第6話 さぁ初登校!

 春――新学期である。


 窓を開け、肌に心地よい朝の空気を肺に入れる。少し冷たいがほのかに温かみを感じるそれを、ゆっくりと吐き出した。


 今日から新生活本番ともいえよう。


「おっはよーレイスくん!」

「おはようございます、アルルカ様、アリーナさん。制服、似合ってますね。」

「ありがとー。レイスくんも決まってるぜ?!」


 二人して笑いあう。


 食卓に向かう途中でレイスくんと合流し、軽口を応酬する。いつもの流れだ。


 あの日から朝夕の僅かな時間、レイスくんにお願いされ組手の練習相手となっていた。最近では持久力も上がり、だいぶ私の動きに目がついてくるようになったと思う。今朝は入学式ということもあり、教練はおやすみにしてもらった。


「ルカ様、わかっていると思いますが、くれぐれも目立つ真似はお控えくださいね。」

「わかってるってばー。私はなんの力も持たないただの子爵令嬢! ちゃんとするってば!」

「ほんとかなー……」


 アリーナのお小言モードが始まりそうなのを必死で食い止める。実際、あの日以来、目立つことはしてないはずなのだけど。街に出るのも我慢したし。


 この3か月はエルンストおじさまに用意してもらった書籍を読み漁ったり、作法の講師を付けられたりして過ごしていた。




 エルンストおじさまを交えた和やかな朝食を終えたら、3人で馬車に向かう。


 最初にレイスくんにエスコートされてアリーナが、そして私がその後ろからひょいと飛び乗る。私をエスコートしようとしたレイスくんの手が虚しく空を切っていた。


「ルカ様はどうして作法を一向に覚えてくれないのですかね……」


 走り出した馬車の中で、アリーナが頭の痛そうな顔をしている。いいじゃないか、誰かに見られている訳でもなし。


 苦笑を浮かべるレイスくんは、もう慣れっこなのだろう。諦めているともいう。


「本人に覚える気がないからなぁ。」

「覚えてください!」

「いやほら、必要ならそんときに頑張るし……」

「普段から頑張ってください!」

「アハハハ……」


 レイスくんの乾いた笑いが木霊する。

 しばらく談話しているうちに3か月ぶりの学び舎が見えてきた。さて、ここからだ。


「レイス様、“アルルカ様”をよろしくお願いいたしますね。」

「任されました。ルカ“さん”」

「ルカ、あなたも決して初心を忘れぬよう、くれぐれも心得なさい。」

「はーい。」

「ルカ様!」

「ほらほら“アルルカ様”、地が出ていますよ。」


 アリーナのジト目から目をそらし、誤魔化している間に馬車止めに着く。


 レイスくんにエスコートされて“アルルカ様”が降りると、周囲からひそひそとした声が聞こえてきた。


「ほら、あれだろ? ガイアス公爵子息を打ち負かしたドラクル王国の王女って。」

「30分間、物凄い速さで翻弄し続けたうえに息も切らさなかったらしいぞ。」

「最後は公爵子息を10mも吹き飛ばしたって聞きましたわよ。」


 30分もかけてないし10mも吹き飛ばしてないから。せいぜい10分かそこらかき回した程度だし、その前に3mくらい吹き飛ばしただけだ。噂は尾ひれがつくというが、まぁこれくらいなら可愛いものか。


 ふと“アルルカ様”に目をやると――氷の微笑を張り付けてこちらを見ていた。極太の青筋が見える、そんな気がした。これは帰ったらお小言モードだな……


 レイスくんには“アルルカ様”のエスコートを任せ、私は一人で馬車をしずしずと降り、少し後ろに控えてついていく。よし、誰も私を見てないな。


「では“アルルカ様”、また帰りに。」

「はい、アレイスト様。よろしくお願いします。」


 会釈を交わすと、レイスくんは自分の教室へ向かっていった。


「ルカ、私たちも教室へ向かいますよ。」

「はい、“アルルカ様”。」




 ******


 入学式も無事に終わり教室に帰ってくると、“アルルカ様”には人だかりができていた。


「殿下、なぜこちらへご留学をお決めになったのかしら?」

「母から見聞を広めてくるよう言われましたの。ドラクル王国は小さいですから。」

「ドラクル王女殿下、“あの”ガイアス公爵子息を打ち負かしたという噂、本当ですの?」

「そのような噂をどちらからお聞きしたのかしら? わたくしが殿方に勝てるように見えまして?」

「そうですわよね……いえ、ただの根も葉もない噂、ということですわね。失礼いたしました。」


 んー、そろそろレイスくんが待ってる頃かな。放っておくと質問が終わりそうにない。


 ふと視線を感じて振り返ると、教室の入り口に見覚えのある男子生徒が立っていた。確か図書館で出会ったニコラ、といったか。


 その視線は“アルルカ様”に定まっているようだが、アリーナは気が付いていないようだ。


 ニコラと名乗った青年は私の視線に気が付くと、その場を離れていった。なにをしにきたのかな? ――おっと。


「“アルルカ様”、そろそろお時間です。」

「あら、わかったわルカ。――それでは皆様、ごきげんよう。」

「皆様、失礼いたします。」


 私は“アルルカ様”の背中を押すようにさっさと退出していった。




******


「新1年生のニコラ? ――ニコラ・ケール子爵子息、かな。」


 先ほどの光景が気になった私が、馬車の中でレイスくんに彼のことを聞いてみたのだ。


「ケール子爵は商人上がりだったかな。隣国との交易で成功した家だったと思う。彼が何か?」

「いや、特に何がっていうんじゃなくて……ただ、気になってさ。」


 ぶっちゃけただの勘なのだが。あとで神竜様に聞いてみよう。


 胸のもやもやを払いきれないまま、私は沈む太陽を眺めていた。

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