17 これから先もあなたのそばに
「レティシアでございます。このたびはお招きいただきましてありがとうございます、ルヴォンヒルテ公爵様」
「よく来てくれた。最後に会ったのはもう7年も前になるか」
ルヴォンヒルテ公爵様の返事を待ってから、私は礼を解いて面をあげる。
以前にお会いした時は黒髪だったが、
外遊からお戻りになったルヴォンヒルテ公爵様にご挨拶出来たのは、私がジルクス様の侍女になってから2か月が経った頃だった。ジルクス様から時期尚早だからもう少し待てと言われ、いつの間にかこんなに時間が経ってしまっていた。
でも、待っていたのは正解だった。
悪い噂がはびこる渦中に訪問するより、冤罪が晴れてからのほうが気を揉まなくて済む。私の冤罪を晴らすために裏で尽力してくれた人がいて、その人のおかげで堂々と公爵様に挨拶が出来るのだ。
「本当にお美しくなられた。ロザリアそっくりだな」
「母をご存じなのですか?」
「エルヴィンとは貴族学校時代の旧友だからな。その妻、ロザリアとの馴れ初めも知っているし、婚約披露宴と結婚式には参加した」
「まあ、そうだったのですね」
(公爵様、夜会の場で見たときよりもお優しそう……)
社交界は貴族の戦場とも称されるように、公爵様は鋭い雰囲気を持っていて近寄りがたいと思っていた。だからそのときは、本当に噂通りの冷徹なお人だと思ってしまった。今は違う。おそらく公爵様もまた、ジルクス様と同じように気を許した相手には優しいのだろう。
「レティシア嬢」
「いいえ、公爵様。私はもう侯爵令嬢ではございません」
「縁を戻すのではないのか?」
昨日、お父様がジルクス様の別荘に来られた。びっくりしたけれど、お父様が私のことを本当に心配していることが分かって、とても嬉しかった。
お父様は、私に判断に任せると言ってくださった。
『一度でも娘を勘当した男だ。それが冤罪と分かっていても、私にはそれしか出来なかった。娘を家に置きながら娘を守る術を、私は持っていなかった。二度と家に帰って来るなとも言ったな。今さら、私には娘に帰ってきてほしいなんて言えない』
お父様は、沈痛な顔をしていた。
それが優しさの裏返しであることを、ひしひしと感じる。
もし冤罪が晴れて、縁を切る必要がなくなったのなら、私はランドハルス侯爵家に戻るのだろうか。そう何度か考えたことがあったけれど──
いまの私の答えは「いいえ」だった。
「私はジルクス様に多大な恩を感じております。誰も助けてくれなかったあの日、ジルクス様だけが私の手を取ってくださいました。私が不安なとき、気にかけてくださいました。きっとジルクス様だって、私が本当に信用に足る人間かどうか計りかねていた時期があったでしょう。それでも、ジルクス様はお優しく、私の手を離すことはありませんでした。その恩は、言葉や物品で返せるものではございません。何年かけてでも、返していく所存でございます」
「…………そうか」
公爵様は満足げに頷いていた。
「愚息の婚約者になる気はあるか?」
「侍女として尽くていこうと思っております」
え?
公爵様と私の声が重なって、ちょっと聞き取りづらかったのだけれど。
(公爵様、いま婚約者って仰られなかった?)
公爵様も目を見開いて驚き、ややあって、愉快そうな表情を浮かべて顎を撫で始めた。
「これはこれは、我が息子の想い人はなかなかに手強そうだ。ゆえに燃えるだろうな」
「あの、公爵様……?」
「いや失敬。敬意の意味もこめて、今だけはレティシア嬢と呼ばせてくれ。ありがとう、レティシア嬢のような女性が倅の傍にいてくれるのは嬉しい。これからは、
「本当に、よろしいのですか……?」
それを直談判する計画を練っていたのに、こうもあっさり通ってしまうとは拍子抜けだ。
でも、嬉しい。
公爵様の了承を得られたら、後は満を持してジルクス様に直談判しに行くだけだ。
◇
「ジルクス様」
「レティシアか」
ルヴォンヒルテ公爵家の東屋に、ジルクス様がいた。
「公爵様に挨拶しなくてもよろしいのですか?」
「後で顔を見せる」
「寂しいと思いますよ」
そう言うと、ジルクス様は嫌そうに顔を歪めた。
その顔が何だか面白くて、私は少し笑ってしまった。不敬だったかもしれない。でもジルクス様は私の事を咎めることはしなかった。
「ジルクス様にお話がございます」
「なんだ」
「公爵様から了承もいただきました。これから先も、侍女として仕えさせてください」
「…………。なるほど、こういう感じなんだな」
「? どういう意味でしょうか……?」
ジルクス様は小さく笑い、私の腰に手を回して引き寄せた。バランスを崩して倒れそうになるのを、逞しい腕が支えてくれる。
整った顔が近くにあって、少し頬が熱くなった。
「答えはイエスだ」
「あの、さっきの意味は……」
「好いた女の心を完全に手に入れるため、男が試行錯誤する気持ちが分かったということだ」
「す、好いた……???」
「ああ。レティシアとて気付いているだろう? 俺はもうレティシアしか見えていない。俺は君が好きだ。この銀色の長い髪も、透き通った白い肌も、力を籠めれば手折れそうな細い腕も、柔らかく甘い蜜のような味がする唇も、すべて俺の心をとらえて離さない」
抱きこまれた。
座るジルクス様を見下ろす形になってしまい、目線のやり場に困ってしまう。
「時間はたっぷりある。ゆっくり、じっくり……レティシアを俺のものにするとしよう」
「あ、あの……私は侍女で……」
「侍女であるまえに女だろう。レティシアは俺の事が嫌いか?」
ふるふると首を振る。
お優しいジルクス様の事を嫌いになるはずがない。
むしろ、彼の隣にいると安心する。
不思議な感じだった。
別荘で出会った時に、この人なら大丈夫と思ったのだ。
「好き……です。たぶん」
「たぶん?」
「い、今まで誰かを好きになったことがなかったんです」
「なるほど」
何を思ったのか、ジルクス様は面白そうに口角をあげた。
「愛を教えるのは俺が初めてか。これは言いことを聞いた」
「あと、ジルクス様。……ありがとうございます」
「何がだ?」
「ジルクス様ですよね、私の冤罪を晴らすために裏でいろいろやってくださったのは」
「なんのことだかな」
私の悪い噂を打ち消すために、たくさんの人を動かしただろう。
こんなことが出来るのは、ジルクス様しかいない。
「本当にありがとうございます」
「ああ。このお礼は、一生かけて返してもらおう。俺はレティシアを離すつもりはないぞ? 覚悟しておけ」
「はい……」
温かくて大きな手に、私は手を重ねる。
心の底から、幸せを感じて。
自然と笑顔がこぼれた。
<完>
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