めっちゃ早口じゃん

 照井歌織さんはリビングに入ってきた私たちを見ると、何か言いたげに口を開いたが、そのまま空気を震わせずに閉じてしまい、俯いた。


 足とひじ掛けのきちんとついた薄緑色のソファに腰掛けている彼女は、制服を着ていた。不登校である彼女が自宅で制服を着ていることに面食らう私であったが、私たち二人が制服で訪問するのがわかっていたから、それに合わせたというのは後になって知る。


 体格は大きい。座っていても、長身であるとわかる程度に。170センチ近くあるよう見えた。そんな彼女が俯き、背中を丸めもしている。色白肌で日にまったく焼けていない。すぐに隠してしまった、その顔色は健康的というより幸薄さの印象が勝る。

 そうした彼女自身の特徴と、染み一つない白い夏服から、スズランやスノーフレークの花が想起された。垂れるこうべがあの釣鐘状の花に重なる。


 彼女の母親が、私たち二人を彼女の正面に座らせて簡単に紹介する。私たちについて知っていることは非常に少ないのだから、簡単にならざるを得ない。


 照井さん本人はずっと俯いたままで、目線を合わせてくれそうになかった。

 


「お腹空いていない? シュークリームを買ってきたの。いっしょに食べようよ」


 普段の自分らしくない口調にはなったが、私はそんな提案をする。見方を変えれば、これも演技の練習と言える。

 なるほど、つまり私は学校に来なくなってしまった友達を慮って、自宅までやってきた優しいお友達なわけだ。私が? ええい、やってみるしかない。


「えっ……おやつなら、さっき食べた」

 

 照井さんからのぼそぼそ声での返答に私は口をつぐんだ。

 母親は知らなかったという表情をしていた。「じゃあ、後からでも」と言おうとした私だったが、藍沢さんが「では、今日はおやつ二倍のチャンスデーですね」とあの無表情で言う。これ、私へのフォローではなくて、思ったことをそのままポンと口にしたやつでしょ。


「でも……夕食、食べられなくなっちゃう」


 子供じみた心配だった。


「そうなったら、わたしが手伝いますから。あと、こちらの篠宮さんも」

「待って。あの、藍沢さん? 私に何を手伝わせる気なのよ」

「ですから、照井さんの夕食を食べるのを」

「図々しいわよ?! なに、ご相伴にあずかろうとしているのよ」

「大丈夫です、わたしは食べ物の好き嫌いってないですから」

「そこはまったく心配していない」

「篠宮さんはもしかしてあるんですか? 日々、お弁当の中身をチェックしている限りだと、なさそうですけれど」

「なにチェックしてくれてんのよ」

「機会があれば、わたしが作ってあげたいなって思っていたんです。あっ、秘密にしていたのに言ってしまいました。責任取ってください」

「とらないわよ!」

「おふたりは…………仲、いいんですね」


 照井さんがぼそりと。皮肉かな。なに、勝手に盛り上がっているの?って。母親のほうから言われるよりはよかったのかな。


 照井さんは、その表情が今は物理的に読めない。声色でしか判断するしかないが、その声というのがおよそ合唱部のイメージとはかけ離れたものであり、つかみどころがない。ぐぬぬ。


「照井さん。不安にならなくても、買ってきたシュークリームは大きくないですよ。わたしみたいなちっちゃいやつです。ぱくぱくって食べられるようなサイズです。抹茶のは、わたしが食べます」


 藍沢さんが自虐ネタを挟んできた。

 あと、さらっと自分の好みのものは確保していた。


「……大きいのに、気弱でごめんね」


 照井さんは照井さんで卑屈だった。おいおい、どんな言葉かけたらいいのよ。教えてよコミュ力高い人。


「こちらこそ、小さいのに強気ですみません」


 対抗するな。


「歌織、せっかくだからいただきなさいよ」

「…………わかった」

「飲み物を用意するわね。ふたりとも、紅茶でいいかしら。あとは冷たいお茶しかないけれど」

「ありがとうございます。えっと、紅茶をお願いします。いいわよね、藍沢さん」


 藍沢さんが肯く。そうして照井母がその場を離れた。

 すると、藍沢さんがソファから身を乗り出して言う。


「照井さん。実は頼み事があるんです。それがあって、今日はクラスメイトでもないわたしたちが、ご自宅までこうして馳せ参じたのです」


 そんな大急ぎで駆けつけたつもりはないが、口にはしない。それよりも、頼み事?


