第三話「幕開け」


「それじゃあまず、一番楽な姿勢になってから目をつむって」


 シリウスはギルバートの指示通りに体全体の力を抜いてから静かに目を閉じた。


「次は思考をできるだけ空っぽにして。何も考えずに世界と自分を一つのものとして五感以外の何かで感じ取るんだ。自己という領域を捨て世界と己を接続する。そうすれば精霊を感じ取ることができるようになるよ」


 ――五感以外で感じる、五感以外で感じる、五感以外で感じる、


 シリウスは額に汗を滲ませながら必死に精霊を感じようとする。


「……違うそうじゃない。いきなりで難しいのはよくわかるし、加えて君はその年齢にしては思考のレベルが桁違いに高いからそれを閉じるというのは他人よりよほど難解だ。だけど出来なければ次へは進めないよ。……まあ最初から出来るとは思ってないから気長にいこう」


 そう言ってギルバートは持参していた本を手に取り読書を始めた。


 シリウスは何かアドバイスが欲しかったが取り合ってくれそうになかったので、もう一度深く息を吐いてから目を閉じた。


 その瞬間……




      〇




『本当に行ってしまうの?』


 目の前の知らない女性が心配そうな表情を浮かべながらを見ながらそう呟いた。

 

『……ああ、行くよ』


 はそう答えた。


 ……え? 今の、僕が言ったの? 


『……そう。私ではあなたを止められないのね』


 哀しそうな顔で優しく微笑みながら彼女が言った。


『……そんな顔をしないでくれ。別に死にに行くわけじゃないさ、ただちょっとの間眠るだけだよ』


 はわざと気軽な感じに笑って見せながらそう言った。


 ……やっぱり僕が言ってる。


『それは、本当にあなたがやらなければならないことなの?』


『いやじゃなくてもいい。でも誰かがやらないといけないことなんだ。この世界には秩序ルールがいる。誰もが簡単に他社を害せるほどの力を持っていては社会は機能しない。……人間はそれを使わないことを選べるほど強くない。そして以外にそれを作れる人間はいない。だからがやる。……はは、ちょっと傲慢かな?』


 は重苦しい雰囲気にならないようにさっきみたく少しおどけながらそう言った。

 

 彼女は何かを言おうとするがすぐにそれを呑み込み、の顔をそっと両手で包み込みそのまま優しく口付けした。


 何秒、あるいは何分そうしていただろうか。


 彼女がようやく顔を離した。


『愛しています。ずっとずっとあなただけを』



      〇




 ――ッッッ!! 今の光景はいったい?


 シリウスは怖い夢を見て飛び起きたかのように動悸を激しくさせ、全身からは汗を噴き出させていた。


 頭痛が絶えず、視界がグラグラと揺れていて思考がはっきりとしない。


 ――あれ? 僕は何をしていたんだっけ……。


「……え? 君、もしかしてもうないかい?」


 読書をしていたはずのギルバートが、ありえないものでも見るかのような顔をしてシリウスのことを凝視していた。


 シリウスは何を言われたのかすぐには理解できなかったが、ゆっくりと辺りを見渡すとそこには今まで何もなかったはずの場所に、確かにが存在していた。


「これが、精霊……」


 まるで主の生還を喜ぶかのように、ぽわぽわとした色とりどりの光がシリウスの周りを元気よく飛び回っていた。

 

「……綺麗」


 今まで彼の世界に欠けていたものが埋まり完成した本来の景色は、今までのそれがモノクロだったのではないかと思えるほど強烈に色づき輝いて見えた。


「……驚いた、本当に驚いたよ。一週間で精霊を認識できるようになれば上々だと思っていたけど、まさか初日で直接見ることができる領域まで至るとは……。天才だ君は。いや、天才なんて優しいもんじゃない。教師なんてしたことなかったけど、君をどこまで育てられるか柄にもなく本気で楽しみになってきたよ」


 ギルバートがいつもの爽やかな笑みではなく、挑戦的でどこか獰猛な笑みを浮かべながらそう言った。


「これからは精霊騎士団『副団長』ギルバート・フォン・キャスパリーグとして本気で君を鍛えにいきたい。陛下から頼まれた内容でも六歳の子どもには厳しいものだがそんなもの比にならない程つらいけどそれでもいいならこの手を取ってくれ」


 シリウスは目の前に差し出された手を見て母の言葉を思い出していた。


『シリウス、あなたは人よりも多くのものを持って生まれてきたわ。だからね、その分人よりもたくさん努力して人の役に立つ責任があるの。楽な道を選んではだめ、自ら困難な道を突き進みなさい。期待しているわよシリウス』


 それはシリウスにとって己の生き方の芯となるものだった。


 ――わかってるよ母上。自ら困難な道へ、でしょ?


 シリウスは迷いなくギルバートの手を取った。


「君ならそうしてくれると信じていたよ。改めてよろしくねシリウス君」


 こうしてシリウスの地獄の日々は幕を開けた。

 


 

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