第5話 未練を渡そう
「うわぁー、おっきい川!」
病院から歩いて五分。目の前に大きな川が現れた。三途の川の何倍あるんだろう。青く光る川の両サイドには広い河川敷もある。雑草が茂っているところもあれば、道や芝生が整えられているところもあり、小さい野球場まである。それにしても、川が大きければ橋も大きい。
「この橋を渡ったところにデパートがあるらしい。あの病院に来る人は、たいていそこで、見舞いの品を買ってくるそうだ」
カイが橋の向こう側にある大きなビルを指差した。あれがデパートだろう。そして後ろを振り返ると病院がまだ大きく見えている。歩いていっても十分くらいの距離だ。
橋を渡っている途中で、川を見ていたカイが思い出したように言った。
「そういえば、夏になったらここで祭りがあるって、看護師が言ってたな」
「えっ、お祭り!?」
「あぁ。河川敷に屋台が出て、花火も上がるらしい」
「いいなー! ねぇ、今度一緒に行こうよ!」
「断る」
「えぇ!? なんで!」
「なんでお前と行かなきゃならないんだ」
「ふたりじゃないよ。このはちゃんも一緒に、ね?」
そう言うと、カイが口ごもった。このはちゃんというのはカイの妹のこと。カイと兄妹とは思えないほど可愛くて、やさしくて、料理がすごく美味しくて。オレもよく作るのを手伝いに行って、ごちそうになっている。
「そういえば、あいつまだ花火見たことなかったな……」
そう言葉を濁して、カイは川に目をやった。
このはちゃんは今、何をしているんだろう。ふと思ったけど、今は朝だ。悪魔にとっては夜中だから寝ているだろう。
カイは眠くないのかな。そう思って見ると、ちょうど口に手を当てて欠伸をしていた。もとはといえばオレが遅れてきて、しかも迷ってばかりだから遅くなっているんだ。早く夏花ちゃんの未練を晴らして、仕事を終わらせないと。
橋を渡りきり、道路を渡って、デパートの前まで来た。ガラス越しに花がたくさん置かれている。ここが花屋さんだろう。奥のほうに小さいながらもヒマワリが置いてあるのが見えた。
「よかった、売ってる!」
店の中に入り、花瓶の中から花を手に取った。手の平ぐらいの大きさで、ちょっと小さいかもしれないけど、夏花ちゃんは満足してくれるかな。一番きれいなのはどれかなと探していると、カイが不吉な言葉を言い放つ。
「あっ、金はお前持ちな。おれ持ってないし」
手が止まった。
振り返り、信じられないと訴えるようにカイを見た。当たり前だろという感じでカイがオレを見ている。
結局、どうすることもできずに全額オレ持ちで支払うことになった。
ちなみに天魔界では天魔界専用のお金はあるけど、人間界のお金のほうが出回っている。最近は人間界で人間に紛れて働いていたり、買い物へ来たりする天使と悪魔が増えたかららしい。未練晴らしの時も、今のようにすぐに使えて便利だけど……。
季節はずれのヒマワリだけに案外高かった。今日は帰りに買出しに行く予定だったから、お金を多めに持ってきたのが、良かったのか悪かったのか。寂しくなった財布をポケットに入れ、ヒマワリを見つめた。
「まっ、それであの子どもが助けられるなら、安いんじゃないのか?」
カイが言った。慰めのつもりなのかな。もとはといえばカイのせいなんだけど……。そうだよな、魂一つ助けるのにお金を惜しんだらいけないよな!
「よーし、このヒマワリ、早く夏花ちゃんに見せに行こう!」
人目のないことを確認して翼を現し、空に舞い上がった。風でヒマワリが揺れる。折れないように気をつけて、やさしく抱えた。
「カイー、早く行こう!」
カイの唇が動いた。
「えっ、なんか言った?」
「なんでもない、今行く」
カイは周りを確認して、背中に黒い翼を現す。地を蹴って、空に舞い上がった。
さっき言った言葉が気になる。「たん」なんとかって聞こえたような。たん……、たん……。あっ。
「だれが単純だって?」
「別にー」
こうしてふたりで青い空の中、天魔界へと昇っていった。
*
「ちがう」
夏花ちゃんの一言に、オレたちは言葉を失った。
夏花ちゃんの見たかったものは、ヒマワリではなかった。
「だったら何が見たいんだよ!」
カイが夏花ちゃんに対して初めて口を開いた。言葉の中に、
夏花ちゃんは黙って、オレが持ってきたヒマワリを見つめた。目の中が冷たく光り出す。カイはそれを見てはっとし、あらぬほうへ視線を移す。
「これだからガキは……」
オレは夏花ちゃんのほうへ向き直る。
「何か思い出したことない? これ、君が一番好きな花だったんだよ?」
何か手がかりが
「もっと、もっと大きなお花……」
涙声でそう言って、夏花ちゃんは黙ってしまった。
*
人間界の、さっき渡った橋の下。河川敷に降りていき、オレたちは途方に暮れていた。
また最初からやり直しだ。それにもう時間がない。さっき見た夏花ちゃんの魂は、もう反対側が見えるほどに透けていた。記憶がなくなっている証拠だ。
「持って一時間くらいだな」
カイが言った。どうしよう……。
オレたちは近くのベンチに座り込んだ。河川敷の野球場。その一帯だけ土を持ってきたのだろう、地面が黒い。平日だから、辺りに人はほとんどいない。
カイが近くに落ちていた棒を拾って、何かを書き始めた。なんて書いているんだろう。丸っこい字やかくかくした字。字が読めないオレに、カイが説明を始めた。
「あの子ども、『大きな花』が見たいって言ったよな。病院の看護師は『夏に咲く大きな花』って言ってた。でも、それはヒマワリではなかった」
そう言って、文字の上にバツ印をつけた。たぶん、ヒマワリと書かれているのだろう。
「それじゃあ、どこか外国の珍しい花かな?」
「いや、それは違うと思う。子どもの家にあった花、見た限りほとんど見たことのある花ばかりだった」
確かにそうだった。キクのほかにも、バラやチューリップ、マーガレットや桜の枝。ほかにも、名前はわからないけど、見たことのある花ばかりだった。
「もし知り合いが夏に外国から花を持ってくるにしても、親が知ってるだろう。そんなこと何も言ってなかった。つまり、身近にある花。病院にいても見られる花だ」
画数の多い字が二文字書かれた。たぶん病院と書いたのだろう。カイは棒を置き、地面を
オレも考えないと。そう思い、カイと同じように読めもしない字を見つめた。
……頭が痛くなってきた。顔を上げて、川を見る。川は緩やかに流れている。
夏になったら、ここら辺はどうなるんだろう。きっと、川遊びする人がたくさん来るのかな。夜になるとお祭りで
そっか、病院にいる人はみんな特等席だよな……。
その時、頭に何かが引っ掛かった。カイが口を開く。
「もし、花でないとしたら……」
ふたりで顔を見合わせた。カイの表情が明るい。たぶんオレもそんな顔をしているだろう。
同じ言葉を、同じタイミングで言った。
「「花火だ!」」
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