「…………頼み事って?」

「演劇部として劇に出演してください」

「えっ」


 私は理由は違えども照井さんと同じく小さく叫びそうになったが、慌てて口を抑えた。


「お忘れかもしれませんが、現在、われわれ演劇部というのは人手不足なんです。そんな中、十月初旬の文化祭での公演に向けて活動がスタートしています。ぜひ、照井さんにも出演していただきたい、それが無理なら裏方としての手伝いをしてほしい。そう思って今日は訪れました」

「…………私が、最近学校に行っていないのを知っている、よね?」

「ええ。ですがあなたは演劇部です。ご存知ありませんでしたか、われわれ演劇部の絆というのは、血よりも濃く、底なし沼より深いのです」

「ホラ吹いているんじゃないわよ!」

「………嘘、なの?」


 また一段と暗い声になって、しまったと思った。藍沢さんの誇張表現に慣れているというのに、つい突っ込んでしまった。私が悪いの、これ。


「ん、ん。篠宮さん、しばしお静かに。でないと、口を塞ぎますからね。私の……く、口で。もうっ、何言わせるんですか」

「!? ふたりはそういう関係、なの?」

「ちがう」


 あのさ、藍沢さん。顔赤らめてまで言う冗談じゃないでしょ、それ。

 彼女にこの場を任せるか迷った。彼女に主導権を握らせれば、最悪、紅茶をぶっかけられて家から追い出されてしまうのでは? それであの優しそうなお母様に塩を撒かれでもするのでは?

 

 しかし迷いはそのまま沈黙となり、その沈黙を藍沢さんは私の了承と受け取り、彼女は照井さんに話し始める。


「照井さん、顔をあげてください。いますぐに」

「!! は、はいっ」

「いいですか。わたしと篠宮さんを除く演劇部員間の親交については、たしかに友好かどうか懐疑的になる面もあります。早い話、そんなに仲良くないです。ただし、わたしが照井さんを演劇部員として必要としているのは偽りありません。事実です。そしてそのことは、わたしが照井さんの不登校をそれほど問題にしていないということにもつながります」

「……ど、どういう意味?」

「そのままの意味です。わたしたちは表面上、あなたのクラスの担任教師を起点として、先生方に頼まれてあなたの登校再開を実現するべく、ここに派遣されました。ですが、内実は別にあります。すなわち、演劇部再建のために力を貸してほしいのです。それが叶うなら、極端な話、あなたが学校に毎日来ようが来まいが――――」

「ちょっ、藍沢さん! そ、それは違うでしょ」


 はらはらする。いくらなんでもその言いぐさはどうなんだと、割り込む。


「ですから、極端な話と言ったじゃないですか。理想を言えば、照井さんが元通りに学校に登校するようになって、それで演劇部員としてわたしたちと仲良く、楽しく過ごせたらいいですよ」

「………無理だよ、元通りなんて」

「そうですね」

「藍沢さん!?」

「わたしも篠宮さんも照井さんがなぜ不登校になったのか、その理由をここでじっくり話してもらおうとはしていないんです。いえ、聞いてほしいなら聞きますよ、もちろん。けれど、大切なのはあなたに変わりたい気持ちがあって、舞台を作ることに少しでも興味があって、新しい一歩を踏み出せるのかって部分です。これって元通りではありませんよね。ですので、先ほどの発言は訂正します。理想的には、新しい決意を固めた照井歌織という女の子とわたしたちがいっしょになって楽しく過ごせることが目標です」

「そんなの、急に言われても……」

 

 照井母がトレイに紅茶の入ったティーカップを三つ乗せて戻ってくる。ソーサー付きだ。華美な模様が入っている。

 

 顔を上げている娘が、あまり表情をしていないのがまるわかりだった。私と目が合う。私は苦笑を返す。藍沢さんは照井さんと見つめ合ったままだ。照井さんはおどおどしていて、藍沢さんのまっすぐな視線からは逃げたくても逃げられない様子だった。

 

