許可する」
「文句、絶対に言わないです」
宣言をして、いつもは入らない彼の領域に潜り込む。
彼はそっと私を抱きしめた。いや、抱きしめるというよりも、包み込むと表現したほうがよりしっくりくる。ふんわりと、私を壊さないようにルビは優しく被さる。
思いがけず心地がいい。
「……魔力が不安定になってるな。それで寝付けないのか」
「そういう?」
「これは業務の延長みたいなものだ。相棒の調子が悪いのは困る」
ルビのにおいを強く感じる。懐かしいにおいだと思えるのはどうしてだろう。
「……文句なんて言いませんよ、ルビさん」
胸に耳を当てているのに心臓の鼓動はない。代わりに歯車の回る音が聞こえる。鉱物人形の心音は、歯車の回る音だから。
私はその優しい音を聴いているうちにスッと眠りに落ちた。
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