第3話 未練を探そう

 人間界に着いたオレたちは、人気のない場所に降り、翼を消した。

 翼のはえた天使や悪魔の姿は、人間には見えない。でもオレたちが翼を消すと、人間にも見えるようになる。まぁ、翼が見えなければ、人間の目には人間としか見えないだろうけど。


「で、これからどうするんだ?」


 カイがいてきた。


「えっ!? えーと、とりあえず……どうしようか?」


 全然考えてなかった。

 花を見たいという未練。でも、花といったっていろいろある。道端に咲いている花や木になる花、花屋さんで売っている花。それらをいちいち彼女のところまで持っていくわけにもいかない。

 考え込んでいるオレにカイがため息交じりに言った。


「とりあえず、あの子どもの家に行って、どんな花が好きだったか訊くところからだろ」

「あっ、そうだね。なるほどー」


 オレが感心していると。


「さっさと行って終わらせるぞ。今回の未練は簡単そうだしな」


 と言ってカイが歩き出した。オレもその後をついていく。


 未練といってもいろいろある。多いのは家族や友人に最期のお別れがしたいというもの。他にも隠していたものをなんとかしたいという未練や、一度でいいから見てみたい景色があるという未練、などなど。今回も変わっていて初めてだ。


 逆に困るのは、憎しみいっぱいの未練。あの人を殺してほしいとか、呪いたいといった未練を持つ者も中にはいるらしい。オレは会ったことがないけれど、そんな魂の扱いは悪魔のほうが得意だと聞いたことがある。だったら、カイはそんな未練を晴らしてきているのだろうか。


「小学校か」


 カイがつぶやいた。目の前に見えるのは、女の子の記憶にあった学校だ。

 よかった、ここからなら女の子の家の道順もわかる。正直、さっきまで何か目印を探して適当に歩いていた。こんなことをカイにばれたら、また何言われるかわからなかったから、ラッキー……。


「よかったな、学校が見つかって。ここからはわかるだろ、道順」


 バレバレだ。そういえば、悪魔は他人の心を読むのが得意だったな。


「べ、別に迷ってたわけじゃないよ! あと、ひとの心を勝手に読むな!」

「読まなくてもわかる。お前わかりやすいからな。それよりあの子どもの記憶はどうだったんだ? おれは見てなかったし」


 歩きながら、オレは女の子のことを話した。

 まだ小学生で、元気なころは家族と一緒にお祭りやキャンプに行っていたこと。重い病気にかかって、病院で治療していたけど、甲斐かいなく亡くなってしまったこと。


「あと、花が好きで、部屋の中が花でいっぱいだった。病室にもいろんな花が置かれてたよ」

「どれが一番好きかは、わからないのか?」

「うん、忘れてる。花に囲まれているのはわかるんだけど、花の種類とかは、ぼやけてはっきりしないんだよね」

「普通、簡単に忘れるか? 自分が一番好きだったものとか」


 カイが愚痴気味に呟いた。

 確かに自分の好きだったものとか、大切なことはなかなか忘れないと思う。でもこの女の子はもうほとんどの記憶を失いかけている。お父さんやお母さんがいることはわかるけど、どんな人だったのかがわからない。お祭りやキャンプも行ったという記憶はあるけど、そこでどんなことをしたのか、どんな物を食べ、どんな話をしたのかは覚えていない。


 死んだ者は人間界にいたころの記憶がしだいになくなっていく。そうして魂が純粋なものになっていくらしい。でも、未練を残したまま記憶を忘れるとその想いによって魂が縛られ、再び人間界に戻ってしまう。いわゆる幽霊というやつだ。未練を晴らしたいけど記憶がないために晴らせない。そうして人間界をさまよい続けてしまう。


