1.プロローグその二

  想造者イマジナリー

 世界にはそう呼ばれる者が居る。自らの精神を魔力に変え、様々な形で具現化させる事が出来る者の呼び名だ。

 それは例えば身の丈を越える剣。

 例えば万物を穿つ弩。

 例えば全てを押し流す大水。

 例えば触れたものを蹂躙する雷。

 人の身を越えた、まるで空想のような現象をその身一つで起こす事の出来る、まさしく特異的な力を持つ人間。それが想造者。

 そんな超常的な力を持った人間は善人だけではなく、その力で悪行を成す悪人もまた同じ様に存在する。そして、想造者に対抗出来るのは想造者しかいない。

 ここ、衛醒学園えいせいがくえんは悪しき者から人々を護る想造者である保安想士を育てるための政府直轄の高等教育機関である。


     *


 衛醒学園中央階段前。七月中旬の、これからの暑さを予感させる高めの気温の中、その熱気に負けないほどの活気がそこにはあった。

醒夏祭せいかさい……、もうそんな時期かぁ」

中央階段前に設置された全学年共用の掲示板。そこに群がる人だかりを眺めながら、浅見正也あさみまさやは感慨深く呟いた。

「あっと言う間だったような、長かったような」

 正也と同じ制服に身を包んだ少年、仲村慧なかむらけいが同意を示す。

「今年は色々ありましたからね」

 東童宵月とうどうよつきが長い金色の髪を僅かに揺らしながら、懐かしむように頷く。

 自分たちが晴れて二年生となった今年の四月。そこから今日に至るまでの約三か月間、多くの事があった。それらの事を思い返すと、つい遠い目になってしまう。

「ごめんなさい……」

 その様子を見たニア・ルキルシアはしゅんと肩を落とす。元々低い位置にある銀髪ショートの頭が、更に高さを下げる。

「ああ違いますよ。別にニアを責めてる訳じゃないんです」

 宵月は慌てて弁明する。わたわたと動く身体に合わせて髪の毛先とスカートの裾が右へ左へ揺れる。

「おい正也。宵月がニアをいじめてるぞ」

「な~に~?」

 慧の軽口に合わせて、正也が半眼で宵月を見つめる。

「ちょっと、別にいじめてないですよ?!」

「うん。いじめられてない」

 未だ慌てた様子の宵月とは対極的に、火中の人物であるニアはけろりといつもの無表情に戻っていた。さっきまでのしおらしい反応は、全部フリだ。

 それは宵月も半ば分かっていただろうが、自分の言葉が起因となっただけに軽んじる訳にも行かず、結果三人にからかわれる事となった。

「もう、まったく……」

「それでマサヤ、セイカサイってなに?」

 不満げに息を吐く宵月を横目に、ニアが尋ねる。

「ニアは去年居なかったからね。醒夏祭はバディを組んで戦う、学内トーナメント戦だよ」

「これの結果次第では実務に就いた時に色々有利になったりもする、まあ学期末の実技テストみたいなもんだな」

 正也と慧の説明にふむふむと頷くニア。

「それでその、醒夏祭のことなんだけど」

 正也がそう話を切り出すと同時。慧は周りの空気がほんの少し冷えるような、そんな錯覚を覚える。

 そんな事はお構いなしに、正也は渾身の言葉を放つ。

「俺とバディを組んでくれないか」

「……わたしで良いの?」

「ああ。ニアが良いんだ」

 宵月の肩が僅かに跳ねる。注視していなければ気づけないくらいの、小さな動き。それに慧だけが気づく。

「でも去年組んでた人がいるはず。その人は良いの?」

「あっ……」

 本当に失念していたのだろう、キリっとした表情が一気に焦りに変わる。それを見た宵月はわざとらしく口元を尖がらせる。

「別に大丈夫ですよ。裏切られたー、なんて思ってません」

「ごめん宵月! 本当にごめん!」

 綺麗な九十度に上半身を折って頭の前で両手を合わせる正也。

「冗談です。元々、正也はニアと組むだろうなって思ってましたし。だって二人は――」

 少しだけ間を溜めて、告げる。

「恋人同士、じゃないですか」

 楽しげな笑みを浮かべる宵月の言葉に正也とニアはゆっくりと視線を合わせて、そしてすぐに目を逸らした。

「そ、それは、そう……だけど……」

「……ん」

「急に胸がムカムカしてきたな」

「私もです。胸焼けしますね」

「お前らなぁ」

 顔を赤くした正也の言葉に覇気はなく弱々しい。いや、女々しいと言い換えても良いかもしれない。要するに照れているのだ。

 二人が付き合い始めたのは六月の中頃。今は七月の中旬だから大体一ヶ月と言ったところ。平時は問題無いものの、いざ意識してしまうとまだドギマギしてしまう。

「……」

 ニアもニアで色素の薄い肌をほんのりと朱に染めて俯いている。やはり恥ずかしいのだろう。

「その、ニア」

「! ……なに」

「改めて……よろしく、お願いします」

「……ん。こちら、こそ……」

 もじもじもじもじ。

 端から見ている分にはこの初々しさが面白くもあるが、それと同じくらいムズムズとした感情が込み上げてくる。なので、慧はこの後の事も考えて一刻も早く何処かへやることにした。

