仲良し従姉妹

 勉強会は藍沢さんの参上と共に、演劇部の打ち合わせに変わった。


 とはいえ藍沢さんが来る前から、宮尾先輩が照井さんと楽しくおしゃべりばかりしていて、勉強は捗っていなかった。照井母が陣中見舞いにと差し入れてくれたアップルパイに舌鼓を打ったあたりから、宮尾先輩はテンションが上がりっぱなしだった。「じめじめを吹き飛ばしてくれる、太陽だよぉ!」と目を燦々とさせていた。それこそ太陽みたいに。

 照井さんは彼女曰く、長身のせいもあって先輩に可愛がられた経験がないそうで、だからなのか、まるでお姫様扱いしてくれる宮尾先輩に早くも懐いていた。真相の一端としては、私が照井家に向かう途中で、先輩に照井さんの事情を改めて簡単に説明したこともあるのだろう。


「いよぅ、待っていましたぁ~!」

「宮尾先輩、酔っているんですか」


 そんなわけで藍沢さんのこの反応も無理はない。

 初めて目にする藍沢さんの私服姿はサイズと色味以外は私と変わらないカジュアルなコーデだった。おしゃれなんてしていない、ありふれた普段着だった。ただの勉強会で、どこかお店にでも出かける予定もなく。雨で濡れたら嫌だよね。私の身なりは藍沢さんからすると「でも篠宮さんが着たら、なんでも様になるから、ずるいですよね」だそうだが、それは藍沢さんがなんでも褒めてくるってだけなのだと思う。


「それで台本は?」

「持ってきましたよ」


 藍沢さんがバッグから取り出したのはA4用紙の束。ホッチキスで右端が止められている。表紙となっている最初の頁に『雪乙女(仮)』とある。まだ仮題ではあるのか。「ほら」と彼女が中をぱらぱらとめくると、横向きに縦書きの文字列が並んでいた。ぱっと見てわかるのは、フォントが混ざっていること。ああ、役者の台詞と役者動きや舞台そのものの動きとを区別しやすいようにかな。


「一冊だけ?」

「とりあえずは。今日、読んでもらって大幅な変更がなければ明日のために十部ほど印刷しないとです」

「アイちゃん、明日のためっていうのは……」

「ええ、善は急げです。明日に演劇部員を全員召集するつもりです。ですから、宮尾先輩とそのお友達には悪いですが、明日は演劇部を優先していただきます」


 月曜日には手芸部の集まりがあるのを知らない照井さんは不思議そうにしていた。けれど、その照井さんを見て、宮尾先輩は藍沢さんに「わかったよぉ」と微笑むのだった。


「木下部長にはわたしから連絡しておきます。返信がなければ、明日に直接教室へ殴り込みに」

「物騒なこと言わないでよ」

「キャシーちゃんには、るるが個人的に連絡しておくね。グループチャットのほう、スルーするかもだし。残りの人たちは、部長さんから連絡とってくれるかなぁ」

「とってくれなければ、直接カチコミに」

「だから、物騒だっての」

「あ、あのっ、それよりも早く台本を読ませてもらってもいいかな!」


 そわそわしていた照井さんが、口を挟む。待ちきれないといった顔をしている。アニメ趣味を同じくする藍沢さんの書く物語に期待を寄せているふうだった。


「照井さん、申し訳ありません。これはまず篠宮さんに目を通していただくと前世より誓っていましたので」

「だ、だよね。ごめんなさい」


 だよね、じゃない。前世からの誓いにツッコミを入れてあげなさいよ。


「もうしばらく勉強に励んでいるか、宮尾先輩の脇腹でもつついて時間をつぶしてください」

「ええっ!? そ、そんなことできないよ」


 そう言いつつも、しっかりと宮尾先輩の腹部に視線を這わせる照井さんだった。


「テルちゃん、勉強しよっか」

「あ、そっちなら、はい」


 私は藍沢さんから台本を手渡される。一頁めくると登場人物一覧および、物語全体を要約したあらすじが記されている。以前、読んだプロットよりすっきり整理されていた。


「篠宮さんが演じる主人公ハル以外の配役については、今は深く考えずに読み通しちゃってください。四百字詰め原稿用紙換算で、五十枚足らずなのでそう時間はかからないでしょう」