「ここじゃないのか」


 カイが一軒の家の前で止まった。考え込んでいたから見過ごしそうになってしまった。玄関には忌の幕が垂れ下がっている。そして線香の匂いも漂っていた。


「とりあえず、何が一番好きだったのかを訊けばいいんだな」

「えっ、ちょっとカイ?」


 慌てて止めようとしたけど遅かった。カイは呼び鈴を押し、ピンポーンという音が響く。


「バ、バカ! あの子と何の関係もないオレたちが言っても怪しまれるだけだよ!? こういう時こそゆっくり考えるんじゃないの!?」


 その時、玄関の戸が開いた。


「どちら様でしょう?」


 中から女の人がでてきた。あの子のお母さんだろう。ぼやけた記憶と顔立ちが重なる。

 でも、ここからなんて言えばいいんだ。いきなり「亡くなった娘さんの好きだった花は何ですか?」はないだろう。しどろもどろしているとカイが隣でささやいた。


「お前は黙ってろ」


 女の子のお母さんに聞こえないように注意を払った小さな声だった。そして一歩前に出て、女の子のお母さんと話を始めた。


「すみません、突然お邪魔して。おれ、病院に入院していた時、ナツカちゃんと知り合ったんです。でも先日、彼女が亡くなったのを知って、お別れを言いにきたんです。あっ、こいつは付き添いで」


 丁寧な言葉使い。こんな口調、オレはもちろん大天使様や大悪魔様の前でだって聞いたことがない。

 横からカイの表情が見えた。悲しみの中に女の子のお母さんを思う微笑みを浮かべている。完璧かんぺきな表情。でもそこからは何の感情も伝わってこないと思うのはオレだけだろうか。いつものカイは何も言わなくても、なんか、強いメッセージみたいなものをぶつけてくる。それが今はまったく感じられない。無感情だった。


「そうですか。では、上がってください。あの子もきっと喜びますよ」


 女の子のお母さんは何の疑いも持たずに微笑みながら言った。よく見ると目尻めじりが赤い。泣き疲れたのだろう。

 玄関に入った時、ふと思った。そういえば、カイはいつ女の子の名前を知ったんだろう。廊下を歩きながらこっそりカイに訊いてみた。


「表札に書いてあった」


 夏の花と書いて「夏花なつか」だと、名前を教えてくれた。

 こういう時、カイがいてくれると助かるけれど……。


「こちらです」


 夏花ちゃんのお母さんが、奥の部屋に案内してくれた。洋式な家なのにその一室だけ畳が敷かれ、小さな仏壇と夏花ちゃんの写真、そして色とりどりの花が置かれている。お母さんが敷いてくれた座布団の上にオレたちは正座する。


「夏花、お友達が来てくれたよ」


 そう言って、お母さんがまず線香を立てた。その次にカイが慣れた手つきで線香を立てる。

 オレはお母さんのほうを見た。じっと夏花ちゃんの写真を見ている。悲しくて、とっても辛いんだろう。助けてあげたい。こんな時、夏花ちゃんを三途の川から連れて来て会わせてあげたいと思う。でも、それは本人が未練に思っていない限りできない。下手に連れて来ると、お母さんの想いが夏花ちゃんの魂を縛ることだって起こりうる。


「次」


 呼ばれているのに気付き、はっと上を向いた。カイがお母さんに借りた数珠をオレに突き出している。


「あ、うん……」


 カイから数珠をもらい、仏壇の前に座る。後ろでカイはお母さんに何か訊いている。オレは線香を立て、写真を見た。浴衣姿で笑っている夏花ちゃん。もっと生きていられたらどんな人生を送っていたんだろう。

 お参りが終わって立ち上がると、ちょうどカイとお母さんの話も終わったようだった。


「では、後ほどお墓のほうにも伺います。今日は朝早くに何も持たずに来てしまい、すみませんでした」


 カイがそう言って、家から出た。オレもお辞儀をして、後に続こうとした。けれども、お母さんの顔が目に入り、足を止めてしまう。何かを思い出してしまったのだろうか、今にも泣きそうな顔。耐えきれずに声を掛けた。


「あの、オレ、必ず夏花ちゃんの未練を晴らしてぃたっ!?」


 けれども、カイに耳をつままれ、家から引っ張り出される。

 夏花ちゃんのお母さんが不思議そうに首を傾げながら、オレたちを見送ってくれた。

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