「んじゃ、イチャついてないでとっとと出場申請してこい」

「イチャついてない! ……い、行こうか」

「ん……」

 ニアがコクリと頷き、二人は並んで歩き出す。

「いってらっしゃい」

 胸の前で控えめに手を振る宵月。友人を送り出す柔和な表情とは対照的に、下がったままのもう片手は制服の裾の傍で僅かに握られている。

 何とも分かりやすい。でもこれもきっと、本人は気づいていない。

 仲睦まじい恋人二人の遠い背中は、少し先の廊下の角を曲がって見えなくなる。

「……良かったのか?」

「? 何がですか」

 宵月は何食わぬ顔で疑問符を浮かべる。誤魔化せているつもりなのだろう。実際、今この一瞬だけを切り取れば何も違和感はない。しかし、去年一年間を共に過ごし、近くでずっと見てきた慧には分かる。


 東童宵月は浅見正也に恋をしている。


 ニアが正也と結ばれるよりも前から、二人が出会うよりも前から、宵月は正也へ一途に想いを抱き続けている。

 正也は気づいていないようだが、慧からすれば宵月が恋をしているのは丸分かりだ。本人はバレていないと思っているようなので、不躾に確認をしたりはしないけれど。

「いや、何でもない。それより、宵月は今回も出るつもりなんだよな?」

「はい。私の実力を東童家の人たちに示す大事なチャンスですから。逃すわけには行きません」

 語気こそ穏やかだが、その眼に宿る強い意志は隠せていない。本当に分かりやすい。

「組む相手は決まってるのか?」

「いえ、それはこれから」

「じゃあ、俺と組まないか?」

「慧と?」

 キョトンとした顔の宵月。

「俺も去年組んでた奴が他の奴と組むみたいで、相手を探さなきゃと思ってたんだ」

「あら、そうだったんですね」

 半分ウソだ。慧にも組んでいた相手が居るのは本当だが、今回の醒夏祭で宵月が一人になるのは目に見えていたので、慧自身から先んじてバディ解消の提案をしていた。

 ちなみにその相手の方も他に組みたいと思える相手を見つけたらしく、解消するのに何か問題が起きたりすることも無く円満に事は終わった。

「正也や宵月、ニアには及ばなくとも、そこら辺の奴には負けないつもりだ」

「……そこは虚勢でも、誰にも負けない、くらい言ってくれた方が信じやすいんですが」

 ジトっとした視線が慧を刺す。

「俺はそういうタイプじゃないからな。これが俺なりの誠意って事で」

「貴方はもっと自信を持っても良いと思いますけどね」

「それで、組んでくれるか?」

 思いがけない言葉に慧の胸が早鐘を打ち、つい急かす様な言い方になってしまう。落ち着けと自らに言い聞かせる。

「ええ。気心の知れた相手の方が何かと楽ですしね」

心の中でホッと息が漏れた。宵月がスッと手を差し出す。

「ですが、組むからには全力で勝ちに行きます。そのつもりで」

「ああ。勿論」

 努めて冷静に。慧は再度心の中で唱えて、宵月の手を取る。自分の物ではない、柔らかな温もりが手に触れる。

「改めて、よろしくお願いします」

 宵月の顔が優しい笑みを結ぶ。

 瞬間、慧の鼓動は速くなる。全身の血が沸騰したように熱を持ち、脈の流れが一気に加速する。

「こちらこそ、よろしく」

 ずっと握っていたら手のひらを通じて宵月に何もかもが伝わってしまいそうな気がして、素っ気ない態度で早々に手を宙へと逃がした。

 その温もりを手放す惜しさに慧が気付いたのは、既に温もりを手放した後だった。もう一度握り直す訳にも行かず、逃げた手はダラリと無気力に垂れさせる。

「それじゃあ、私たちも出申請しにいきましょう」

 そう言って一人歩き出した宵月に小走りで並ぶ。

 慧はチラリと横を盗み見る。凛とした横顔、夜空から降る月光のように眩しい金色の髪。絹のような白い肌。

 まだ落ち着きを取り戻していない心臓が更に高鳴る。宵月に気づかれる前に視線を前に戻した。意識しすぎないように。そう意識するほどに自分と違う歩幅が、しゃんと伸びた背筋が、いつも以上に慧の意識の中へと潜り込んでくる。

 どうして慧はここまで宵月の一挙手一投足、それどころか佇まいや見目に心をかき乱されてしまうのか。

 その答えは簡単だ。


 仲村慧は東童宵月に恋をしている。

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