「そう……。ねぇ、藍沢さん」

「なんです?」

「私、器用な言い方できないから、もしかしたら怒らせてしまうかもだけれど」

「その前置きが一番いらないですよ。言いたければ言ってくださいよ。お手柔らかに」

 

 その無表情が崩れるのがわかった。

 私が神妙に切り出してしまったから、彼女は不安がったのかもしれない。けれど、私には彼女の気持ちを沈ませる意図はない。まったく。ただ、自分の柄にない発言をするのを躊躇っただけだ。


「頑張って書き上げてくれてありがとね。私、舞台に上がるのはまだ怖くもあるけれど、でも、できる限りはやるつもり。演劇部のため、自分のため、藍沢さんのため」

「どうして、その言葉でわたしが怒ると思うんですか」

「上から目線かなって」

「いつもそうじゃないですか。わたし、小さいですから」

「物理的な話でなくて」

「あとで、またお願いします」

「え?」


 藍沢さんは彼女自身の髪をわざとらしく撫でた。頭を撫でてほしいってこと? そんな気に入るようなことだろうか。犬猫じゃあるまいし。私は「わかったわ」と空気を読んでいうと「尊い……」と呟く照井さんをよそに、私は読み始めた。





 翌日の放課後。

 激しい雨が窓を叩く。カーテンが音を吸い込み、部室内には響かない。そうだ、西棟三階の最奥部にある、その演劇部のための空間にいまだかつてない人数が揃っているのだった。決して埋め尽くすほどではないのに、私からすれば、やや緊張してしまう面々だった。


 円形に椅子を並べてある。私たちといっしょに準備していたときは「ラウンドテーブルはないのかな。あったら、円卓の騎士だよね」と楽しげだった照井さんも、人が集まり始めると、また背中を丸めて俯き気味になっていた。ちなみに顧問の真壁先生は不在。

 

 一年生は私と藍沢さんと照井さんの三人。

 二年生は宮尾先輩とキャシー先輩と福田先輩、それから生徒会と兼部しているということしか知らない女子の先輩を合わせて四人。

 残る三年生は木下部長と、そしてもう一人。この三年生の女子生徒はどこかで見覚えがある。どこでだろう。綺麗な人だ。弓道部で主将でもしていそうな雰囲気。長い黒髪を後ろ手きっちりと一つに結んでいる。私と照井さんの中間ぐらいの背丈。スレンダー美人がそこにいた。

 

 それはそうと男子二人に女子七人だ。そして女子のうちでは、一番の低身長も高身長も一年生にいるというのはおかしなもので、私がどっちつかずな感じでいたたまれない。その私が主演をやるのだった。


「なぜ、桜庭さくらば会長がここにおられるのですか」


 全員集まって、さぁ本題をという段階になり、一番に藍沢さんが口を開いた。木下部長がばつが悪い面持ちをしている。


「ボクがここにいては何か不都合があるのか、花恋かれん


 その会長と呼ばれた三年生女子の言葉に、私は驚いた。

 まず、彼女が入学式を含めていくつかの学校行事で壇上で挨拶をしていた生徒会長であるのを思い出して。そして次に、その彼女が挨拶中では一人称を「私」としていたのに、急に「ボク」と喋り出して。それからさらには、藍沢さんのことを名前で呼び捨てにしたことに対して。そこにもう一つ付け加えるなら、眼鏡をかけていないのに、指で鼻のあたりをクイっと、つまりはエア眼鏡ポジション直しをしたことに、私は衝撃を受けていた。


めい、今日はコンタクト」


 そう冷ややかに口にしたのは私の知らない二年の女子だった。髪型は二つ結びのおさげ。編み込んではいない。彼女たち二人が生徒会。あれ、でも生徒会長は演劇部員ではないはずなのでは。


