妹の初恋相手が転校生の美少女でもまったく驚かないのですが!?

よなが

01 恋に落ちたと少女は言いだした

「ねぇ、お兄ちゃん。私が恋に落ちたって言ったら笑う?」


 一カ月近くぶりに耳にした紫苑の声は落ち着いていた。話の内容からすれば、もっと色めき立っていてもいいのに。

 笑わないよ。はっきりばっちりそう返してやるつもりが、実際に自分の口から出てきたのは「ひょっとして、僕に?」なんて戯言めいたもので、しかも聞き取りやすいとはとても言えない声だった。電話ではなく、もしも面と向かって話していたのなら紫苑は僕の目をじっと数秒覗き込んでから「それはない」と嘲笑でもしただろうか。


「ううん、ちがう」


 現実として、電話口の向こうからの返事はあっさりとした否定だった。僕の勘違いを揶揄する調子ではない。そうするだけの価値がない、あるいはそんな余裕が一切ないほどに恋に溺れているのかもしれない。あの紫苑が? 恋に溺れている?

 僕と年齢が三つ離れていて、つい先日高校二年生になった彼女。浮いた話はこれまでに一つもない。いやいや、僕が知らないだけで紫苑が百戦錬磨の恋愛マスターガールの可能性だって捨てきれない。今度の恋路はかつてないほどの難易度で、喩えるならミノタウロスを閉じ込めたラビリンスであるから、その攻略と踏破のまさに糸口というのをこの僕に教授してもらいたいと彼女は願い出てきたのだ……云々と、そんな出口の定かでない僕の空想をぶった切り、紫苑はぽつり、最寄りのファミレスの名前を口にした。

 最寄りというのは大学生になって一人暮らしをしている僕の側ではなく、紫苑たちが暮らす家が基準だ。僕からすれば徒歩で気軽にいける距離では決してない。自転車で片道三十分足らずかかる。自分が今いる田舎でも比較的栄えていると学生街の圏外にある店舗で、電車だと駅から遠いのでかえって時間がかかるし、バスでもうまくいけば二十分といったところか。

「今から来いって?」と訊くと「忙しいの?」と間髪入れず返ってきた。薄暗い部屋、僕は窓辺に行き、専ら閉じたままのカーテンの一部をそっと開けて外を見やる。うららかな春の陽気が窓越しでも充分に伝わってくる。快晴。外を出歩くには申し分ない天気だ。


「もう一眠りしたい」

「なんだ、昼寝していたの」


 呆れた調子で紫苑は言う。講義のない土曜日の昼下がりにぐっすり眠るのも乙なものだ。紫苑から電話がかかってくる数分前までは眠りの底にいたのだった。夜、寝付けなくなるのが確定するような深い眠り。冬眠中のクマみたいな。起こすべきでない眠り。


「もうすっかり春じゃない。それに、大学生だったらそういう時間って同じアパートに住む学生だったりサークル仲間だったりと、どんちゃん騒ぎするとか、恋人とデートするとか、アルバイトで必死にお金稼ぐとか、資格試験のための勉強だとか……そういう時間じゃないの?」

「偏見だ。なるほど、たしかに人によっては資格取得のために必死で勉強しながらアルバイト先でサークル仲間とどんちゃん騒ぎしている間に、自分の部屋を訪ねてきたはずの恋人が同じアパートに住む学生とふしだらな関係になるのもありえる。けれど、皆がそういうわけではないよ」

「勝手に混ぜないで。時間あるの? ないの?」

「作るよ。兄として。そういう約束だから」

「あっそ。ありがと」


 ガシャンッと鳴ることはお互いにスマホだからない。それでも突然に通話が切られると、独特の物悲しさがあった。

 くたびれた部屋着から、外に出て何の問題もない服装に着替えて、顔も洗う。財布とスマホを除けば荷物らしい荷物は必要ない。小さなアパート、屋根付きのこれまた小さな駐輪場に並ぶ自転車は僕のだけであった。最多で八台留められていたのを目にした記憶がある。各階三部屋で二階建てのアパートには過剰な台数であるが、どこかの部屋の住人の友人や知人のものだったのだろう。一年前、引っ越しをしてきた際に、挨拶をしていないので、どの部屋にどんな人がいるか把握していない。今年、新しく誰も来ていないのは何となく雰囲気で察したが。

 自転車に跨ってすぐ、発進の合図代わりにお腹が鳴る。そういえば、お昼食べていないな。


「そんなわけでシティサイクルで颯爽と駆けながら考えていたんだけれどさ」

「ただのママチャリでしょ。ちゃんと空気いれているの?」


 急ぐことなくキコキコと三十分かけて店に到着し、先に店内で待っていた紫苑と合流すると、和やかに会話がスタートした。タイヤに空気はいれておいたほうがいいだろう。見てもいないのにわかるなんて、大した奴だ。


「自転車のことはどうでもいいわ。で、何を考えていたわけ?」

「もちろん、今回の恋愛相談について。あのさ、結論から言うと……」

「お兄ちゃんに期待なんてしていない」


 結論から言われてしまった。なんてカウンターだ。こっちとしては、恋愛相談なんて乗ったことないから適切なアドバイスはできそうにない旨を伝えるつもりが、先に言われてしまった。こんな以心伝心嬉しくないぞ。


