小話

ルヴォンヒルテ次期公爵①

 

 

 別荘での一人暮らしに、慣れてしまった。

 使用人も両親もいない、静かな家。


『寂しくないのか?』


 そう言う父の言葉は、いつも通り無視した。寂しいなんて感情は、幼いころに嫌というほど味わった。回数をこなせば、そんなの感じなくなる。

 両親は優しかった。

 幼いジルクスの感情を敏感に感じ取り、忙しい仕事の合間に傍に寄り添い、声をかけてきてくれた。しかしその優しさは、幼いジルクスだけが独占できるものではなかった。


 ある時は使用人に。

 ある時は仕事相手に。

 ある時は部下に。


 ルヴォンヒルテ公爵という偉い身分の人間として生まれたのだから、たとえ両親からの愛に飢えていたとしても、我慢しなければならない。せめて、幼いジルクスの事を真面目に見てくれる人がいれば良かったのだろうが、残念ながらその当時、ルヴォンヒルテ公爵家に銀髪を受け入れる土壌は存在しなかった。


 使用人が一人、また一人と離れていくのを目の当たりにして、当時10歳ほどだったジルクスはこう言った。


『俺はずっと一人でいい』


 そして────今に至る。

 大型魔物を討伐するまでの期間とはいえ、別荘での一人暮らしは悪いものではなかった。着替えや食事はロー商会の元会長であるオルバートが運んできてくれる。自分の決めた時間に起き、仕事に出かけ、灯りが点いていない真っ暗な別荘へと帰還する。特に片づける気力も起きず、書斎は散らかり放題で、部屋の埃は溜まる一方。一日だけでも雑役女中メイド・オブ・オールワークスを雇って部屋を片付けてもらおうか。そのような事をふと考えたが、かつての使用人たちに言われたあられのない陰口を思い出して、誰かに頼もうという気持ちも失せてしまった。


 そんなある日の事だった。


 別荘の玄関の前に、見知らぬ人物が座り込んでいた。

 こんな薄暗い森の奥に来る人間はいない。それにこの別荘を知っているのは、オルバートのようなごく一部の人間だけ。

 誰だろう。いや、誰でもいい。とにかくさっさと出ていってもらおう。


(いやまさか…………女か?)


 驚いた。

 パーティ用とまでは言わないものの、外行き用のドレスを泥まみれにさせている18歳ほどの女性。きめ細やかな白い肌に、ぷっくりと熟れた唇。目は長い睫毛に伏せられており、規則正しい呼吸で時折ピクピク動いている。


 なによりジルクスが驚いたのは、彼女の長い銀色の髪だった。

 

(俺と同じ……)


 美しすぎて、天使が降りて来たのかと錯覚する。

 その髪に手を差し伸べかけて、ようやく我に返った。

 

「おい」


 肩を揺すってみると、彼女はすぐ目を開けた。大げさに謝り倒す彼女の話を聞けば、ランドハルス侯爵家のご令嬢だという。ジルクスは社交界が嫌いなため、彼女に会ったのはこの時が初めてだった。ただ、噂は聞く。銀髪の娘は、その存在だけであらぬ憶測や噂を呼ぶものだ。少しだけ同情の念を抱きつつも、レティシアを別荘の中に招き入れた。

 

 ルヴォンヒルテ公爵とランドハルス侯爵が旧友だということを、社交界では意外と知られていない。なにせ交流があったのは若かりし頃で、ランドハルス侯爵がその妻ロザリアと結婚した後は、文のやり取りがあった程度。


 とはいえ、ジルクスは父からランドハルス侯爵の話はよく聞いていた。

 その娘を、婚約者にどうかと父との話題にのぼったこともある。

 次期公爵としての仕事と魔物退治が出来れば十分だと思っていたジルクスは、それを一蹴した。


 なんの因果だろうか。

 父伝いでしか聞いていなかった侯爵令嬢が、ドレスを脱ぎ捨て、おさがりと思われる給仕服で目の前に立っている。

 乾かしきれなかったのだろう、銀色の髪がしっとりと濡れている。本来であれば、侍女が数人がかりで長い髪をタオルで拭くのだろうが、ここにはそんな使用人はいない。


 彼女が誰の助けも求めなかった事に驚いた。

 

「君は侯爵令嬢だろう。なのに、風呂中に使用人を必要としなかった。体を洗う、服を着る、髪を乾かす。どんなときでも使用人は必要だ。──なのに、君は一度も不満を言わなかった」

「ここに使用人はいらっしゃらないでしょう?」

「……ああ」

「であるなら、ないものねだりです。それにもう、私は侯爵家の娘ではありませんから」


 小さく微笑む彼女には、強い覚悟を感じた。

 侯爵家という箱庭を飛び出し、これから自分で地に足をつけて生きていく思いを。しかしジルクスは、それを信じなかった。しょせん彼女は親の人脈を使っている。ランドハルス侯爵という親がルヴォンヒルテ公爵と仲が良かったから、庇護されるのは当たり前だと思っているはずだと。


 その思いは、予想外の形で裏切られることになった。

 

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