「わかっているよ、海美。わざとだよ、もちろん」


 おどけてみせる桜庭会長に、海美と呼ばれた二年生は何も返さない。


「なぜ、演劇部員ではない桜庭会長がここにいるのですか」


 藍沢さんが繰り返す。不都合か否かではなく、正当か不正かを問題にしている。


「毎年、文化祭の運営に生徒会が大きく携わっているのは知っているだろう?」

「知りません。わたしは一年生です」

「うん? ああ、そうだった。つまり……文化祭の実行委員を取りまとめ、当日までの用意を円滑なものとして、無論、当日もつつがなく、安全安心、健全な運営を執り行う。それがボクら生徒会に課せられた務めなんだ。昨年、一昨年とは上演しなかった演劇部が今年は文化祭のステージを借りて、演劇を行う。これは前もってチェックしておくに値することだよ」


 鼻につく口調というのはこういうものなのか。

 桜庭会長はそれこそ絵に描いたような生徒会長を演じるかのように話した。言葉そのものより、そのトーン、息遣いがなるほど、堂に入っている。だからこそ、くどい。自己陶酔。短く言い表せば、そんな態度。

 

「えっと、篠宮と照井もいるから言っておくと、文化祭外でのちょっとした出張公演はあった。たとえば近隣の幼稚園にボランティアで。そういう小さな実績があって廃部を回避してきたんだ」


 藍沢さんがまた何か言おうとする前に、木下部長が補足して場を鎮める。藍沢さんと桜庭会長の衝突をこれ以上は避けたいのだろう。

 キャシー先輩が溜息をつく。


「藍沢、今からこの人追い出そうとしても無駄でしょ。七尾も呼ぶってことなら、セットでついてくるのはわかっていたことじゃないの。とことん従妹に過保護なんだから。その従妹は従妹で、クールな面しているくせして、甘えているわけだし」

「キャシー。ボクのことはいいが、海美を悪く言うな」

「どうしてあんたまでキャシー呼びなのよ!?」

「キャシー、私は鳴に甘えているつもりはない。鳴が優しいのが悪い」

「七尾っ! あんたはクラスで樫井さんって呼んでいるでしょうが! なんなのよ!」


 気がつけばキャシー先輩が遊ばれていた。

 藍沢さんに助け舟を出したつもりが餌食になっていた。二年生の女子、七尾海美ななおうみ先輩は、桜庭会長の従妹であるのはわかった。二人の仲がいいのも。たしかにクールな雰囲気の先輩だ。宮尾先輩やキャシー先輩にはないものがある。白衣似合いそう。偏見だけれど。


 そこでパンっと手を打ったのは二年生の男子生徒だった。福田先輩。銃声とまではいかないが、けっこう響き渡った一音。桜庭先輩をはじめとして、姦しくなっていた先輩連中が黙って、彼に視線を向ける。


「これ以上無駄話するなら、自分帰りますよ」


 低い声。照井さんは「ひっ」って声を上げちゃっている。

 筋骨隆々と話には聞いていたけれど、本当に美術部なの、彼。体格はどうみたって、柔道部。相撲部ではないのは横幅はないから。半そでからのぞく逞しい腕は、一部の人たちからすれば垂涎の的だと思われる。髪がぼさぼさとしているから、実際には柔道部とは間違えられないかも。格闘技やっていそうとは言われるだろうな。それと、部長さんは前にこの人を「気が小さい」とも樫井先輩を怖がっているとも話していたけれど、全然そんな感じではない。


「礼司、そう言うなよ。はぁ……。桜庭、いてもいいけど後輩を変に刺激するなよ」

「なんだい、ボクを悪者扱いしないでくれよ」

「むしろ相手したくないです」

「藍沢さん、それならもう本題に進めて」

「篠宮さんがそう言うなら」

「おや? 花恋の手綱を握っている君は誰かな」

「鳴、しばらく黙っていて」


 口早に七尾先輩が言うと「はいはい」と桜庭会長は口にチャックをする仕草をしてそのまま閉じた。


 何も起こらず、皆の賛同が得られればいいけれど。

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