 何を根拠に信じたのか、根拠がなくとも信じるしかなかったのか、照井母はその場をまた離れた。見守りはしなかった。娘である照井さんが声をかけたのなら、そこに留まったに違いない。


「いいですか、照井さん」

「な、なに」


藍沢さんは立ち上がった。


「『青天の霹靂というのは誰しもが経験するものだわ。素敵よね、晴れ渡った青空に走る稲妻、轟く雷鳴。光落ちるその場所に、雨が降りだすその地に、もしも傘を持って心待ちにしていたのなら、興ざめにもほどがあるわ。急だとかいきなりだとか、くだらない言い訳はよしなさい、今、走りだしなさい、澄み切った空を求めて。その小さな翼を羽ばたかせ、死に物狂いでピンチをチャンスに変えてみなさいよ!』」


 言い終ると、すとんと座り直す彼女。

 何かの引用だというのはわかった。なぜなら、藍沢さんが残念な演技――――彼女の過去を聞いたうえでも私は自分の感性に嘘をつくことができなかった――――をしているときと同じ声の調子だったから。

 大根役者の素質が彼女にはあった。そうよ、大根役者役であれば、彼女は天下をとれるんじゃないかしら。

 

 そして言われた側の、照井さんは驚いていた。

 藍沢さんの演技力のなさにではないと思う。そうではなく「それって……」と目を輝かせていた。

 それまでの陰鬱な面持ちから一転、高揚感がそこにあった。小ぶりで整った唇は開かれては、閉じてしまう。何か言おうとしている。

 

「えっと――――ふたりだけでわかる合言葉ってずるいわね。ねぇ、照井さん、今の藍沢さんの台詞って何の台詞なの? 教えてほしいな」


 笑顔をなんとかつくった。

 そうだ、私がアクションを起こした。藍沢さんが言うだけ言って黙り、照井さんは不器用にも言いたいことを言えない状態であるならば、どうして私が何もせずにいられよう。お人好しはお人好しらしく、ここで動かねば恥である。


「あのね…………」

「うん」

「い、今のはっ!『セブンスディーヴァ』の第二シーズン・劇的無敵の魔笛編の第八話において、白翼の歌姫こと主人公・相田凛音が、これまでずっと凛音を支え続け、凛音も実の兄のように信頼し、慕っていたビジュアルレッスントレーナーであるフィガロを、幽世の歌姫の策略によって凛音自らの手で冥界送りにしてしまったことで深く絶望し、歌姫魂契(ディーヴァソウルコネクト)を解除しようとしたまさにそのとき! 第一シーズンのラスボス的な立場として登場して、行方も生死も不明であった夜の女王が忽然と凛音の目の前に現れ、降り出した夕立に為す術なく濡れる凛音に傘なんて差し出さずに、あの時のお返しだと言わんばかりの平手打ちをかましてから、うなだれる凛音に向かって、最初は優しく、そして徐々に激情を露わにして鼓舞する、そんな超絶感動シーンでの長台詞なの!そしてそのシーンからのイントロが入っての、特殊EDはエモすぎっ、胸に刺さりまくりぃ! 夜の女王のソロ曲って第一シーズンの挿入歌で二曲使われているんだけど、それとは他にファンの間でめちゃくちゃ人気あった『絶唱、あるいは無慈悲なpronounce』って曲があって、それのリミックス版だったの、そのED! いやね、たしかに魔笛編なわけだし、夜の女王の再登場ってのはファンの間じゃ考察されてはいたんだけれど、まさかのあのタイミングで!?ってなったの、だってね、次回予告では、そういうの全然気配なかったし、それに夜の女王のCV務める、望月さんって深夜アニメでの出演ってどんどん少なくなっていたのもあって、もしかしたら女王の姿は描くけど、声なしの出演じゃないのかってまで言われていて、まぁ、私リアルライブ参戦勢ではないのもあって、そんなのは些末なことだって聞き流していたんだけど、やっぱ夜の女王には出てきてほしくて、とにかくそこのシーンでの夜の女王からの熱い、ううん、冷たい叱咤と激励によって、再奮起した凛音がローズナイツのリーダーの力を借りて、というか脅迫して――――」


 私は笑顔を引きつらせて、藍沢さんを見る。

 彼女は優雅に紅茶を啜り、「あちっ」とその熱さに可愛らしい声をあげていたのだった。

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