「ただ、話せる相手が他に思いつかなかった。それだけなの」

「あれ? 紫苑にはたくさんの友達がいるんじゃなかったっけ」

「たくさんじゃない。ゼロのお兄ちゃんよりは遥かにマシだけれど」

「ゼロじゃねぇよ。マジで。二人はいるって。三人寄れば文殊の知恵だって」

「自分で言っていて虚しくならない? ともかく、お兄ちゃんには話を聞いてほしいってだけで、それ以上の何かを望むつもりはないから」

「それはどうも」


 恋愛相談ができるような気心の知れた友人が紫苑にはいないのか。喜ばしいとは言えない。

 紫苑は、運ばれてきた水を無造作に一口飲むと、小さく溜息をついた。それから、そっぽを向きさえする。呼び出したものの、どう切り出せばいいのかまだ悩んでいるふうだった。そもそもの話、わざわざ会いたがるぐらいだから彼女の内で整理が全然済んでいない悩み事、そして信頼のおける誰かと時間を作り、直にやりとりをしてすっきりさせたいことに違いなかった。緊張や不安がもっと声や表情に現れたら、周囲の人間も彼女に今よりかまうようになるだろうか。でも、差し伸べられた手を彼女がとるかどうかはまた別問題である。しかたない、僕がリラックスさせてやるか。


「しばらく会わないうちに、綺麗になったね」

「そういうのいいから」

「はい」


 端的に言えば、紫苑はクールである。ちやほやされる種類のクールさではなく、どことなく人を寄せ付けないオーラを纏っている。目つきが悪いとは思わない。その他の外見的特徴を1つずつ挙げていっても、どちらかと言えば可憐である。縦にも横にも平均的な成長を遂げているから、身体的に悪目立ちすることもあるまい。それでも、総合的には近寄りがたい何かを孕んでいるのが紫苑だった。


 よし、とりあえず注文しよう。場を繋ぐのだ。

 そして僕らはドリンクバーを注文し、そこに紫苑はパンケーキを、僕はサンドイッチを追加する。空腹感は多大にあったけれど、いざ紫苑を前にするとカレーやハンバーグをバクバクと食べる気にはなれなかった。

 やがて、紫苑が咳払いをして、左耳に垂れていた髪をそっとかきあげた。大学生になり、「なんとなく」で明るい茶色に染めてみた僕の髪と違って、紫苑の髪は黒いまま。肩にかからない程度の長さ。綺麗な髪だ、素直にそう思う。


「初恋なの、たぶん」


 さっと紫苑の頬に赤みが差し、その不意打ちに僕は息を呑んだ。僕に見せていいような顔ではないのでは? 呟きに等しい声はお昼のピーク時をとうに過ぎて夕暮れを待つばかりの閑散とした店内で、まっすぐに僕の耳へと届けられた。静かに恥じらう紫苑に「続けて」と僕は促す。


「相手は転校生なの」

「へぇ、それはロマンチックだ」


 色褪せた日常、退屈な日々に突如姿を現すキラキラとした転校生とのめくるめく恋。ありふれたシチュエーションでも当事者にしてみれば、現実かつ、ある意味で幻想的な美しい物語になり得るわけだ。


「なんて言ったらいいのかな、不本意だけど、気障なお兄ちゃんみたいな言い方をするなら……。その子は――――運命的な美しさをもっている子なの」

「ウンメイテキナウツクシサ?」


 復唱してしまった。

 馴染みのない植物の正式な和名でも聞いたかのような反応になってしまった。頬を染めたままで口を閉ざした紫苑に僕はなんと言えばいいのか迷った。

 無論、美という一つの特性、観点というのが女性を形容するに限らず、男性にも使用されることはわかっていた。美少年や美青年などという言葉もあるのだから、すなわち紫苑が恋をした相手というのがそうした表現で扱われるような男の子なのだろうという当たりをつけても何らおかしくない。

 おかしくないのだが……。

 直感的に、僕は紫苑の初恋相手というのが女の子であると察した。この場合、直観的としたほうがいいだろうか。何にしても、確認をとるより先に、真相をうかがう前に理由なく、根拠なく、天啓を受けたかの如く僕は紫苑が転校生の美しい少女に恋をしたのだと悟った。


 結局、僕は「相手は女の子?」と訊くことにする。果たして紫苑が小さく肯く。

 そして沈黙が横たわる。


「もしかして一目惚れってやつ?」


 沈黙を蹴り飛ばさんとした質問だったが、返答がなされる前に、やけに愛想のいいウェイトレスがパンケーキとサンドイッチの両方を一緒にテーブルにもってきた。一瞬、テーブル上に視線を走らせ、ドリンクバー専用のグラスはドリンクサーバー横にあることを、にっこりと教えてくれる。当然、知っていた。けれども、思い至らなかった。紫苑が話し始める前に、彼女の分まで用意しておくんだったな、と今更な自省があった。


「そうだと思う。仲を深めるどうこうより先に、だから」


 紫苑の言葉が、一目惚れかどうかの問いに対する回答であるとわかるまで少し時間がかかった。運ばれてきたパンケーキもサンドイッチも彼女の中では話の流れを断ち切っていなかった。

 僕は曖昧な相槌をしてから、飲み物を持ってくることを伝え、立ち上がった。


「コーラのお湯割りでいい?」

「任せるわ」


 任せられてしまった。

 サーバー前まで行き、専用のグラスを二つとると、とくに考えもなく目に着いた烏龍茶とオレンジジュースをそれぞれに注ぐ。混ぜはしない。どちらを自分が飲むのかすら頭になかったものだから、テーブルに帰ってきたときに、一旦テーブル中央にグラスを横並びにした僕だった。スッと紫苑がオレンジジュースが注がれたグラスを彼女の側に寄せた。自然と僕は烏龍茶を引き受ける。


「それじゃあ、聞かせてもらえるか。紫苑が、運命的な美しさをもつ転校生の美少女に一目惚れした件について」


 美が重複しているが、まぁ、いいんじゃないか。

 いくらあっても困るものではない。

 そうして紫苑はゆっくりと初恋の相手―――西原朋香にしはらともかとの邂逅を明かすのだった。

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